2015年3月29日日曜日

そのまんま

そのまんま
みんなそう簡単に口にする
そのまんま
そのまんま
そのまんまのあなたで
そのまんまのわたしで
みんな そのまんまがいいと言う

でも
そのまんまであることは
とてもむずかしいことだ
そのまんまであるということが
ぼくにはいまだにわからない
そのまんまがいいと言う人たちは
そのまんま「そのまんまがいい」と言っているのだろうか
そんなことはないような気がする
そのまんまで「そのまんまがいい」と言えるというのは
とんでもなく強いことだ
そのまんまであることには
とてもおおきな勇気と
客観的な目と
ふりまわされない言葉と
ゆれうごく心を見つめる心と
いろいろなものが
いろいろな種類の「そのまんま」のなかで
たえず「そのまんま」であるように
変わっていくことを
とらえられない自分を
素直に
愛さなければならないから
そのまんまであることは
ほんとうにむずかしいことだと思う
そんまんまでありたくて
でも そのまんまであれないから
「そのまんまがいい」といろんなひとがいろんなひとに言って聞かせるのだと思う
言葉にすることは
意識でもあり
意思でもあって
意思はまた 
意志でもあって
未来、は、
その意志がつくっていくものだけれど
その、意志、というものは、
やっぱり
いま、ここにないことから
はじまるのだと思う
ここにないことから
言葉は生まれるのだと思う
その
言葉というものは
言語、というものにかぎらなくて
僕や
あなたや
いろんなひとたちの
日々を生きるなかの
とてもとてもちいさなことのなかに
いろいろなかたちをして
現れてくるもので
そのすべてを
僕は
つかまえることはできないけれど
そのなかの
たよりないひとつの事柄にも
やっぱり
「そのまんま」への未来は
宿っていて
その
種のようなものを
ひとつひとつ
だれかのてのひらが
受けもつことによって
はじめて
種は種として
種であることを
生きられるように
なるのだと思う
だから
僕たちはいつも
「そのまんまがいい」という言葉を通して
なにか
途方も無いおおきなものに向き合って
自分という
なんだかわけのわからないもののなかで
それでも
誰かのことを愛していて
そのことに気づいたり
そのものにふれたり
なにかをわかちあったり
たわいもないことを言い合ったり
そんなふうにして
彩られていく
なにもかもが
どうしようもなく
暗く
冷たくて
生きている心地さえしなくて
太陽の光が
とても眩しくて
目もあけていられなくて
それでも
目の前の風景を
しっかりと見つめていたくて
僕たちは
また
歩いていくのだと思う
田舎道
高校生の登下校
大型書店に集う人々
車が走る
車道
小川
川沿いに咲く
コスモス
止まることなく
流れる
いろんなものを見つめて
僕は日々を歩いていて
歩いていることの
確かさを
ふと
忘れてしまうときには
天空にむけて
おおきく おおきく
おおきく手をのばして
肺のなかが
ぎゅうぎゅうと
苦しくなるくらいに
空を吸い込んで
おなかのなかも満たして
全身に
くまなく
太陽を感じて
世界が
まるで
軽やかな毛布のように思えて
そんな
一瞬の出来事のなかに
信じられないくらいの
途方もない
うつくしさ
のようなものがあったりして
なんだか
幸福という言葉の意味を
ほんのすこしだけ
わかったつもりになったりして
ひどく憂鬱になったりもして
僕は
この地で
生きているのだ
そんなふうにして
そのまんま
という
言葉の
ふれる
輪郭の
なかの
死にも
近づくような
曖昧な
官能のなかで
そんなものたちのような
奇妙なかたち
をもふくめて
あるいは
のように
なんだかわからないものに
冷たい水を
分け与えられたりしながら
僕は
そのまんま
という
言葉を
疑い
そして
心の底から
叫びたくなるほどに
愛している
思う
のだ

2015年3月12日木曜日

第14章 白紙の大地に打たれた黒点としての僕の目は9つの月を見つめる

ここにひとつの点を打ってみるとしよう。白紙の紙の上。点が打たれた。点はそこに存在しはじめる。僕の目はその点のあることを眺めることができるし、その点をじっと見つめていることもできる。一度打たれた点はもうそこに打たれてしまったものだから動いたり逃げたりはしない。そんな自由は点には許されていない。点は点であることしかできないし、点は点であることをやめることもできないのだ。点は点だ。

しかしどうだろう。点から目を離して、もういちど、あたらしい仕方で見つめる作業に取り掛かってみよう。すると見えてくるものは変わるかもしれない。白紙という一面を前提にして点を眺めるならば、それは点に違いないけれど、点を中心に白紙を眺めてみたならば事態は一変する。黒いインクで打たれた点が僕の目だ。僕の目はこの黒い点のひとつからだけで構成されていて、僕の目はこの広大な白紙の上に印字されている。僕の目は点だから、当然僕の目は自分が点であることを見ることができない。僕の目は点だから、僕の目が印字された広大な白紙の大地を眺めることはできる。点である僕の目から見ると、この白紙の紙の上は大地そのものなのだ。大地の定義は辞書に書いてあるけれどこの際そんなものはどうだっていい。僕の目がここにあって、僕には目しかない。したがって、僕は目であり、目であることでしかない。すると、僕の目、つまり、僕のいるここは、僕にとっての生きる場所であり、僕の眺める日常の風景であり、それはつまり、僕にとっての大地である。大地は土で構成されているとは限らない。それは土で構成された大地の上で生活をする人間の慣習的な思い込みにすぎない。大地は、何によって構成されているかということではなく、誰にとっての生活の場所であるかということによって決定される定義である。その定義は相対的なものだから、誰かにとっての大地は、別の人にとっては海かもしれないのだ。そういう意味でこの白紙の紙は点である僕にとっての大地である。ああ広大な大地。純白に染められたなめらかな大地よ。ここにはなにもない。僕以外はなにもない。なんて自由。なんて途方もない自由なのだろう。神よ。そして、紙よ。

