2014年12月9日火曜日

Dancer In The Dark

これは最後から二番目の歌 それだけのことよ

ビョークが歌っていた。
映画の中で。
それだけのこと。
それだけのことが、
この上ない救いだった。

何年も前から、
観るべきときがわからずにいた。

今宵が、そのときだった。

少女のように無垢で、
老婆のように傷ついて、
闇のように何かを見つめて、
光のように無邪気に微笑んで、

ビョークが歌っていた。

これは最後から二番目の歌。
それだけのことよ。

最後から二番目の歌で会場を出てしまえば、
ミュージカルは終わらない。

永遠に続いてゆく。
ミュージカルは、永遠に続いてゆく。

例えば、首を吊られても。
例えば、息絶えたとしても。

ミュージカルは終わらない。
永遠に終わらない。

この夜のための映画。
息ができる。
歌えそうだ。

最後から二番目の歌。
それだけのことよ。

そう、
それだけのことよ。

2014年12月8日月曜日

重力と恩寵

かつてシモーヌ•ヴェイユが書いた『重力と恩寵』という書の内容についてはあらかた忘れてしまったが、この書のタイトルはこの先も忘れることはなさそうな気がしている。重力と恩寵。ヴェイユがこの二つの言葉とその連関にどのような想いを込めたのかは忘れたまま、僕はいま、僕にとっての重力と恩寵について想いを馳せている。それは、僕にとっての重力の圧迫感から少しでも這い出ようとする僕の賢明な、そして、愚鈍なやり口のひとつとして、こうして言葉を羅列することが幾ばくかの意味を持つことを知っている、あるいは予感している、少なくとも、期待しているからだ。

2014年11月は既に過ぎ去り、過去となった。しかし、僕の魂はいまだ11月の過去のなかに取り残されたままのようだ。12月に入ってから、僕にとっての時間の流れは一変してしまった。毎日がほんの一瞬で走り去る。なんの記憶も手触りも残らぬ日々が既に一週間ほど通過した。覚えているのは、カレンダーに書き込まれた予定の痕跡と、僕に少なからぬ感動を与えてくれた類の出来事だけである。それらは、断片化されたパズルのピースのような、幾ばくかの色彩と形と手触りを僕に与えてくれるが、そのピースの全体像をピースから判読することはできず、ひとつひとつのピースが、まるで一夜の夢のような蒙昧さを以って僕の脳裏を時々かすめるばかりである。流れ星のような過去。漆黒の空は一瞬の間煌き、そしてまた、夜の闇に呑み込まれて消える。

11月という月を、僕は、「シンガーソングライターとして生きる」実験のためのひと月と決めていた。僕は、歌を唄うし、曲を書いたりもするが、自分が「シンガーソングライターである」という意識を持ったことが一度もない。「シンガーソングライターである」とはどういうことなのか、僕にはよくわからない。少なくとも、僕は単なる僕であり、僕の一つの営みとして自然と、歌うことがないと落ち着かないからなんとなく歌を唄うことを結果として続けてきただけである。人様に聞かせる気もさらさらなく、歌を唄う。そもそも、人前に出ることが苦手だし嫌いなのだ僕は。だって、人前に出るのは疲れるから。それだけの理由である。あるいは、人前にでて、人様の貴重な時間を割いていただいてまで自分のうたや演奏などを聴いてほしいなどとは露も思わぬ僕は、たぶん、欲求レベルで、あるいは生理的なレベルで、「シンガーソングライター」として落第であろうと思う。別に自分の音楽を聴いてほしいなどとはいまだにたいして思ってないし思えない。みんななんで思えるのだろう。というか思うのだろう。聴いてもらったら、何が起きるのだろう。褒められるのだろうか。ありがとうと言われるのだろうか。何を求めて人は他人に向けて歌を唄うのだろう。いまだに僕にはわからない。この先もわからないままなのかもしれない。

そんな僕だが、この一年間の間に、いろんな人々に出逢い、いろんな物事に出逢い、出来事に出逢い、そのなかで、ひとり、閉じこもっていた世界から引き摺り出されたわけで、それは、ほんとうに、心から感謝しています。ほんとうに。そのおかげで、僕は、これまで26年間わからずにいた、自分の人生の筋というか、朧げながらも歩む道というか、自分の腑に落ちる行為というか関係というか、兎にも角にも、自分の、自分たる生き方のひとつの展望がひらけたような心持ちであります。この一年間があってよかった。心の底から思う。こんな一年間は他にはなかった。心の底から思う。感謝が溢れて溢れて、とめどない。有り難い。ほんとうに、有り難いとは、有り難いことなのだと思う。その、一年間の感謝の意味を、ひとつの行為に集約して届けるために、僕は、どうしようもなく、歌を唄うという己を包み隠さずみなさまにお見せしたかったわけであります。だから、11月は、「シンガーソングライターである」ことを選択し、パフォーマンスとして、というとすこし平べったい言い方ですが、僕は、いまの自分にできる、舞台での歌の最大限を引き摺り出す術を学ぶため、ステージに立ち続けたわけであります。その最後が、28日でした。見に来ていただいた方々に、どのように映ったのかは知りません。が、少なくとも、僕は、今年一年間の粋をすべてぶち込み、綺麗に整えることも、藝術のなるたるか表現のなんたるか、音楽的美学のなんたるかをすべてシカトし、ただただ、あらんかぎり、爆発させました。その意味では、現在地点の自分のパフォーマンスとして、僕は、自分に、人生で初めての花マルを送りたい気持ちでした。よくやった俺。がんばったな俺。そう素直に思えたのは、今までの人生で初めてのことかもしれませんね。いや、どうだろう。わからんけど。

そんな夜が、終わりました。そして、ある種の予感とともに発言していましたが、ある意味で、僕はあの夜に死にました。生命活動を絶ったわけではもちろんありませんが、あそこに向けて収斂させるなかで、僕は、たぶん、多くのものを犠牲にしたようです。いま、僕は、唄うことがあまり楽しくありません。ギターもさほど楽しくありません。つまりは、それほどまでに限界に向けて一挙に収斂させてしまったということでしょう。「シンガーソングライター」として己の強度を深めつつ洗練させることは、僕にとって、かなりのエネルギーを使うことだったようです。そして、放出し、僕は、いま、空っぽになりました。代償としての生臭い疲労感を身体の隅々にびっしりと敷き詰めて。

時折、死んでしまいたいと思うことがあります。もちろん、死んでしまうつもりはありません。ただ、ふっと、思うだけです。それは、いろいろな質感をもつ死んでしまいたいであります。兼ねてより僕は、還りたいという想いを持っていましたし、それは、死ぬこととはたぶん違う感覚で、より、自然な感覚で、特に、ネガティブな感情のないものです。11歳。人間はみんなバラバラで、みんな、ほんとうに、孤独なのだと知ってから、僕は、空ばかり見ていたような気がします。空と海とを分かつ境界線。そこにひとつの絶対的な絶望と失望を感じてきました。分かたれているということへの怨念は、この15年間、常にどこかにあったのかもしれません。分かたれているのは、どうしてなのか。それを知りたくて、そして、ほんとうには分かたれてないはずだろうと切に思いながら、いや、望みながら、僕は、歌というものに魅せられてきました。歌うことは、還ることそのものだったのです。それは、一瞬でも、たしかに、この身体の境界線を超えでて、空へとこの身を溶かし出すための、僕の、たったひとつの方法でした。だから歌ってきた、そういうことでしかないように思います。

その、還るための歌を、僕は、扱う人間として自分を位置付けてみたわけです。そして、それは現在地点における臨界点へと至り、そして、僕はボロボロに疲れ果ててしまったようです。扱うという類のものではないことを扱う対象としてしまうことは必ず破綻を招くこと、どこかで知っていたのでしょう。だから、僕は、このライブだけは見てほしかったのだし、このライブを終えたらある意味では死ぬということを予言していたわけです。僕の予言はどうやら的中したようです。

いま、この身体のなかに無数の重力を感じています。歌うことで僕はこの身体の輪郭線を保ってきたが、どうやら、いまはそれが機能しないのです。僕の身体と心は無数の方向へ向かうベクトルによってひしゃげています。内側へ向かう具体的な痛みと圧力。これはたぶんブラックホールとおなじ原理でしょう。惑星は自身の重力に押しつぶされてブラックホールとなります。いまの僕の状況は、まさに、そんな惑星一歩手前なのでしょう。潰されかけている。魂の重力。そういう種類の力がこの世にはあります。それは歴然と。しかし、大抵は理解されないものですから、仕方ありません。アイム ア クレイジーメンという事でしか世の中は片付けます。世の中は、理解のできないものを、なきものとするかおかしなものとして嗤うかしかできませんから。

魂の重力。そして、それと引き換えに見出すことのできる、恩寵。僕には、歌が、恩寵だったはずなのに、どうやらいまは、重力の一部になったようです。恩寵が見えない。さあ、これはどうも間違いのようですがそれがスタート地点でもあるのでしょう。では、どうやって生きおるのか。命題はそこからはじまります。さてさて。

世に言う精神障害者はどうやって生きてゆけるのでしょうかね。誰にも理解できない重力と痛みを纏って。日々、毎分毎秒の時間を過ごすということの具体的肉体的な苦痛を笑顔の下に隠しながら。全くもって、難儀なものです。生きていかなきゃいけないということの意味もわからぬままに。

人生の恩寵、いずくにかあらんことを。

2014年11月30日日曜日

Magik Voices - 音の河 - 海と空の還る場所へ

2014年11月27日、28日。Oddelos関東連合という奇妙な名前を冠する集団による二夜連続公演「Magik Voices」が執り行われた。今、僕は、独り、その2日間を思い返している。得難い夜だった。感慨に耽りつつ、からだのあちらこちらにバクテリアの如く侵食している疲労感を酒で溶かしてしまおう。戦場に駆り出された一般市民。取りも直さず僕らの日常は何も変わることなく続いてゆく。物語の終焉はいつも唐突にやってくる。或いは、唐突であることこそが僕らにとっての唯一の救いなのかもしれない。奇妙な疲労感。ウィスキーのように深く、濃厚で芳醇な愉悦。官能。その心地を少しでも描写できたらと筆をとる僕だが、言葉は本質へと届くことなく、あくまでそれを回避するかのようにグルグルと螺旋わ描き奇妙な言葉の連なりばかりがいまここに綴られてゆく。言葉にできる事など、ほんとうに、ないのだと思う。

どうやら僕は、ほんとうに、音楽というものを信じているらしい。信じているらしいというのは奇妙な言い回しだが、如何せん、僕という人間は、じぶんの有する感覚感情思考思想志向というものをはっきりと把握することのできない人間であるから、ほんとうに実感に根付く言葉を使おうとすると、必ず、伝聞のような言葉になってしまうのだ。じぶんのことなどわかるはずもなし。わかるものなんて、つまらないものだと思う。予想外、想定外、わかると言い切れてしまう安易さを常に裏切り続けなければ精神は硬化してゆくばかりだ。わからないことを悦びたい。常に、じぶんのなかにあるじぶんなる枠組みなど破壊し、世界と自己なるものの境界線を融解させ、絶えず、生成変化してゆくような、例えばそう、南方熊楠が描き出した世界、菌類のような人類、そのようなものを真ん中に据えながら、僕は、僕のなすべきこと、それもまた僕が意識的に知ることのできるようなものではないものへと対峙し続けていきたいと思うのだ。分かる…分かたれたものたちの、還る場所は、何処かに在る、のではなく、常に其処にありながら、常に変容してゆく時空、それ自体なのだから。逃げるのではない仕方で、颯爽と、静かに、深く、己の場所へ還り続けよう。其処には何が見えるかい。僕には、虹色の海月の群れが見えている。虹色の海月を通り抜けて、僕は、意識の深層へ、深く深くダイブする。

武満徹は、音の河という言葉をよく使う。この言葉、最近、つとに、よくわかるようになってきた。音の河。それは、音楽、という言葉が指し示すような一般的な意味での音楽ではない。武満は、日本の雅楽などの音楽を評しながら、その内奥に潜む、所謂西洋的音楽精神では捉えることのできぬ生成変化するプロセスのみで成立する東洋的音楽の在り方を、音の河という言葉でそっと指し示そうと試みた。そう。音は、本来、河なのだと思う。ポール•ヴァレリーが、かつて、言った。批評家は、作品自体を批評するのではない。その、作品を、作品として切り出した、作家のその切断行為、その、断面、その裁断の仕方をこそ批評すべきなのだ、と。これは、武満の云う、音の河、という言葉の指し示す芸術觀によく似たものであろうと思う。つまり、切断する前にあるものは、常に、接続されているということ。世界は、連続するひとつの織物であり、それを裁断するハサミの役割をするのが言葉、例えば、作品、という言葉であるのだということだ。織物ならば、裁断は可能であろう。それは、人間の手によって織られたものであるから。しかし、同じ連続体でも、河を裁断することは出来ない。河は、水の流れそのものであり、水を切ることは出来ず、水は、手ですくえば手のなかにおさまり、宙にほうれば飛び散り、河に帰れば河の一部となる。水に形はない。しかし、水は、絶えず、なんらかの物体、現象によってその場限りのかたちを与えられ、そして、流れてゆく。水は、その意味で、完璧に決められていながら、完全に自由なのである、と言うことを言い始めると、もはやそれは仏教哲学のおはなしである。僕の手には負えないおはなしはここらできりとしましょうか。

兎にも角にも感ずることは、人間の手によって分かたれたものをはじめの前提にすべきではないということ。それはたしかなことのように思える。切断するのはみな人間である。それに従うと、間違える。遠のく。次第に、何から遠のいてしまったのかすら分からなくなる。分かたれてしまうと、分からなくなるのだ。それはよろしくない。あまり利口とは言えない。分かる、ならば、はじめから。分かたれてしまうまえのところをまなざし、分かつべきだ。そこに、人間である、ことを超えた、1人の人間のまなざしがある。僕はそのことにしか興味がないと言ってしまっても言い過ぎではないかもしれない。分かつこと。分かたれてしまうこと。分かつことのできぬもの。分かること。分からぬこと。そのひとつひとつの、やわらかく繊細な人間の息づかいを、僕は、聴きたいのである。

昨晩。僕は、音の河のなかにいられたのだと思う。少なくとも、これまで以上に、遥かに、分かつことなく、水槽ではなく、水、それ自体のなかで、ひとつひとつの音楽というものを、その場で、曲、というものに編み上げながら、うたをうたうことができた。それが、よかった。ライブという時間、空間のなかで、それがなかなかできぬこと、苦しかった。いつも頭を悩ませ、落胆、なぜすぐに線をひいてしまうのか!とじぶんを叱責し続けてきた。しかし、昨日は、すこし、それができた。曲のなかではなく、つまり、音楽というかたちではなく、かたちを含みこむ、音の河、それ自体をライブという時空のなかで感ずること、それが、すこしばかり、できた。あれは、よかった。求めていたのは、あの感じだった。まだまだ下手くそだが、音の河として曲を演じうたうことそれ自体その時空自体を裁断することなく河としてわが身に受け感ずることができるのだということをこの身をもって知ることができた。得難い夜。そして、やはり、その感覚は、伝わるひとには伝わるのだ。言葉はいらない。言葉では、説明できない。ただただ、感じたい。そして、その、感ずるところを、感じていただきたい。そして、その、感ずるところを、だれかの手にゆだねてゆきながら、僕は、すべてのひとびとのなかにある河、音の河と河との出逢い、それらが融和する官能、その先に生まれる新たな河、そうしたものをていねいに、まなざしてゆきたい。井筒俊彦は、世界宗教なるものを、河に喩えていましたな。おなじこと。音の河は、また、宗教の河でもある。どれがホンモノの河であるかなど、ほんとうにどうでもよいことなのに、なぜ、いまだにひとはその正しさを主張し闘い血を流すのか。僕には意味がわからない。そんな愚かな闘いはもうやめにしましょう。正当な正しさではなく、己の魂の河に素直に耳を澄ます。闘いではなく、ひとつひとつの河が澱みなく流れ、分かたれることなく融和し、ひとつの大きな河となり、それが、海へと、ゆきつくように。音の海へ。そこには、空もある。空と海の還る場所。そこには、境界線はなく、曲はなく、音楽なるもの以前の音楽の総体、それはつまり、音楽でなくてもかまわんものとしての音楽があり、音楽以外があり、すべてが、ひとつであるところ。そこまでをまなざしながら、僕は、僕の、音の河を、ただただ、流れに身をまかせ、流れてゆきたいと、思います。

2014年11月17日月曜日

檸檬と皮膚、或いは、羅針盤。

こんがりと揚げられたゲソの唐揚げと共に小さな皿に添えられた檸檬の切り身を友人が囓っていた。檸檬とは囓ることのできるものなのか、僕は目を丸くしてその姿を一瞬眺め、そして、その不躾を恥じた。檸檬の切り身を囓ることくらい、誰にも造作もなかろうに。何を不思議がっておるのか。檸檬と囓るということと、特段、結びつかぬ理由などないではないか。檸檬を囓る友人。とても自然なことなのだ、彼にとっては。それはそれ、これはこれ。自然なことなんて人の数ほど、いや、人の数の中には無数の人がいるので、人のなかにある人の数ほど、それは、或いは、天球の星々の数に及ぶだろう。一体この宇宙空間とやらには、幾つの星があるのだろうか。その数を数学的に知りたいとは思わないが、やはり幾ばくかの興味というものはある。檸檬を囓る人々。この地球には何人くらいいるのだろう。こちらは星の数ほどは気にならぬが、旨そうに檸檬を囓る友人の横顔を眺めていたら、ふと、気にならんではないことだ。檸檬を囓る友人の横顔。

顔は言葉よりも多くを語るものらしい。このところ、わたしの両の目は、必要以上に人間の顔を眺めるために力を注いでおるらしく、それは疲れることでもあるのだが、如何せん、人の顔というものは面白いものである。顔を面白がるなんて失礼な奴め、と、厳格な方々にはともすればお叱りを受けそうな心地もするが、仕方あるまい。人間の顔というものはどれだけ眺めてみても飽きぬものなのだ。これもまたわたしのひとつの自然であり、厳然たる事実なので、お叱りを受けようともやめる気などはさらさらありはしないのである。

顔。眺むることの面白さの多くは、皮膚と眼にあると思う。そればかりではないのだが、要約するならば、焦点はその二つに定められる。顔立ちと顔つきは似て非なるものであり、それらは、人生のはじまりとおわりの双方の両端を黙示録的な暗号化を通して見る者に伝えるものであり、自己では計り知ることのできぬ、その人間の生き様を記し、他者から眺むるに、その人間を推し量るための格好の材料を提示するものであり、ひいては、この、顔、なるものをまなざすことは、他者の生きることのある種の正しさ、いや正しさというと語弊があるのかもしれませぬが、そういう類の、羅針盤のようなものとして計り知るための、そういう類のものなのかもしれないなと思うわけであります。人の顔を見ること、眺むることとは、自分なるものが知り得ぬ自分自身の姿形を通して、その人間の現在から出発して、過去と、これから先歩んでいくことになりそうな可能性としての未来と、そうした時間軸を含めた人間そのものをまなざすことに通ずるものなのだと、近頃のわたしは思うわけであります。だから、人の顔は、とても面白いのです。

愛し合う者たちが互いの顔を見つめ合うのも、おそらくは、そうした、顔の面白みを含んでおるのだとわたしなんかには思われます。それは、愛し合う者たちが、互いの言葉や声だけは計り知ることのできぬ相手の過去から未来という射程の出来事が、顔の、皮膚や、眼、というものに、描かれているからだと思うのです。そんなことは気にしておられぬ方々がほとんどだと思いますが、顔を見たい、顔を見せる、ということが、じぶんはどうにか元気で生きているということを相手に伝えるための最もよい手段だとみなが信じていることと、このこととは、おそらくは、通じているのだと思います。顔には過去と未来が描かれております。だから、彫刻家は、顔を掘るのです。掘ることなく、その対象の顔を石膏の型にはめ込んで、石膏を流し込んで固めてしまえば、現在の顔に瓜二つの顔が出来上がるでしょうが、それでは、ダメなのです。そうして拵えた顔には、現在の物質としての顔しか、彫り込まれておりませんから。顔には、眼差しを与える他者が必要なのであります。見ること、見られることを通して、顔は、ようやく、時間を持ち、息をし始め、未来を語り始めるのです。だから、掘るのでしょう。私はあなたの顔をこのように見ておりますよ、と、掘るのでしょう。言葉には出来ませぬからね。掘るのです。そうして他者の顔を掘ることは、愛のあることだなあと思うわけです。愛がなければ、人間の顔には、現在しか映りませんから。だから彫刻家は掘るのです。たぶん。そして、だから、愛し合う二人は、互いの顔と顔を向け合わせ、時に、顔と顔の最もやわらかいところ、唇を重ね合わせ、互いの顔のあることを、そして、互いの顔の、これからも変わってゆくやわらかさのあることを、そっと、顔で、確かめあうのでしょう。わたしは勝手な事ばかり言いますね。ははは。わたしは、あなたの顔を見ることが好きであります。あなたの顔を、どうかわたしだけにそっと、見せてやってはくださらぬでしょうか。ははは。

2014年11月15日土曜日

物語「鏡像空間紀行」第一章

目を開けると、僕の目の前には、一つの扉があった。ピカピカに磨かれたシルバーの扉は全面鉄製で、ドアノブも含めて、全てが銀色の輝きを放っていた。シルバーメタリック。子供の頃流行ったミニ四駆、車体に穴をあけメッシュを貼り付け、モーターを改造し、二段構えのローラーを備え付けることでコーナリングをスムーズに行えるよう配慮し、ミニチュアサーキットを走る幾つもの車体の中で最も目立つ色をスプレーで塗装する。僕のマシンは、ビーク•スパイダー。蜘蛛をモチーフに作られた車体の先端部分は二股に鋭く尖り、見るものを威嚇する。僕はその車体に、ブルーメタリックのスプレーを照射した。ブラックのボディは見る見るうちにブルーメタリックの霧に覆われてゆく。光り輝く青を身に纏う蜘蛛のマシン。たまらなくかっこいいと思った。この扉の色と輝きは、今は亡き、あのマシンを僕の脳裏にイメージさせた。

僕はドアノブを右手でそっと握り、ガチャリと音がする方向へゆっくりと、しかし、完全に回し切った。ドアノブは滑らかな手触りを僕の右手に伝え、この先にある場所へ足を踏み入れるための勇気をそっと差し出してくれた。

