2014年12月9日火曜日

Dancer In The Dark

これは最後から二番目の歌 それだけのことよ

ビョークが歌っていた。
映画の中で。
それだけのこと。
それだけのことが、
この上ない救いだった。

何年も前から、
観るべきときがわからずにいた。

今宵が、そのときだった。

少女のように無垢で、
老婆のように傷ついて、
闇のように何かを見つめて、
光のように無邪気に微笑んで、

ビョークが歌っていた。

これは最後から二番目の歌。
それだけのことよ。

最後から二番目の歌で会場を出てしまえば、
ミュージカルは終わらない。

永遠に続いてゆく。
ミュージカルは、永遠に続いてゆく。

例えば、首を吊られても。
例えば、息絶えたとしても。

ミュージカルは終わらない。
永遠に終わらない。

この夜のための映画。
息ができる。
歌えそうだ。

最後から二番目の歌。
それだけのことよ。

そう、
それだけのことよ。

2014年12月8日月曜日

重力と恩寵

かつてシモーヌ•ヴェイユが書いた『重力と恩寵』という書の内容についてはあらかた忘れてしまったが、この書のタイトルはこの先も忘れることはなさそうな気がしている。重力と恩寵。ヴェイユがこの二つの言葉とその連関にどのような想いを込めたのかは忘れたまま、僕はいま、僕にとっての重力と恩寵について想いを馳せている。それは、僕にとっての重力の圧迫感から少しでも這い出ようとする僕の賢明な、そして、愚鈍なやり口のひとつとして、こうして言葉を羅列することが幾ばくかの意味を持つことを知っている、あるいは予感している、少なくとも、期待しているからだ。

2014年11月は既に過ぎ去り、過去となった。しかし、僕の魂はいまだ11月の過去のなかに取り残されたままのようだ。12月に入ってから、僕にとっての時間の流れは一変してしまった。毎日がほんの一瞬で走り去る。なんの記憶も手触りも残らぬ日々が既に一週間ほど通過した。覚えているのは、カレンダーに書き込まれた予定の痕跡と、僕に少なからぬ感動を与えてくれた類の出来事だけである。それらは、断片化されたパズルのピースのような、幾ばくかの色彩と形と手触りを僕に与えてくれるが、そのピースの全体像をピースから判読することはできず、ひとつひとつのピースが、まるで一夜の夢のような蒙昧さを以って僕の脳裏を時々かすめるばかりである。流れ星のような過去。漆黒の空は一瞬の間煌き、そしてまた、夜の闇に呑み込まれて消える。

11月という月を、僕は、「シンガーソングライターとして生きる」実験のためのひと月と決めていた。僕は、歌を唄うし、曲を書いたりもするが、自分が「シンガーソングライターである」という意識を持ったことが一度もない。「シンガーソングライターである」とはどういうことなのか、僕にはよくわからない。少なくとも、僕は単なる僕であり、僕の一つの営みとして自然と、歌うことがないと落ち着かないからなんとなく歌を唄うことを結果として続けてきただけである。人様に聞かせる気もさらさらなく、歌を唄う。そもそも、人前に出ることが苦手だし嫌いなのだ僕は。だって、人前に出るのは疲れるから。それだけの理由である。あるいは、人前にでて、人様の貴重な時間を割いていただいてまで自分のうたや演奏などを聴いてほしいなどとは露も思わぬ僕は、たぶん、欲求レベルで、あるいは生理的なレベルで、「シンガーソングライター」として落第であろうと思う。別に自分の音楽を聴いてほしいなどとはいまだにたいして思ってないし思えない。みんななんで思えるのだろう。というか思うのだろう。聴いてもらったら、何が起きるのだろう。褒められるのだろうか。ありがとうと言われるのだろうか。何を求めて人は他人に向けて歌を唄うのだろう。いまだに僕にはわからない。この先もわからないままなのかもしれない。

そんな僕だが、この一年間の間に、いろんな人々に出逢い、いろんな物事に出逢い、出来事に出逢い、そのなかで、ひとり、閉じこもっていた世界から引き摺り出されたわけで、それは、ほんとうに、心から感謝しています。ほんとうに。そのおかげで、僕は、これまで26年間わからずにいた、自分の人生の筋というか、朧げながらも歩む道というか、自分の腑に落ちる行為というか関係というか、兎にも角にも、自分の、自分たる生き方のひとつの展望がひらけたような心持ちであります。この一年間があってよかった。心の底から思う。こんな一年間は他にはなかった。心の底から思う。感謝が溢れて溢れて、とめどない。有り難い。ほんとうに、有り難いとは、有り難いことなのだと思う。その、一年間の感謝の意味を、ひとつの行為に集約して届けるために、僕は、どうしようもなく、歌を唄うという己を包み隠さずみなさまにお見せしたかったわけであります。だから、11月は、「シンガーソングライターである」ことを選択し、パフォーマンスとして、というとすこし平べったい言い方ですが、僕は、いまの自分にできる、舞台での歌の最大限を引き摺り出す術を学ぶため、ステージに立ち続けたわけであります。その最後が、28日でした。見に来ていただいた方々に、どのように映ったのかは知りません。が、少なくとも、僕は、今年一年間の粋をすべてぶち込み、綺麗に整えることも、藝術のなるたるか表現のなんたるか、音楽的美学のなんたるかをすべてシカトし、ただただ、あらんかぎり、爆発させました。その意味では、現在地点の自分のパフォーマンスとして、僕は、自分に、人生で初めての花マルを送りたい気持ちでした。よくやった俺。がんばったな俺。そう素直に思えたのは、今までの人生で初めてのことかもしれませんね。いや、どうだろう。わからんけど。