僕は空を見上げる。空はすでに夜の黒色に染められている。時刻は20時49分。空には無限の星々が輝いている。僕の目は月を見つめる。あれ、おかしいな、僕の目は節穴か?月が9つに見える。そうか、そういえば近頃視力が落ちたから裸眼じゃうまく見えないんだった。でも僕は点だから眼鏡をかけることができない。仕方ないからそのままの目で僕は空を見つめなおす。僕の目は乱視が入っているからいろんなものがぼやけて見える。物の境界線ていうものがよくわからない。物と物とのあいだにははっきりとした線が引かれていて、だから僕たちの目がリンゴを見つめるとそれがリンゴだとわかるし、鍋を見つめるとそれが鍋だとわかる。そんなふうにして僕たちは物をみているのだけれど、僕の目のように乱視が入っていると物と物とのあいだの境界線がうまく見えないから、物と物とのあいだにあるはずの境界線がぼやけてしまって、リンゴも鍋も人間も空もみんなぼんやりとつながって見えてしまう。輪郭線がどろりと溶けだして見える世界はなんだか全部がひとつのものみたいにも見えてくるんだ。境界線はきっとほんとうはあるんだろうけど、僕の目にはそれが見えない。だから僕は、境界線の見えないままの僕の目で世界のあらゆるものを見ている。それは目のいい人からするととても奇妙な光景なのかもしれない。

境界線がぼやけるだけでなくて、僕の目は乱視だから、ひとつの物の境界線がダブって見えたりもする。ダブるどころか物自体が奇妙に溶けだしていくつものそれに見えるときだってある。今、僕の目に映る9つの月はたぶん僕の乱視のせいでそう見えているんだろう。僕の目には9つに見えるけれど、目のいい人にはそれは1つにしか見えないのだろう。僕はそう推測する。でも、点である僕の目は眼鏡をかけることができないから乱視であることをやめられないので、僕の目に映る月はいつまでたっても9つのままだ。それが僕にとっての真実というものだ。1つのものだって9つに見えているならばそれは9つなのだ。今夜の月は9つでとても綺麗だ。

2015年3月11日水曜日

エゴ・痕跡・音楽 「つつましさ」の美徳に憧れながら〈観光〉は続く

「音楽のつつましい願い」と題された書物には11人の音楽家にまつわる11の物語が綴られている。そのなかのひとつ、「ぎこちなさ エルネスト・ショーソン」のなかで中沢はこう語る。

「いっさいの空間現象のマトリックスではあっても、いまだに空間そのものをつくりだすことのない、あの中間領域にとどまりつづけて、自分を拡がりとして、空間に刻みこもうとはしないのが、音楽にそなわった美徳の源泉だ。だから音楽そのものは、エゴへの執着にたいする、強力な解毒剤の効果を発揮する。つまり、音楽はそもそも、つつましさへ向かおうとする美徳を、内在させた芸術なのだ。」(「音楽のつつましい願い」中沢新一 山本容子)

この文章に出逢ったとき、ぼくの心のなかでギシギシと音を立てながら心の壁面に傷をつけ続ける何者かについて、反証的な仕方で気づかされたような気がした。

「中間領域にとどまりつづけて、自分を拡がりとして、空間に刻みこもうとはしない」ということ。ぼくが数ある芸術のなかで最も音楽に馴染む理由のひとつがここにある。中沢の言葉はぼくが長い間感じてはいながらまるで自己の罪を見つめるかのように拭い去ることのできなかった歯がゆい想いに光を与えてくれたのだった。

「だが、考えてもみよう、外面におけるつつましさこそ、音楽にそなわった最大の美徳ではないのだろうか。あらゆる芸術は、心と内面と四大元素でできた外界との、ちょうど中間に形成される、特別な空間でおこる生命的な現象だ。その中間領域には、生命力と生命の「かたち」を生み出すゲシュタルト情報が、しまいこまれている。絵画はそこを出て、物質的外界に向かおうとする、強い欲望をいだいている。外界の空間的な拡がりの中に、自分をつきうごかしているものを実現させ、定着させようとする欲望だ。」(同書より)

中沢の語る絵画のいだく欲望は、絵画にかぎらず産業構造のなかで「アート」と呼ばれるもの全般にたいして一般的に語ることのできる欲望ではないかと思う。

「外界の空間的な拡がりの中に、自分をつきうごかしているものを実現させ、定着させようとする欲望」、それは、「痕跡を遺す」とも言い換えることができる欲望で、ここでいう「痕跡」とは「アート」における「作品」とも言い換えることができる。「作品を遺す」欲望。これは職業的にせよ趣味にせよ、「作品」をつくることに力を注ぐ人たちに通底するものであることは疑いない。何かを残したい、あるいは、遺したいからこそ、人は形をつくるのだろう。

