2014年8月12日火曜日

閑話 第X章 点と線と立体と、世界、そして、希望、生きなおすことについての論考

きっと、どんな人にでも、忘れることのできないある日の記憶というものがあるのではないか、と、ぼくは想像する。

ぼくたちの人生は、人類の歴史からみれば、とてもちいさな点にすぎないものだ。

その点は、おなじく、点にすぎない人間の手によって、いとも簡単に消してしまうことのできるもので、

そんな出来事は、目の前の現実からすこしだけ目を遠くへむければ、どこにでも起きている。

世界中で、いま、この瞬間にも、ちいさなちいさな点の鼓動が、その、振動を終えているというまぎれもない事実に、はたしてぼくたちは、耳を澄ますことができているのだろうか。

ぼくは、正直、心もとなく、そうしたちいさなこえの、ひとつひとつを、ていねいに、できるだけそのままに、まなざすことはできないのではないかと思っている。

それは、ひどく寂しいことなのかもしれない。

だれかのこえが、いま、ぼくのしらないどこか遠いところで、ちいさなちいさな響きを生み出しているのだとすれば、

ぼくは、できるだけ、そのこえに、耳をすませてみたいと、ねがう。

すこしでも、きこえるものがあるかもしれない。

わからなくとも、想像することは、できるかもしれない。

そういうことさえ諦めてしまったとしたら、一体ぼくたちには、どうして、この耳が、あるというのだろう。

諦めることは簡単なことだ。

しかし、諦めることなく、たしかに生まれいづるものたちのこえに、いま、この場所から、すこしはなれた場所にいる、まだしらぬ、だれかのこえをきくことは、ぼくたちにとって、むずかしくも、はかなくも、たしかに、ここに自分が生きているということの、実感としての証明になりはしないだろうか。

過去、現在、未来。

時間というものの上にも、さまざまな点をうつことができる。

それは、とほうもなく、永遠にも似た、現在のなかにある、たしかなものをつかもうとする、ぼくたちの、希望を示す、位置、となるのかもしれない。

ここにも、そこにも、あそこにも、点をうつことができる。

あるいは、自分や、他人や、友達や、家族や、動物や、植物や、この地球という巨大な星でさえも、

ぼくたちは、点として、とらえることができてしまう。

点とは、点である、のではなく、何かに対しての点、なのだ。

その、何かに対しての点、は、ちいさなものでもあるし、

また、同時にそれは、命そのものであるかもしれないのだ。

まなざすことを、そこからはじめてみなければならないのだと思う。

どんなものでも、ちいさな点であり、同時に、とてつもなくおおきな、世界、そのものであること。

そこから出発することで、ぼくたちの、生きることの、認識は、さまざまなおおきさの世界を、縦横無尽に行き来することができるのではないか、それは、希望なのではないか、と、ぼくは、無力にも、そう思わずにはいられない。

なぜなら、ぼくたち、ひとつひとつの点は、過去と、現在と、未来の、絶え間ない関係の糸のなかにあるのであり、

ぼくたちという存在のありかたは、かならず、だれかと、どういうかたちでか、つながり、線となるものであり、

その線と線が、また、この世界のなかに、新たな空間と時間の関係性を、世界をつくりあげていく。

点にすぎないものたちが、点にしかつくりあげることのできない、わけへだてることのできない、連続性のなかで、あるひとつの世界や、また別の世界を描くことのできる、線となるのであれば、

ぼくたちの世界は、とほうもなく、巨大で、縦横無尽に動き回ることのできる、無限の空間と時間、となるのではないだろうか。

ぼくは、そんなことを、イメージする。

そんなイメージは、イメージにすぎないのだろうか。ぼくにはまだ、答えることはできそうにない。

けれど、想像することでしか未来を描くことができないのであれば、ぼくに備わった、想像することの力を、信じてみたいと思うのである。


そして、過去。

過去はすぎさったものかもしれない。それはもう二度と、かえらないもので、ぼくたちはそれを想像することしかできないのかもしれない。

ある日のことを思い出す。
あの日、どんな風がふいていたか。
あの日、あの人は、どんな風に笑っていたか。
あの日。すぎさった、あの日のことを、ぼくたちは、おもいだすことができる。そして、わすれることもできる。