そんな夜が、終わりました。そして、ある種の予感とともに発言していましたが、ある意味で、僕はあの夜に死にました。生命活動を絶ったわけではもちろんありませんが、あそこに向けて収斂させるなかで、僕は、たぶん、多くのものを犠牲にしたようです。いま、僕は、唄うことがあまり楽しくありません。ギターもさほど楽しくありません。つまりは、それほどまでに限界に向けて一挙に収斂させてしまったということでしょう。「シンガーソングライター」として己の強度を深めつつ洗練させることは、僕にとって、かなりのエネルギーを使うことだったようです。そして、放出し、僕は、いま、空っぽになりました。代償としての生臭い疲労感を身体の隅々にびっしりと敷き詰めて。

時折、死んでしまいたいと思うことがあります。もちろん、死んでしまうつもりはありません。ただ、ふっと、思うだけです。それは、いろいろな質感をもつ死んでしまいたいであります。兼ねてより僕は、還りたいという想いを持っていましたし、それは、死ぬこととはたぶん違う感覚で、より、自然な感覚で、特に、ネガティブな感情のないものです。11歳。人間はみんなバラバラで、みんな、ほんとうに、孤独なのだと知ってから、僕は、空ばかり見ていたような気がします。空と海とを分かつ境界線。そこにひとつの絶対的な絶望と失望を感じてきました。分かたれているということへの怨念は、この15年間、常にどこかにあったのかもしれません。分かたれているのは、どうしてなのか。それを知りたくて、そして、ほんとうには分かたれてないはずだろうと切に思いながら、いや、望みながら、僕は、歌というものに魅せられてきました。歌うことは、還ることそのものだったのです。それは、一瞬でも、たしかに、この身体の境界線を超えでて、空へとこの身を溶かし出すための、僕の、たったひとつの方法でした。だから歌ってきた、そういうことでしかないように思います。

その、還るための歌を、僕は、扱う人間として自分を位置付けてみたわけです。そして、それは現在地点における臨界点へと至り、そして、僕はボロボロに疲れ果ててしまったようです。扱うという類のものではないことを扱う対象としてしまうことは必ず破綻を招くこと、どこかで知っていたのでしょう。だから、僕は、このライブだけは見てほしかったのだし、このライブを終えたらある意味では死ぬということを予言していたわけです。僕の予言はどうやら的中したようです。

いま、この身体のなかに無数の重力を感じています。歌うことで僕はこの身体の輪郭線を保ってきたが、どうやら、いまはそれが機能しないのです。僕の身体と心は無数の方向へ向かうベクトルによってひしゃげています。内側へ向かう具体的な痛みと圧力。これはたぶんブラックホールとおなじ原理でしょう。惑星は自身の重力に押しつぶされてブラックホールとなります。いまの僕の状況は、まさに、そんな惑星一歩手前なのでしょう。潰されかけている。魂の重力。そういう種類の力がこの世にはあります。それは歴然と。しかし、大抵は理解されないものですから、仕方ありません。アイム ア クレイジーメンという事でしか世の中は片付けます。世の中は、理解のできないものを、なきものとするかおかしなものとして嗤うかしかできませんから。

魂の重力。そして、それと引き換えに見出すことのできる、恩寵。僕には、歌が、恩寵だったはずなのに、どうやらいまは、重力の一部になったようです。恩寵が見えない。さあ、これはどうも間違いのようですがそれがスタート地点でもあるのでしょう。では、どうやって生きおるのか。命題はそこからはじまります。さてさて。

世に言う精神障害者はどうやって生きてゆけるのでしょうかね。誰にも理解できない重力と痛みを纏って。日々、毎分毎秒の時間を過ごすということの具体的肉体的な苦痛を笑顔の下に隠しながら。全くもって、難儀なものです。生きていかなきゃいけないということの意味もわからぬままに。

人生の恩寵、いずくにかあらんことを。