創造性と遊びの親和性について、遊びの研究者が多くを語っている。忘我の状態に入りこむフロー体験において、人は遊び、そして、つくるのである。創造のプロセスにおける悦びもまた、つくる人間にとっての行為の根底にあるものだろう。ぼく自身も、その悦びを慰めとしてこれまで生きてきたように思う。過程にある悦びをぼくは肯定する。

しかし、「痕跡を遺す」ということにたいして、ぼくはこれまでずっとうまく言葉にできない不愉快さを感じてきた。それはたぶん、過程を遊ぶこと、と、作品をつくること、とのあいだに、なにか決定的な差異を感じてきたからで、その差異に潜む何者かがぼくにとって決定的に重要な事柄であったからだと思う。

その差異とは何か。

そのヒントが中沢の言葉に隠されている。それは「エゴ」の問題である。

「外界の空間的な拡がりの中に、自分をつきうごかしているものを実現させ、定着させようとする欲望」は自らを「作品」として完遂させる欲望へと接続される。そして、「定着させようとする欲望」は、ほとんどの場合、己を世界に開示する欲望へと接続されることになる。欲望は痕跡として世界に存在することとなる。そして、存在を求めるものはつねに認知と承認を欲望することになる。存在の認知と承認欲求。これはエゴの本性である。

エゴ。自我。「過程を遊ぶこと、と、作品をつくること」とのあいだにある決定的な差異とは、エゴの存在の有無である。これは極論であるのかもしれない。確かに、創造の過程において、エゴが顔を出すことはあるし、その過程のなかで自己の才能に浸り自尊心を満足させることもままあることだ。そこにエゴがあるかないかということを明確に断定することはおそらく当人にも他者にもできないだろう。しかし、少なくとも、創造の過程に真に没入したことのある人ならば、没入しきることで自己が消え去る瞬間を体験したことがあるだろう。創造の世界に潜り込んでいるとき人はその行為や成果への賞賛を求めたりその結果が自分にもたらすかもしれない未来については想像しない。そこには自己はなく、未来もない。あるのはただその瞬間瞬間の連続を経験する我を忘れたひとつのメディウムとしての人間だけである。〈ホモ・ルーデンス〉。忘我し、遊ぶなかでこそ人は本当につくることができるとぼくは信じている。エゴからの離脱は創造のトンネルを潜り抜けるときにだけ実現される。

我を忘れて没入した世界には、しかし、終わりの時がやってくる。人は創造のトンネルのなかで一生を終えることはできない。ぼくたちはつくることを通してトンネルを潜り抜け、見知らぬ駅にたどり着き、日常の生活へと帰ってゆく。創造行為の連なりは鉄道のようなものだ。何かをつくるとき、ぼくたちは「ここではないどこか」を目指して列車に乗り込み、トンネルを潜り抜ける。トンネルを潜り抜けた先でぼくたちは新たな駅へとたどり着く。

創造行為と観光はよく似ている。

「観光は、その道中のすべてが「ここではないどこか」へむかって動いていくことでなければならない。つまり観光は変化の感覚、動きの感覚、差異の感覚の体験などと言ったものに、終始貫かれながら、変化や動きや差異そのものを味わうという、ほんらいきわめてゴージャスな行為なのである。」(「切片曲線論」中沢新一)

創造もまた「変化や動きや差異そのものを味わう」行為であり、それは肉体的な移動を伴わない〈魂の観光〉ようなものだ。創造の線路を辿る列車の窓から覗く風景を見つめながらぼくは風景に溶けていく。変化や動きや差異を真に味わうためには、それをまなざす自分を客体として固定していてはいけない。主客の分離を促す意識の境界線を溶かし、変化や動きや差異そのものにふれた自分自身の変化や動きや差異をも感じることが肝要である。エゴに固執していてはこうした体験はできない。

エゴが悪いと言うわけではない。エゴのない人間なんてどこにもいないし、エゴがあるから人間なのだとさえ言えるかもしれない。ぼくたちは欲望を捨て去ることができないし、欲望を抑えつければそれは歪なかたちで噴出することになる。だが、それでもぼくは、創造行為の最中にふと顔を出すエゴの存在に言いようもない不愉快さを感じる。エゴの到来によって損なわれ喪われてしまうものがあるからだ。それが何なのかを名指すことは難しいのだけれど。こんな風に文章を書いて公開する事も同じなのだけれど。我執との折り合いというものは難しい。卑しさに塗れた自己の顔をぼくは何度も目撃してきたし、これからもそうしていくのだろう。痕跡を遺したいという欲望は確かにぼくのなかにある。嫌でもそれを感じる。しょーもないなとため息をつく。

港千尋「洞窟へ 心とイメージのアルケオロジー」を読んでからというもの、ぼくは洞窟壁画に魅了され続けている。うつくしい壁画の写真を見る悦びももちろんあるけれど、それ以上に、その壁画を描いた古代の人々の精神に惹かれる。多くの壁面は、人間が容易には足を踏み込むことのできないような狭くて暗い洞窟の奥深くに刻み込まれている。それらはおそらく、誰かに見られることを想定して描かれてはいない。鑑賞を意図的に排除した絵画。岩肌に刻み込まれた痕跡は誰かのためのものではない。誰にも見つかることなく今もなおこの地球のどこかに眠り続ける壁画もあるのかもしれない。ぼくはそんな壁画を描いた人々を敬愛する。誰にも見られることのない壁画を彼らがどうして描いたのか、その理由はすべて推測で、誰も確かなことは知らない。それでも、ぼくはそこに「本来の姿」を見る。そして憧れる。