あの日もまた、ちいさなぼくたちにとっての、ちいさな点なのであり、ぼくたちは、その点をみつめることができ、また、その点のなかに無限にひろがる、世界を、まなざすことができる。

記憶とは、そうした、希望、なのではないだろうか。

記憶は、世界、それ自体でも、あるのではないだろうか。

ぼくは、かんがえる。
そして、想像する。

無数の点からなる、過去の記憶。それらを結ぶ、ぼくだけの、あるいは、あなただけの、そして、ぼくたちだけの、記憶、世界、の、在り方について。

かろうじて、そんな想像することが許されるのであれば、ぼくは、想像せずにはいられない。

ぼくたちの、脳内で、いま、この瞬間も、つながりあう、神経と神経の線、それが記憶を、つくりだすものならば、

記憶と、いまと、世界は、
ひとつながりに、なるのではないだろうか、と。

そして、想像する。

それらが、すべて、ちいさな点からなるものであるならば、すぎさった過去を、想像の舞台の上で、生きなおすことも、できるのではないか、と。

再び、生きる、ことが、できるのではないか、と。

だから、いま、ぼくは、物語に導かれている。

絶え間ない運動のなかで、ふとうかびあがる、記憶と、いまの自分と、そして、自分の想像しうる、未来、にもよく似た、世界のことを、

ぼくは、自分の、書きたいときに、書いている。

そうすることで、日常のなかでは忘れている、過去と未来の線上に、無数の点を痕跡として露わにすることができるかもしれない。

それが、物語ることの力だとしたら、ぼくは、それを信じてみたい。

そして、この物語がおわるとき、ぼくは、この物語を、ふたたび、生きなおすだろうと思う。

どのようなかたちかは、まだわからない。

痕跡を遺すことは、過去を過去として捨てさることではなく、未来に、変わってしまう自分の目で、ふたたびそれをまなざすためにあるのだから。

ぼくは、想像する。
この物語が、いつか、誰かの目に映る日を。
そして、そのちいさな点としての、誰かの目と、その現在と、ぼくの、たしかな関係の糸のなかにぼくがあると感じられたならば、

こうして、僕が物語ることに、ちいさくも、無限におおきな、世界が生まれることを、期待して。

2014年8月11日月曜日

第11章 追憶 Ⅲ

ともちゃんの家にお泊りをした翌日、母ちゃんが僕らをむかえにやってきた。母ちゃんは、ともちゃんのお母さんにあいさつをしていた。玄関のところで、すこしおしゃべりもしていた。僕は、あのときの母ちゃんの顔が思い出せない。玄関の扉から、少しだけ空がみえた。青い空と白い光で、母ちゃんの顔が霞んでいた。そして母ちゃんは、僕らを連れて車に乗り込んだ。

「これからね、岐阜のばあちゃんの家に行くのよ。ばあちゃん、ゆうたとりょうに会いたがってるからねえ。きっと喜ぶよ。」

僕は後部座席の弾力のあるシートの上に横になって母ちゃんのことばをきいていた。

弟は、いやだいやだと泣いていた。

僕は、わかっていたから、泣かなかった。

僕たちは、この町を出て行くのだ。

今日、この日。この町にお別れをするのだ。

もうたぶん、帰ってくることはないだろうと思った。

ねもちゃんとか、とりちゃんとか、まるちゃんとか、せっきーとか、

みんなとも会えなくなる。

さよならは言わなかった。

言えなかった。

さよならを言ってしまうと、
もう二度と会えないみたいで、
しんでしまうみたいで、
ピコちゃんみたいで、
僕は、さよならを、言えなかった。

母ちゃんと父ちゃんは、離婚をするのだそうだ。僕は母ちゃんからそれをきいていた。母ちゃんはていねいにそのことを僕に話してくれた。母ちゃんは、父ちゃんになぐられたりして、腕とか足とかに傷があった。痛そうだった。