シルバーメタリックのドアノブを回し、シルバーメタリックのドアを向こう側へと押し込むと、ドアの向こう側の空間が見えた。僕は迷わずそこに足を踏み入れた。扉を後ろ手に閉めて、空間を見渡す。奇妙な風景が広がっていた。半球体状の鏡が無数に敷き詰められていた。一つ一つの鏡は奇妙に歪み、バラバラの大きさで加工され、接続されていた。空間の全容を把握することはできない。それは余りにも巨大な空間であり、壁などによって仕切られた部屋なのか、無限に広がる宇宙のような場所なのか、それさえも僕には判断することができなかった。ひとまず僕の目に映るのは、奇妙に歪められ接続された半球体の鏡の群が織りなす巨大な鏡の反転空間であった。大きさのまばらなそれらの鏡は、僕の頭上から両側面にかけてびっしりと隙間なく埋め込まれ、全体としてそれを眺めると、ボコボコとした鏡の群がひとつの巨大な蜂の巣の内部のように見えてきた。ここは一体何処だ。僕の脳内には奇妙な鏡に映し出される無数の自分の歪んだ鏡像と、この空間の意味に対する疑問符とが交互にめまぐるしく立ち現れた。


2014年11月14日金曜日

透明な水槽 心の膜 と 樹々の歌

何かに呼ばれるように、ガットギターをケースに詰め込み、夜の森へと向かった。お決まりの演奏場所。お決まりの樹々。オレンジ色の蛍光灯が、大きな蛍のように灯っている。いつも通りの夜、井の頭公園。お決まりのベンチに腰掛けて、煙草に火をつけた。深く煙を吸い込んで、タコのように唇と尖らせて、煙を吐き出した。満遍なく満ちた夜の気配に身体と心を沈めて。固くなった自分の気配を溶かしていた。

そっと、ギターをケースから取り出して、ジャランと音を鳴らす。どうも、聴こえが悪い。いつの間にやら僕は、ライブハウスで演奏するための音しか鳴らすことができなくなっていた。綺麗に整った音は、森の樹々の気配には馴染まず、ただ、音が音としてだけ、僕の前にポツリと浮かび、地に落ちた。これは、やっぱり、ちがうなあ。

マイクの前に座り、わざわざ演奏を聴きに来た有り難いお客さんに向けて、歌を唄う日々が、いつの間にやら、僕を歌から遠ざけていたことを知った。

僕の大好きな音を奏でる友人は、ライブハウスでライブをすると、そのモードに切り替わると、野原で演奏できなくなると話していた。僕にはとてもよくわかる話だった。僕も、このところ、そんなふうになっていた。樹々に向かって歌うことが僕のほんとうなのに、僕は、樹々に向けて歌を唄えなくなっていた。それがなぜなのか、よくわからなかったし、今でも、よくわからない。ただ、ライブハウスを含めた、演奏するための舞台に立ち続ける日々が、僕にとっての自然さから僕を遠ざけたことだけは、まごうことなき事実なのだった。固くなる身体、心。固くなる、歌、音。音楽が死んでいた。

音楽は、何処に向けて、奏でられるべきなのだろう。近頃、その事をよく考える。そして、その度に、答えは見つからぬまま、問いは宙へと消えてゆく。

ミュージシャンはお客さんに向けて音楽を演奏するのだ、という事実は、現象としては正しいが、ほんとうにそうなのか、僕にはよくわからない。ただ、僕には、お客さんに向けて演奏をするということの意味がわからないのかもしれない。うまく説明できないのだが、お客さんに向けて演奏するという、心のベクトルを向けるとき、僕にとっての音楽は死ぬのである。心を差し向けた瞬間に、驚くほど一瞬で、死ぬのである。これが何故かはわからない。しかし、音楽が死んだ瞬間を肌で感じる。音楽が、死骸となって、もはや音楽ではない現象としての音?なるものとして宙に舞い、地面に落下することを眺める覚めた?冷めた?醒めた?自分のいることは、よくわかる。もはや、音楽が楽しいとかそんな事すら忘れてしまうほどに、僕の演奏はかつてと比べて「上手くなってしまった」のだな、と、この前、高円寺の行きつけのカフェギャラリーで演奏したときに気づいた。

そのカフェギャラリーは、僕の音楽の一つの故郷である。僕はその場所で、はじめて、見知らぬ誰かと共に音楽のなかに生きることのできることを知った。誰かに向けて、ではなく、誰かと共に音楽のなかに生きていること、誰かと共に音楽が生きていること、そうしたことができるのだということを学んだ。だから僕は、ひとりぼっちだった自分の音楽を誰かの前にさしだしてみたいという気持ちを持ったのだった。

その、僕の、故郷が、気づけば、僕の音楽にそっぽを向いていた。先日、その店で音を鳴らしたとき、ひやりとした。一音鳴らして、僕は、もう音を鳴らしたくないと思ってしまった。いや、正確には、音を鳴らすことが怖いと思ってしまった。あれほど自由に出てきていたメロディも潰え、口を開いても、どのように歌えばいいのかわからず、僕は、逃げ出したくなった。あんなにも、親密な場所だったのに、どうして。不安は膨らみ、ついには演奏をやめてしまった。僕は、自分に失望した。僕の音楽は、もはやここでは生きられないのだ、と、涙が出そうになった。

僕の演奏は、実際のところ大した技巧などはないヘタクソなものなのだが、それでも数ヶ月前より格段に上手くなった。音が精密に聴き取れるようになり、出したい音を出せるようになった。歌も、上手くなった。数々のメロディと声色と質感を使い分けられるようになった。どのように聴き手に届けるべきか、どのようにパッケージングすべきか、すぐさま判断できるようになり、音楽としてのクオリティは高くなった。それは間違いない。そして、だから、僕の音楽は、死んだのである。

上手いこと、綺麗なこと、が、すぐさま間違っているのではもちろんないし、それ自体は、よいことであると思う。ただ、上手くなること、綺麗になること、で、こぼれ落としてしまうものがあるのだということをこれほど実感したのははじめてだった。こぼれおとす、というか、息の根を止める、ということが起こりうるのだということ。技術は、音楽を生かしながら活かさなければならない、技術は容易に音楽を殺してしまうのだということに、僕は気づかぬまま、上手くなってしまったようだ。だから、あの店、あの場では、歌えない。死んでいる音楽の姿を、あの人には晒せない。僕は、少々、間違えた道をこの数ヶ月で歩んでしまったらしい。

もう一度、生きている音と生きなければ、そう思った。歌うことでしかうまく呼吸のできない自分は、死んでしまった音楽のなかで、具体的な現象として死にかけていた。息がうまくできない。歌いたくない。音が出したくない。だから、詩を書き、絵を描き、物語や文を綴り、やり過ごしていた。歌ほどではないにせよ、それらもまた、僕に、息の仕方を教えてくれるものたちだから。

あの日の音楽のなかへ帰るために、僕は、森へ行った。窒息しかけの水槽の中の鑑賞用熱帯魚に成り果てた自分の身体と心。樹々は変わらず受け止めてくれた。そして、少しずつ、ゆっくりと時間をかけて、水槽のガラスを壊し始めた。声も音も、はじめは、内側へ響かなかった。声が遠くに聴こえた。耳に白い膜がはっているように感じられ、音楽にふれることができなかった。誰かに向けた音楽は、僕のなかに響く生きた音楽ではなかったのだ。白い膜はなかなか脱げなかったが、少しずつ、耳の形が露わになってきた。声が、音が、聴こえはじめた。音楽が呼吸しはじめた。僕が呼吸しはじめた。るるる。身体のなかに音が響きはじめた。ららら。音楽が回転しはじめた。ろろろ。手放してしまっても音は勝手に鳴るのではないかギター りりり。音、回る。るるる。音楽、生きている るるる。もう膜は消えた ららら。歌、飛びだす 突き抜ける 閃光 夜を串刺しにする るるる。ああ、自由だ。どんなことをしてもひとつの音楽だ りりり。れれれ。みー。音楽が生きている音楽が生きている音楽が生きている音楽が生きている僕が生きているるるるるるる。

忘れていた感覚官能。音楽は生き物だったのに僕が殺した。マイクはいらない。聴衆もいらない。舞台もいらない。少なくとも僕のほんとうの場所にそれらは不要だ。邪魔になる。僕と僕以外を隔てる輪郭線。そこにある、白い膜。さらに構築された透明な水槽。僕は、壊し続けなければならない、水槽を。そして、抗い続けなければならない、白い膜へ。境界、輪郭、線、分け隔てるものへ。透過するのが、音楽である。音楽ほど、それを透過できるものはない。だから僕は音楽なのだろう。それしかないのだろう。

水槽はバラバラに砕け散り、白い膜は、少し、ネバネバとこの身にとりついている。でも、息ができる。よかった。ここが、僕の場所。僕の還る場所。忘れてしまわないように、何度でも、還ろう。音楽の生きている場所へ。


エッセイ「台風の目」

ぎしりぎしりと音がするのである。錆びついた鉄と鉄とをこすりあわせるかのような、鈍い、音がするのである。軋みをあげる骨や肉や筋、奇妙に歪んだ臓物、平衡を保つ事さえ叶わぬ顔と腰と。わたしを織り成す物、皆、ガラクタと成り果ててしまったのである。

具に観察セヨ。
マダ私に、何ガ残ッテイルトイウノカ。

軋みあげて踊り狂うことでしか生存の本能さえも放棄せんとする我が身の不自由を嘆くとも分かち合うことのできぬ事柄への寂寥の念を唯深め、己の心の臓の鼓動の唯一定に打ちつける音を独り聴くのである。

かなしくて泣く事さえも忘れてしまう。
かなしくて泣くのではなくて、
両の眼から涙の粒をポロポロと零してみるとことで、
ようやく、悦びを感ずる事が出来るのである。
即ち、涙とは、悦びを逆照射するメランコリーの太陽なのである。
そう言い切ってしまいたい慾望を一旦制止するとしても、はてさて、近頃のわたしは泣かなくなった。一応は、男で御座いますから、それもまた当然でしょう。昔のわたしは、それはもう、毎日のように泣いておりました。泣く事が唯一の仕事なのではなかろうかと思えてしまうほどに、毎日、毎日、泣いておりました。何がそんなにかなしくて、泣いていたというのか、近頃のわたしにはまるでわかりませぬが、兎にも角にも、泣く事でしか、何事をも解決することができなかったのでしょう。どれだけ我慢をしてみても、目頭が熱くなり、沸騰寸前のヤカンのように赤く染まった顔をぐしゃりとつぶし、啜りあげるように泣くのである。なんとも、おかしなことです。泣いたとて、何も変わりゃあせんのだよ、無くしたものは戻らぬのだよ、と、いまのわたしならば言ってやりたくなりますが、言ったところで無意味でしょう。泣きたかったのでしょうから。兎にも角にも。

幸福のど真ん中にあるとき、人は、どうやら、涙を流すことすら、忘れてしまうようです。この事をわたしは、ようやく、学びました。ど真ん中は、静かなのですね。ちょうど、台風の目のようなものです。幸福は、渦を巻くのであります。そして、それは、移動しながら、また、何処か遠くへと消えてゆくのです。必ずや、消えてゆくのです。永遠なる台風などありはしないように。

幸福を望んでいたときもありました。それは、おそらく、夢というものだったのでしょう。夢を見ていたのです。幸福の賛歌。揺るがぬものへの憧れ。未だに完全に消え失せたとは言い難いもので、それは魅惑する美女の有り様のようなもので御座いますが、既にしてわたしという人間は、そのような美の在り方に素直に首を垂れるほどには素朴なままではいられぬようになったということでしょう。

今は、もう、うまく泣く事すら出来なくなりました。耐え忍ぶ事が得意になったのでしょう。なんたることでしょう。それはそれでよいのかもしれませぬが、少しばかりの寂寞の念を感じます。それなりに、歳をとってきたのでしょうか。

幸福のど真ん中。絶えず移動するその中点を、何処かに生み出し続けていきたいのだということを願うのは、一匹の愚かな人間として、身に余ることでしょうか。しかし、誰もが、それを何処かで望んでおることと思います。わたしにも、出来るでしょうか。出来ると信じてみたいのでしょう。

幸福のど真ん中へ。
沈黙のど真ん中へ。
忘れてしまう掌のぬくみのような、
かすかな記憶のふれる場所へ、
いつまでも、旅していたいと願うことは、
野暮なこと、なのでしょうか。

詩「わたしのなかのやまへ」

大人といふものに成るにつれて遠ざかるのは
あの日 岐阜の山にて聴いた 木々のゆらぎと掠れの音か
宵闇深く明けずとも
この先にまた 光指すとも 差さずとも
消えゆく声に 耳を澄ませて
飽くなき喧騒の日々は
時に 嫋やかに 時に 眩暈を催すやうに
そっと わたしの肩に ふれてくる
強張った両肩は あの日のわたしの怖れだろうか
亡くしてしまうあの日わたしの嘆きだらうか
夢酔い遊び戯れて
いま ひとたび 思い遣らん
歩けば尊し 世は情け
風の吹くまま 欠伸をすれば
再びこの耳 何を聴く
わたしのなかにある山は
いまも 静かに ゆれています

詩「煙草」

煙草の煙のやうに ゆらりゆらりと 身をくゆらせて
透明な空中に 溶けてしまえたら

かなしみ と いたみ と わたし と
すべて ひとつの出来事として 忘れられてしまえ

この 木偶の坊 め

2014年11月13日木曜日

詩「声」

わたしの耳に聴こえては
すぐに 消えてゆく

それは 常に
わたしにとっての 過去となる
かたちのないことを
幸せだと思いたい
もしもかたちがあったならば
わたしは あなたから 離れることが
できないでしょうから

詩「皮膚」

わたしのからだをかたちづくる輪郭線
その線を 艶かしく撫で回す あなたの掌
あなたの掌を 感じていると
わたしのからだに 輪郭線のあることが
赦されるような心地がする
愛は わたしのからだを 撫で回す
ナメクジのように ジワリ ジワリ と
わたしは 確からしくなる
あなたのおかげで
あなたの掌の 微かなぬくみと
優しさ故に冷え切った 皮質の一粒一粒が
わたしに 愛の 具象たるものを
教えてくれる
忘れてしまわぬように
あと少し もう少し だけ
この 汚れた皮膚を 撫でてください

詩「太陽」

放射する太陽の光を粗末な足元に浴びて
じりじりとした黄金色の温度を纏うたびに
私は その光のなかへ 溶け出してしまいたいと思う
溶け出すことができたなら
どんな心地がするだろう
太陽は ギラギラと輝く空に棲む黄金色の雲丹のように
じっと身を固めて 私を見ているだけである

詩「青空の下にて」


「どうしてぼくはここにいるの」
そう子供が問うものだから
私は 答えに窮してしまう

ふと 空を見上げると
雲一つないこの空の下
このからだを授かったことの悦びよりも
この空のあることを眺むることしかできぬこの両の目と
ほんのひとときしかあなたの掌を掴むことのできぬ この両の掌とが
なぜ 二つあるのかと
どうして 一つではないのかと
二つの意味を考える

そして
この 何処までも続く 青い空は
どうして私ではないのかと
恋い焦がれる想いばかりが
胸のあたりに ちいさな穴ぼこを
穿つのだ

魔物へ。

名前の分からない重苦しさが身体の其処彼処に蔓延っている。節々が硬くなり、細部にまで張り巡らされた神経の一本一本がギシギシと軋むように痛む。この痛み、以前よりは少しばかり恢復したのだが、このところ、またもや深々と僕の身体を蝕んでいるのを感じる。自分の身体なのだから当然逃れる術はなく、「身体が衣服であるならば、すぐにでも脱ぎ捨てて新しい身体を着直したいのになあ。」などと如何ともし難い欲望をポツリと独り零してみても何も変わらぬまま日々は次第に冷たい冬へと足を踏み入れてゆく。

近頃、よく、ライブというものをしている。ライブハウスという場所にも頻繁に足を運び、お金を払って演奏を聴きにきたお客さんの前で、ステージに上がり、歌を唄う日々を過ごしている。

2014年11月、を、僕は、ライブ月間と定めたのだった。なぜ、そう定めたのかは、今となってはよくわからないのだが、偶然の積み重なりと、僕の微かな意志が作用した結果であろう。僕はライブをしている。人前で、歌を唄うのだ。

21歳の秋。ちょうど、5年前のこの時期の事だったのか、と、いまこの文章を書きながら思い返している。僕は、初めて、ライブをした。下北沢にあるカフェ、確か、名前を、なんとかファクトリーとかいう、ちょいと浮かれた雰囲気のカフェバーで、何処ぞの有名な起業家が立ち上げた場所で、その男の出版した、僕にはなんとも面映ゆい想いのする自己啓発本の数々が小さく清潔な本棚にギッシリと並べられていた。

僕は21歳の時に一度、世に言う「音楽活動」なるものを始めよう決意し、世に言う「ライブ」というものをやろうと決め、下北沢の、そのカフェバーへとやってきたのだった。その日までに、当然、曲を作らなければならない。なぜなら、ライブをするからだ。ライブをするんだから、自分の曲がなくてはいけない、だから、僕は、ライブ用に、5曲のオリジナル曲を拵えた。未だに覚えている曲は「夕暮れ列車」という曲と「風の帰る場所」という曲だ。その他の三曲は、もう、忘れてしまった。大した曲でもなかったのだろう。大した曲など未だに一曲も書いたことはないのだが。兎にも角にも僕はその5曲とギターを引っさげて、下北沢へ向かったのだった。

本番の事は、あまり覚えていない。本番前に呑んだビールが空きっ腹に効いたのもあるが、緊張していたのだろう、それも極度に。僕は極度の緊張しいなのだ。大事な時ほど緊張して頭も身体も動かなくなり失敗してばかりだった。その度に、なんで自分は緊張しいなのだろうと自己嫌悪に陥ったものだった。今では、鈍くなったのか、どんな状況に置かれてもたいして緊張などはしなくなった。歳をとることの効用のひとつかもしれないなとじじくさいことを思ったりもする。

ライブ自体は、やってよかったなあ、と思った。自分ごときの歌を人様に聴きに来てもらうことの申し訳なさは未だに変わらぬものだが、それでも、自分の歌を自分で唄うということの経験は、他には代え難い恍惚感を僕に与えてくれたことを覚えている。褒めてくれる友達もいた。素直に嬉しいと思ったことも覚えている。自分も歌を唄っていいのだ、と、思えた初めての夜だった。

微かな記憶のなかではあるが、僕は、ギターを手にする前から、風呂に入る度に、てきとーに歌を作って歌っていた。はじめは、誰かの歌だったりするのだが、次第に、他人の歌を唄うことに飽きてきて、ボイスパーカッションなども交えたりしながら、好き勝手に、口から出てくるままに、歌を唄っていた。風呂場での唯一の愉しみが歌うことだった。あれは中学か高校生のときの事だろうか。あまりよく覚えていないが、とにかく大声で好き勝手歌うものだから、母ちゃんや弟はいい加減にしろと思っていたに違いない。申し訳ないことをしたなと思う。

思い返せば、あの時から、僕の歌の作り方は何も変わっていやしないのだな。要するに、テキトーなのである。テキトーさに関して言えば、日本広しといえども右に出る者はいないのではないか?と言うと言い過ぎだが、とにかく、阿呆なので、テキトーなのである。テキトーにやると、テキトーに何かが生まれてくるものだから、そのテキトーさに乗って、どこまでもいけるのである。僕は自分の声や言葉を波のように乗りこなし、架空のサーフィンをするのだ。波が止んだら次の波を待つ。そして、タイミングを見定めてパドリングを行い、再び、波に乗る。その繰り返しが、僕の風呂場の日常であった。

近頃は風呂場での波乗りはしなくなったが、曲作りは未だにサーフィンだ。波がやってくるのを、ただ、待つ。来たら、乗る。ただ、それだけの事だ。だから、作るという気持ちがサラサラありはしない。波は勝手に来るのだから、乗りに行けばいいのだ。ただし、海に行かなければサーフィンはできないように、歌のやってくるところに行かなければ音楽のサーフィンはできない。そこまでいくことが僕にとっての作曲ということであり、同時に、歌うということであった。作ることと歌うことは二つで一つであった。それが当然だと思っていた。

サーフィンは、波に乗っている瞬間が楽しいのであって、その波がどんな波なのかわからないから楽しいのである。決まった波しか来ないのであれば、同じ乗り方しかできないので、飽きてしまう。歌も僕にとっては同じだ。同じ波しか来ないならば飽きてしまう。それはつまらない。毎度、違う波に乗りたいし、違う波に乗るその瞬間のなかで味わう速度やスリルを味わいたいのだ。

だから、曲を、ちゃんとした形で、作品に残すということの意味がわからなかった。未だに、よくわかっていない。

皆、当たり前のようにアルバムを作ったりしていて、僕は、正直、いつも不思議で仕方ないのだ。素直に、すごいなあとも思うし、同時に、なんでそんなことするの、と、なんだかいやあな気持ちになったりもする。変な感覚がある。それは、すごく正直なことだ。

毎度違う波に乗りたいだけの僕にとって、作品を作ることは、波の発生装置をつくり、毎度おなじ波が来るように設定した「波発生マシーン」の作り出した波に同じように乗ること、のような感じがするのだ。それは、作品を作るという意味での音源制作でも言えることだし、決まった曲をやるライブというものにも、同じものを感じる。

作品とは、なんだろう。
これが、未だに僕にはよくわからない。特に、音楽に関しては。

写真とか絵なら、なんとなくわかる。形が残ることが当然だから。やり直しはきかないから。それは一回だから、波乗りのようなものだ。

でも、音楽は、演奏をしなければ聴こえないもので、それを記録することは、ある一つの波を記録することでしかない。でも、その一回だけが、作品となるらしい。一回ではないはずのものが一回のものとして扱われて評価されること、それを固定してしまうこと、その不自然さに、僕は、どうやら、未だに馴染めずにいるらしい。

所謂、ライブというものが、僕はあまり好きではない。それも、同じような理由でもある。

ただ、独りで、ただ歌うこと、それ自体が好きなのだ。結局のところ。別に、伝えたいことなどない。し、伝えたいことがないといけないなんて一体誰が決めたんだろう。

表現という言葉が嫌いなのは、だからだ。

表現したいものが何か。
そんなもの、本当はどうでもいいことだと僕は思ってるし、それを押し付けられるのはものすごくムカつく。

「表現したいもの」なんて言葉で言えることなら表現する必要なんてなかろう。言葉で言え、と僕は思う。

なんだか、言葉が荒くなってしまった。鼻息フーフー。落ち着こう。別にそういうものがあってもいいと思う。ただ、僕は好きじゃない。それだけ。レプリカは嫌いだ。

最近、ライブをしていて、どんどんライブをしたくなくなってきている。ライブをする度に、何か大切なものが損なわれていくことを感じる。消耗する。傷つく。それは、演奏をけなされたとかそういうことではなく、演奏をすることが嫌いなのではなく、ライブをする場所やお客さんが悪いのではなく、僕が、ライブというものに潜む魔物にうまく向き合えていないということなんだと思う。

舞台には、魔物がいる。
これは、わかってくれるひとわかってくれるし、わからんひとにはわからん類のことだ。そういう類の物事がこの世にはたくさんある。僕はどうやら、ライブに関して、この魔物の存在に対峙しなければいけない点でマイノリティなのであるということが近頃よくわかった。