壁画は空間に刻み込まれている。しかし、その痕跡は見られることを旨とはしない。痕跡が痕跡であるとの存立基盤を獲得するためにはその存在を認知する存在が必要である。とすれば、見られることのない壁画は「存在」するのだろうか。「シュレディンガーの猫」のような話をしているが、すくなくとも、壁画には「アート」としての絵画に潜む欲望は存在しない。エゴのない絵画。壁画の潔白さにぼくはこれからも魅了され続けるだろう。

高度に情報化された社会でぼくたちはなんでもかんでも表に現すようになった。情報は膨大ですぐに手に入る。表面的なつながりはとても容易に手に入るし、ポストされた情報はそのつながりのなかで即座に評価される。☆マークやいいね!ボタンでぼくたちはファーストフードのような承認欲求を毎日補給する。承認ジャンキー。マクドナルドでハンバーガーを食べるようにぼくたちはiPhoneの画面から承認欲求を食べている。もちろんぼくも例外ではない。そんな自分の愚かしさをしっかりと見つめていたい。

拡大するエゴイズムの社会のなかで、ぼくはいま一度音楽のつつましさを想う。

いまだに空間そのものをつくりだすことなく、中間領域にとどまりつづけ、自分わ拡がりとしめ、空間に刻みこもうとしない音楽の美徳。エゴへの執着にたいする、強力な解毒剤の効果を発揮する、つつましさへ向かおうとする美徳を内在させた芸術。

ぼくはつつましさに憧れながら〈観光〉を続けていく。









2015年3月9日月曜日

分かたれた波たちの還る〈一なる魂の海〉へ / 河瀬直美監督「2つ目の窓」を観て

一本の映画について語ることのできる事柄は無数にある。しかし、言葉を尽くせば尽くすほどにぼくたちは映画そのものを語ることはできないということを知ることになる。

どのような細部でもかまわないからひとつの細部を映画のなかから取り出してみよう。細部に踏み入るほどに語られるべき事は増殖し、ついには無限とも言えるほどの広大な世界の様相に言葉を用いる者は途方に暮れることになる。

語られる対象は時間的に限定されている。映画は映画であるという時点で既に過去のものだ。それは流れゆく時間の流れから作者の手によって切り離されたひとつの痕跡である。しかしぼくたちはたった2時間ばかりの映画についてさえすべてを語り尽くすことはできない。どれほど単調な日常を送る人間の過去を語り尽くすためにも、その人間の残りの人生のすべての時間を費やすことになるのと同じように。

それでもなお、ぼくはここにひとつの映画についての文章を綴っている。何度かやめようと思ったのだが、結局のところぼくはこの文章を書くことをやめられなかった。書かれた言葉は痕跡としてぼくのなかに残り、その文章の不備をぎゃあぎゃあと喧しく教えてくる。書けば書くほどに足りないものが見えてくる。ぼくは言葉という名の蟻地獄に嵌りもがき苦しむ一匹の蟻の姿を自分に重ねる。終わりは見えない。そもそも完成というものは自然発生するものではないのだから、そろそろぼくはここにひとつの裁断をしなければならないと思った。終わりは常に自分で決定するしかないのだといういたたまれない気持ちをぼくはタバコの煙に乗せて空へと軽やかに吹き飛ばす。

河瀬直美監督の映画「2つ目の窓」を観たのはちょうど一週間前だ。その作品が優れているのか否かについてはぼくの語るところではない。それはぼくには関係のない仕事だ。美の強度を裁断する美の裁判官(そんな役職の人間がいる世界をぼくは想像する。彼らは法律の専門家みたいな重厚で断定的な口ぶりで美を裁断する。彼らのいる国では、美的強度の判断は個々の国民には任されず、その決定は常に美の権力を有する裁判官の手に委ねられている。なんて嫌な世界だろう、とぼくは想像の国の国民たちに同情する。しかし、ぼくたちの暮らす世界の実情もそうした想像の世界さほど変わらないのではないかという気もする。言説は常に権力となるし、盲目的な人間にとっては少なくとも美の裁判官は「存在する」のだから。)に任せておけばいい。ぼくは単なる凡庸な一市民である。決定的なことを語ることはできないし、そのつもりもない。第一ぼくにはぼくの意見だと言い切れるものがひとつもない。それでもなおぼくがここにひとつの文章を綴るのはおそらく、この映画のなかにぼく自身がぼく自身にたいして言葉にせざるをえないひとつの律動を見たからだと思う。

主題(というものがあるとすればだが。それはいつも受けとる者によって造られるのかもしれない。)を語ることもまた映画を語る上で特段意味はないかもしれないけれど(真に映画を語るものは映画だけである)、ぼくは少なからずこの映画を通して見たものを思い出し、そこに見たものを辿り直すことで、自分のなかにひとつの律動を確かめたいと思った。それは写経のようなものかもしれない。あるいは翻訳のようなものかもしれない。いや、そのような正確さはここにはない。映画はすでにぼくのなかで異なるパラフレーズとともに断片化され、登場人物の台詞も逐一正確に記憶してはいない。そのような不正確さをもとに、あえて記録ではなく記憶を辿ることでぼくはぼくのなかに残る痕跡を確かめたい。その意味でこれはとても個人的な行為である。正確さを求めるならば映画を観たほうがいい。そこにはどんな言葉よりも正確な映画そのものが映し出されている。

