2014年9月18日木曜日

第13章 月面歩行 僕 僕 僕

西暦2114年9月18日。深夜。午前1時40分。僕は、月の上を歩いている。この日記が記された日の、ちょうど100年後。僕は、月の上を歩いている。それは、紛れもなく、100年前の僕が、小さな街灯の灯る路上で仰いだ夜空に煌々と浮かびあがっていた、あの、月である。僕は、月を眺めるのが好きだった。100年後、まさか僕は、同じ、僕、として、その月の上を、僕の二本の足で歩くことになるとは、想像もしていなかった。それは、可能性として、あり得るはずのない出来事であったのだあら。しかし、可能性は、時に、裏切られる。それは、図らずも、誰かの死を導くトラックの衝突事故のように、唐突に現れるものであり、僕は、不可能性の可能性という問題に対して、少しばかり、ない頭をフル回転させて考えないわけにはいかない奇妙な事態に遭遇したことになる。2114年9月18日。地球は、未だ、青かった。そして、僕は、月の上を歩いている。

灰色に、少しばかりの赤紫色を混ぜ込んだような色をした、小麦粉のように細かな砂と石と岩に覆われた月の表面には、その他に、色という色はなく、見渡す限りこの星にあるものは、単調な色彩の細やかで不器用な変形の連続だけであった。地球には当たり前のようにあった、空、なるものはここにはない。単調な色彩のすぐ上には、一切の色彩を欠いた空間、こう言ってよければ、漆黒の宇宙が少しの隙間もなく貼り付いているのだった。

僕は、ゆっくりと、可能な限りゆっくりと、その、灰色と赤紫色の混じった砂の地面を踏みしめて、歩いてゆく。靴が地面に接するたびに、細かな砂が、霧のように、ふぁっと舞い上がり、パラシュート部隊のように静かに地面に落下する。幼い頃、くりくりとした目を輝かせて足を踏み入れた雪化粧の世界を僕は思い出していた。近所のアパートの駐車場を覆うように立っているコンクリートの壁の上に降り積もった雪を、ちいさな掌でつまみあげ、そのまま口の中にほおばるのが好きだった。ふわふわとした触感と、口に入れた瞬間に舌の上でふわりと溶ける雪の味は、東京の空気の汚れのためか、ほんの少しだけ、苦味のあるものだった。

そんな景色を思い出しながら、僕は、この、月面歩行に精を出す。この星にやってきた理由は、僕にはわからない。ただ、言葉が、僕をこの星の上に導いたのだ。そう。それは、なんらかの天命とも言うべきものであるのかもしれない。それは、あの日。9つに分かたれた月を空に見つけたあの日の夜に、決定されていた事柄なのかもしれない。理由は、常に、物事の後になってから見出されるものだ。それは、単なる言葉であり、それ以上のものではなく、僕たちが発見するのは、いつも、そこでの生活を終え既にこの世の肉体と心と生命を終焉させてしまった魂の痕跡、蝉の抜け殻のような存在の必然の空白であるしかないのである。

月は、ここに、ひとつである。
そう。それは、ひとつでしかない。
僕の足が踏みしめる大地は、この、たった一つの月であることに違いはない。しかし、どうだろう。ほんとうに、月は、ひとつであるのだろうか。ほんとうに、本当のことを知ることは、僕に、できるのだろうか。この足が、この大地を踏みしめている間、僕は、僕であることしかできず、僕は僕の足で歩くことしかできないのであり、僕は、僕であることとは違うあり方で僕のことをまなざすことも、僕以外の生命を生きることも、僕のことを僕が見つめることも、ほんとうには、できやしないのだ。僕は、ここにいる。しかし、それを確かめるすべはない。現に僕は、この月の上にいながら、僕のことをここに想像し、僕のことを詳細に記述せんと試みる飽くなき執筆者、理由も価値もなき物語の連続をただ遊ぶこの筆記者としての、ぼく、と、月面歩行の僕、とは、果たして、どちらが、ほんとうに、僕なのであろうか。僕は、一人でしかなく、同時に、この、月面の僕が存在すること、その思考をあなたに対して示すこと、しかも、この思考の提示のあり方は、口語によるものか、はたまた、思想内部の言語それ自体の表出であるのか、それすらも明確に記述されていない、ただの言葉の羅列としての月面歩行の僕が存在することを保障する僕は、このiphoneを握りしめる僕なのではあるがしかし、その僕の行為自体を、今こうして言葉を紡ぎながら客体としてまなざすことは難しい。僕は言葉を紡ぎながら、2114年9月18日の僕の存在を記述する。僕は、僕を、月面歩行させる。しかし、僕は、月面歩行させられているのではなく、あくまで僕の意思に応じて歩行する。歩行は強制されることはできない。なぜならそれは、歩行という行為で表すことのできない行為であるからだ。僕は、僕のことを記述する僕であり、僕は僕によって記述される僕であり、その僕を、このようにして僕として見つめる僕がいる。僕とは、誰のことなのか。そうした問いを立てる僕は、僕と、同じだろうか。