その魔物は、作品、や、完成、や、パフォーマンス、という言葉の裏側にも潜んでいる。それに毒されて、僕はいま、歌うことさえもうまくできなくなってしまいそうな自分のいることを感じている。息をするために歌っていたはずの自分が、歌うことによって窒息させられかけているという悲劇は自分で笑えてくるどうしようもないチンケな代物である。その奇妙な悲劇は、僕が勝手に臨んだものだ。それは、僕が、僕の本質を殺してでも立ち向かってみたいと思う人生の一つの岐路に立っていることでもある。それはそれで悪くはない。学びも、ある。

アートも、音楽も、表現という言葉で語られるものには、この魔物が潜んでいる。それは、僕にとっては、間違いのない事実だ。それは、実在する悪魔だ。奴は、メデューサのような力を持っている。身体や心を石に変えてしまう恐ろしい力だ。僕は5年前、その力に屈して、逃げ出した。だから、人前で歌うことをやめたのだ。作品も作らなかった。その5年間で、僕は、魔物と闘うための力を必死で培ってきた。いま、戦いのときだ。負けてはいけない。もう、負けはしない。敗北は己の決めることだ。たとえ勝利はなくとも、敗北は認めない。その魔物に喰われていては、僕は、おそらく、僕としてこれから生きて行くことはできないからだ。

あらゆる表現の現場は血みどろの殺し合いを生み出す戦場である、と、僕はずっと思ってきた。それは、物事の負の側面である。それは、確実に存在するし、アートなどという言葉が人を死においやる力を構造的に持っていることに気づかぬままに表現などというものにうつつを抜かす自称アーティストを僕は蔑視する。僭越ながらも、蔑視せざるを得ない。自分がそうなってしまったならば、真っ先に自分を殺す。僕はそう決めている。そうでなければ、僕自身が魔物となってしまうからだ。隠された悪は注意深く拒まなくてはならない。僕は、僕が、そして、すべての存在が、あるがままであるように、ただ、生きていたいだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。そして、それ以上でもそれ以下でもないところ、万物天地とともにあるものしか僕には本物だとは思えない。これはどうしようもない僕の確信的事実であり、それを他者に押し付けるつもりはない。ただ、魔物に喰われかけてしまっているいまの僕は、僕自身の延命措置のためにこの文章をこんなところに書いている。なんとも脆弱な精神だが、お許し願いたい。僕は生きなければならないのだ。そのためには手段を選んでいる余裕はない。本当に生きるために。魔物に抗うために。僕は僕の本当に真摯に向き合いつつ、社会との接点を構築していかなければならない。その度に、構造や、形が現れる。すぐに取り込まれそうになるが、取り込まれてはいけない。ひりひりとした戦いは、おそらくこの先もずっと続くのだろう。その上で、他者にたいして、それを、価値として、受け取ってもらうために、僕には何ができるのだろうか。それを考えていかなければならない。その先にしか、僕の居場所はないのだろう。属することのできない苦悩を放棄してしまいたい。そんな気持ちはもちろんいつでもある。僕は弱い。だから、闘うしかないのだ。すぐに死んでしまう弱小生物は、生存本能を最大限活用しながら、生成変化し、生き延びなければならない。大変なことだ。だが、かまわない。そうして生きることに決めたのだ。誰が笑おうが気にするものか。道はない。万歳。有り難う苦悩の日々よ。最高の人生を送りましょうか。血みどろになりながら。

人は 線を引く
ペンで
紐で
指で
人は 線を引く

人は 線を引く
刀で
言葉で
権力で
人は 線を引く

人は 線を引く

人は 線を引く
線を引くことで
人は 人としての 輪郭を
保つことに 必死なのだ

形を無くしてしまうこと
それは ぼくたちにとって
とても こわい ことなのだ

死ぬこと
すべての人たちに
刻印を押す
医師は 死を知らぬまま
死を告げる

残された人たちは
今宵も 何処か
僕の知らない町の
僕の知らない家の
僕の知らない生活の
僕の知らない台所の
冷凍保存された鮪の切り身のように
死を 見まいとする慾望の
切り出した 切り身のように
解答を予め血抜きされた解凍作業

予め切り出された鮪の切り身
冷ややかな包丁を突き立てる女は
焼却処分された生ゴミと
火葬された主人の区別も知らず
解凍された鮪の切り身へと
その 鋭い刃を 突き立てる

紅い紅い 鮪 の 切り身
血を流す事もできない鮪
包丁は その身に 綺麗な 線を引く
鮪は 次第に 鮪らしく
整え 磨かれた 器に相応しい
綺麗な 切り身と 成ってゆく

主人は 灰になり
無限にも思える天球の空
浮かび 舞い 土に還った
かつての存在の記憶と
死体と成り横たわる身体
生きたこと と 死んだこと
二つの 過去の記憶を遺して

女の住む町
何処も変わらぬ建築物
町もまた 線を好むのだ
町もまた 人間の物だから
それもまた
形を無くしてしまうことを
とても こわいと おもうのだ

形 象 像 かたち カタチ …


草原に横たわる
誰もいない公園の
大きな楕円形の競技場
楕円形の真ん中に敷き詰められた
草 草 草
どんな草が其処に生きているのか
僕には わからない
そっと みつめてみる
色々な草が
色々な仕方で
小さな 色々な 緑色を
目一杯に背伸びして
空に向けて 立っている

草が 立っているなあ
不思議だなあ
踏んづけても
蹴り飛ばしても
草は 立っているんだなあ
草は 強いなあ
草は 頑固者だなあ
草は 負けず嫌いだなあ
でも 草は
どれも 似ていないなあ
草は 同じ名前の草でも
みいんな 違う形をしていて
みいんな 違う色をしていて
みいんな 空を 向いているのだ
不思議だなあ
不思議だなあ

僕の背中
紺色とベージュ色のセーター
草のみいんなの上に寝転がる
草のみいんなは ぺしゃんこだ
僕の背中や
僕の足や
僕のおしりや
僕の肩や
僕の頭に 踏みつけられて
でも なんだか 気持ちがいい
草のみいんなは どうだろう
そちらは どうですか
僕の目には
この 二つの眼球とやらには
大きな 大きな
それはもう 計り知れないほど 大きな
漆黒の 空 が 見えます。
漆黒の 空 は
いつも 僕の 遥か 遠くに
そう こんな ちっぽけな からだでは
けっして 届かないところにある
そう 思っていました。
けれど どうでしょう。

漆黒 の 空
すぐ
其処に
あるのです。

ほんの
すぐ
其処に
あるのです。

空は
遠くになんかありませんでした。
空は
草のみいんなの上に
紺色とベージュの背中を押し付けた
僕の身体の前面に 全面に
隈なく ぴっちりと
はりついていたのです。
僕の身体の 輪郭線
僕の身体の 輪郭線に沿う 漆黒の空
ぴっちりと タイツのように
はりついていたのです。
そして、僕は、目をつむります。
草のみいんなの中に
生きている
虫たちの声を聴くのです。
虫たちは鳴いています。
虫たちは鳴いています。
静かな大合唱です。
夜の草原のオーケストラです。
僕も合わせて 歌います。
リーン リーン リーン
ラーン ラーン ラーン
ルーン ルーン ルーン
ラリラ リリララ ラリラリルルル





空は次第に僕と同じものになりました。空は次第に僕の身体と同じものになりました。空は次第に僕の心と同じものになりました。空は次第に僕の魂のすぐそばまでやってきて、そっと、ぴったりと、足りない形を補うように、横に座りました。僕と空は二人で一人でした。僕はさみしくありませんでした。僕は独りでした。けれど、もう、独りではありませんでした。漆黒の空は次第に僕になりました。漆黒の空は漆黒である事さえも忘れてしまいました。漆黒である事さえも忘れてしまった空は次第に空である事さえも忘れてしまいました。空は空であることを忘れて、僕は僕であることを忘れて、草原も草原であることを忘れて、みいんな、みいんなのことを忘れて、ねむりにつくのです。

形のあることは
とても 疲れることだなあ
線を引くことは
とても 疲れることだなあ
くたびれちまったな
そうだよなあ
なんでこんなにくたびれること
続けなきゃいかんのやろなあ
さあなあ
そういうもんだから そうなんやろ
そういうもんかあ
そら そうだわなあ
仕方ないねえ
仕方ない
仕方ないなあ
仕方ないねえ

仕方ないから
時々
帰ってこようね

うん

時々でいいから
帰ってきてね

うん

みいんな 待ってるよ

うん

僕も 待ってるよ

うん

うん

うん



人は 線を引く
人は 線を引く

生を
そして
死を
生み出すために


今日も 僕らの街は
直線だけで 出来ている



2014年9月18日木曜日

第13章 月面歩行 僕 僕 僕

西暦2114年9月18日。深夜。午前1時40分。僕は、月の上を歩いている。この日記が記された日の、ちょうど100年後。僕は、月の上を歩いている。それは、紛れもなく、100年前の僕が、小さな街灯の灯る路上で仰いだ夜空に煌々と浮かびあがっていた、あの、月である。僕は、月を眺めるのが好きだった。100年後、まさか僕は、同じ、僕、として、その月の上を、僕の二本の足で歩くことになるとは、想像もしていなかった。それは、可能性として、あり得るはずのない出来事であったのだあら。しかし、可能性は、時に、裏切られる。それは、図らずも、誰かの死を導くトラックの衝突事故のように、唐突に現れるものであり、僕は、不可能性の可能性という問題に対して、少しばかり、ない頭をフル回転させて考えないわけにはいかない奇妙な事態に遭遇したことになる。2114年9月18日。地球は、未だ、青かった。そして、僕は、月の上を歩いている。

灰色に、少しばかりの赤紫色を混ぜ込んだような色をした、小麦粉のように細かな砂と石と岩に覆われた月の表面には、その他に、色という色はなく、見渡す限りこの星にあるものは、単調な色彩の細やかで不器用な変形の連続だけであった。地球には当たり前のようにあった、空、なるものはここにはない。単調な色彩のすぐ上には、一切の色彩を欠いた空間、こう言ってよければ、漆黒の宇宙が少しの隙間もなく貼り付いているのだった。

僕は、ゆっくりと、可能な限りゆっくりと、その、灰色と赤紫色の混じった砂の地面を踏みしめて、歩いてゆく。靴が地面に接するたびに、細かな砂が、霧のように、ふぁっと舞い上がり、パラシュート部隊のように静かに地面に落下する。幼い頃、くりくりとした目を輝かせて足を踏み入れた雪化粧の世界を僕は思い出していた。近所のアパートの駐車場を覆うように立っているコンクリートの壁の上に降り積もった雪を、ちいさな掌でつまみあげ、そのまま口の中にほおばるのが好きだった。ふわふわとした触感と、口に入れた瞬間に舌の上でふわりと溶ける雪の味は、東京の空気の汚れのためか、ほんの少しだけ、苦味のあるものだった。

そんな景色を思い出しながら、僕は、この、月面歩行に精を出す。この星にやってきた理由は、僕にはわからない。ただ、言葉が、僕をこの星の上に導いたのだ。そう。それは、なんらかの天命とも言うべきものであるのかもしれない。それは、あの日。9つに分かたれた月を空に見つけたあの日の夜に、決定されていた事柄なのかもしれない。理由は、常に、物事の後になってから見出されるものだ。それは、単なる言葉であり、それ以上のものではなく、僕たちが発見するのは、いつも、そこでの生活を終え既にこの世の肉体と心と生命を終焉させてしまった魂の痕跡、蝉の抜け殻のような存在の必然の空白であるしかないのである。

月は、ここに、ひとつである。
そう。それは、ひとつでしかない。
僕の足が踏みしめる大地は、この、たった一つの月であることに違いはない。しかし、どうだろう。ほんとうに、月は、ひとつであるのだろうか。ほんとうに、本当のことを知ることは、僕に、できるのだろうか。この足が、この大地を踏みしめている間、僕は、僕であることしかできず、僕は僕の足で歩くことしかできないのであり、僕は、僕であることとは違うあり方で僕のことをまなざすことも、僕以外の生命を生きることも、僕のことを僕が見つめることも、ほんとうには、できやしないのだ。僕は、ここにいる。しかし、それを確かめるすべはない。現に僕は、この月の上にいながら、僕のことをここに想像し、僕のことを詳細に記述せんと試みる飽くなき執筆者、理由も価値もなき物語の連続をただ遊ぶこの筆記者としての、ぼく、と、月面歩行の僕、とは、果たして、どちらが、ほんとうに、僕なのであろうか。僕は、一人でしかなく、同時に、この、月面の僕が存在すること、その思考をあなたに対して示すこと、しかも、この思考の提示のあり方は、口語によるものか、はたまた、思想内部の言語それ自体の表出であるのか、それすらも明確に記述されていない、ただの言葉の羅列としての月面歩行の僕が存在することを保障する僕は、このiphoneを握りしめる僕なのではあるがしかし、その僕の行為自体を、今こうして言葉を紡ぎながら客体としてまなざすことは難しい。僕は言葉を紡ぎながら、2114年9月18日の僕の存在を記述する。僕は、僕を、月面歩行させる。しかし、僕は、月面歩行させられているのではなく、あくまで僕の意思に応じて歩行する。歩行は強制されることはできない。なぜならそれは、歩行という行為で表すことのできない行為であるからだ。僕は、僕のことを記述する僕であり、僕は僕によって記述される僕であり、その僕を、このようにして僕として見つめる僕がいる。僕とは、誰のことなのか。そうした問いを立てる僕は、僕と、同じだろうか。

月面歩行者、僕。
何もない、月面を歩行する。
今夜は、それだけの夜なのだ。
2014年9月18日午前2時16分。

2014年9月11日木曜日

第12章 コスモスと老人と惑星

遠い夜明けのこと。コスモスの花が咲いていた。薄青い空と草原。僕はそこに寝そべり、目の前に広がる無限にも似た空を眺めていた。鱗の連なりのように、びらびらとたなびき流れる雲雲は、何処へと向かうのか。僕はいま、此処にいる。この身体のなかにいる。この心の中にいる。そして、身体にも、心にも、ほんとうのぼく、は、いないことを、何処かで知っている。誰かが教えてくれたわけじゃない。それは、はじめから、知っていたことなのだろう。木は、今日も、あいもかわらず、木のふりをして立っている。おい、そこの、木よ。おまえさんは、どうして、そこに、木として、立ち続けているのだい。おまえさんは、何処へも行きたくないというのかい。僕は、何処かへ行きたいと思う。だって、僕には、2本の足があるのだから。おい、そこの木よ。おまえさんは、この、おおきなおおき碧色の空を眺めて、今日も独り、何を思う。寂しくはないかい。それなら、いいんだ。僕は、そろそろゆくとするよ。この空は、僕にはあまりに、大きすぎるから。

天空の木霊は、夜の闇を連れてくる。そぞろ歩きの宵の群。天空を覆う、時の流れ。僕の身体は、空へと溶けた。濃密な黒色のなか、空が、次第に、僕のなかへと、染みてくる。

僕は、一つ一つの、ぼくに、なる。ほんとうは、はじめから、そうだったのかもしれない。忘れていただけなのだろうか。忘れたとしたら、いつのこと。遠い遠い、過去の、あの、日。僕は、僕に、なってしまった。僕は、僕に、押し込まれて、透明な液体に浸されて、型のなかで、身動きひとつ取れぬまま、ただただ、自分のかたちを、拵えたのだ。そうしてみんな、大人になってゆく。ポロポロと、零れ落ちる、ぼくの、僕の、殻。あなたのも、きっと、そうでしょう。仕方のないことでしょう。石膏のような、白い、パリパリとした殻は、卵のように、やわらかい魂をこぼしてしまわぬよう、必死で、硬く、閉ざしておるのですから。

2014年9月10日。
月は、濃密な色を讃えて。

或いは、こうも言えるかもしれません。

何処か遠く、まだ見知らぬ土地で、…そう、それは、星、かもしれない。まだ見知らぬ星。何処かにある、星の上。灰色に光る、ちいさな星で、僕は、ぼくを探していた。何処かの駅に置き忘れてきてしまった、ぼくの、中身。

卵は、落下する。
地面にぶつかり、割れる。

老人は、ちいさな、嗄れた声で、呟いていた。

月は、ひとつではなかった。
それは、それら、であった。
わしは、それらを、愛していた。
そして、それは、過去となった。
分かたれたものは、二度と、戻ることはない。蛙の卵のように、川辺にたゆたう、透明な粘膜に浸された、奇妙な生命の、前の、形。
生き物はみな、球体だった。それは、凡て、星の姿をしておった。いつからだろう。かたちが、かたくなったのは。わしらは、わしらでしか、なくなってしまった。そうして、わしらは、わしらのことを、忘れてしまった。ひとりひとり、で、あるかのように。

あゝ、こんなにも、自由であることは、こんなにも、独りであることなのだ、と、アダムとイヴは泣いていた。

わしは、もう、帰るよ。
わしは、もう、疲れてしまったよ。
わしは、わしであることから、解き放たれて、かつての、星の、あるべきかたちへ、帰るのさ。
なぁに、怖がらなくてもよい。
ただ、それだけのことなのだから。
おまえさんも、少しばかり、年老いたら、わかるだろうよ。
もう少しの辛抱さ。
なぁに、たいしたことじゃあない。
ありがとよ。お若いの。ではな。


灰色の空に、冷たい風が吹いていた。もう、季節は秋だそうだ。時間は、止まることなく、過ぎてゆく。幾つもの日々を、忘れながら。

あの人は、いま、どんな顔をして、笑っているのだろうか。

僕は、元気です。
左様なら。

2014年8月12日火曜日

閑話 第X章 点と線と立体と、世界、そして、希望、生きなおすことについての論考

きっと、どんな人にでも、忘れることのできないある日の記憶というものがあるのではないか、と、ぼくは想像する。

ぼくたちの人生は、人類の歴史からみれば、とてもちいさな点にすぎないものだ。

その点は、おなじく、点にすぎない人間の手によって、いとも簡単に消してしまうことのできるもので、

そんな出来事は、目の前の現実からすこしだけ目を遠くへむければ、どこにでも起きている。

世界中で、いま、この瞬間にも、ちいさなちいさな点の鼓動が、その、振動を終えているというまぎれもない事実に、はたしてぼくたちは、耳を澄ますことができているのだろうか。

ぼくは、正直、心もとなく、そうしたちいさなこえの、ひとつひとつを、ていねいに、できるだけそのままに、まなざすことはできないのではないかと思っている。

それは、ひどく寂しいことなのかもしれない。

だれかのこえが、いま、ぼくのしらないどこか遠いところで、ちいさなちいさな響きを生み出しているのだとすれば、

ぼくは、できるだけ、そのこえに、耳をすませてみたいと、ねがう。

すこしでも、きこえるものがあるかもしれない。

わからなくとも、想像することは、できるかもしれない。

そういうことさえ諦めてしまったとしたら、一体ぼくたちには、どうして、この耳が、あるというのだろう。

諦めることは簡単なことだ。

しかし、諦めることなく、たしかに生まれいづるものたちのこえに、いま、この場所から、すこしはなれた場所にいる、まだしらぬ、だれかのこえをきくことは、ぼくたちにとって、むずかしくも、はかなくも、たしかに、ここに自分が生きているということの、実感としての証明になりはしないだろうか。

過去、現在、未来。

時間というものの上にも、さまざまな点をうつことができる。

それは、とほうもなく、永遠にも似た、現在のなかにある、たしかなものをつかもうとする、ぼくたちの、希望を示す、位置、となるのかもしれない。

ここにも、そこにも、あそこにも、点をうつことができる。

あるいは、自分や、他人や、友達や、家族や、動物や、植物や、この地球という巨大な星でさえも、

ぼくたちは、点として、とらえることができてしまう。

点とは、点である、のではなく、何かに対しての点、なのだ。

その、何かに対しての点、は、ちいさなものでもあるし、

また、同時にそれは、命そのものであるかもしれないのだ。

まなざすことを、そこからはじめてみなければならないのだと思う。

どんなものでも、ちいさな点であり、同時に、とてつもなくおおきな、世界、そのものであること。

そこから出発することで、ぼくたちの、生きることの、認識は、さまざまなおおきさの世界を、縦横無尽に行き来することができるのではないか、それは、希望なのではないか、と、ぼくは、無力にも、そう思わずにはいられない。

なぜなら、ぼくたち、ひとつひとつの点は、過去と、現在と、未来の、絶え間ない関係の糸のなかにあるのであり、

ぼくたちという存在のありかたは、かならず、だれかと、どういうかたちでか、つながり、線となるものであり、

その線と線が、また、この世界のなかに、新たな空間と時間の関係性を、世界をつくりあげていく。

点にすぎないものたちが、点にしかつくりあげることのできない、わけへだてることのできない、連続性のなかで、あるひとつの世界や、また別の世界を描くことのできる、線となるのであれば、

ぼくたちの世界は、とほうもなく、巨大で、縦横無尽に動き回ることのできる、無限の空間と時間、となるのではないだろうか。

ぼくは、そんなことを、イメージする。

そんなイメージは、イメージにすぎないのだろうか。ぼくにはまだ、答えることはできそうにない。

けれど、想像することでしか未来を描くことができないのであれば、ぼくに備わった、想像することの力を、信じてみたいと思うのである。


そして、過去。

過去はすぎさったものかもしれない。それはもう二度と、かえらないもので、ぼくたちはそれを想像することしかできないのかもしれない。

ある日のことを思い出す。
あの日、どんな風がふいていたか。
あの日、あの人は、どんな風に笑っていたか。
あの日。すぎさった、あの日のことを、ぼくたちは、おもいだすことができる。そして、わすれることもできる。

あの日もまた、ちいさなぼくたちにとっての、ちいさな点なのであり、ぼくたちは、その点をみつめることができ、また、その点のなかに無限にひろがる、世界を、まなざすことができる。

記憶とは、そうした、希望、なのではないだろうか。

記憶は、世界、それ自体でも、あるのではないだろうか。

ぼくは、かんがえる。
そして、想像する。

無数の点からなる、過去の記憶。それらを結ぶ、ぼくだけの、あるいは、あなただけの、そして、ぼくたちだけの、記憶、世界、の、在り方について。

かろうじて、そんな想像することが許されるのであれば、ぼくは、想像せずにはいられない。

ぼくたちの、脳内で、いま、この瞬間も、つながりあう、神経と神経の線、それが記憶を、つくりだすものならば、

記憶と、いまと、世界は、
ひとつながりに、なるのではないだろうか、と。

そして、想像する。

それらが、すべて、ちいさな点からなるものであるならば、すぎさった過去を、想像の舞台の上で、生きなおすことも、できるのではないか、と。

再び、生きる、ことが、できるのではないか、と。

だから、いま、ぼくは、物語に導かれている。

絶え間ない運動のなかで、ふとうかびあがる、記憶と、いまの自分と、そして、自分の想像しうる、未来、にもよく似た、世界のことを、

ぼくは、自分の、書きたいときに、書いている。

そうすることで、日常のなかでは忘れている、過去と未来の線上に、無数の点を痕跡として露わにすることができるかもしれない。

それが、物語ることの力だとしたら、ぼくは、それを信じてみたい。

そして、この物語がおわるとき、ぼくは、この物語を、ふたたび、生きなおすだろうと思う。

どのようなかたちかは、まだわからない。

痕跡を遺すことは、過去を過去として捨てさることではなく、未来に、変わってしまう自分の目で、ふたたびそれをまなざすためにあるのだから。

ぼくは、想像する。
この物語が、いつか、誰かの目に映る日を。
そして、そのちいさな点としての、誰かの目と、その現在と、ぼくの、たしかな関係の糸のなかにぼくがあると感じられたならば、