(「確かめたい」という言葉を使いながらぼくはその言葉の座りの悪さも感じる。ぼくが確かめたいというよりも、ぼくはぼくによって確かめさせられている、という気もする。暖かい茶でも飲みながら、取るに足らないぼくの個人的な営みにしばしお付き合いいただければ幸甚である。)



奄美大島に暮らすふたつの家族。高校1年生の杏子と界人がこの映画の主人公だ。

杏子は飲食店を営む父と島の祭祀を司る「ユタ神様」である母と共にこの島に暮らしている。杏子と同じ高校の同級生である界人は母親と2人暮らしだ。東京に生まれた界人は両親の離婚を契機に母親と2人、奄美の地へと移り住んだ。映画はふたつの家族のふたつの物語を軸に進行する。


杏子の物語、それは母親の死の物語だ。

杏子の母イサは病に伏していた。彼女の生命はもう長くはない。杏子は母親の死が近いという事実をうまく受け入れられずにいた。

「人が、なんで、生まれたり死んだりするのか、わかんないよね」

夕暮れの浜辺に腰かけた杏子は独り言つように界人に言った。「わかんない」と界人はちいさく返した。

杏子と界人のふたりに親しい老人は浜辺に腰かけふたりにむかってこう言った。

「人は、死なんとおもっておるだろう。人は、死ぬんだ。誰でも、死ぬんだ。」

その言葉を聞いて界人は「でも、杏子のお母さんは神様だよ」と言う。老人はその言葉に返す。

「神様でも、死ぬんじゃ」


死を象徴する場面が映画のなかで2度描かれる。老人がヤギを屠殺する場面だ。

両足を縛られ木の棒に逆さに吊るされたヤギ。その首に老人は剃刀の刃を押し当てる。白い柔らかな毛に覆われた首がふたつに裂けてゆく。ピンク色の肉のあいだから真っ赤な血が音もなく滴り落ちる。吊るされたヤギは鳴く。弱々しく、何度も。

老人は優しい目をしていた。晴れわたる奄美の海によく似合う目だ。老人は映画のなかで2度ヤギを殺す。1度目は老人ひとりで。2度目は杏子と界人の見守るなかで。

2度目の屠殺のシーン。杏子は死にゆくヤギの姿をじっと見つめていた。その様子を杏子と共に見つめていた界人は「これ…いつまでつづくの?」と顔を歪める。死にゆくものを見つめている時間の長さ。

ヤギの声が消えいる瞬間。杏子はつぶやいた。

「魂が    ぬけた」

死の瞬間まで杏子の両の目はヤギを見つめていた。いや、それは正確な描写ではない。杏子が見つめていたものは死という現象そのものだった。ヤギが目の前で血を流しながら死にゆく様を見つめている杏子の目には、ヤギが老人によって屠殺されてゆくという事実以上の出来事、生と死の交流点が映し出されていた。生き物としてのヤギは死んだ。そして、ヤギの魂が肉体からぬけだす瞬間を杏子の目は捉えていた。魂がぬけるその瞬間の静けさを、その沈黙を杏子は確かに感じていた。


死んだヤギの魂はどこへゆくのだろう。どこか遠く、ぼくたちの知らないところへゆくのだろうか。それとも、どこかへと消えてしまうのだろうか。首から血を流して死んでいるヤギの体。それは魂を宿さぬ肉の塊となり果てていた。現前する死という現象を杏子は目撃したのだった。


病状が悪化し、イサの死が迫る。イサは病床で彼女の手を握る娘に対して言う。

「生命は、もう、繋がっているから、死ぬのは怖くない」

生命は、もう、繋がっている。生きていることの内に既にして生命は繋がっている。死は消失ではない。死者と生者のあいだの不可視の繋がりをイサは語り、杏子はそれを感じていた。

イサの死の間際、イサのベッドの周りを取り囲む村人たちは、彼女の望みに応え歌をうたい踊る。三味線の軽妙な響きが木霊する。村人たちは陽気に歌う。イサもまたその音楽を聴きながらベッドの上で静かに手で踊る。「どうしても逝ってしまうのね」鎮魂の音楽。生と死の架橋。音楽は生と死の交わりを祝福する。

「しあわせ」

そう言い遺し、イサは逝った。


界人の物語は、家族の繋がりの回復の物語である。

界人は母親にたいする自分の心にうまく折りあいをつけられずにいた。

両親の別離。壊れてしまった家族のなかで界人が感じていたのは家族の繋がりの喪失である。繋がっていたはずのものが自分の力の及ばぬところで喪われる経験は人に孤独の意味を教える。

とある出来事をきっかけに界人は東京に暮らす父親を訪ねた。なぜ母親と別れてしまったのかと父親に問う界人の心には、あるはずの繋がりが喪われてしまった哀しみが滲んでいた。