僕は、車の後部座席で、母ちゃんの声を聞きながら、

車の窓でくぎられた、
四角い、ちいさい、
空をながめていた。

空は、あいかわらず、
とても澄んでいて、
あおかった。

僕らは、
はなればなれになる。

いや、ちがうんだ。

ほんとは、
みんな、
もともと、
ばらばらなんだ。

かぞくも、
ばらばらなんだ。

ぼくも、
おとうとも、
かあちゃんも、
とうちゃんも、

みんな、
みんな、
ばらばら、なんだ。

そらは
あおかった

どうしようもなく
きれいだった

ながれるくもと
まちのけしき

ぼくらは
ばらばらなんだ

ひとり
なんだ

ひとりぼっち
なんだ







あの日。僕だけの秘密基地の中で、見上げたブルーシートの空は、あおかった。

その日。僕だけの後部座席の中で、見上げた、ほんとうの空は、あおかった。

ぼくは、
ひとり、だった。

第10章 追憶 Ⅱ

僕はその日、幼馴染のともちゃんの家に遊びにきた。小学1年生の弟を連れて。ともちゃんのアパートは、うちからすごく遠くのところにあったので、僕と弟は、母ちゃんの車に乗せられてともちゃんの家にやってきた。母ちゃんは僕らをともちゃんのお母さんに預けて、「よろしくね」と言って、仕事へ向かった。母ちゃんがなんの仕事をしているのか僕は知らなかった。特に気にもしなかった。しばらく父ちゃんの姿は見ていなかった。父ちゃんは家に帰って来なくなっていた。どうして父ちゃんが家に帰ってこないのか僕は知らなかった。特に知ろうともしなかった。僕は父ちゃんのことをあまり知らなかったので、父ちゃんが帰ってこないことの理由もたぶん僕にはわからなくても仕方ないと思っていた。母ちゃんは車のエンジンをかけて仕事へ向かった。僕と弟は、ともちゃんの家で、みんなで遊んだ。今日はお泊りの日だ。着替えも持ってきた。わくわくした。そわそわもした。僕はお泊りが好きだったけれど、少しだけ苦手でもあった。


幼稚園の年長さんのときのお泊り保育の記憶が微かに残っている。薄暗い大部屋で、先生とみんなと一緒に布団を広げて、はじめてのお泊りの夜だった。僕はやっぱりわくわくしながらそわそわもしていて、その時どんなことを考えていたのかは、もうよく覚えていない。

僕が覚えているのは、薄暗い大部屋の中に敷かれた僕の布団の中で、年長さんの時の僕が泣いていた、記憶。

僕の視界は、部屋の角に固定されていて、僕は部屋の角から年長さんのときの僕を見ている。

年長さんの僕は、しくしくと泣いていた。みんなに聞こえないように、しくしくと。年長さんの僕は、飼っていたインコのピコちゃんが死んでしまったことを思い出してしくしくと泣いていた。ピコちゃんは、死んでしまった。ある日、突然、死んでしまった。あの日。僕は、ピコちゃんの冷たくなった身体を両手で抱きあげて、声をあげて泣いた。ピコちゃん。ピコちゃん。どうして死んじゃったの。ピコちゃん。ピコちゃん。どうして死んじゃったの。どうして。もう動かないの。もう、空を飛ばないの。からだがつめたいよ。ピコちゃん。いつもみたいに元気にバタバタと羽を動かして、僕の上を飛んでみせてよ。

ねえ、ピコちゃん
しぬのは いたかった?
しぬのは こわかった?
しぬのは いやだった?
いきていたかった?
ねえ、ピコちゃん
ねえ、ピコちゃん

さみしいよ

第9章 追憶 Ⅰ

「ねえ、知ってる?虹の色って本当は9色だったのよ」

僕は、彼女の手を握っていた。いつもの通学路をふたりで歩いていた。蒸し暑い日だった。無数の蝉たちの鳴き声が町の中にまで響き渡っていた。学校がお休みの日にいつもアイスを買う個人営業のコンビニエンスストアを越えて、あの交差点を渡って、左手に見える寂れた倉庫の向こう側に、彼女の住むアパートがあった。彼女はお母さんと妹と二人暮らしだった。