こうして、僕が物語ることに、ちいさくも、無限におおきな、世界が生まれることを、期待して。

2014年8月11日月曜日

第11章 追憶 Ⅲ

ともちゃんの家にお泊りをした翌日、母ちゃんが僕らをむかえにやってきた。母ちゃんは、ともちゃんのお母さんにあいさつをしていた。玄関のところで、すこしおしゃべりもしていた。僕は、あのときの母ちゃんの顔が思い出せない。玄関の扉から、少しだけ空がみえた。青い空と白い光で、母ちゃんの顔が霞んでいた。そして母ちゃんは、僕らを連れて車に乗り込んだ。

「これからね、岐阜のばあちゃんの家に行くのよ。ばあちゃん、ゆうたとりょうに会いたがってるからねえ。きっと喜ぶよ。」

僕は後部座席の弾力のあるシートの上に横になって母ちゃんのことばをきいていた。

弟は、いやだいやだと泣いていた。

僕は、わかっていたから、泣かなかった。

僕たちは、この町を出て行くのだ。

今日、この日。この町にお別れをするのだ。

もうたぶん、帰ってくることはないだろうと思った。

ねもちゃんとか、とりちゃんとか、まるちゃんとか、せっきーとか、

みんなとも会えなくなる。

さよならは言わなかった。

言えなかった。

さよならを言ってしまうと、
もう二度と会えないみたいで、
しんでしまうみたいで、
ピコちゃんみたいで、
僕は、さよならを、言えなかった。

母ちゃんと父ちゃんは、離婚をするのだそうだ。僕は母ちゃんからそれをきいていた。母ちゃんはていねいにそのことを僕に話してくれた。母ちゃんは、父ちゃんになぐられたりして、腕とか足とかに傷があった。痛そうだった。


僕は、車の後部座席で、母ちゃんの声を聞きながら、

車の窓でくぎられた、
四角い、ちいさい、
空をながめていた。

空は、あいかわらず、
とても澄んでいて、
あおかった。

僕らは、
はなればなれになる。

いや、ちがうんだ。

ほんとは、
みんな、
もともと、
ばらばらなんだ。

かぞくも、
ばらばらなんだ。

ぼくも、
おとうとも、
かあちゃんも、
とうちゃんも、

みんな、
みんな、
ばらばら、なんだ。

そらは
あおかった

どうしようもなく
きれいだった

ながれるくもと
まちのけしき

ぼくらは
ばらばらなんだ

ひとり
なんだ

ひとりぼっち
なんだ







あの日。僕だけの秘密基地の中で、見上げたブルーシートの空は、あおかった。

その日。僕だけの後部座席の中で、見上げた、ほんとうの空は、あおかった。

ぼくは、
ひとり、だった。

第10章 追憶 Ⅱ

僕はその日、幼馴染のともちゃんの家に遊びにきた。小学1年生の弟を連れて。ともちゃんのアパートは、うちからすごく遠くのところにあったので、僕と弟は、母ちゃんの車に乗せられてともちゃんの家にやってきた。母ちゃんは僕らをともちゃんのお母さんに預けて、「よろしくね」と言って、仕事へ向かった。母ちゃんがなんの仕事をしているのか僕は知らなかった。特に気にもしなかった。しばらく父ちゃんの姿は見ていなかった。父ちゃんは家に帰って来なくなっていた。どうして父ちゃんが家に帰ってこないのか僕は知らなかった。特に知ろうともしなかった。僕は父ちゃんのことをあまり知らなかったので、父ちゃんが帰ってこないことの理由もたぶん僕にはわからなくても仕方ないと思っていた。母ちゃんは車のエンジンをかけて仕事へ向かった。僕と弟は、ともちゃんの家で、みんなで遊んだ。今日はお泊りの日だ。着替えも持ってきた。わくわくした。そわそわもした。僕はお泊りが好きだったけれど、少しだけ苦手でもあった。


幼稚園の年長さんのときのお泊り保育の記憶が微かに残っている。薄暗い大部屋で、先生とみんなと一緒に布団を広げて、はじめてのお泊りの夜だった。僕はやっぱりわくわくしながらそわそわもしていて、その時どんなことを考えていたのかは、もうよく覚えていない。

僕が覚えているのは、薄暗い大部屋の中に敷かれた僕の布団の中で、年長さんの時の僕が泣いていた、記憶。

僕の視界は、部屋の角に固定されていて、僕は部屋の角から年長さんのときの僕を見ている。

年長さんの僕は、しくしくと泣いていた。みんなに聞こえないように、しくしくと。年長さんの僕は、飼っていたインコのピコちゃんが死んでしまったことを思い出してしくしくと泣いていた。ピコちゃんは、死んでしまった。ある日、突然、死んでしまった。あの日。僕は、ピコちゃんの冷たくなった身体を両手で抱きあげて、声をあげて泣いた。ピコちゃん。ピコちゃん。どうして死んじゃったの。ピコちゃん。ピコちゃん。どうして死んじゃったの。どうして。もう動かないの。もう、空を飛ばないの。からだがつめたいよ。ピコちゃん。いつもみたいに元気にバタバタと羽を動かして、僕の上を飛んでみせてよ。

ねえ、ピコちゃん
しぬのは いたかった?
しぬのは こわかった?
しぬのは いやだった?
いきていたかった?
ねえ、ピコちゃん
ねえ、ピコちゃん

さみしいよ

第9章 追憶 Ⅰ

「ねえ、知ってる?虹の色って本当は9色だったのよ」

僕は、彼女の手を握っていた。いつもの通学路をふたりで歩いていた。蒸し暑い日だった。無数の蝉たちの鳴き声が町の中にまで響き渡っていた。学校がお休みの日にいつもアイスを買う個人営業のコンビニエンスストアを越えて、あの交差点を渡って、左手に見える寂れた倉庫の向こう側に、彼女の住むアパートがあった。彼女はお母さんと妹と二人暮らしだった。

「お父さんはいないの。でも、あたし、平気よ。」彼女は僕によくそう言って聞かせてくれた。彼女には父親がいなかった。そして、同じく僕にも父親はいなかった。いや、その言い方は正確ではないかもしれない。小学5年生、11歳の僕にはまだ、父親がいた。

東京都小平市にある小さな町に、僕らは住んでいた。東京であるにも関わらずその町には、東京の匂いが少しもしなかった。町に建ち並ぶ建物は皆背が低く、空がとても大きかった。夏になると、カブトムシを見かけることもあった。小さな小川も流れていた。僕は近所の空き地で、1人で秘密基地を作って遊ぶのが好きだった。蝉の抜け殻のように横たわって誰からも忘れられた車のタイヤを転がして、何のために組まれたのかもはや自分でも忘れてしまったかのように途方に暮れたまま立っている鉄筋の骨組みにタイヤを据え付けた。壁面を全て覆ってしまうまで、繰り返し繰り返しタイヤを転がして運んで積み上げた。屋根はブルーシートだった。工事現場のおじさんが忘れていったのかしら。そのブルーシートも空き地の端にぐったりと横たわっていた。僕はそのブルーシートを広げて鉄筋の骨組みの上にかけた。

お手製の秘密基地の中に入ると、そこは別の世界だった。壁面として積み上げた車のタイヤの隙間から外の世界を覗き込んでみた。誰もいない空き地が僕にとっての外の世界に変貌した。風に吹かれて草がゆれていた。僕は秘密基地の中に流れている空気をゆっくりと吸い込んだ。

「ここは僕だけの場所。僕だけの秘密の場所。誰も知らない、秘密の基地。」

声には出さずにそうつぶやいた。そう、ここは、僕だけの秘密基地なのだ。誰も知らない、秘密の基地。僕は、なんだかとても安心した。ここなら、やっていける気がした。ひとりになれる気がしたのだ。ひとりになれる場所が、僕には何処にもなかったのだ。

秘密基地の中、横になり、宙を見上げた。僕の目には、おおきな青い空ではなく、ちいさな青いブルーシートの空が広がっていた。

2014年8月8日金曜日

第8章 黒色の通路 シルクハットの男は語る

ピカピカに光る四角い黒色の通路を歩きながら僕はシルクハットの男に尋ねた。

「さっき僕が通ってきた通路の名前をあなたは「大腸のトンネル」と仰いましたね。不思議な名前だなと思いましたが、いま、僕らが歩いているこの通路にも名前があるんですか?」

男はシルクハットのツバに隠された顔から浮遊する木の葉のような奇妙な笑い声を微かに響かせたのち、僕にこう告げた。

「この通路の名前、ですか。不思議な質問をなされますね。いやはや、面白いお方だ。名前が気になるなんて。いやはや、すみません。お気を悪くなさらんでください。わたくし、笑い上戸なもので。笑い上戸と言っても、酒は一滴たりとも呑んでおりませんのよ。けれども笑いが止まらなくなることがしばしば。愉快なものです。愉快なことは素晴らしいことです。わたくしは愉快なものが好きであります。愉快なものはわたくしに幸福を与えてくれるものですからね。小さな子供が熊に見立てたぬいぐるみを嬉しそうに抱きしめながら遥かな夢の旅路をゆくような感慨がありますね。わたくしには、そのようなものこそが最もらしいもののように思われますの。ええ、それこそが至高。わたくしは至高のみを愛しております。ですからわたくしは、笑うのです。お気を悪くせんでくださいまし。あ、そうそう。この通路の「名前」でしたね。貴方様の質問は。お間違いないでしょうか。その質問に関してはわたくし、こう答えることにしておりますの。

「この通路に、「名前」なんてものは存在しませんのよ。おほほほ。」

と。あらやだ。そんなお顔をなさらないでくださいな。わたくしには、貴方様をからかう気なんてさらさら御座いません。貴方様の質問に対して、わたくしからの誠心誠意正直で明確明瞭なお答えを申し上げますと、答えはそのようなものにならざるを得ないということですので。「この通路に「名前」はない」これが貴方様の質問に対するわたくしの唯一のお答えで御座います。おほほほ。」

シルクハットの男の返答に僕は些か不快感を覚え、さらに質問を付け加えた。

「そうですか。でしたら先ほど僕が通り抜けてきた「大腸のトンネル」という名前の由来は何ですか。確かに、通路の形態として人間の大腸にも似た形をしていましたが、その名前はあなたが付けたものですか。それはなぜ「大腸のトンネル」という名前を付けられたのですか。そもそもここが一体何処なのか、僕にはまるでわからないのです。僕は、巨大な虹色の海月にふれて、気づいたらこの場所に辿り着きました。まるで時空を飛び越えてしまったかのように、光の中で一瞬にして。僕には、今の僕が置かれた状況というものがまるでわからないのです。僕はなぜ今ここにいるのか。僕はなぜ「大腸のトンネル」を通り抜け、今、あなたと共にこの「名無しのトンネル」を通り抜けているのか。そして、この先に何があるのか。さらに付け加えるならば、この通路は、一体何処にあるのか。今の僕には、僕自身のこと以外、明確なことは何もないようです。何かご存知でしたら教えて頂けませんか。」

シルクハットの男は、ピカピカに磨かれ手入れされた黒い革靴のカカトを通路の床にあたかも軽妙なタップダンスを奏でるかのように歩きながら暫らくの間何も語らなかった。黒い通路の中に、冷えた鉄にふれるかのような冷たい沈黙が漂っていた。

シルクハットの男は突然立ち止まり、くるりと身を翻し、僕の真正面を向き、無表情な冷笑を浮かべながら僕にこう言った。

「いやはや。貴方様は、少し物事を複雑に考えすぎるところがお有りのようですね。ふふふふふ。いや、まあ、それはそれで退屈な人生を生きるための少しの娯楽にもなり得るものでありましょうから、わたくしとしてはそれを否定するつもりはさらさら御座いません。わたくしも、無駄なものが好きで御座います。無駄なもの、取るに足らないもの、遊びは、人間に与えられた時間なるものの余剰を産み出すものでもありますからね。時間は人間に与えられておりますが、それは預金残高のような決められた数値で測定可能な代物では御座いません。時間は常に減少したり増加したりするもので御座います。多くの人間はご存知ないようですが、これが時間なるものに隠された一つの真理で御座います。かつてアルバート•アインシュタインという稀有な学者は、相対性理論という世界の見方を創り上げました。彼の発見は時間の真理に迫るものでしたが、真理に到達するまでには至らなかった。多くの愚かな人間が彼の探求の邪魔をしたためです。全くもって残念な事です。彼が時間の真理に到達してそれを人間社会の常識として流布してくれさえすれば、わたくしの仕事も少しは少なくなったはずですのに。いやはや、そんな愚痴を零しても仕方ありませんね。時代はまだ彼を求めてはいなかったのですから。これは悲劇です。悲劇以外のものがこの世界の何処にあるのかわたくしは存じ上げませんが、兎にも角にも悲劇というものはこの世界の中心のひとつの環を成すものです。それはひとつの惑星のようでもあります。それは周回するもので御座います。それはわたくしとあなたの間にある、いまこの瞬間にも周回する惑星であり、それはこの瞬間瞬間の中で絶えず生起し生まれ変わる生命活動のようなものでも御座います。兎にも角にも、そのような仕方で存在する物事は、可能な限り確からしく感ずることのできるもので御座いましょう。

如何ですか。貴方様はいま、この場所におられる。わたくしの前にこうして立ち、わたくしの口から発された声を聞くことができる。この文章を読んでいらっしゃるそこの貴方様。その目に映るこの不可解な文章は貴方様の脳内に何を想起しておりますでしょうか。わたくしは何者でしょうか。わたくしはそもそも「何者か」でありましょうか。わたくしと名指す存在。わたくしはいまこうして話をしております。「」で括られた部分が、物語の登場人物の発語内容であるとの文学的規範に乗っ取り、この文章のこの部分を、わたくしの発話として認識なさっておられる貴方様。そう、画面の向こうの貴方様です。金曜日。お仕事お疲れ様です。今宵は皆様、一週間の労働の疲れを癒すために、花金なるものを堪能なさっておられる事でしょう。

新宿の街はとても賑やかな場所ですね。わたくしも一度は訪れてみたいものですが、あいにくわたくしには、貴方様の所属する世界における、具体的現実的な肉体なるものが御座いません。こちらの世界のわたくしには、もちろん肉体が御座います。このように、高価なシルクハット、スーツに革靴を優雅に着こなし、黒い通路の床に革靴のカカトと叩きつけながら、流麗なタップダンスを踊ることだって容易にできます。わたくしには肉体がありますから。貴方様から見れば、こちらの世界にいる、わたくしの、こちらの世界における三次元の具体的現実的な肉体が御座います。それは死ぬこともできます。女を抱くこともできます。望みさえすればなんだってできます。わたくしは、自由です。貴方様方がお呼びになられる、自由なるもの、それ自体と考えていただいて差し支えないかと思います。

わたくしは、いま、ここ、におります。確かにいます。でなければ、貴方様にこうして言葉を投げかけることもできないでしょう。どうですか。聴こえていますか。貴方様の目は、この言葉を読んでおられます。そして、わたくしの声を聴いておられます。声ならぬ声を。

わたくしは、発話しております。
パロールがここには存在します。

貴方様は、
わたくしのパロールを、
ランガージュとして読まれております。

この不思議を、貴方様はどのように感じておられますか。もしくは、このようなことを不思議だと感じてはおられませんか。だとしたら貴方様もまた、ここにおられる「僕」の1人で御座います。いえ、非難しているわけでは御座いませんよ。わたくしはただ、ありのままの真実をお話させて頂いているだけであります。わたくしの目の前におられる「僕」と、わたくしの言葉を文字へと変換しいまこうしてiPhoneの画面に、何かに取り憑かれたように文章を書きつけている百瀬雄太という男と、インターネットというテクノロジーを介して届けられるわたくしのパロール=百瀬雄太のランガージュを、今、この文字へと目を走らせ、脳内にその言葉の発する口の動きとシルクハットの奇妙な質感を想起する貴方様。ここにある不思議な関係性。

どうですか。

ここは何処で御座いましょう。

わたくしは、何処におられると思いますか。

わたくしは通路におります。わたくしは言葉におります。わたくしは百瀬雄太の脳内におります。わたくしはiPhoneの画面の上におります。わたくしはこの物語の主人公の目の前におります。わたくしは貴方様の脳内におります。わたくしはおります。

同時に、わたくしはどこにもおります。この文章が消されれば、あるいは、この文章が誰の目にもふれることがなければ、わたくしはどこにもおりません。

わたくしは、いますか?

「大腸のトンネル」は、名前で御座います。そして、いま、わたくしのおりますこの通路には名前が御座いません。その事に、何か大きな差異がありますでしょうか。

名付けられることで人々は安心なさいます。それはそれとして、幸福なことでもありましょう。しかし、それは、至福なことでは御座いません。この事だけはお忘れにならないようにして頂きたいものです。

わたくしと「貴方様」との出逢いは、必然性という名のもとに生起した、極めて運命論的な出来事で御座いますから。

貴方様の世界では、いま、時計の針が22時52分を指しました。しかしそれは、百瀬雄太の所属するいまこの場所にある時間の指標でしか御座いません。この物語をお読みの貴方様。いま、あなたはどこにおられるでしょう。いま、あなたの時間は、どこにあるでしょう。

時計の針は、無限に存在しますよ。
そして、あることとないことは、ともにあることなのかもしれませんね。


おほほほほほほほほ

あ、「」を閉じさせて頂きますね。
それでは、佳き宵をお過ごしくださいませ。

2014年8月5日火曜日

第7章 1番目の月 彼女の涙 粒は還る

1番目の月は地球を見ていた。1番目の月は地球を見ることが好きだった。青い地球を見ていると、自分の中にある何か得体の知れない感覚がざわめき出すのを感じた。1番目の月は、そのざわめきがなんなのかわからなかったが、目をつむり、そのざわめきに意識を向けていると、次第に、歌が歌いたくなることを知っていた。1番目の月は今日も歌う。


「地球よ」
作詞•作曲:1番目の月

地球よ 地球
青い星よ
別たれた影の名を知る星よ
明滅する光の速度は
音もなく星をかえりみる
狐は今日も空を飛び
蛙は今日も土を喰らう
七色鼠は宙を舞い
透明ガラスは走りゆく
あゝなんて愉快なこの星よ
何処までも続く青空よ
こどもは歌う星の歌
人は帰りし夢の跡
もう何処へも行かぬでおくれ
とどまることなき詩の光
末裔の時を経て帰りゆく
日々の無言は今なお続かん


1番目の月は信じていた。自分がかつて人であったと。あの日愛した女のこと。失くしてしまった家族のこと。日々の戯れ。喧騒。都市のなかをひた走る馬の群。1番目の月は目をつむり、今日も歌う。そして、思い出すのだ。自分の身体を構成する小さな小さな石の中に眠る記憶を。

石の記憶。








たゆたうように、白き光が木々の隙間に差し込んで、音もなく、風のゆらめきとともに私を照らす。

サルスベリの木の葉たち。風に揺られて無邪気に遊ぶ。さわさわさわ。風のこども。木の葉の舞踊が、地面に静かな影を生む。

私は、目を細めてそれを見る。
私の目に映るのは、木の葉と光の泡の群れ。私の眼は、視力が0.02しかないので、眼鏡を外すととてもじゃないが世界を見ることができない。そう思っておりました。しかし、どうでしょう。私の眼は確かに悪いですが、私の目はよく見えます。ほら、貴方も見てくださいな。

木の葉のひとつひとつは風に遊び
ちいさなちいさな緑色の光の粒となりて薄青い空のキャンバスの上をゆれ動いております。
数え切れぬほどの緑の光の粒が寄り集まり、おおきなおおきな絵を描きます。緑の光の粒の群れ。おおきなおおきな緑の絵よ。
そして、どうでしょう。見えますか。緑の光の粒と粒の間。白の光の粒が遊びます。私の目は、どちらの色をも見ることができます。貴方の目も、見ることができます。どうでしょう。綺麗です。
薄い青い空の色は、かつてここにいた、総ての者たちの哀しみの色でしょうか。彼らは死んでゆきました。みな、土へと還りました。土の中、ちいさなちいさな生物たちが、彼らを食べました。彼らのからだはちいさなちいさな粒になってゆきます。色とりどりのちいさな粒に。彼らの粒は、それぞれに還りました。彼らの哀しみは、水となり、水の粒とともに川になり、おおきなおおきな海へと還りました。

おおきなおおきな海には、すべての者たちの哀しみが溶けています。けれど、それは消えているわけではありません。彼らの哀しみは、目には見えない粒となり、今もこの海のなかに生きております。

太陽は、彼らの哀しみに光をあたえます。そして、彼らの一部は、空へと還りました。空は、だから、青いのです。空は今も青いまま。彼らの粒は今もそこにいます。寂しがりやな彼らは、ときに雲にも還りました。ふかふかの雲は空を優雅に旅します。まだ見たことのない街へと旅をします。そして、様々な哀しみを吸い込んで、雲はおおきくおおきくなって、何処かの街に雨をふらせます。

雨の粒になった彼らは、何処かの街の地面にその身を打ちつけて、土に還りました。土に還らずに、洗濯物に還る者もおりました。そして、わたしは、彼女の顔に、還りました。

一粒の雨である、わたし。
彼女は泣いておりました。
彼女の涙とわたしは、一粒に還りました。彼女は、泣き止みました。そして、空を見上げました。

空は晴れ
わたしは青
空は青
わたしは晴れ
彼女のこころは
わたしの
還りを
待っていました

2014年8月4日月曜日

第6章 渦巻き 大腸のトンネル シルクハットの男

白い扉の中には、奇妙な通路があった。壁面には無数の曲線が螺旋状に彫り込まれ、その曲線は通路の奥へと続いていた。壁の質感は、脆い紙粘土のようで、手でふれるとボロボロと零れ落ちてしまう。通路の形は、四角ではなく円形であり、平らな面が一つもないため歩くのに苦労した。僕は、壁面の曲線につまづきながらよろよろと一歩、また一歩と歩を進めた。

小一時間程歩いたところで、開けた空間に辿り着いた。高さはおよそ10m程。空間の端から端までの長さは15m程だろうか。中心に六本の柱が立っている。その柱は、まるで太古の昔から其処に根を張り、悠久の時を超えて成長を続けている巨大樹のように見えた。巨大樹のような柱は、赤、青、黄、緑、オレンジ、紫の配色がそれぞれに施されており、渦巻き状の紋様が無数に彫り込まれていた。それぞれの渦巻きは、大きさを違えながらもそれぞれの終点で繋がりあい、全体として巨大な迷路のような模様を柱に描き出していた。