その繋がりはしかし、不可視のものとして、離れた場所で暮らす者たちのあいだに続いていた。

たとえ離れていたとしても、俺がお前の父親であることには変わりないんだぞ」

父親の言葉に界人は、喪われたかに思えた繋がりのあることを確かめた。島に帰った界人は紆余曲折を経ながらも母親との絆を回復する。

ふたつの物語を通して河瀬は、人間の生と死の不可視の繋がりを描き出す。生きている家族の繋がり、生者と死者の不可視の繋がりを。

しかし、河瀬のまなざしは人間という境界に収まることなくそれを超え出ていく。登場人物の語る言葉や映画の各所に映し出される奄美の映像を通して、映画を、あらゆる存在の生命、生と死の繋がりの物語へと拡張する。


波乗りとは「どこか遠くで生まれた波の最期の部分を引き受けること」と杏子の父親は語る。

ぼくたちは波の生まれる場所を知らない。波の生まれる時を知らない。ぼくたちの知っていることはただ目の前の広大な海に悠然とゆらめく現象、過程としての波の姿だけだ。浜辺で海を眺めるときぼくたちの目に映る波は、ぼくたちの知らない遠い遠いところからやってきて、砂浜にたどり着くとすぐに波としての形を喪う。形を喪った波は、波という名を忘れ去られる。ぼくたちと波は出逢うとすぐに別れることになる。永遠に別れつづけてゆく波と人。人が波に乗ることは波の最期の部分を引き受けることだというのは、現象としての波に物体としての人間が乗るということ以上に、ひとつの儚い生命としての波の最期を看取るということなのだ。波乗りは波の生命の鎮魂の営みなのである。

「海って、生きてるじゃん」と界人は言う。杏子はかつて父親が話したサーフィンにまつわる話を界人に話す。

「(父親は)自分はまだまだだって言うけど、でも、そんな自分でも、時々、波に乗ることで、海とひとつになるっていうか、海と調和するような気がするんだって」

杏子は続ける。

「セックスみたい」

海とのセックス。それは海という生き物とひとつになることだ。ひとつになるとは物理的な意味ではない。名前も形も異なる存在同士が形としてひとつになることはできない。ひとつになるということは、物体としてひとつの物になることではなく、分かたれて在ることを前提としながらも、ひとつの生命として交わり、分かたれたものたちの元々のひとつのかたちへと還る営みなのだと思う。

〈エロティシズムについては、それが死にまで至る生の称揚だと言うことができる〉と語ったバタイユは、人間存在は個別に分かたれた非連続的なものであると言う。非連続的であるがゆえに人間は、連続性を獲得するための運動として性を志向すると考えた。間違いではない。しかし、ぼくたちは〈本当の意味〉で分かたれて在る非連続の存在なのだろうか。名付けられ分かたれた存在のあいだには、もともとは、一なる〈存在〉の地平があるのではないか。河瀬はこの地平を見つめている。

「生命は、もう、繋がっているから、死ぬのは怖くない」

生命は繋がっている。それは、すでに繋がっている。繋がっているから生命は生まれ出づるのだ。名前も顔も知らないぼくたちの祖先から連綿と連なる生命。生命のはじまりをぼくたちは知らない。波のはじまりを知らないように。

この映画のタイトルとして付された言葉は「2つ目の窓」。窓は少なくとも2つある。では1つ目の窓とは。それはおそらく、生命がこの世界に生まれてくるときに通るところだ。1つ目の窓が開かれたとき、生命は地上に生まれ出ずる。肉体としての生。それは一なる〈存在〉の地平から個別の存在が顕れる場所だ。その生が自らを全うしたときに通るところ、それが「2つ目の窓」である。

母神様は杏子に言った。

「死んでしまっても、あなたの心の中に生きている。心のぬくもりとして生きている。」

人は誰でも死ぬ、と老人は言った。神様でも死ぬのだ。でも、消えてしまうわけではない。心のぬくもりとして生き続ける。誰もが誰かの心のなかで。

「イサという波は、俺の人生のなかで、最高の波だった。」

杏子の父親の言葉だ。波。人は波である。単なる比喩ではない。ひとりの人間は、あらゆる存在にとっての〈一なる魂の海〉から生まれるひとつ波なのだ。波はいつか必ずどこかの浜辺と辿り着く。そこで最期のときを迎える。家族とは、波の最期を引き受ける他者たちの名である。誰もが必ず死を迎える。最期の時を引き受ける家族は、生命の波の最期を引き受けるその意味で皆〈魂の海の波乗り〉なのである。

愛しあう杏子と界人。「セックスしよ」界人の目を見つめながら杏子は言う。まっすぐな目だ。界人は怖じ気づき「無理だよ」と杏子の言葉をはねつける。愛する女性と繋がる覚悟が彼にはなかった。

けれど、東京に暮らす父親との繋がりを確かめ壊れてしまった母親との繋がりを回復した界人と、母親の死に向き合い死別の哀しみを乗り越えた杏子は、映画の最後にセックスをする。

彼らは異なる物語を通して知ったのだ。分かたれたものとして個別の生の語るのではない仕方。一なるものの連続として生をまなざすことの意味を。死者と生者との連綿とつづく円環の交わりのなかにあることを。

リルケは言う。

「死とは私たちに背を向けた、私たちの光のささない生の側面です。私たちは自らの存在世界が生と死という二つの無限な領域にまたがっていて、この二つの領域から尽きることのない糧を摂り込んでいるという、どこまでも広大な意識をもつようにつとめなくてはなりません。〔中略〕真実の生の姿は、〔生と死の〕二つの世界を架橋し、また、貫いていて、そこには終わりなき「血」の循環があるのです。この世というものがなければ、あの世というものもありません。あるのはただの大いなる統一体だけで、そこには私たちを凌駕する存在、「天使」が住んでいるのです。」(『リルケ書簡集  1910-1926』若松英輔訳)

