2015年2月22日日曜日

風は立っているか?

特に書くべき事があるわけではない。僕が文章を書こうとする時は常にそうだ。別に書く必要もないこと。それを書こうというのだ。取り立てて理由があるわけでもない。何かを伝えたいわけでもない。伝えるというほどに明確な考えや答えのようなものが自分の中にあると信じた事もない。昨日、図書館で読んだスーザン•ソンタグによるアントナン•アルトーに捧げられた批評の内容に僕は共感する。アルトーは自己なるものを疑い、自己の思考を捕まえることができない苦悩とともに生きた。彼のような痛烈な痛みを感じるほどには僕には天賦の才はない。しかし、思考が捕まえられないという感覚にはそれをそのままに藝術に推し進めるアルトーの天才とは異なる仕方で僕は自分のなんとも言えない不確かさ、手を伸ばした瞬間、そこにあったと思っていたものがするりとすり抜けてゆく感覚に、アルトーの真摯さへの敬意を感ずる。確かなものに憧れることもある。確かなものをこの手の中にしっかりと掴むことができたら安心はできるだろうと思うからだ。しかし、それを掴めないからと言って不安になることはもうない。なぜって、掴めないことこそが道理であろうと思うからだ。確かなもの。不確かなもの。線引きをすることは可能でも、それらの境界は常に更新されてゆくものであるからして、確かなものを支えるのは常に不確かなものなのだと思う。

約3年間住んだ三鷹の家を引き払った。前々から考えていたことではあったが、唐突の別れだったと自分でも思う。お世話になった人たちにろくすっぽお礼もできぬままに僕は無駄に多い自宅の荷物と共に岐阜の実家へ帰ってきた。三鷹での生活に纏わる記憶はたくさん残っている。いい思い出もたくさんある。が、いまはなんとなくそんな思い出たちを思い出したくはないのでここには書かないことにする。思い出してしまうことが喪わせてしまう類の記憶というものもある気がする。それは、記憶それ自体の性質というよりは、それを思い出すに相応しい時というものがある、ということな気もする。記憶は記憶だ。いずれ思い出す時が来たら思い出せばいい。それは何かのためになる。三鷹の話をしたのは、いましがた読み終えた舞城王太郎の小説の話をしたかったからだ。「好き好き大好き 超愛してる。」という小説だ。この小説を僕は、三鷹の家を引き払う前日に大学時代からの親友に貰った。僕は普段あまり小説を読まない。というか、読めない。9割方の小説は、読み始め3ページで挫折する。それがなぜなのかは未だによくわからない。とにかく、むず痒いような不愉快な気持ちになってしまうのだ。たぶん、言葉の流れの問題が大きい。文章は波だ。波の性質は色々だが、とにかく僕は言葉の波に乗れない小説は読めない。必死でパドリングしているのだが言葉の波が掴めない時が多い。たぶん下手くそなんだと思う。下手くそだから、自分のパドリングの性質やペースに合う波にしか乗れないのだ。まあそれでもいいか、と思って、好きな小説を読むのは好きだ。あたりまえの話だな。

舞城王太郎の小説を読むのは初めてだった。タイトルも表紙もふざけているように見えるこの小説だが、ものすごくおもしろかった。おもしろかったがまだ咀嚼しきれていない。一冊を通して、様々な物語が現れ、その合間に舞城の実話らしき物語(正確には実話ではないだろう。が、少なくとも舞城が「僕」と名乗り、「僕」という一人称を通して自分の考えを語る)が現れる。文章のスピード感は凄まじい。くるくるくるくる言葉が回転してゆくのが見えるようなグルーヴに乗り、僕はこの一冊のなかを駆け抜けた。そして、一度、沈黙した。

「柿緒」という小タイトルがふられた章が、舞城が「僕」と名乗る舞城自身の物語だ。「柿緒」とは舞城の彼女であった人物で、彼女は骨肉腫という病で死んでしまったようだ。「柿緒」の名を冠した章は一冊を通して断片的に綴られてゆく。主に、柿緒さんが死んでしまってから過去の柿緒さんとの記憶を想起しつつ、小説を書いている現在の舞城や柿緒さんの死語の日常についてが語られている。舞城はそれら断続的な章の連なりのなかで、自分が小説を書く意味や理由を自問自答する。なぜ小説を書くのか、を、小説の中に書いている。これがものすごくグッとくる。のだが、それを具に説明するのはなんだか面倒くさいし今の気分ではない。ただ、一節を引用したい気持ちはあるので引用する。