僕は六本の柱を眺めながら少しばかり歩いていた。柱は空間の天井に突き刺さり、何処まで続いているのかを知ることは叶わなかった。特に理由はなかったが、この六本の柱は、おそらく、何処までも続いているのではないかと僕は思った。「何処までも続く六本の柱」僕は声に出してそう呟いた。いつの間にか、僕の口には、声が帰ってきていた。失われた声は何処かを彷徨い歩き、再び主人の元へと帰ってきたのだった。








僕は自分の口に帰ってきた声を確かめるようにして、ゆっくりとそう呟いた。

「お待ちしておりましたよ」

突然、その言葉が僕の耳に届いた。僕は驚いて、よろめきながら声のした方を向いた。そこには1人の男らしきものが立っていた。

身の丈190cm程の長身に、黒色のシックなシルクハットとスーツ、左胸ポケットには鮮やかなショッキングピンク色のハンカチーフが差し込まれていた。大きなシルクハットに顔が隠れていて、男がどのような顔をしているのかを知ることは叶わなかった。(男のような低い声色であったので男と判断したが、正確に判断する基準は他にはなかった)

男らしきそいつは、僕に向かって今度はこう言った。

「いやはや、ご機嫌いかがでしょうか。「大腸のトンネル」は些か歩きづらい処でありましたから、お疲れかと思います。ささ、此方へどうぞ。貴女様の席はご用意して有りますので。ええ、それはもうとびっきりゴージャスで、エレガントで、ナイーヴで、怖いもの知らずな、スペーシャルなお席で御座いますよ。私、貴女様の為に、特別なお席をご用意させて頂きましたから。3光年程前から列に並んで席を確保させて頂きましたのですよ。まあ、たかだか3光年と仰る方もおいでですが、私こう見えて、中々に忙しいものでして。今日も豚のフンを金塊に変換するためにせっせとケサランパサランを集めておりました処です。100匹ほど集めませんと、純度の高い金塊には成りませんからね。白粉も高級な物を使っていますのよ。あゝ、そうそう、貴女様もよくケサランパサランをお見かけするでしょう。彼らは気まぐれですから、私たちの処を好みそうな人間の元へふらりと遊びに行くのです。それで時々捕まってしまうのですがね。まあ、ドジっ子パサラン、パサパサラン!といったところでしょうか。おほほほほほ。」

男は次から次へと言葉を発していたため、僕は次第に疲れてしまい、その先の言葉には耳を伏せていた。男に導かれるままに、僕は空間の奥へと続く道を再び歩いていた。こちらの通路はさっきの通路とは違い、真四角で、壁面は黒色、ピカピカに磨き上げられた大理石のような質感の壁が真っ直ぐと続いていた。黒一色の通路に、男と僕が歩き、地面を靴が叩く音が不揃いに響いていた。

第5章 無線 Ⅰ



私の好きな色



私の嫌いな色



それは、空の色



それは、海の色







世界には
色々な色のアオがある

あ。

お。

あお。

あいうえお。

あを。

私はそこからきた
私はそこへかえる

私は私のなか
この形のうまれるまえの
遠いあの日

私の見たあおは
どのあおだったか

それは
煌煌と輝く種類の

それでいて
闇のようにふかいところ

おおらかで
ふくよかで
やわらかで
尖ったところのない

そんな あお

そんな あおのなかを
私は 泳いだ
私は?
ワタシは?
ワタシハ
ダレダ
ワタシハ カイタイサレル
ワタシハ チイサナ粒ニナル
ワタシハ カツテノ記憶ニナル
ワタシハ ワカタレタモノニナル

ニナル
トハ
嘘かもしれない

ナル
コトハ
ナイ のかもしれない

アル
コトシカ
本当は
ナイ
のかもしれない

ワタシハ
アル

アオ

ルツボ
ノイズ
明滅
ポツポツ
ピー
ポツポツ
ピー
ジジジ
ボコボコ
ポツポツ
ボコボコ
ポツポツ
ボコボコ
ジジジ
ジジジ
ジジジジジジ
ザー






…聴こえ…
ます…カ…

カツテノ…
かつての…

…ジジジ…



…ジジジ…
ザザ…



…記憶…

聴こえますか…

…ピー…

かつての…
…記憶の…まえ…



…そこにあります
…思い出せば
…ジジジ…
つくりだす…
アオ
…源…
忘れ…
ヲヲヲ…
…ぐすん…
………

ワタシハ記憶
ワタシハ青
ワタシハ空と海の間


第4章 無限定の白い空間

白い光の中。僕は目をあけた。辺りには形らしきものはまるでなかった。唯々、白い空間が広がっていた。何処まで続くのかもわからない無限の白の空間の中、僕は独り立っていた。

「ここは何処だろう」

そう口にしたつもりだったが、僕の耳に、僕の声は聴こえなかった。辺りを歩き回ってみても、僕の靴が地面を叩く音は聴こえない。どうやら、此処には音というものが存在しないらしい。もしくは、音が発された瞬間に、その音の波動が消え失せてしまうのかもしれない。理由はわからないが、此処には何ひとつ音が聴こえないことは確かなことだった。

僕は不安になり、右手の掌を自分の胸に押し当てた。僕は死んでしまったのだろうか。僕の心臓は動いているのだろうか。それを確かめるために。

僕の胸の奥にある心臓は、どくんどくんと力強く鼓動を打ち続けていた。右手の掌に、その鼓動を感じる事ができた。どうやら、僕は生きているらしい。心臓は動いているし、息もしている。白い風景しか見えないが、僕の目も確かに目の前の風景を見ることができている。だから、おそらく僕は今生きているということが言えるだろう。医学的には。動物学的には。

自分の存在の不確かさと目の前に広がる白一色の光景を前にして、僕は様々な仕方で、思考で、自分の存在を確かめようとした。日常的な生活から切り離されてしまうことで、人間は自分の生きていることにさえこれ程の不安を感じるのかと僕は思った。存在の不確かさ。実は僕たちは、本来、その不確かさの中で生きているのだという気持ちもしてきた。

僕の家の前には、大きな家々が並んでいる。朝、目を覚まして、辺りを散歩すると、早起きのおばあさんによく顔を合わせる。様々な種類の植物に覆われた古い一軒家を散歩がてら眺めるのは、僕の日課だ。日に日に一軒家を覆う植物の群れは成長しながら建物全体を静かに呑み込んでいくのだ。外壁は緑色のグネグネと折れ曲がった蔓に覆われ、締め上げられている。時折、その蔓に鳥たちがやってくる。鳥たちは、午前5時の空がとても好きらしい。人間たちが布団の中で夢を見ているまだ薄青い空を、鳥たちは楽しげに歌い、笑い、飛び交う。僕には彼らが一体何を言っているのかはわからない。けれど、僕は、鳥たちの声を聴くことがとても好きだ。彼ら一羽一羽は、それぞれのやり方で鳴き交わす。一羽として同じ声で鳴くものはない。今度、午前5時に目を覚ましたなら、朝の町中をゆっくりと歩いて見てほしい。鳥たちは、自分だけの声を持ち、自分だけの歌をうたっている。無数の声が青白い空の中に響き渡る。その素晴らしさといったら、他に例えようもないものだ。僕は鳥が好きだ。鳥のように歌えたらいいのにと何度も彼らの歌声を真似してみたものだ。僕は歌うことが好きだ。僕の身体の中に静けさが広がり、僕の口は自然と開き、僕の声は、僕の意思とは無関係に空へと差し出される。声は次の声を導き、言葉はなんらかの意味と意味とを一本の見えない糸で結びつけて行く。空に声で刺繍を施すような行為が、僕にとっての歌なのだと思う。目には見えない光の糸で空に僕だけの絵を描いて行く。描いてはすぐに消えてゆく光の声は、一体どこに消えてゆくのだろう。そんなことをいつも考える。光は僕らのそばにある。でもふれることはできない。こんなにも確かに、目の前の世界を照らしてくれているのに。僕は光に感謝する。光よ、有り難う。あなたのおかげで僕は世界を見ることができる。あなたがいなければ、世界はすべて、黒一色に覆われてしまうでしょう。黒一色の世界は、たぶんさみしいところでしょう。どんなに美しいものも、そこでは見ることはかないませんから。黒はすべてを含み混んでいるから、僕たちは黒から色を取り出すことができないのです。黒はこわいものです。黒は重力です。呑み込んでいってしまうのです。光よ、有り難う。あなたはわたしの希望です。


目の前に広がる白一色の光景を眺めながら、僕は独り、声にもならぬ声を用いてそのようにぶつぶつと呟いていた。

その時だった。

それまで何もないかのように見えた場所に扉が現れた。そして、扉は開かれた。僕は少し躊躇いがちに、その扉の方へ歩を進めた。

扉の前に立つと、白い扉には一枚のプレートが貼り付けられていて、そこにはこう書いてあった。

「この先、道先案内人。私は、あなたの中の誰か。ここに住む、小さな居場所。己を己と疑うならば、どうぞ、私のなかへお入りください。粗茶の一杯でも入れて差し上げます。あべこべは私の好きなもの。あなたの好きなものは私の嫌いなもの。でも、だからあなたは私のあなた。私はあなたの私。さあ、どうぞ。ゆっくりとお入りください。」

この先に何があるのだろう。僕は少し尻込みした。が、やがて決意を固めた。

進むしかないのならば、進むだけの事だ。此処は、僕の居場所ではないのだから。

僕は、白い扉の前に立ち、一呼吸をして、白い扉の中へと入り込んだ。

2014年7月18日金曜日

第三章 水族館の記憶 虹色に輝く海月



それは、酷く不可解な夢のような出来事として僕の前に現れた。辺りに、光らしきものはまるでなく、僕は、僕の身体の輪郭線を認識することすらままならない場所にいた。

ここは、何処だろう。
言葉にしようとしたが、声が出ない。自分では声を出しているつもりなのだが、発されたはずの僕の声は、僕自身の耳に届かない。

声を忘れた人間。
暗闇の底に沈んでいる。

僕は自分の置かれた状況を冷静に整理しようと試みた。しかし、その努力は、意味という意味をすべて削りとられた行為の死骸のようなものであった。

僕には、僕が見えない。
僕には、僕の周りが見えない。
僕には、なにも見えない。
ただ、暗闇の中に、僕のものらしき思考の断片が声もなく浮かんでいる。実体のない言葉。言葉を発する自己の消滅。ここはどこだ。

僕は目をつむる。
音すらも聴こえぬ闇の中。







大きさは、1mあまりだろうか。傘の厚さは、30cm。足の長さを含めると、全長はおよそ2m。虹色の光を放ち、深海をたゆたう、クラゲの群れが見える。

2009年7月21日。眩暈がする程に晴れ上がった空をこの身に浴びて、僕は1人、片瀬江ノ島水族館へ向かった。愛していた女にフラれた腹いせのつもりで、僕は、独り身の男にしかできない突発的な出来事を自分の力で起こしたいと考えた。そこで、水族館へ向かったのだ。あまりにも馬鹿馬鹿しいその行動は、今になって思い返すと呆れかえるが、その夏の真ん中で1人哀しみに暮れていた僕にとり、その行動は、この上なく必然的な行いのように思えた。

チケット販売所で、大人一枚の入場チケットを購入し、いざ、水族館の中へ。入り口付近では、焦げたサンマのように日焼けした金髪のカップルがイチャイチャと写真を撮っていた。その横を僕は無表情に通り過ぎた。そんなことに気を取られている場合ではないのだ。僕は、奥へ進まなければならないのだ。僕のために。

水族館には、たくさんの海の生き物が飼育されていた。

みなさん、お元気ですか!僕は元気!みなさんのために、芸を披露するために、この狭い水槽の中で生きてます!飼育されています。餌を与えられて、育てられています!毎日、好きな魚を食べられます!見てくださいよ、このお腹。なんともまあ、でっぷりと肥ったお腹です!ポンポン!ね、いい音がするでしょ!わはは。僕たちは、見世物です。僕たちは、あなたたち人間に見られるために生きています。鑑賞されることを目的に生命活動を持続しております。この水槽の中は、とても狭いです。少し肩が凝る時もあります。けれど、僕たちは生きています。心臓が動いています。息を吸ったり吐いたりしています。汚らしいウンチもします。つまり、僕たちは、生きています。おそらく、生きています。狭い水槽の中ですが。おそらく、あなたたち人間と、同じようなものでしょう。わははわはは。

皇帝ペンギンが、声を高らかに、そのような饒舌な演説をしていた。

僕は、部屋の奥に進む。

大きなガラスの水槽が、ペンタゴン型の空間を包み込んでいた。六角形の部屋の中で、僕は、ガラスに仕切られた偽物の海の中を泳ぐクラゲを見た。

クラゲ。漢字で書くと、海月だ。
海の中を泳ぐ、月。彼らは、暗闇を照らす月なのだ。とても綺麗だ。色とりどりの海月たちが偽物の海の中をたゆたっていた。様々な名前が付けられた海月たち。人間はなんでも名付けたがるものだ。名前がないと不安なのだ。名前などなくても、海月は確かにここにいるのに。この、偽物の海の中を、優雅に泳いでいるのに。

海月の、身体を、見つめた。
僕は、海月の身体を、あまりよく見たことがなかった。

半透明な身体。小さな斑点。これは口か。垂れ下がりゆらゆらとゆれる触手。青や黄色、赤や紫、緑や茶色、沢山の色をその身に纏う海月たち。優雅に泳ぐ。たゆたう。

2014年7月18日。
僕の前にいるこの巨大な虹色の海月。暗闇を照らす、七色の身体。ツルツルと光り輝き、黒い海水を掻き分け泳ぐ海月。その触手の一つに、僕は、ふれた。

目の前が、白く、光りはじめた。

第二章 My Blue Wave 白い少女は笑っている


蒸し暑い夏のある日の夜のこと。僕は、JR中央線の中、オルタナティブ•カントリーバンド Lambchop『Is A Woman』の「My Blue Wave」をiPodで聴いていた。

少ししわがれたvo.の歌声を、大らかで深みのあるグランド•ピアノ、アコースティック•ギターの音色が包み込む。僕は目をつむる。そして、イメージする。「My Blue Wave」。私の青い波のことを-



ひとりの少女が笑っている。
白い砂浜。流れ着いた木々。ガラスの瓶。片方だけ取り残された靴。

少女の肌は、閃光のごとき太陽の光に照らされて、シルクのように白く輝いている。

彼女は、誰だろう。
僕は、彼女の名前を知らない。
けれど、彼女は僕を呼ぶ。

「おーい、はやくはやくー。」

彼女の声に導かれて、僕は、歩きだす。サラサラとくずれる砂浜を足の裏に感じる。小さな小さな砂粒の集合体。白や黄色や茶やピンクのミクロな残骸。様々な過去の命の抜け殻が砕け散り、今、こうして僕の足の裏が踏みつける白い砂浜が生まれてきたのだろう。

細やかな生命の断片。
喪われた記憶は、海へと還っていったのだろうか。

彼女は、笑っている。
なぜ、だろう。
彼女は、笑っている。
なぜ、だろう。

僕は彼女の隣に立ち、海を眺めた。青い波の群れが、ゆらゆらと漂いながら、白い砂浜へ辿り着く。次から次へと。青い波たちは、永遠に砂浜に辿り着きつづけてゆく。これまでも。これからも。永遠。

遠く、海の表面は、太陽の光をはじき、ギラギラと、生き物のように蠢き出す。僕の目は、それを見ている。無数の、形のない、生き物の群れ、海、表面、乱反射する、光、の、群れ。

彼女は、笑っている。
白い歯を光らせて。
彼女は、笑っている。
なぜ、だろう。

なぜ、だろう。
なぜ、だろう。
なぜ、だろう。

僕は、彼女を、殺してしまいたい。
できるだけ、すみやかに。
できるだけ、愛をこめて。
できるだけ。できるだけ。

波の音が聴こえる。
波は、歌を、歌うだろうか。

僕には、海が、見えない。
東京の街には、今宵も雨が降る。

2014年7月13日日曜日

第一章 9つの月の兄弟 永遠に続く螺旋階段



「ねえ、知ってる?月ってね、本当は9つあるのよ。」

彼女は1人つぶやくようにそう言った。ベランダに腰掛け、細い指にラッキースターのタバコを挟み、彼女は月を眺めていた。今宵は新月らしい。僕は月をあまりしっかりと眺めたことがない。それは、僕にとっては単なる月であり、月以上のものではない。ごく普通の日常の中の、単なる部分に過ぎなかったからだ。彼女は続けて、僕に話を聞かせてくれた。

「遠い遠い昔。月は、9つありました。空がまだ、海とひとつだった時代です。月はとても寂しがりやでした。月は、いつも手を繋いでいました。9つの兄弟は、それぞれが違う光をその身に纏っていました。それぞれが、美しい光の衣を纏って、大きな大きな空の上、楽しげに暮らしていました。月は、赤子のように無垢な顔をしていました。月は、夢を見ていました。遠い遠い夢。その夢が何の夢なのか、月は知りませんでした。」

煙を燻らせたタバコを灰皿に押し付け、彼女はタバコの火をもみ消した。ウィスキーグラスに入った、透明な岩石のような氷が、カランと音を立ててくるりと回った。

僕は半年ほど前に、約2年間勤めていた会社を辞めた。辞めた理由は、言葉にすることはできるが、あえてそうする必要も感じなかった。ただ、僕は僕自身がその場所にいることが間違いであると感じたのだ。この場所、この時間から、僕は離れる必要がある。そう感じていた。特に躊躇いはなかった。理由もない事柄には躊躇いさえも存在し得ないのだと思った。

会社を辞めてからの僕は、一日一日のなかにいることを丁寧に感じていた。雑踏を蠢く、スーツに身を包んだ人々の群。映画の早回しのようなワンシーン。東京という街の中で、僕が目にする光景は、いつもそればかりだった。表情を亡くした人々の顔は、灰色だった。何かに怯えているようにも見えた。毎朝、駅前の喫煙所でタバコを吸うたびに、灰色の男たちの顔を眺めては、胸の奥に、酸っぱいものを感じていた。太陽の光は、どこか、造りものじみていて、どこにも逃げ場がないように、乾いていた。

それでね、と、彼女は、ぼんやりと物思いに耽っていた僕に話しかけてきた。話を続けるわね、彼女は、軽く微笑みながら、そう言った。

「月は、いつも、夢をみていました。月は、眠ることはありません。けれど、月は、いつも、夢をみていたのです。不眠の夢。目をあけながらみる夢は、月たちの唯一のたのしみでした。

二番目の月が、ある日、こう言いました。

「ねえ、僕たちは、いま、こうしてひとつだけど、いつかは、離れ離れになるときがくるのかな。そんなときがもしくるとしたら、それはすごくさみしいことだ。僕は、いつまでも、お前たちと一緒にいたい。いつまでも、お前たちと、ひとつの夢をみていたい。そんなことを思うのは、野暮なはなしかな。」

二番目の月は、少しかなしそうに、そう言いました。五番目の月は、こう言いました。

「そうだねえ。離れ離れになるのは、とてもさみしいことだ。僕らはきっと、いつまでも一緒さ。だって、僕たちは、みんなでひとつの月なんだから。みんなでひとつの夢をみて、みんなでひとつの月なのさ。だから、僕たちが離れ離れになることは、きっといつまでもないね。」

五番目の月は、自信満々にそう言いました。でもさあ、七番目の月が、喋り始めました。

「僕たちは、いつから、9つに分かれてしまったのかな。元々僕たちは、ひとつだったのかな。それとも、9つだったのかな。僕は、僕が生まれた日のことを知らない。僕は僕の生まれる前の世界を知らない。僕は、僕以前を、何も知らない。何も知らないことは、わからないことで、わからないことは、いつまでもわからないことなんだと思うんだ。」

七番目の月は、小さく縮こまり、肩をすくめて、言いました。みんな、その話を聞いて、考えてみました。

僕たちは、いつから、僕たちなのだろう。僕たちは、いつまで僕たちなのだろう。僕たちは、僕たち以前の世界を知らない。僕たち以前の世界は、僕たちを知らない。僕たちは、何処にいるのだろう。」

カタン。音がした。玄関の方からだ。あいつがもう帰ってきたのだろうか。いつもは深夜0時を過ぎてから帰ってくるあいつが、今日はやけに早い帰りだな、と思いながら、僕は立ち上がり、玄関へ向かって歩いてゆく。玄関のドアノブを掴み、ドアを開けた。外には、誰もいなかった。

「風の音だったみたいだ。」

僕は彼女にそう告げた。少し安心して、僕は彼女の側へと歩み寄った。彼女は僕の顔をまじまじと見つめていた。ちょうど、初めて幽霊を目の当たりにしてしまった人間が、その存在の不確かさに一切の思考を停止してしまったかのような顔だった。

顔。思えば僕は、彼女の顔をよく見たことがなかった。彼女の顔は、スッキリとした面長で、少し切れ長の目に大きな黒目、小さな耳にお気に入りのガラスのピアス、団子のような少し丸い鼻、薄い唇、白い肌に、セミロングの黒髪を少し乱雑に垂らしていた。彼女の大きな黒目は、まだ僕のことを見つめていた。僕のことを?どうだろう。僕のことを見つめているにしては、少し目の先が遠すぎるようにも見える。彼女の目に、眼球に、僕の姿が映っていることは確かだが、彼女の目に、僕は見えているのだろうか。彼女は、僕の何を知っているのだろうか。僕は、誰だろうか。僕は、僕のことを知っているのだろうか。僕。僕?ぼく。ボク。なんだか少し面倒な問題になりそうだったので、僕はその思考を中断し、彼女に尋ねた。

「それで、月たちは一体その後、どうなったんだい。まだ話の続きだったね。月たちは夢をみる。不眠の夢。眠らずに夢をみるなんて、月たちは器用だな。僕にはできそうもない。ただでさえ、普段の眠りでも夢をみないからね。」

そうかしら、彼女は静かに言った。

「私たちも、月たちと同じかもしれないわよ。私たちは、私たちが見ている世界が、現実だと思い込もうとしているのかもしれない。ちいさなときから、まだ、言葉も喋れないほどちいさなときから、私たちは、私たちの現実を、決めつけてきたのかもしれない。私たち以前に、この世界に何があったのか、私たちは知り得ないんだもの。私たちは、私たちの見ているものしか信じていない。私たちの目に映るものしか信じていない。私たちは、夢を見ているのかもしれない。永遠に醒めない夢。はじまりも終わりもない夢。その中を、魚のように目をあけて永遠に泳ぎ続けているのかもしれない。そうは思わない?」