月面歩行者、僕。
何もない、月面を歩行する。
今夜は、それだけの夜なのだ。
2014年9月18日午前2時16分。

2014年9月11日木曜日

第12章 コスモスと老人と惑星

遠い夜明けのこと。コスモスの花が咲いていた。薄青い空と草原。僕はそこに寝そべり、目の前に広がる無限にも似た空を眺めていた。鱗の連なりのように、びらびらとたなびき流れる雲雲は、何処へと向かうのか。僕はいま、此処にいる。この身体のなかにいる。この心の中にいる。そして、身体にも、心にも、ほんとうのぼく、は、いないことを、何処かで知っている。誰かが教えてくれたわけじゃない。それは、はじめから、知っていたことなのだろう。木は、今日も、あいもかわらず、木のふりをして立っている。おい、そこの、木よ。おまえさんは、どうして、そこに、木として、立ち続けているのだい。おまえさんは、何処へも行きたくないというのかい。僕は、何処かへ行きたいと思う。だって、僕には、2本の足があるのだから。おい、そこの木よ。おまえさんは、この、おおきなおおき碧色の空を眺めて、今日も独り、何を思う。寂しくはないかい。それなら、いいんだ。僕は、そろそろゆくとするよ。この空は、僕にはあまりに、大きすぎるから。

天空の木霊は、夜の闇を連れてくる。そぞろ歩きの宵の群。天空を覆う、時の流れ。僕の身体は、空へと溶けた。濃密な黒色のなか、空が、次第に、僕のなかへと、染みてくる。

僕は、一つ一つの、ぼくに、なる。ほんとうは、はじめから、そうだったのかもしれない。忘れていただけなのだろうか。忘れたとしたら、いつのこと。遠い遠い、過去の、あの、日。僕は、僕に、なってしまった。僕は、僕に、押し込まれて、透明な液体に浸されて、型のなかで、身動きひとつ取れぬまま、ただただ、自分のかたちを、拵えたのだ。そうしてみんな、大人になってゆく。ポロポロと、零れ落ちる、ぼくの、僕の、殻。あなたのも、きっと、そうでしょう。仕方のないことでしょう。石膏のような、白い、パリパリとした殻は、卵のように、やわらかい魂をこぼしてしまわぬよう、必死で、硬く、閉ざしておるのですから。

2014年9月10日。
月は、濃密な色を讃えて。

或いは、こうも言えるかもしれません。

何処か遠く、まだ見知らぬ土地で、…そう、それは、星、かもしれない。まだ見知らぬ星。何処かにある、星の上。灰色に光る、ちいさな星で、僕は、ぼくを探していた。何処かの駅に置き忘れてきてしまった、ぼくの、中身。

卵は、落下する。
地面にぶつかり、割れる。

老人は、ちいさな、嗄れた声で、呟いていた。

月は、ひとつではなかった。
それは、それら、であった。
わしは、それらを、愛していた。
そして、それは、過去となった。
分かたれたものは、二度と、戻ることはない。蛙の卵のように、川辺にたゆたう、透明な粘膜に浸された、奇妙な生命の、前の、形。
生き物はみな、球体だった。それは、凡て、星の姿をしておった。いつからだろう。かたちが、かたくなったのは。わしらは、わしらでしか、なくなってしまった。そうして、わしらは、わしらのことを、忘れてしまった。ひとりひとり、で、あるかのように。

あゝ、こんなにも、自由であることは、こんなにも、独りであることなのだ、と、アダムとイヴは泣いていた。

わしは、もう、帰るよ。
わしは、もう、疲れてしまったよ。
わしは、わしであることから、解き放たれて、かつての、星の、あるべきかたちへ、帰るのさ。
なぁに、怖がらなくてもよい。
ただ、それだけのことなのだから。
おまえさんも、少しばかり、年老いたら、わかるだろうよ。
もう少しの辛抱さ。
なぁに、たいしたことじゃあない。
ありがとよ。お若いの。ではな。


灰色の空に、冷たい風が吹いていた。もう、季節は秋だそうだ。時間は、止まることなく、過ぎてゆく。幾つもの日々を、忘れながら。

あの人は、いま、どんな顔をして、笑っているのだろうか。

僕は、元気です。
左様なら。