二つの世界を架橋し、貫く、終わりなき「血」の循環。リルケと河瀬は同じものを見ている。

杏子と界人はセックスをした。互いの在ることを、分かたれていながら繋がっていることを確かめるように。〈一なる魂の海〉から生まれた2つの波は、男と女のあいだ、愛と呼ばれる繋がりの確かな行為として交わる。生きている2人は肉体を以って調和する。この儚い生の時間を全うするあいだに確かめられるべきぬくもりを確かめ合うための調和の営み。

2人は裸のままガラスのように青く透きとおった奄美の海のなかを手を取りあい泳いでいく。遊ぶように愛しあって。

海。生き物は皆そこから生まれた。その海は〈あの日〉の海とおなじ一つの海である。

映画の冒頭に映し出されたのは黒々と荒れる海の姿だった。その海の姿を見つめながらぼくは知らず知らずのうちにすこしずつ忘れてきた〈あの日〉のことを思い出していた。

あの海の姿は〈あの日〉ぼくがテレビのニュースで観た海によく似ていた。建物や車や人、その地にあるすべてのものをことごとく押し流してゆく〈あの日〉の海の恐ろしさを、ぼくはそこに見ていた。

〈あの日〉の海もまた、いまの海へと繋がっている。過去は消え去らない。死者が消え去ることのないように。すべてのものが〈一なる海〉に抱かれ、繋がっている。

1つ目の窓をくぐりぬけたものたちはみな2つ目の窓をくぐりぬける。2つ目の窓が開け放たれたとき辿り着くのは、森羅万象の一なる魂の故郷。〈一なる魂の海〉へすべてのものは還ってゆくのだ。


2015年3月1日日曜日

〈なめらかさ〉の合理と喪失

早朝。目を覚ます。ぼやけた目をこすりながら部屋の窓を開け放つ。アメリカンスピリットのタバコを一本取り出し口に咥え、ライターで火をつける。青みがかった灰色の煙を深く吸い込み、青々とした空に向け静かに吐き出す。煙は音もなく宙空に広がり慎ましやかに消えてゆく。窓越しに見えるは裏山の木々。冬の木々はみな慈愛に満ち満ちたくすんだ色に幹や葉を染め、平らな雲に覆われた灰色の景色によく似合う。人目をひかぬ地味な色合いの光景には、褐色を纏う赤色のギザギザした葉や抹茶色のまあるい葉、その他様々の形や色を顕にした木々が静かに息づいている。いずれの木もそれぞれに違い、みなそれぞれに美しい色や姿を見せてくれる。

近頃以前にましてよく歩くようになった。特段目的は無い。単なる散歩だ。目的も無く歩き、そして、見る。眼下に映るものたち。生物も無生物。ちいさなものたち。速く歩くと見落としてしまうものたちに目を向ける。散歩の醍醐味はそこにある。目的地を定めた歩行の道程にあるとき人はその道程にある様々なちいさなものたちの存在を見落としてしまう。目的地へ向けた歩行はその道程をなめらかに仕立て上げる。微細なものたちを無きものとして扱わんとする無意識が散歩の道程に〈なめらかさ〉を作り出す。

今の世の中はどうも〈なめらかなもの〉が好きなように思える。僕たちが何気なく歩行する都市を具に観察しながら歩いてみるとその嗜好のひとつの形態が僕たちの目にありありと映り込む。現代の建築技術によって作り出される建築物を見てみよう。壁や屋根、床などの建築物を構成する構造全体、それらの建築物を媒介する街路など、都市空間を構成する人工建築物は、主に直線的かつ平面的なものを設計思想の根底に暗黙裡の内に据えているように思われる。自然界では見かけることの無い人工的な直線構造が都市空間のほとんど全てを覆っている事に気づく。建築物の〈なめらかさ〉。こうした人工的直線構造によって構成された現代日本の都市空間を観察すると、現代建築は、大きな意味での「合理性」と密接に結びつきながら己を発展させてきたのだという気がしてくる。社会経済システムの合理的な現実に建築はフォルマライズされてきたのだと。

道はなめらかな方が車で走りやすいし床もなめらかな方が歩きやすい。走行と歩行の合理への適合である。其処彼処に石が転がり無用な草花が咲き乱れ、不意な雨風によって容易に侵食されてしまうような無舗装の田舎道は何かと不便である。建築物のフォルムばかりではない。建築物が占有する空間としての土地もまた〈なめらかさ〉を旨に切り分けられている。直線により切り分けられた土地という境界領域には権利が付与され、所有者が決定される。都市空間は物質的にも観念的にもなめからな線が無数に引かれているのだ。目に見える形で、目には見えない形で。ここからここまでは私のもの。ここからここまではあなたのもの。そうした線引きは「所有」のためには必要なことである。線引きの曖昧なものは法的に処理できないからだ。法律は社会における線引きの強力なメソッドである。自由は、なめらかに引かれた線による規制の境界領域内でのみ容認される。〈なめらかさ〉を志向する法と都市。公的な物の共有を徹底するためにはなめらかな線引きが必要である。理に適ってはいるのだと思う。