「どうだろう。僕にはよくわからないな。僕にとって、僕の見ているものは確かにそこにあるし、僕の手の触れるものは確かにそこに触れることができるし、君とこうして会話もできるし、少なくとも、そういうことのすべてが夢だなんて、僕にはちょっと信じられないな。それに、夢は、醒めるから夢なんだろう。醒めることのない夢なら、それはもはや夢とは呼ばないんじゃないかな。」

時計の針が、正確なリズムを刻む。カチコチ、カチコチ、カチコチ、カチコチ…時計の針はは0時31分を過ぎたあたりを指している。窓の外は、静かな夜の闇に満ちていた。どこまでも続く黒い空。今夜は車の通りが少ない。とても静かな夜だ。街から、すべての人間が一晩にして消えてしまったかのような、静寂。仮にもし、本当にすべての人間が何処かに消えてしまっていたとしても、僕はそれに気づくことはないだろう。ある意味で、僕にとってそれは、どうでもいいことだった。すべての人間が消え去った街。想像してみる。どうだろう。悪い気はしない。静かな、静かな毎日が、ただ永遠に続いてゆく。誰もいない街。どんな感情も持たない街。子供たちのいない街。それは、もはや、街なのだろうか。人間のいない街、とは、街なのだろうか。どうだろう。よくわからない。

僕はいつも、気づくとこうした思考の輪の中でウロウロと歩いている。とどまることなく溢れ出す問い。問いが新たな問いを呼び、その問いがまた新たな問いを呼ぶ。答えのない螺旋階段。僕は永遠にたどり着くことのないビルの清掃員のようなものだ。任された仕事を完遂したいのだが、掃除すべき階が見つからない。どこまで登っても、どこまで降りても、そこにあるのは、永遠に渦を巻く、白い階段。僕は途方にくれる。手に握りしめたデッキブラシを投げ捨てて、このままパチンコでも打ちに行ってしまいたいが、どうやらそうすることもできないらしい。永遠に続く螺旋階段。僕は、永遠にたどり着けない。それもまた、いいのかもしれない。

2014年6月18日水曜日

吉村萬壱『ボラード病』読後記

吉村萬壱氏の『ボラード病』を読み終え、今、僕は、我が家の台所の椅子に腰掛け煙草に火をつけた。煙を深く吸い込み、肺の奥にたまった重苦しい息を吐き出している。奇妙な充足感。これは一体なんだろう。まだうまく呑み込めずにいる。噛みきれない魚の刺身を噛み続けているようなもどかしさと共に、脳みそに爽やかな風が吹き抜ける。ああ。言葉にしているうちに少しずつわかってきた。これは、安堵だ。おそらく。ある種類の、深い諦めの中にある、静かな安堵なのだ。「ボラード病」僕はこの病を知っている。その名前を知らなかったが、僕はこれをよく知っている。今、僕の中に吹き抜けるもどかしくも爽やかな風とそれがもたらす安堵は、名付けられたことによる安堵なのだ。そして、その安堵は、わたしという人間が日常の中で感ずる得体の知れない悪の名前を知る、吉村萬壱氏という作家がこの小説を書き上げ、それをわたしが読むことのできたということの中に生まれた、孤独からの脱却であるのだ。

この小説に登場する街、海塚。ここは、何処にもない街だ。架空の街。フィクション。だが、この街は「存在する」。僕らは知っている、この街のことを。この街に蔓延る「悪」の存在を。

ディストピア小説。ジョージ•オーウェルの『1984』がよく知られている。この小説も、ディストピア小説の一つである。悪の桃源郷。しかし、オーウェルのそれとは違い、『ボラード病』は、現代社会に直結する近未来小説であり、そこに抉り出される「悪」は、仮想された未来のそれではなく、現代の生々しい病理である。

簡潔な文体。温度を欠いた描写。感情を感じられない人々のしぐさ、表情。読み始めは、その手法が、吉村氏が、読者へ、物語の入り口を広く設定するための懇切丁寧敬意としてのスタイルなのかと考えたが、読み進めるにつれて、その考えを超える何かを感じ始めた。あまりにも、奇妙なのだ。世界が、冷え切っている。死んでいる。日常の風景の中に、生の気配があまりにも希薄なのだ。その奇妙な世界の質感に、僕の心は冷えていく。なんだこの街は。なんだこの人間たちは。忍び寄る恐怖に身体がこわばっていく。そして、気づくのだ。この奇妙な世界の温度の理由に。

正常さとは何か。異常さとは何か。

僕たちは、世界に線をひく。「病」は生産され続ける。ミシェル•フーコーが、その生涯を通して示したように。「病」は造られ、再生産され続けて行くのだ。社会の存続のため?そんな綺麗な言葉で片付けてはならない。社会秩序という名の裁断機が、世界にはみ出しものを生み出すことは、必然なのだろう。

認識。境界。秩序。病。正義。排除。悪。美。

海塚は、綺麗だ。

綺麗すぎるのだ。

汚いものを、見えなくしてしまったから。

東日本大震災以後の世界。
この小説は、抵抗である。

僕はその抵抗に最高の敬意を払いたい。

僕も、「病」を携え生きる人間だから。

冷ややかな世界へ、冷笑を。
「ボラード病」

勇気を頂きました。
吉村萬壱さん、素晴らしい作品を、ありがとうございます。

2014年6月11日水曜日

コンセプチュアル•ライブ 第一回 《幻想都市》 朗読 詩

2014年6月7日
ライブ
『幻想都市』

僕の日々
僕の夢
日常と幻想の境界線

夜の音楽
死へと接近する
防波堤のむこうがわ
空と海のあ還る場所

《光のワルツ》5分
光のワルツが 朝を知らせる頃
夜は音もなく消えて
暗闇から光がさしこみ
ワルツを踊る
青色のワルツ
透明なガラスの靴
取り残された光のワルツ

《ハワイアン•イマージュ》5分
空想の島国へ旅立とう
ピンク色のハワイ諸島
貫くように青い空と海
だが それも 幻想
幻想のなかで 僕は 踊る

《Never Ending Dancer's Blues》4分
子どものころ僕らは
なんでも夢をみて
いつでも僕らは自分の手で
つくっていた
それなのにどうだい
僕らは歳をとるたびに
決められたことばかりやることが
うまくなって
何も作れないような
凍えた手で この空を眺めてた
踊りつづけよう
ダンスは止まらない
踊りつづけよう
ネヴァーエンディングダンサー

《How do I know》2分
どうすればいいかは
知っている
僕は知っている
あなたも知っている
どうすればいいのかは
自分が知っている
知らないうちに 知っている

《安里屋ユータ》4分
都ハズレのおまえのこと
さあ 宵 宵
内なる声が 響く夜に
坊やは 神様よ

《思考至上都市》7分
直線で区切られた街
死の匂い
忘れてしまった
あの頃の記憶
思い出せよ
思い出そうよ
あの頃に描いた
夢の街

空が堕ちてくる
色も形もなくなって
獣たちの群が蠢いて
空が
空が堕ちてくる
色も形もなくなって
色も形もなくなって

《空と海が還る場所》10分
誰も知らぬ街で
言葉もない街で
ふたり 手をつないで
深く深く 潜ってゆこう
怖がらないで いいよ
そこは 僕らの街
僕らの故郷

ポツポツポツ
光が満ちてくる
虹色の海月をくぐり抜けて
深く 深く
そこで見かける
血の色

誰も知らぬ街で
名前を忘れた場所へ

還ろう 還ろう 還ろう
空と海が還る
すべてのものが還る
ひとつに還る
空と海が還る場所へ
還ろう 還ろう 還ろう

黒煙と夜の綴り書き

黒煙と夜の綴り書き

一神教とグローバル資本主義。
この両者の相関関係。中沢新一が指摘している通り。脱原発を叫ぶ世論。社会は政治のみではなく、文化を取り戻すタームに差し掛かっている。

一神教的世界がコンピュータというバーチャルテクノロジーを生み出した。我々の世界は、時空を超えてコネクトされる。身体感覚の根ざす土地がないがしろにされていく。ビット構造の支配は、もはや不可視で複雑な、ハイパーリアルな世界を構築する。我々の身体性はどこに消えゆくのか。

音の原始性に取り憑かれて久しい。なぜだろうか。特に理由を考えてこなかったが、そこに、確信めいたものを感じてきたからだろう。グローバルでハイパーリアルな世界の中で、構築主義的な美学のきな臭さに本能的に抵抗しているのかもしれない。

西洋音楽、ひいては、西洋美学的な世界は、線引きを旨とすると僕には思える。西洋哲学が固執してきた概念なるものの存在。そこに、この世界の固定性と、その不自由さをみる。世界は綺麗になりすぎてしまった。匂いが消え失せたのだ。泥の匂い。インディアンの神話が伝える世界の創世記。我々の世界はぐにょぐにょとした泥からつくられた。泥はいま乾きつつある。もう一度、水が必要なのだ。境界を越境するために。我々のひいた、砂の上の線を静かに洗い流すために。

20世紀初頭。ピカソ、ブラックらを筆頭にその姿を現してきた芸術運動がある。キュビズムがそれだ。ピカソは、美しく描けすぎたのだ。世界を、綺麗に描けすぎた。そのような美辞麗句が許されるのであれば、ピカソはその過剰さゆえに、転向を余儀無くされた。黒人芸術に出逢い、ピカソは新たな道を模索した。未開芸術の可能性を見出したのは、ピカソに影響を受けて彼を乗り越えんとした天才、岡本太郎にも見受けられる。縄文時代の土器に巻きつけられた文様の荒々しい美しさ。そこに潜む生命の躍動。彼らは、構築され、フラット化され、綺麗に整いすぎた社会と文化の両面の危険性に警笛を鳴らしていたのかもしれない。あるいは、自身の魂のフラット化に抗わんとするがために。

ボードリヤールが示したように、我々の世界のあらゆるものはシミュラークルと化した。記号性。その構造から逃れるものはあるのだろうか。記号の超越。しかし、その先にしかない、血のかたまりのような存在の本質が確かに在ると私は信ずる。なぜなら、生は、生きているからだ。記号は生きられない。それは、記号が本質的に、生ではないからである。

構築、構造と、記号は、まるで相性の良いカップルのようだ。彼らは、腕を組み、この世界をプラグラムする。神は言葉を用いた。世界に線が引かれる。名前が与えられる。認識が与えられる。世界は、理解できるものになってしまった。

理解できないものを知りたいというパラドキシカルな欲求は、構造への抗いだろうか。僕らはいつも問うている。問うことそれ自体がまた構造化されることを知りつつも、問う。

問うて、何を、みる。

線引きのないものへ。
時代への逆行性を強く意識する。
その先にしか、未来はあり得ないという深い直観。その直観を信ずるもの達が、少しずつ、世界を変えんと、行動をはじめている。拡張する領域。混じり合う。色と色との混合。その先にあるのは、黒か、はたまた。

解放宣言。
あるいは、自由への希求か。
僕はうたう。その自由を。
かつて喪われたものを弔おう。
我々の世界の彫刻を、泥へと返し、再び、その血と、肉体を持って、つくりなおそう。

そのために、潜る。
深く、暗い、その場所へ。
コスモスへのダイブは死へと接近する。しかし、それも必要なのだ。生ばかりが称揚された現代社会の末路は、死からの逃避であり、その必然的な不幸性と結びつくのだから。我々は、超克しなければならない。死への恐怖を。その言葉を。その先にある、生々しい生命の瞬間に触れるために。心地よいはずはないのだ。避け続けてきたものなのだから。だからこそ、逃げてはならない。もう、逃げ切ることはできないと知っているのだから。ならば、深く、挑めばいい。血まみれで、笑おう。この世は楽園さ。

歌おう。死の歌を。
共に奏でよう。
形から解き放たれて。
本当の自由の意味を知る時だ。
僕らは知っている。いつでも。
How do I know
真実はいつも僕らのなかにある
世界は僕らのなかにあるのだから

深い一拍 ゆれる呼吸

あるいは、こんな風に言えるかもしれない。うたうことを必要としなくなるためにこそ、うたいつづけているのだ、と。この逆説に込められた真意を、当の本人である僕でさえも説明し切ることは困難であるように思う。しかし、そうとしか言いようのない事柄というものがこの世にはあるのだということもまた、真実なのだと思う。

吸いなれたタバコを咥え、火をつける。もうもうと煙が立ち込めるキッチン。ぶおんぶおんと周り続ける換気扇の音を聴きながら、煙を肺に流し込む。強張っていた身体の内側の筋を丁寧にゆるめてゆく。呼吸。この不思議。硬く、ぬるい、息を吐き出す。「時代に合わせて呼吸するつもりはない」そう言った男は死んだ。

頑なに遠ざけていた舞台。なぜ遠ざけたのか。何を恐れていたのか。今ではその答えも肚には響かない。時間が流れて、何かが変わったのだろう。意思とは無関係の何か。その何かが、決定的に変わり、世界を決定づけてしまうことはあり得るのだし、現にそれは、僕たちの世界の、目には見えない領域で、日々、着々と、世界をつくりかえている。なぜだろうか。僕は人々の前でうたをうたっている。なんのために、という問いに答えられるような答えは今はない。ただ、そのような時が来たということなのだろうと思う。意思とは、そんなに簡単なものではないのだ。それは、捉えようもないものであり、意思することは、能動的な行動であるとは限らない。少なくとも、自分なるものが、自分なるものでコントロールできるものではないことを知っている人間にとっては。

降り続いた雨もあがり、晴れ間がさしたある日の午後。舌がヒリヒリと痺れるような珈琲を飲みながら、一冊の本を読む。

『こんな風に過ぎて行くのなら』浅川マキのエッセイ集である。浅川マキは、生涯、己の美学を貫き続けた稀有な女性であろう。漆黒の衣裳に身を纏い、ステージ上でタバコをふかす。徹底的な美学は、彼女の文体にも現れている。とても寂しく、深い文章だなと思う。静けさに包まれる。安らぐ。哀しみのなかに生きた女の体温を感じる。

「忍び込んでくるのは奇妙な寂寞感、安堵の気持ちじゃない。アルバムを創る毎に同じ気持ちに陥ちていく。僅かな日々のなかに色濃い影を落として去って行った男たち、深い一拍を想う。だが、わたしのなかを犯していくのは決して安直なセンチメンタルではない。
  いまこのとき、プロデュースした三枚の素敵な完成度の高い作品たちに酔いしれながら、やっぱり同じ気持ちに落ち入った。

「どうしてなのかなあ」
数多くの作品を創るたびに感じてきた。音楽と云う形では見えないものだからか。いや、そんな事では毛頭ない
「創る」と云う事は、寂しいことなのだろうか。」

近頃、少しだけ、彼女のこの文章に寄り添う自分の在ることを知る。

心地よさという隠された悪


心地よいものに満足できなくなったのはいつからだろう。心地よいものは、言葉の通り、心地よいものなのだから、それにふれ、そのなかに包まれるようにして在るとき、僕は安心する。安心。心が安らぐということ。心地よいものに満足できなくなったということは、心が安らぐことに対して何らかの不満、違和を感ずるということになるだろうか。満たされることと、それはイコールだろうか。満たされ、足ることが、満足であるとすれば、心地よいことと満足とは別の事柄であると言える。つまり、僕は、心地よさでは満たすことのできない、別の何かを求め始めているということ。心地よさへの違和は、日に日に増していく。心地よさは、退屈へと繋がるものでもある。僕は退屈を拒否したい欲望に駆られている。退屈こそは、僕にとって、なんらかの悪なるものであるという感覚があるのだ。退屈は十全さとは相容れない感覚である。心地よさと退屈という、歯車の両輪に対して、鋭く否を突きつけていたいのだ。退屈は、消費である。消費は記号である。脱記号性、脱消費…それは取りも直さず、僕たちが安易に咀嚼することのできない、ある種の恐さを孕むように思う。疑問符の中にある、豊潤な官能。世界は理解できない。だから美しいのではなかったか。心地よさへの回収を僕は拒否する。それが、不器用な行いであろうとも。

「再生」と「再/生」の差異

舞台の上で音楽を奏でるとき、自分の身体の不思議に出逢うことがよくある。いや、近頃は、毎度毎度、初めての感覚に出逢い、その感覚を確かめる。あれはなんだったのか。自分に問いかける。

緊張とは不思議なものだ。人はなぜ緊張するのか。間違いを恐れることで、人は緊張する。しかし、緊張することによって人は間違いをおかす可能性を高める。正しさと間違いのせめぎ合いのなか、身体はどんどん不自由になる。

僕は緊張しいだ。いや、だったという過去形の方が適切かもしれない。近頃、ライブで緊張することはあまりなくなった。もちろん、本番が始まる前までは、笑顔の裏に堅さを隠している。うまくいくのか。間違いをおかしはしないか。そんな不穏な考えが頭の中を浸すときもある。手が思ったように動かない。焦る。

しかし、なぜだろう。近頃はそうした感覚が、舞台に上がったその瞬間に消え失せる。肝が座ったということなのか。はたまた、慣れというものなのか。実感としてはこうだ。「間違いは、無い。だから、間違えようがない。」ステージが始まるとき、僕は、完全に自由になる。間違いは、もちろん、客観的にはあり得るだろう。バンドならなおさらそうだ。しかし、どうだろう。自分の身体から生まれた楽曲を演奏するとき、その正解は、自分しか知らない。正解は、自分の線引き一つだ。つまり、正解は、ないとも言える。自分が決めた正解から外れることを恐れるとき、演じ手は緊張をするのだろうと最近気づいた。正解がないのであれば、間違いは無い。間違いが無いのであれば、間違いようがない。ならば、緊張も存在しない。自由しかないのだ。

音楽は、自分の身体を通して表現するものだ。それも、その場、その場において、一度きりのものとして現出させるものだ。この点については、異論はないと思う。(ラップトップによるライブを僕はライブと思わない)問題はここから。ある楽曲を、再現することを目指す表現か、それとも、現在性において創出することを目指す表現か、この点が、ライブという場では、大きな特性を各々に宿すところであると思う。

個人的な考えだけを付す。僕は後者が好きだ。前者は嫌いだ。なぜなら、前者は退屈だからだ。再生されるもの…「再生」か「再/生」か、言葉であえて区別するならば、ここにはれっきとした差異が存在する。決められたことを守り、それをそのまま現出することを僕は「再生」であると考える。それは、変更、逸脱、消去、偶然…その他諸々の、諸要素を排し、完成されたものと完全に同様のものを現出すること、それが「再生」である。では、「再/生」とは何か。それは、「再生」とは反対に、「再生」の排する諸要素を、受動的に受け入れる態度、そして、その態度をもとに、一度完成されたものを、もう一度、はじめて出逢うもののように現出する、その一回性への飽くなき探求であると僕は考える。このように言うと、そこにれっきとした差異などあるのか、という疑問がわくかもしれない。しかし、それはれっきとした差異である。それは、現出されるものと出会うときに、確かに感じられる、差異である。音楽の、ライブに関して言えば、僕は確実に「再/生」を愛する。そこには退屈の余地はない。今、まさに目の前で誕生せんとする音の生命の躍動に、心が震わせられる。

「再/生」こそが、音楽の原初性である。なぜならば、完全なる「再生」の歴史など、たかだか100年余りの歴史しか持たないものだからだ。音楽は、何度も、生まれ直す。初めてのように。そこにこそ、音と出逢う悦びがあるのだと僕は強く感ずる。「再生」ではなく「再/生」へ。その道をひた走りたいと思う。

2014年2月21日金曜日

遠い旅路の目的地

ミヒャエル•エンデの短編小説集『自由の牢獄』の第一話として掲載されている『遠い旅路の目的地』という物語を読んだ。

話のあらすじはざっくりまとめるとこんな感じ。

物語の主人公は、シリル•アバーコムビィという男。

彼は、ビクトリア女王陛下に仕える外交官である、バジル•アバーコムビィ卿の息子である。要するに、お金持ちのお坊ちゃんで、広い世界の事を知らず、何かに特別興味を示す事がまるでなく、感情の高ぶりというものを知らない男だ。高慢で冷淡、冷静沈着で、命令を遂行する、そんな男だ。

彼は1人の少女に出会う。彼女はシリルに、故郷の話をする。たわいもない話。しかし、少女が、自分の故郷についての無数のたわいもない話を語るにつれ、彼女の目は輝きを増していく。

シリルには、理解ができなかった。

シリルには、少女の奇妙な状態、「郷愁」とよぶものが何なのか、皆目見当がつかなかった。彼はここで初めて、彼が、「家というものをまるで知らない」ことに気づく。

「あこがれたり、恋いこがれたりるものをシリルはまったく知らなかった。自分には何かが欠けているのだ。それは明らかだった。ただそれが利なのか害なのかはわからない。追求することにシリルは決めた。」(『自由の牢獄』第10項より)

その後、シリルは、見知らぬ他人たちに話しかけ、彼らが自分の故郷について話すように促した。

その後の記述はとても重要だと感じたので、長くはなるが以下に引用する。

「話し相手は子供でも老婦人や老紳士でも、いやメイドでも召使でもホテルの支配人でも、誰でもよかった。1人の例外もなく、だれもが喜んで話すようだとわかったからだ。微笑みが話す者の顔を明るく輝かせるのもまれではなかった。なかには目をうるませ、饒舌になる者もいた。また別の者はメランコリックになった。しかし、それはだれにとっても大きな意味があるようだった。細かなところではみんなそれぞれ異なるのだが、同時にどの話もあるひとつの点ではよく似ている。そのような感情の浪費を正当化する、とびきり素晴らしいことや特別のことがどこにも見つけられないのだ。そして、シリルが気づいたことがもう一つある。この故郷というのは、生まれた場所でなくともまるでかまわないということだ。同時に、それは現住所と同じである必要もない。それでは、何がそれを決めるのだろう?そしてだれが決めるのか?各自自分で考え、決めるのだろうか?それならシリルにはどうしてそのようなものがないのか?明らかにシリル以外はみんな、聖なる場所を、ある宝物を持っているのだ。その値打ちは具体的にどの把握できず、手のひらにのせて人に見せられるものでもないが、それにもかかわらず、それは現実に存在する。よりによって自分がそのような所有から疎外されていることが、シリルにはまったく耐えられなかった。なんとしてもそれを手に入れる決心をした。この世界のどこかには、シリルにもそのようなものがあるはずだ。」(同上 11項)

こうして、シリルは自分の故郷を探す旅に出ることになった。

当然の話だが、何年もの年月を費やし、世界中どこを探しても、シリルは自分にとっての故郷というものを見つけることができなかった。しかしそれでも、シリルは探し続けた。

話を要約するが、
このあと、シリルは一枚の絵に出会う。
高価な美術品に慣れ親しんだシリルにとって、その絵の金銭的、美術的な価値というものはさほどのものではなかったにも関わらず、彼はその絵を食い入るように見つめた。

そして、涙を流していた。

その絵には、ひとつの城が描かれていた。
シリルは、その絵を眺め続けるに従い、その城の内部の構造のすべてが詳細に見えてきた。シリルはこの城の事を知らない。彼はこの城をその目で見たことがないはずである。にも関わらず、彼はこの城を本当は「知っている」。