「小説のことも好きだ。ひょっとしたら小説と柿緒と、やっぱり比べられないのかもしれない。でも僕は柿緒と何かを比べて迷いたくなんてなかったし「比べられない」とか言いたくなかったのだら。そしてそうしたくないというだけで、僕は小説よりも柿緒の方がずっと好きで大切で大事だと言う根拠に充分だったのだ。 …でも愛情と物語は、ひょっとしたら同じものなのかもしれない。そう、愛とは祈りで、物語も祈りだ。でもそういう本質的なところだけじゃなくて、構造も似たようなものを持っているのかもしれない。それともひょっとすると、愛情と物語は全く同一のものなのかもしれない。一つのものを、僕達はあるときには愛情と呼び、またあるときには物語と呼んでいるのかもしれない。」(「好き好き大好き 超愛してる。」舞城王太郎 173項)

愛情と物語。試しに辞書で両方の言葉の定義を調べたとしても、それらの言葉の意味自体に噛み合うところはない。けれど、舞城のこの考えは、なんだかよくわかるのだ。腑に落ちる。そうなんだよな、と思う。うまく説明できる気はあんまりしない。でも、そうなんだよなあって思う。

そんな事を思っていたら、一昨日観たアニメーション映画「風立ちぬ」の事が脳裏に浮かんだ。言わずと知れた、宮崎駿監督の引退作品だ。あの作品に、僕は、舞城のものと同質のものを見た。愛情と物語。「風立ちぬ」においてのそれは、二郎と菜穂子の物語だ。二郎の夢は「美しい飛行機を作ること」だ。彼は幼少期からその夢を追い続けてきた。その最中、二郎と菜穂子の恋愛は燃えあがる。菜穂子は結核を患っており、残りの生命はわずかだという事が二郎に知らされる。それでもなお二人は愛し合い、共に生きる事を決意する。菜穂子の病状が悪化していく中で、それでも二郎は仕事を続ける。菜穂子はそんな二郎のそばで、彼の手を握る。二郎は言う。「僕たちには時間がないのです」

舞城もまた、抗ガン剤治療を続ける柿緒の病床で小説を書き続けた。この点で舞城と二郎は同じ構造のなかにいる。二人は愛する女性が死へ向かう時間の中で、それでも作り続けていた。一方は小説を書き、一方は飛行機を設計し。

二人が同じ思いを抱いていたとは言えない。そんな事はわからない。わかるのは、それでもなお二人はその仕事を続けたという事実だけだ。

「じゃあ僕は柿緒のそばにいる短い時間の間にどうしてあんなふうに以前と同じペースで小説を書いていたんだろう?柿緒がそれほど長くないと知ってからもどうして僕は小説を書くことをやめなかったんだろうら?どうして柿緒が逝ってからゆっくり小説に戻ればいいやと発想しなかったんだろう? 答えは簡単だ。 柿緒に迫り来る死が僕の小説に対する意欲を何らかの形で興奮させていた、などということじゃなくて、もちろん逃避とかじゃなくて、柿緒に僕が小説を書いている姿を見てもらおうと思ったわけでもなくて、柿緒の死について僕が何か深く考察を小説を通じて行おうとしたわけでもなくて、ただ僕は生きていて、柿緒は寝ている時間とか治療を受けている時間とか結構長くて、僕は空いている時間を埋めなくてならなかったからだ。何もしていないと暇だったからだ。それに僕は生き続けていくことが大体分かっていて、小説を書かないと僕がそのときほとんど住んでなかった調布のマンションの家賃が払えなくなってしまい、そのときの僕の荷物を置いといて柿緒が逝ってから戻って住む場所がなくなってしまうからだ。僕は会社に勤めてはいなかった。バイトもしていなかった。小説を書いていて、それ以外に特にやりたいこともやらなくてはいけないこともなかったのだ。」(同書 170-171項)

舞城はこう書いている。時間を埋めなくてはならなかったから。暇だったから。こうした理由だけを取り出してしまうと、なんだかそれは冷たいようにも思える。愛する人が死にかけている横で、暇だから小説を書くっておまえ!という気もしないでもない。でも、それは虚飾されたロマンティシズムの亡霊に取り憑かれた胡散臭い「愛の証明行動」に思考の善意を押し付けようとする自分のセコさかもしれんなと思った。

なんというか、生きる、って、そんくらい普通のことでもあるんだと思う。二郎はどうだっただろう。僕の勝手な妄想では、二郎はたぶん「暇だから」という理由は口にしないしたぶん思ってもいないと思う。でも、「僕たちには時間がないのです」というときの二郎の中には確かに自分にとっての時間も含められていて、「菜穂子には時間がないのです」とは言わない。菜穂子に時間がないのは二郎は百も承知だ。それでも、二郎は飛行機を作り続ける。それは二郎の時間だ。二郎は自分の時間を精一杯生ききるためにも飛行機を作らなくてはならなかった。それは、菜穂子のためではない。でも、ためではないと言い切るのもなんか違う。ため、とか、ためじゃない、とか、そういうことではない。二郎が生きるという事は飛行機を作るということと共にあり、菜穂子が生きるということは二郎のそばにいるらことだったのだと思う。二郎の夢。それは具体的な生活でもあった。そして、菜穂子はそんな二郎のそばで生きることで、彼の夢、そして生活のそばで、生を営んだ。それは、現実であり、同時に、夢の中であった。二人の、夢の王国。菜穂子は飛行機の完成とともに二郎のもとを去る。美しい姿だけを愛する人に見せていたかった。それは夢の姿。いずれ消え去る夢の美しさであった。


青年。
まだ、風は立っているか?