人間の思考もまた〈なめらかさ〉を好む。言語はカオティックな世界に線を引く〈なめらかさ〉の魔術である。定義、名付けることは、存在世界全体から名付けられたものを分節する。そして、名付けられたものとのみ僕たち人間は関係する事ができる。名付けられぬものを人は恐れる。名付けられぬものは理解できないからだ。思考はカテゴライズを好む。線引きは人間の本性である。白なのか黒なのか。分けることができないものを僕たちは分かることができないからそれを疎ましく思うのだが、ほんとうはどんなものも白と黒の中間領域にあるのだろう。本当の意味で分けることのできるものがあるのだろうか。白と黒の中間色である灰色のグラデーション。言葉や認識がそこに線を引いていく。思考の直線構造。

色。多種多様な色がある。色も分かたれている。何事も分かたれている方が何かと便利だ。理に適っている。合理的である。それは良い事のようにも思える。けれど、本当にそうだろうか。本当に分けることなんて出来るのだろうか。

珈琲カップを片手に携えて開け放った窓の外を再び眺めてみる。色々な木々がのっそりと立っている。それぞれの色。しかしどれも木の色だ。それらの色をひとつひとつ定義することはとても難しい。色々な色の混じり合ったそれぞれの色。木の色ひとつとってみても僕にはそれを正確に線引きし定義することができない。なめらかに区切られた色はどこにもない。小学校の美術の授業で使った絵の具。林檎を描くためにパレットに「赤」という文字の印刷されたアクリル絵の具を搾り出す。あの「赤」。あの「赤」は一体なんだろう。「赤」と定義されたあの色こそが真の「赤」だというのなら、僕は日常の中に本当の赤を知らない。なめらかに区切られた「赤」。色はそこにある。しかし、色もまた名付けられることによってなめらかになる。日常のあらゆる場面に潜む〈なめらかさ〉。

現代日本を代表する音楽家である武満徹によれば、音楽には「持ち運べる音楽と持ち運べない音楽」がある。固有の民族、文化に結びついた音楽(今時の言葉ではそれを「民族音楽」と言う。その言葉の定義もまた、あらかじめ措定されたスタンダードに対して「外部」を切り分け境界化するという思想を前提とする)は、「持ち運べない音楽」であるという。なぜ持ち運べないかというと、そうした音楽はその定義通り固有の民族、文化に結びついているから。認識し説明する事のできないほどに不可視なレベルで存在する固有の風土や人々の生活習慣と密接に結びついているために、ある種の音楽はその土地を離れる事ができないのである。琉球琵琶を海外に持ち出し演奏しようとしたところ、演奏会場のある国の湿度の影響で琵琶が乾燥し割れてしまったというエピソードもある。音楽的特徴と共に、楽器もまた固有の風土に結びついているため風土が変わるとそこから奏でられる音が変わってしまう。音楽を構成するのはその構造だけではなく種々の楽器の音色にも依るため、同じ楽曲を演奏しようとしても同じ音を出せないならばそれは同じ音楽ではなくなってしまう。ゆえに、ある種の音楽は持ち運ぶことができないという話だ。

「持ち運ぶことのできない音楽」という音楽の性質は元来、音楽の本来的な性質として自明視されていたわけだが、近代において、西洋音楽はその公理に対する革命を起こした。「持ち運ぶことのできる音楽」の誕生は西洋音楽の革命が齎した発明であった。高度に理論化された平均律を代表とする音楽理論体系や風土に左右されない楽器の発明がこの革命を現実のものとした。ピアノという楽器はその革命思想の物象化の粋である。微細な音の差異を切り捨て平均化することにより音楽を抽象化することに成功した西洋の革命の功績は音楽文化の豊穣さに対する多いなる収穫をもたらすこととなった。持ち運ぶことのできない音楽に出会うためには、聴取する人間がその肉体を彼の地へ持ち運ばなければならない。持ち運ぶことができる音楽の誕生はその困難を華麗に解決したと言える。どこにいても「同じ」音楽を聴くことができるという豊かさ。それは素晴らしいことだと思う。しかし、そればかりが善であると考えると見落としてしまうものがある。「持ち運べる音楽」は「持ち運べない音楽」の持っていた細やかな音色な音程の差異やゆらぎの有する豊かさを喪った〈なめらかな音楽〉とも言えるのではないだろうか。

西洋音楽の確立した記譜の方法では拾い上げることのできない微細な音のゆらぎや音色というものがある。抽象化には限界がある。そもそも理論化すること、抽象化することとは細部を切り落とすことと同義であるからして、当然その行為によって喪われてしまうものがある。

合理的な思考に基づいて不必要と判断された細部を切り落とすことによって作り出される〈なめらかさ〉。これは、都市も言葉も音楽も同じだ。〈なめらかさ〉の合理的な豊かさと〈なめらかさ〉によって喪失される豊かさ。これらは物事の表裏である。こうした事を見落としてしまうと、僕たちはなにか大切なものを見捨てることになってしまうのではないだろうか。どちらが良い悪いではない。それぞれにそれぞれの利点があり欠陥がある。優れたものには必ずそれに見当たった毒がある。良いとされるものには必ず悪しきものが隠されている。陰陽。分けられるものではないのはここでもまた同じだ。一方のみを信じてはいけない。