彼は様々な手を尽くしてこの絵を手に入れ、すべての財産を投げ売り、この絵とともに新たな旅へ出かける。

最後のシーンでは、シリルがその城を見つけた、ような記述がある。
正確に、シリルがその城を見つけたとは書かれていない。山の中で、道に迷った人がその城を見つけ、その城の中に、1人の人影らしきものを見た、という記述をもとに物語は終わる。

故郷。郷愁。

普段何気無く使うこの言葉の意味を改めて考えてみると、
なんとも言えない曖昧さに飲み込まれ、不安な気持ちになる。

故郷とは、なんだろう。
郷愁とは、なんだろう。

そんな問いに、正確に答えることはできないと思う。

それは、引用した文中でも述べられている通り、現在住んでいる場所でもなく、生まれた場所でもない。具体的な場所でありながら、それを定義する理由のない場所。故郷。

僕にとっての故郷は何処だろう。
近頃、よく考える。けれど、よくわからない。

僕の生まれは東京都小平市にある小さな町だ。
一橋大学のキャンパスがあったちいさな駅の隣駅が僕が初めて住んでいた家の最寄り駅だ。あそこが僕の故郷だろうか。なんとなく、しっくり来ない。

あの場所で過ごした幼少期の思い出は、いまだにたくさん覚えてる。

五階建てのマンションの四階の二号室。
ピンクと肌色の混ざったごつごつとした壁面のマンションと、小さな駐車場。夏には、五階から、後楽園の花火大会が見える絶景ポイント。楽しかった思い出はいまも色あせない。

けれど、僕にとってのあの場所は故郷ではない気がする。
気がするから、たぶん故郷ではないのだろう。

なんで、故郷じゃないのか。
よくわからない。

その後の人生で、岐阜県恵那市、神奈川県藤沢市、そして現在の東京都三鷹市に住んでいる僕にとり、何処が故郷だと言えるだろう。

正直、
何処も故郷であるような、何処も故郷ではないような、そんな感じがする。

「あなた、どこ出身?」と聞かれると、僕は毎度、返答に窮することになる。最近は、実家のある場所をさして、「岐阜県です。」と答える事にしているが、どうもこの回答も腑に落ちない。出身ならば、東京なのかもしれないけれど、どうも、東京だと答えたくないと思わせるものが、喉元に引っかかり、僕の回答は一時停止する。

この違和感はなんだろう。
故郷という言葉、それについて考えることによって感じる、この不確かさは一体なんだろう。僕はこの『遠い旅路の目的地』を読んで以来、ますますその不確かさを感じるようになった。


ある場所にやってくる。
すると、そこで、思いもかけなかったような感覚に陥る事がしばしばある。

例えば、
近頃僕は、電車に乗ると、とても不愉快な気持ちになる。
電車の中に漂う、澱んだ空間の気配が僕をとても不愉快な気持ちにさせる。
座る人、立つ人、しゃべる人、…様々な人が電車には乗り合わせるが、僕はその1人1人が身に纏う、気の間合いのようなものを感じるようになってしまった。

気分が悪い日なんかは、具体的に、人の周りを覆う半透明の球体のようなものが見えてくることもある。

電車は狭い。その個々人の球体が重なりあう。電車の中は球体の重なり合いで窮屈で窮屈で堪らない。僕はそれゆえ、近頃電車に乗るのがとても嫌いだ。
あの球体がなんなのか、僕にはよくわからんが、あの球体が重なりあうほど、見知らぬ人間同士が接近すべきではないことだけは確信している。東京の街も、電車も、道路も、すべてあまりにも窮屈すぎると思う。人間的でないよ。

今、僕は岐阜の実家にいる。

実家の二階でこのブログを書いている。
気分は悪くない。むしろ、近頃の自分にしてはかなり上機嫌で、体調も上々と言える。実家に帰ってきてからというもの、東京にいるときのように、意識が半分濁っているような不快感は感じない。それ濁りの感覚はおそらく精神医学用語では「離人症」と呼ばれる精神疾患のひとつなんだと思うが、これがすっかり消え、意識と身体がピタッと一致している感覚がある。これもまた不思議な感覚だ。

山に入る。
川の側を歩く。
林の中に分け入る。

そんなとき、僕は「帰ってきた」という言葉でしかいい表せない感覚を感じる。
あの感覚はなんだろう。

普段、僕は四六時中イヤホンを耳に差し込み、音楽を聴いている。
けれど、岐阜の山道を歩く時、僕は音楽を聴かない。
自然と、聴きたくならない。
むしろ、音楽が邪魔だとさえ思う。

この感覚も不思議だ。

故郷とは、帰る場所である。

僕は昔から、なんとなくそう思ってきた。

けれど、そこで言うところの、「帰る」って、一体どういうことだろう。

家に帰ってきたとき、とても居心地が悪く、どこかへ飛び出したくなるときがある。
その時、物理的な僕の家は、帰る場所とはなり得ない。
僕は、家以外のどこかへ、帰りたいと思う。

それは一体、どこに帰るというんだろう。

シリルは、一枚の絵に描かれた城を自分の故郷であると確信した。
彼は自分の故郷を見つけたからこそ、その絵に涙した。

僕にも、そういう経験がある。

とある音楽。
とある絵。
とある物語。

形は違えども、
ある作品に出会い、
そこから動けなくなる。

それを深く見つめ、
奥の奥まで覗き込み、
辺りの風景まで忘れ、
潜り込む。

次第に、身体の自由を失い、
作品自体の発する、
具体的、物理的な引力に身体を引き寄せられ、

しばらくの間、
そのどことも言えない場所の中に、浸る。

そういうものに出会えたとき、
僕は「帰ってきた」と思う。

なぜ帰ってきたと思うのかは、
よくわからん。

理由はつけられるけれども、それは後付けに過ぎない。

ただ、ひとつ思うのは、
ある種の感動的な体験と、自然の中で感ずる感覚は、
繋がっているという事だ。

僕はこの考えに、身体的な確信を持っている。

藝術と自然は、同じような機能を有するもので、
それは、同じ場所からやってくる。

あるものに感動すること。
あるものを、良いと感ずること。

それは、記憶に根ざしたものだと思う。

本当は、全部知っているんしわゃないのかな。
この身体と心は。

自分にとっての本当のこと。
自分の帰るべき場所。
故郷。

それを探すために僕らがいまこの身体を借りて、
仮の名前を頂いて、生きているならば、

そんな妄想をしている。



2014年2月17日月曜日

素直な黒い水晶玉

いつからだったか、もう覚えていないんだけど、
僕は子どもと接するのが怖くなっていた。

昨日のBlogにも書いたんだけど、
大学時代、僕が最も真摯に取り組んだ事は、アーティスト•イン•児童館という活動だった。この活動は、こどもたちにとってのサードプレイス(家、学校以外の場所)である児童館という公共施設に、アーティストを招聘し、児童館という子どもの遊びの現場の中に、アーティストと子どもの共同制作の場をつくるというものだった。(当時と今では、少し向いている方向性や重点を置くところが変わってきたのだけど)

この活動は、「子どもとアート」というものを真ん中に据えているので、もちろん、子どもに接することになる。それも、すごく、近しい間柄になる事が必要で、先生でもなんでもない僕らスタッフは、児童館に遊びにくるごく普通の地域の子どもたちと、まるごと人間同士の付き合いをしていたと思う。少なくとも、そうしようと素直に思っていたし、そこにいる子どもたちの事を、「子どもたち」として見て、扱ってしまう事だけは絶対にしちゃいけない事だなと思ってた。

さっき、近所のハンバーグ屋さんで、いつも決まって注文する「キノコのデミグラスハンバーグ」がテーブルに並ぶのを待ちながら、あの時の事を、ふと思い出していた。

あの時の僕は、子どもと接するのが怖いだなんて、ほとんど思っていなかったなぁ、と思う。ほとんど、ってのは、人間同士で接するからこそ、色んな子どもたちがいる中でもちろん性格の合わない子もいたり、何言ってんのかわかんない子もいたり、暴力的な子もいたり、言葉の暴力を投げつけてくる子もいたり(おじさん!とか笑)で、とにかく、当たり前なんだけど色んな子が児童館にはやってくるから、その子らとうまく関係しなきゃ!っていうちょっとした力みが、たぶんあったんだと思う。

そういう、歳の差を越えなきゃ!みたいな力みと、
このところ僕が感じていた「子どもが怖い」っていう感覚は、
なんだか全然別のものだなぁ、ってさっき思った。

僕はどうやら、怯えていたらしい。

街中を歩けば、同じ街に住むこどもたちが、楽しそうに雪遊びをしてる。
雪合戦をしたり、かまくらや雪だるまをつくったり。

みんな、飛び回るように遊ぶ。
ビュンビュン!
ぐるんぐるん!
ドテッ
あはははははは!

走り回る。
ダダダダダ!

顔は、楽しさではち切れんばかりに笑ってる。
目は、水晶玉みたいにツルツルしていて、
まん丸な黒目には綺麗な光が差し込んで、びっくりするほど光ってる。

その目が、
その顔が、
その身体丸ごとから感じられる、
生々しく、どこまでも素直に生きている、
その丸ごとの生命に怯えてるんだな、と、思った。

自分が素直じゃなくなると子どもが怖くなる、ってのは、なんとなく昔から知っていたような気がする。自分で自分に嘘をついたり、本当の気持ちを隠して過ごしていたり、何かに迷っていたりするとき、心が淀んでいるとき、少し、子どもが怖いなと感じて生きてきたからだと思う。身体って、心って、そういう意味ではとても正直だ。

正直と素直って違うんだよな。

どう違うのか、うまく説明するのは難しいんだけど、
正直であっても実は嘘をついていて素直じゃない、って事があると思うんだ。

嘘、というか、本当じゃない、本当はこうしたいんだけど、
正直にそう思うんだけど、素直にそう思えない、できない。

大人になるにつれて、そういう事が増えてきたなぁと思う。

働き始めてからというもの、少なくとも僕はそんな事ばかり感じていた。
これはおかしいだろ。
これは嫌だなぁ。
これはつまらない。

でも、
これはやらなきゃいけない。
これは仕事だ。
これは常識だ。
これは義務だ。

大人の社会は、決まりごとでいっぱいだ。
みんな、誰がどんな意味をもって決めたのかさえもはやよくわからなくなっている決まりごとの網の中に絡まって、息苦しくなる。

見えない蜘蛛の巣が、この社会には張り巡らされているんだと思う。
もがけばもがくほど、ネバネバとした糸が身体に巻きついて、自分の心を縛り上げていく。蜘蛛は誰だろう。蜘蛛はいるのかしら。それすらよくわからなくなる。

最近僕は、時間だけはたっぷりあるので、色んな展示を見に行ったり、ライブを見に行ったり、映画を見たり、本を読んだりしている。

でも、なぜだか窮屈な感じもする。

響くものと響かないものの区別を、何故だかものすごく必死にやっている。
自分はこれが好き!
これはダメ、嫌い!
この線引きが、以前の自分よりも遥かに強くなってきた。
なってきた、というより、そうしてる気もする。

素直さ。

僕は、働き始めてから、全く素直でいられなかった。
素直でいたら、耐えられなかった。
素直でいようとすると、色んなものが僕を傷つけにやってくるからだ。
僕は身を守ろうとした。耐えようとした。
身体と心をガチガチに固め、腕でガードを固め(実際には、腕組みをして)、へらへらと笑いたくもないのに愛想笑いをしすぎて顎を痛め、笑、お腹が痛くなる度にトイレに行き、気分を変えようと必死に可愛い女の子の画像や果てはエロ動画を探したり(会社のトイレでそんなはしたない事をしていた!)、そんな風にして、自分をどんどん捻じ曲げてしまっていた。

そりゃ、おかしくもなりますわ。

僕はどうやら、
素直さという、人の一番(かはわからんけど)大事なもんを、自分で埋めちまったらしい。懸命に働くこと、それが、間違ったやり方だったことにどこかで気づきながらもそれに固執して、やわらかくてあたたかい心の素直さに、懸命に泥をかけていたんだな、と今になると思う。

泥に埋められた素直さは、
どんどん冷えて硬くなり、
茶色く黄ばんで、
土の色と見分けがつかなくなってしまった。

僕は、いま、それを掘りだしてあげることが必要なんだろうなと思ってる。
無理やり埋めてごめん。
痛かったよな。
スコップささらへんかった?
「生き埋めにされて、ここは中世の西洋かいな!おいら、ゾンビになるでおま!」と、掘り出したそいつにど突かれるかもしれないな。

まだ間に合うかな。
たぶん大丈夫。

そのために、いま時間があるんだもの。

生き埋めの心、発掘隊隊長 百瀬雄太。
隊員はひとり。
でも、色んな友達が、スコップ片手に助けに来てくれる。

まだうまく掘り出せてないけど、
掘り出してあげればいいんだなと気づいたこと、
そこに導いてくれたもの、こと、
そんなすべてに、有難う。

心からそう思うんだ。

子どもに怯えた日。

素直さをなくした日。

もう一度、同じ輝きのある、
まん丸、真っ黒、ツルツル、水晶な目で、
街の子どもらと、遊ぶのだ。俺。

2014年2月16日日曜日

整理整頓

気づけば、2014年も始まって早1ヶ月半も経った。体調が優れないこともあり、家で寝込んでいることもしばしばな毎日だけど、なんやかんや色々な事が起こり、色々な人と出会ったり話したりする中で、いま、素直に思う事を一旦整理整頓したくなり、いまこの文章を書いてる。

昨年10月まで、僕はとあるシステム•インテグレータ企業で医療関係のシステム•エンジニアとして身銭を稼ぎながら、好きな音楽を聴いたり、自由に歌を作って歌ったりする事を楽しみにして暮らしていた。

10月の勤務は、本当に多忙で、あまり記憶に残っていないんだけど、数字的には160時間近い残業で毎日睡眠2、3時間、朝7時から深夜3時くらいまでひたすらプログラムのバグを潰すような作業に追われながら、病院内の担当診療科の先生に毎日頭を下げていた、という事はなんとなく覚えてる。ほんまに、辛すぎて吐きそうやった気がする。たぶん。ほぼゾンビやった。笑

元々、僕はパソコンがすごく嫌い、メカが嫌い、プログラミングなんて超嫌い。好きなものと言えば、アナログレコード、古着、畳、コーヒーとタバコ、アコースティックギター、古道具、とりあえずなんか古臭いもの、匂いのするもの、…という、よくわからんが、とりあえず根っからのアナログな人間であり、お金を稼いだりとか、いい服を着て着飾ったりとか、オシャレなレストランで高級ディナーを嗜み、レインボーブリッジでラブリーなマイハニーと素敵な夜を☆(シチュエーションが古臭いあたりもなんかももせだ)みたいな、スタイリッシュなライフとは全く縁のない、四畳半一間と囲炉裏が似合う埃くさい男である。これは、たぶん僕のことを知っているひとのほぼ100%が首を縦に振る紛れもない事実なのだ。うん。

で、
そんな僕がですよ、
どうしてわざわざ大都会東京の、しかも中野坂上という都心も都心にそびえ立つビルの18階で、大嫌いなスーツと大嫌いなパソコンを携え、一日中C言語とかいうわけのわからん記号たちに脳みそを犯されながらもなんとか1年半働いていたのかと。いまだに疑問ではありますが、それもそれで僕にとってはとても意味のある日々だったなといまになれば思うわけで、人間てのは結構テキトーに過去をよい方向に理解し、未来へ繋げるよくわからん力を持っておるわ、と、おかしくもなります。

やっぱり、意地だったんですよね。あの会社に居続けようと歯を食いしばり、大嫌いな仕事と大嫌いな上司にぺこぺこ頭を下げながらも必死こいて半べそかきながらも毎日くそがんばって働いてた根本のところは。

何かを始めてみると、頭で考えていただけじゃ決してわからなかったような未来が必ずやってくる、ってのは、当然なんだけど、僕はバカなのでいまだにびっくりします。

大学一年のときには、弁護士になると言って、1人で司法試験の勉強に明け暮れ、
「法じゃ人は救えん!」と確信し、犯罪心理学の勉強に明け暮れ、「どうして人が人を殺さにゃならんのだ!どうして人が自分を殺さにゃならんのだ!そんな哀しいことがあってなるものか!」と泣き、「人が他人や自分を殺すのは、どうしようもない孤独と、居場所のなさによるのだ!」となぜだか内臓で確信し、まちづくりのゼミへ。

そのときに出会ったのが、いま、NPO法人アーティスト•イン•児童館の代表を務めている、臼井隆志という男だった。僕は非力ながらも、彼と一緒に活動し、いまNPOという形で社会に参加し、現代日本のこどもたちの居場所づくりや、遊び、創造、様々な領域を横断しながら活動するこのプロジェクトに関われたことをいまもなお、誇りに思っている。

この活動を通して、また、臼井とともに動いてゆく中で、いまの僕にとってかけがえのない本当に大切な事をいくつも学ぶことができた。

何かを創り上げていくことの意味、価値を常に考え続けること。
考えをもとに、試行錯誤しながら、具体的なアクションを起こし、それをよりよいものにしていくこと。
「アート」というものの持つ、独善性と悪の部分に常に目を光らせること。
活動に限らず、なんらかの創作、創造を行うことは、
その行為者が、いまある世界を「どのように視る」のか、そして、その視線をもとに、何を表出させ、その表現物をもとに、世界の「何を」「どのようにみせる」のか、を根元に据えるべきだということ。

まだまだたくさんあるけれど、
自分の心の中心にあるもの、それは世界と自分との関わり方だったり、言葉にできないものだったりするんだけど、その「心のまんなか」を機動力として、時代の様々な縦軸と横軸を学び、頭で考え、その現在性をもとに、いまなにをすべきか、そしてそれをどのような技術と方法をもとに、創り出すのか。という、創ることの根元を自分なりに身を持って学び、血肉とする事ができたと思う。

20、21歳。僕にとっての初の激動の変化と基盤生成の時代。
うまくはできなかったけれど、あの、大きな渦の中にいられた事は、僕のこれからの人生を含めても、たぶんベスト3に入るくらいの大きな意味を持つだろうな、と朧げながら思っている。

いま僕は、例のシステム•インテグレータ企業を休職中で、わかりやすく端的に言うならば、ほぼニート笑 な生活を送っております。

というのも、僕の忍耐力のなさと、あまりにも頑固な自我笑 と社会とのすり合わせがうまくできず、自分が拵えた「正しい大人の生き方」のような、根拠のないバイブルにしがみつき、ろくでもない意地と根性で心身をすり減らしすぎたため、世に言うところの鬱病という病にかかってしまったからなのですが。

鬱病てなあ、不思議な病だなぁ、と最近常々思うんです。
健康なときには気づくことすらなかった、自分の身体の節々とか、関節の駆動とか、そういう些細な動きに違和感が生じ、神経が痛みを発することが具体的に知覚できるのです。
また、狭心症的な胸部の圧迫感と呼吸の乱れ、めまい、吐き気、頭痛、身体の強張りが一日中自分の身体を侵し続け、ときには幻視や幻聴までやってきて、見たこともない風景や音を認識してしまう、それもすべて意思とは全く関係なく…本当に不思議だ。人間の身体と心ってやつぁ、全くコントロールできるもんじゃないし、ここまで意思に反してくると、もはや自分ってなんだ?という、無駄な哲学的な思考に陥ったりもします。笑

僕は別に、鬱病どうこうが恥ずかしいだの、悪いことだの思ってないので、別に普通にみんなにカミングアウトして、なんならネタにして遊んでいるくらいのズボラなのですが、笑、なってみて思うのは、「こりゃ、紛れもねえ具体的な孤独だ」っつーことです。

なんだろう。
普通に、何気なく暮らしていると、
あんまり「わかりあえない」「わかちあえない」ことの、苦しみや悩みをまざまざと感じる機会ってないと思うんですよ。僕なんかは。

確かに、人それぞれ好みもあるし、考えも違うから、共感はできないことはありますけど、どんな風に話しても、他者では決して理解できないこと、理解され得ないこと、そのリアリティを初めて身を持って知ったな、と思うんです。

これって、あれだ。
自分が19のときに内臓で確信したことに通じる。
「なんで人が他者を、自分を殺すのか。それは、孤独と居場所のなさゆえである。」という僕の確信。それを、身を持って経験しているな、と思うのです。

言っておきますが、別に僕は人を殺したいだの自殺したいだのとかは一切考えておりません。笑

けども、そう思う人の心の居場所に、いま少しだけ近づくことができたな、という実感は、実は少し嬉しくもあります。

僕にとって、
何かを創ることの根本は、自分の孤独の海に潜ることで、
その、潜った海のなかで、自分にとっての本当のことを探し出すこと、
その答えを形にして、自分が自分を知ること。
その答えと出会うことで、自分が新しく変わること。
そうした事が、一番、本当に真ん中にあるんだという確信は、11歳のときから変わらずあります。

最近は、そこに、もうひとつ大事なことを見つけて付け加えました。

それは、
創ることで自分を知ること、
というのは、
自分が、なにからつくられているのかを知ること、
であり、
それはつまり、
いま、ここに在る、「自分」らしきものをつくりあげてくださった、
名付けることもできない、大きなものたちに対する、
いまの僕の「手紙をかく」こと、なのかな、ということです。

これまで、僕は、自分の内部に潜ることがすべてだと思っていました。
おそらく、20代前半まで。
だから、自分の内部にはない物事には、コミットはすることができても、違和感を感じて、そこから離れていくという事を繰り返してきたように思います。

でも、
詩人のまどみちおさんや、岡倉天心の思想など、様々なものやつくる人間の考えに触れて行く中で、「自分を自分として創り上げてくださっている、大いなるものへの感謝と返礼」という事が、僕にとって、五臓六腑に染み渡る、確かな先人の知恵でした。

そういう視点に立ったとき、
いままで頑なに閉ざしてきた「自分」、そして「自分の内部世界の表出」という束縛から、少しだけ自由になれたと感じています。

僕はどうも「アーティスト」という言葉が嫌いです。
それは、たぶん、「俺がすごくて、俺が作ったんだ。」という傲慢さや、「俺の作ったもんの価値がわからんのか!」という価値の絶対化がそこに孕まれているように感じるからです。

すべてのひとが、そうであるわけではもちろんありません。
それが悪いわけでもありません。

ただ、僕にとっては馴染まない、ということが腑に落ちたに過ぎないんだと思います。

表現を生業とすること。
これは、様々な悩みを抱える生き方だなとしばしば思います。

いろんなひとが、いろんな考え方で、
どうにかこうにか、悩みながら生きている。

そりゃ別に、表現に限らん、というか、
別にアートだけが表現なわけじゃないからみんな抱える悩みなんだけど。

でも、近頃思うのは、
別に自分は、
自分にとっての本当のこと、を、
様々な形で分散させながら表現して生きてゆけたらなと思うのです。

何も別に、「アーティスト」にならずとも、「デザイナー」にならずとも、表現はできます。でも、スノッブに、金にするなんて汚らわしいとも思いません。

自分の表現の在り方を、
一つに絞る必要なんてどこにもありゃしないな、と思ったのです。

僕はいま、音楽まわりでうろちょろと色々やり始めてます。

たぶん、というか、絶対笑 僕は、
「音楽を作って、表現して、それを生業にするミュージシャン」
には、絶対なれません。
なりたくないな、と気づきました。
そこまでして、作りたい音楽もないし、訴えかけたい音楽的使命もないし、
第一、さっき僕が言ったような、頭と身体と心のある表現としての音楽なんて僕は知らないし、音楽って、よくも悪くも娯楽だなって思うんです。