イタリアの設計士は夢の中で二郎に尋ねる。
二人の夢は、時空を超えて繋がっている。

「僕は十三歳で夢の中でおじさんに夢の直し方を教えてもらう。人の夢は時々壊れてて、おじさんみたいな夢の修理屋が頑張らないと、正しい形で夢が分けられないのだら。おじさんの名前はミスターシスター。おじさんは僕に最初に一番大きな秘密を教えてくれる。一人の人が一つの夜に見る夢は大きな一つの物語の破片で、全世界の全員の夢を繋ぎあわせると長くて面白くてびっくりする物語が出来上がるらしい。」(同書 57項)

「ミスターシスターは世界の夢を集めると一つの大きな物語になると言った。夢が現実の世界とは別次元にあるんじゃなくて現実の世界そのものだったとしたら、そして世界というものが、自分の認識によらず自分の知らないものや架空の存在ですらも含めてようやく「世界」と呼ばれるものなら、夢もまたその「世界」に含まれ、そしてミスターシスターの言ってた言葉に筋が通る。人の見る夢にはあらゆるものが登場する。現実にあるものとないもの、知ってるものと知らないもの、想像したことがあるものと想像すらしたことないもの。世界中の全ての夢が集まってこの「世界」を作っているなら、僕のいるこのここも、誰かの夢の中に存在するのかもしれない。」(同書 85-86項)

夢は繋がっている。時空を超えて。そして、夢はしょせん夢でしょと片付けられるものではなく、それはそれを含めて「世界」を形作るものだ。夢と現実という二項対立も、いわゆる「現実」を生き抜く上では有効に働く時もあるが、その境界もまたすべてではない。何が夢か。そんなこと、たかが人間には答えるべくもない。ともにあるのだ。



風は立っているか?

はい。


風。宮崎アニメでは風はひとつの重要なモチーフである。風が立つとき、魔法使いの女の子は箒にまたがり空を飛ぶ。風が立つとき、夢の時間がはじまるのだ。


風は立っているか?

はい。


先日、ふと産まれた断片が、さっき、ひとつの曲となった。歌詞もないし、構成も決まっていないが、僕の中ではひとつの曲となった。楽曲は、構成を固定すべきものだというのは常識である。構成のないもの、歌詞のないものが、果たして「曲」なのだろうか。定義はさして重要ではない、少なくとも僕にとって。

この新しい歌は、風の歌を聴くための歌だ。そんなフレーズが僕の口を通して産まれたからだ。「ひゅるり 風の歌を聴け」舞城の小説を読む前に、宮崎のアニメを見る前に、僕の口から産まれたこの歌はそう歌えと告げていた。「風の歌を聴け」奇しくも村上春樹の処女作のタイトルである。僕はあの小説をまだ読んでいない。今度読んでみるとしよう。

言葉にはならないものは、物語ではないのだろうか。僕はそれについてよくわからないが、でも、これは、繋がっている。言葉がなくとも、所謂ところの物語がなくても、僕にとってそれはある種の夢として、そして、形式としての物語を逸脱したところで、この歌は、舞城や宮崎や春樹や、世界中の夢と繋がっていることを感じる。歌いながら、なぜだか涙がわいてきた。こういうときは間違いない。これでいいなと思う。悲しくも嬉しくもない涙がある。思考でも感情でもない。それらは、ほんとうには、掴めない。アルトー、僕はあなたに共感する。これは現実か?はたまた夢か?そんな区別もどうだっていい。ただ、対象すらも言葉にすることもなく、僕は愛情を感ずる。そして、それは、物語でもある。よくわからないことを書いている。ようやく、言葉の波が収まってきた。言葉の蛇口の栓が締まってきた。こうなるまで、僕は永遠に書き続けてしまうのだ。何を書くでもなく、ただ、言葉に任せて。繋がっていきたいのだと思う。その行為それ自体が、僕にとって、生きるということの物語のひとつの顕れであるから。

昼飯を食い損ねていた。
友人の英作文の添削をしなくちゃ。

今日はこのへんで。
あ、僕は今日、27歳になりました。
別になにもかわりはしないしけれど。