娯楽だから楽しいんだけど、
僕は娯楽としての音楽活動に生命をかける気はないなと思うし、
それで創ることに追われて大好きな音楽との本当に生々しい向き合い方を失ってしまうくらいなら、僕は、趣味と言われようが、自分にとって本当にシンプルな形で音楽と向き合い、曲を書いたり、歌ったりできればいいな、と思う。

気が向いたら、そのうち音源も作るかも。
それは、まあ、なんか売れたら売れたで嬉しいだろうし、さあ今夜はこの金でうまい寿司でも食いますか!みたいなことだろうとおもう。笑

いわゆる音楽活動を真剣にやってるバンドマンとかからみたら、
なんだその生ぬるい考えは!と怒られるかけなされるかもだけど、笑
一番、この世のなによりも好きな音楽と本当に真摯に、一生向かい合って、肩を寄せ合って生きていくためには、僕にとってはそれが一番自然だな、といまは思う。

で、
じゃあお仕事どーしましょって事なんだけど、
まあこれはまだよくわかってないんだけど笑

僕は、端的に言うと、
「音楽のために、音楽にお礼ができる仕事」を作ろうと思っています。
なんだそれは、笑 というかんじでしょう。

そうなんです。
わかりやすく、そんな仕事はないのです。笑

だからとりあえず、
いま一冊本を作っています。

僕の大好きな、町のレコード屋さんや、カフェなどについての本。
いまの音楽業界の中で、喪われていく大切なものがある。
それは時代とともに喪われていくものだから、仕方ないのかもしれないけど、
ちょっと待った!本当にそうかい?
と、問いを投げかける本。

僕には見えている、
いま喪われていく、音楽と場の意味、価値。

それを掘り起こすこと。
そして、それを本にすること。

これは、ライターという職業かもしれないし、
インタビュアーという職業かもしれないけど、
とりあえず、名前はなんでもいいや、と。

本を作って、本を売ってみる。
このシンプルなことからはじめよう、と。

その本には、僕の視線と、
僕の愛するもの、僕の愛する人々、場所、
そして、まだこの世には見えていない、僕と彼らが紡ぐ、
かけがえのない物語がある。

それをいま僕は、
表現したいなと思ってる。

そして、
そういうことをしながら、
お金を稼いだりとか、少しでもできないのかな、と
静かに、ちまちま実験しようと思う。

僕は、どうしようもなく、不器用なのだ。

うまくできんのだが、
どうしようもなく、頑固なのだ。

もうそれは仕方ない。
スマートに生き抜くのは、無理。

失敗しながら、
でも、手を抜かず、
丁寧にひとつずつ形にしていこうと思う。

曲を作るのも同んなじだ。
こっちはいまのところ別に売る気もあんまないけど、
それとこれとは別の話。

金にすることも、
金にならないことも、
自分のまんなかに根付いたことからはじめていけたら、
それほど素敵なことはないな、と思うのよ。

まだ超駆け出し。
ド素人。
アホ丸出しのどうしようもないやつ、ももせ。

だがまあ、
25にもなっても、相変わらず、
なんも変わらずバカできて、
大人なみんなのアドバイスを聞いて、
どうにかこうにか生きてるし、

とりあえず、良いだろう。

好きにやろうや。
と、すごくてきとーな締めになった。

そんなももせ、もうすぐ26歳。
26歳の俺、よろしく。

2014年2月2日日曜日

ちいさなこえ きこえるうた

『ちいさなこえ きこえるうた』

ひとりでいると
誰かといると聴こえない
こえが きこえる

おとは 静まって
こどもは ねむる
うたが きこえる
ことばにならない ちいさなうた

ちいさな ちいさな こえ
消えてしまいそうな こえ
それでも たしかに きこえる

いま どこかで
うまれる こえ

いま どこかで
うまれる こえ

かなしみの海に
一滴のよろこびを

ちいさな だれかに
そっと やさしく
届くと いいな



確か、こんな詩を書いた。
20歳のときだったと思う。
お気に入りの鉛筆を手に取り、白いノートの切れ端に走り書きした、ちいさな詩。
忘れていた詩を、思い出した。
顔も知らない、女の子の「こえ」をきいたからかな。

僕たちは、ともすればすぐに忘れてしまう。
自分の目の前にある世界だけが、当たり前のこととして、それ以外の世界のことなど遠い世界のおとぎ話みたいに思ってしまえる、とても鈍感な生き物だ。

世間では、東京都知事選の真っ只中です。
候補者のおじさま方は、声を大にして、自らの政策を町中に轟かせます。

「脱原発!原発反対!!」

叫ぶ声は、どこか空っぽで、まるで公園に横たえられたトンネルみたいな空虚さを僕の鼓膜に届けます。いや、本気で言ってるのかもしれないから、そんな風に書いたら悪いね。ごめんなさい。

これまでの世界は、なんだか声の大きい人が大きなことを言い、その大きなことにみんなで寄り添って、不平不満を言い合いながら生きていくような場所だったような気がします。ジャイアンリサイタルみたいなかんじ?誰もジャイアンのうたは好きじゃないけど、ジャイアンには逆らえない、みたいな。

でも、どうやら、そんなジャイアン時代はもうそろそろ終わりを迎えたみたいです。

ジャイアンの叫びはいまも続いていますが、
ジャイアンのこえに隠れて聞こえなかった、ちいさなこえに耳をすます人々がたくさん出てくるようになりました。

ミヒャエル•エンデの『モモ』読んだことありますかね。
ちいさな女の子、モモと時間泥棒のお話。
僕、あの話、大好きなんですよね。
僕も昔から、モモ、とか、モモちゃん、とか呼ばれていたこともあって、勝手にモモに親近感を感じていたりしました。ちいさなころから、大好きなモモ。

モモはなんにもできない女の子。
でも、ひとのはなしを本当に聞くことができるんですよね。

これって、なかなかむずかしい。

でも、モモにはそれができる。
モモにはなしを聞いてもらうことで、みんな悩みが解決しちゃうんです。
これって、すごい力ですよね。

いま、僕らが生きている場所。
ほんとうに必要なのは、モモみたいに、耳をすまし、はなしをきいてあげること、なんじゃないかなあ、と僕はなんとなく思います。なんとなくでごめんなさい。でも、きっとそうなんだと思うんです。ももせの勘です。たまにはあたるんですよ。へへ。

耳をすます
誰かのこえがきこえる

それは街のなかかもしれない
インターネットの上かもしれない
仲のいい友達でもいいね
自分のこえでもいいよ

世界には ほんとうにたくさんのこえがあふれている
その ちいさなこえに 耳をすませたい

どんなこえがきこえるかな

こえ それは うたにもなる
ちいさな ちいさな うた
みんな ほんとうは 自分の物語とうたを持っているんだよ
本当さ うそだと思ったら うたってごらん

考えなくていいんだよ
身体も言葉も手放して
好きなようにこえをだす
ほら メロディが生まれた
そうそう
あ ちいさな うたのこども
生まれたね うれしいね
僕にはきこえたよ
きみのとっておきの 素敵な うた
ことばにならなくても きこえてるよ
音にならなくても きこえてるよ

きみだけの とっておきの うた
僕のだいすきな ちいさな うた

うたってくれて ありがとう。

2014年1月25日土曜日

ブロック遊びと男の子

男の子はブロック遊びがとても好きだった。色とりどりのブロックたち。大きさの異なるブロックを一つ、また一つと重ね合わせていく。何を作るのかなんて事は少しも考えてはいなかった。ただ、ひたすらにブロックを組み合わせて行く。

次第に、ブロックが大きな物体となる。何かの形に見えてくる。ここまで来たらしめたものだ。男の子は、全身全霊、微笑みを浮かべ、まあるいをさらに大きくまあるく見開いて、形の完成を目指して行く。彼の視界には、いまやブロックの集合体が織りなすまだ見ぬ完成した形だけが映っている。どんなものも、彼の世界に入ることはできない。それは、男の子とブロックの間だけに存在する、違う世界であるから。

瞬く間に男の子は、ブロックを積み上げ、ついにその色とりどりのブロックの集合体は男の子にとっての完全な完成をみた。男の子は歓喜し、その完成品をまじまじと、何度も何度も眺める。上からも、下からも。横からも、斜めからも。あらゆる角度から点検する。不備はないか。うん、大丈夫。問題は一つも見つからない。男の子は満足とともに安堵し、完成したその物体を床の上に置いた。世界に、新しい住人が加わった事を、男の子は誇りに思っていた。

そろそろ、晩御飯の時間だ。男の子の母親は、彼に片付けを指示する。床に散らかったままのオモチャたち。男の子は、母親の言葉に従い、片付けを始めた。

ブロックで作られた新たな住人を見つめる。彼も、片付けなくてね。男の子は、少しだけ躊躇いながら、住人に手を伸ばす。そして、もう一度彼をあらゆる角度から眺めて見た。

うん。君は、完璧だ。

もう、僕の手を離れても大丈夫。

君なら、大丈夫。

だって、こんなに立派じゃないか。

僕はね、片付けなくちゃいけないんだ。

お母さんに言われたからね。

じゃないと今夜の晩御飯のカレーライスが食べられないんだよ。

わかってくれるよね。

うん。大丈夫。

うん。それでいいよ。

怖くもないし、痛くもかゆくもない。

へっちゃらさ。

誰にも見えない僕のこと、作ってくれてありがとう。

どういたしまして。

それじゃあ僕は出て行くね。元気でね、ゆうた。

うん。ばいばい。



男の子は、ブロックを解体していく。一つ、また一つと、箱の中へしまってゆく。形は次第に消え失せ、元のブロックの塊と化していく。これでいいんだ。うん。いいんだ。

男の子は片付けを終えて食卓へと足を運ぶ。食卓には、大好きなカレーライスが湯気をたてて待っていた。スプーンに手を伸ばす。いただきます。召し上がれ。

カレーライスを一口ほおばって、男の子は泣き出した。
大粒の涙が、目から溢れ出して、ボタボタと机を叩く。

男の子は、走る。

ブロックの元へと駆け寄り、もう姿が見えなくなってしまった彼の事を想い、大声で、泣いた。

やっぱり、壊しちゃうんじゃなかった!

もう会えないんだもん

やっぱり、間違ってたのかな

でもね、でも、そうするしかなかったんだもん

片付けなくちゃ、ダメなんだもん

だから

でも



うん

もう会えないんだね

うん

さみしいよ

うん

さようなら

ばいばい

ばいばい

ばいばい。





2014年1月22日水曜日

断絶の微笑みに魅せられて

2014年1月22日。東京。

今日も断絶はやって来ない。

断絶は旅人だ。それは何も語らない。
断絶は身体を持たない。それは何処にでもいる。
断絶は物語らない。それはあくまで空間に浮遊する。

断絶は、時に男であり、時に女であり、不特定多数の存在と瞬間的であまりに官能的な性交を交わす。僕たちはそれを知っている。知らぬまま、知っている。

街を緩やかに取り込む夕闇。
太陽は何処に消えてゆく。

僕は断絶を愛している。
断絶はどうだろう。
彼(彼女)はワイングラスを片手にこう言うかもしれない。

「私は、誰の事も愛しはしない。私は、愛そのものの裏側にいるのだから。愛と私は陰陽のように絡み合い、雪の結晶のように綺麗に、時にあたたかく、時につめたく、あなたのそばへやってくる。私は、いる、のではなく、ある、ものなの。遠い過去の記憶と遠い未来の憧憬がとてもよく似た双子の兄弟であるように、私は何処にでも、ある。あなたが、私を求めさえすれば。」

間接照明に照らし出された断絶の身体。
床に彼(彼女)の影は映らない。

彼(彼女)は、闇そのものだから。
官能という言葉を一口頬張る断絶は、赤いシルクに身を包み、バーカウンターの一枚板にリズムを刻む。

孤高のマイルス•デイヴィスよ。
あなたの叫びを聴かせておくれ。
妖艶な女の裸の吐息と、錯乱するヒステリックな女の叫び。
マイルス。あなたはいま何処でなにをしている。

怪しげな紫色のライトに照らされた、芳醇な赤。
ワイングラスは語る。

「血で描くのさ。抑圧された身体を破壊しながら。」

ああ、まるで夢のような世界。

ああ、生まれてきた世界をこんなにも不確かに感じる。

ああ。ああ。ああ。

今宵も、断絶は、静かに微笑む。

「あなたがあなたである限り、私はあなたの側にある。あなたがあなたをやめるとき、私はあなたを抱きしめる。強く。息の止まりそうなほど強く。そう。それは、何よりも官能的で、何よりもロマンティックで、そして、なによりもエロティックな、永遠の瞬間をあなたが手に入れるということ。私は、ある。其処に。此処に。」


2014年1月21日火曜日

喪われゆく、物と場所のロマンティシズム

2014年1月21日、早朝。僕は目を覚まし、いつものように珈琲を淹れる。丁寧に、鮮やかに。真っ黒な液体を口に運ぶ。窓の外にはまだ漆黒の空。朝はまだ遠い地平に眠っているらしい。

BGMはMuztafa Ozkent。所謂、辺境ファンクと呼ばれるジャンルに属する音楽を彼らは奏でている。ファンクという音楽は特定の形式性を持ちながら、世界各地に存在する汎用的なフォーマットを有する数少ない音楽の一つだ。日本ではあまり周知されてはいないようだが、ファンクはイランなど中東地域にも見られる音楽形態であり、その歴史はロックより古い。イランの戦前ファンクを集めたコンピレーションアルバムは僕の最近のフェイバリットの一つだが、そのクオリティは度肝を抜かれるほど高い。中東の伝統的歌謡、音階を配しながら、タイトに刻まれるビートとグルーヴィーなベースラインの反復構造。リズム隊が反復構造を有するのは、プリミティブなダンス•ミュージックの構造と近似するものだが、それはつまるところ、人間は反復構造のなかに自己の身体を組み込むことでリズムに身体をシステマティックに統合していく身体の構造を力学的に内包しているのかもしれない。

ダンス。それは人間の根源的な欲動の一つの表出であるように思える。我々は、踊り続けてきた動物である。原始より、人間は祭祀などの際に火を囲みうたを唄い、踊った。豊作を祝うため。神に祈りを捧げるため。様々な理由はあるにせよ、そこには踊りがあった。

昨今の日本を取り巻く様々な「管理」の現出。記憶に新しいのは、「風営法」とダンスに纏わるあの事件であろう。大阪の老舗クラブ「Noon」の摘発。理由は「許可なく客にダンスを踊らせた」ことだという。馬鹿げた話だ。もちろんミュージシャンたちは黙っていない。「Save the Club Noon」というドキュメンタリー映画が映し出した様々なミュージシャンたちの語ることば。踊る権利の主張。彼らは抗議する。彼らの一つの出発点となった、踊ること、踊る場所のために。

僕はこのドキュメンタリーを観て、ひとつの気づきを得た。それは、「音楽の原体験と場所の記憶」に関する、密接な関係性についてだ。僕はこのドキュメンタリー映画を観ながら、「風営法」の内包する形骸化した規制の法的根拠や概念の不明瞭さに憤りを感じつつも、その事に対してあまり深く怒りを感じることはなかった。また、「Noon」が摘発された事に関しても、些か理不尽さを感じることはあるにせよ、感情的な行動の欲望が喚起されることはなかった。なぜか。僕には、ドキュメンタリー映画に出演したミュージシャンたちのような、「Noon」という場所に根付いた「記憶」がない。「物語」がない。それが理由であろうと感じる。音楽と場所は切っても切り離せない関係にあると思う。それは、特定の場所である。それは個人的な場所である。僕らは音楽というものを場所とともに愛するのだ。音楽は場所から逃れられない。

情報のグローバリズム。世界は情報の海に浸され、我々の身体から生活空間におよぶあらゆる領域に様々な情報がバクテリアの如く蔓延っている。この時代において、あらゆるメディアに乗り、様々な芸術が情報化されている。音楽も例外ではない。音楽は、mp3などの目には見えないデータとなり、bit構造として、0か1かの世界の中でリアルの世界に届けられる。そこにあるのは、かつて、物質的な場所と切っても切り離せない関係にあった音楽の、場所からの浮遊の構造である。音楽は、場所から離れた。それはインターネットという広大な、しかし、具体的な場所を有さない無重力の空間である。音楽は、大地を失ったのだ。

それに伴い、街から音楽のための場所が消えてゆく。街に根付いた音楽ための場所。レコード屋、ジャズ喫茶が潰れて行く。僕はそれを心から哀しく思う。踊ることが場所の物語として紡がれるように、音楽と出会う場所にもそのリアルな物質的な場所で紡ぐことのできない代替不可能な物語がある。

懐かしい音に触れる。何かを思い出す。記憶。それは、場所と結びついている。情報化された音楽は、なんらかの物語を喚起するだろうか。誰かとともにいた記憶は、その人間の大切な居場所だ。情報化された音楽を、ひとりきりで聴く。その楽しみもある。だが、場所、街に結びついた音楽との関係性、そこに宿る物語。忘れられゆく物語に、耳をすましてみたい。そこには、僕らが忘れつつある音楽の場所があるかもしれない。僕らが知ることもなく忘れ去られた場所の物語もあるだろう。時代が変わることは、何かを必要としなくなることである。消えゆくものがあることを否定はしない。ただ、消えゆくものを愛する僕は、今一度、問い直したいのだ。それは消えゆく「べき」ものなのかどうかということを。

僕らの知らぬ街。僕らの知らぬ場所。僕らの知らぬ音楽。それらに纏わる物語を問い直すこと。そして、もう一度、音楽と出会うことと場所との関わりに丁寧にまなざしを向けること。そこから、新たな未来へ向けた、音楽と場所の関係性を再構築すること。僕はそんな想いを胸に、いま、一冊の本を編集する。喪われゆくものたちに向けた花束としてのロマンティシズム。

2014年1月20日月曜日

砂の身体 失われゆくものへのアンソロジーと身体とは異なる死への官能

ある種のポートフォリオは、時に人をなんらかの名前に限定する。ただ一瞬の中にはその人間の幾ばくかの真実と幾ばくかの虚構が織り込まれている。僕らはそれを眺める。ときに素早く。ときに這うように。

優れた才能を持った音楽家が近頃たくさん死んでゆく。それはいまに始まったことではなく、むしろ永遠に続く喜びと悲しみの螺旋。ときに人は失われゆくことの意味を問う。壊れて行くものの意味を問う。そうして、途方もなく広大な砂漠をただ1人歩いてゆく。

70年代日本。ロック•ミュージック。高度経済成長。バブル。日本は、獲得することを夢見る赤子であった。盲目のロマンティシズム。得ることは、豊かさと同義に語られた。みんな遠くを見ていた。未来をみていた。そう思っていた。誰もが。

時代は幸福とともに終わらない。それはおそらく、なんらかの失落と腐敗と喪失のなかに生まれるものであり、終焉とは取りも直さず僕たちを哀しみに浸す巨大な井戸である。井戸の中は酷く暗い。ぬめぬめと苔むした壁面。暗黒を思わせる水に足元を浸す。絶え間ない孤独と死の予感。救いは来ない。井戸は何処までも完全に井戸であり、僕たちはその、何処までも完全に井戸たるもののなかにいる。光は見えるか。目をこらせ。誰かが何処かで叫んでいる。気が、する。

22時52分。僕がこの時刻を記した時間だ。時計は残酷に冷徹に正確な時を刻む。カチコチカチコチ…。なぜこの文章を書き始めたのか、もはやわからなくなってきたのだが、それは特段必要のない問いであるとも思える。ただ、僕は、いまや廃盤となってしまった聖なる隠居者、この世と冥界をつなぐような深遠な響きを与えてくれるアシッド•フォーキーHush Arborsの12分に及ぶ絶え間ないギター•ドローンにこの身のすべてを捧げていた。目を瞑り、身体を手放す。次第に、日常を覆う雑念は消え失せ、僕は彼の奏でる永遠とも思える反復構造とフィードバックの織りなす倍音構造の海に溶け込んでゆく。

水深は3mほどだろうか。僕は水にこの身を投げ込み、海底の白い砂浜に全身を横たえる。海面は、休むことなく、しかし穏やかに波打つ。光の乱反射。七色に輝く日の光はクリスタルのように輝きを生み出し続けている。綺麗だ。とても。このままここに居たい。誰からも忘れられたまま。

海面の砂浜は、白く柔らかな絹ようだ。右手を伸ばし、辺りの砂を握り、海へと手放す。さらさらと音もなく、砂は優雅に舞いながら海底の我が家へ帰っていく。
気がつくと、僕の身体も、少しづつ砂になってゆく。手を見つめる。指先から、砂となりこぼれ落ちる右手。そして腕。足は既に砂と化した。さらさらさらさらさらさら。砂となる。痛みはない。苦しくもない。むしろ、とても安らかな気持ちだ。僕を構成していた様々な部位が、いま、役目を終えて砂に還るのだ。細やかな白い砂。

「白は死の色よ。光は私たちの名付けられる前の記憶。この海は、あなたのなかに遥か昔から存在したものよ。怖がることはないのよ。あなたは、あなたのなかにある〈私たち〉の海へと還るのだもの。形は幻よ。怖がらなくていいのよ。あなたは私たちのあなたですから。」

砂になりゆく僕の耳元で彼女は優しくそう言った。僕は彼女の事を知ってる。名前は知らないし、姿形も知らない。ただ、遠い昔から、彼女の側にいたような、母親のような懐かしさ。「怖がらなくていいのよ。」オーケー。僕は怖がっていないよ。静かに、安らかに還ることにするよ。これが「死」というものならば、悪いもんじゃないね。

いまこの文章を書きながら、僕は確かに、海のなかで砂となり消えた。胸の辺りで黒く淀んでいた不確かな塊が、水に溶け出した。暖房が少し強すぎる。喉が渇いた。僕の左手はiPhoneで文字を打ち続ける。iPodからはトウヤマタケオさんのBobbinが小気味よい木琴のリズムを奏でている。優雅な夜のひと時。いまも何処かで誰かが音楽に涙を流しているのだろう。世界の何処かでまた誰かが死に、誰かが生まれる。泣き、笑い、別れ、出会い。僕は小気味よく口笛を吹く。誰にも届かぬメロディ。でも僕には聴こえる。世界に生まれる微かなうた。おと。ことば。ひと。

あしたも、どこかで会いましょう。
さようなら。はじめまして。愛しています。水に浮かぶ心。