「お父さんはいないの。でも、あたし、平気よ。」彼女は僕によくそう言って聞かせてくれた。彼女には父親がいなかった。そして、同じく僕にも父親はいなかった。いや、その言い方は正確ではないかもしれない。小学5年生、11歳の僕にはまだ、父親がいた。

東京都小平市にある小さな町に、僕らは住んでいた。東京であるにも関わらずその町には、東京の匂いが少しもしなかった。町に建ち並ぶ建物は皆背が低く、空がとても大きかった。夏になると、カブトムシを見かけることもあった。小さな小川も流れていた。僕は近所の空き地で、1人で秘密基地を作って遊ぶのが好きだった。蝉の抜け殻のように横たわって誰からも忘れられた車のタイヤを転がして、何のために組まれたのかもはや自分でも忘れてしまったかのように途方に暮れたまま立っている鉄筋の骨組みにタイヤを据え付けた。壁面を全て覆ってしまうまで、繰り返し繰り返しタイヤを転がして運んで積み上げた。屋根はブルーシートだった。工事現場のおじさんが忘れていったのかしら。そのブルーシートも空き地の端にぐったりと横たわっていた。僕はそのブルーシートを広げて鉄筋の骨組みの上にかけた。

お手製の秘密基地の中に入ると、そこは別の世界だった。壁面として積み上げた車のタイヤの隙間から外の世界を覗き込んでみた。誰もいない空き地が僕にとっての外の世界に変貌した。風に吹かれて草がゆれていた。僕は秘密基地の中に流れている空気をゆっくりと吸い込んだ。

「ここは僕だけの場所。僕だけの秘密の場所。誰も知らない、秘密の基地。」

声には出さずにそうつぶやいた。そう、ここは、僕だけの秘密基地なのだ。誰も知らない、秘密の基地。僕は、なんだかとても安心した。ここなら、やっていける気がした。ひとりになれる気がしたのだ。ひとりになれる場所が、僕には何処にもなかったのだ。

秘密基地の中、横になり、宙を見上げた。僕の目には、おおきな青い空ではなく、ちいさな青いブルーシートの空が広がっていた。

2014年8月8日金曜日

第8章 黒色の通路 シルクハットの男は語る

ピカピカに光る四角い黒色の通路を歩きながら僕はシルクハットの男に尋ねた。

「さっき僕が通ってきた通路の名前をあなたは「大腸のトンネル」と仰いましたね。不思議な名前だなと思いましたが、いま、僕らが歩いているこの通路にも名前があるんですか?」

男はシルクハットのツバに隠された顔から浮遊する木の葉のような奇妙な笑い声を微かに響かせたのち、僕にこう告げた。

「この通路の名前、ですか。不思議な質問をなされますね。いやはや、面白いお方だ。名前が気になるなんて。いやはや、すみません。お気を悪くなさらんでください。わたくし、笑い上戸なもので。笑い上戸と言っても、酒は一滴たりとも呑んでおりませんのよ。けれども笑いが止まらなくなることがしばしば。愉快なものです。愉快なことは素晴らしいことです。わたくしは愉快なものが好きであります。愉快なものはわたくしに幸福を与えてくれるものですからね。小さな子供が熊に見立てたぬいぐるみを嬉しそうに抱きしめながら遥かな夢の旅路をゆくような感慨がありますね。わたくしには、そのようなものこそが最もらしいもののように思われますの。ええ、それこそが至高。わたくしは至高のみを愛しております。ですからわたくしは、笑うのです。お気を悪くせんでくださいまし。あ、そうそう。この通路の「名前」でしたね。貴方様の質問は。お間違いないでしょうか。その質問に関してはわたくし、こう答えることにしておりますの。

「この通路に、「名前」なんてものは存在しませんのよ。おほほほ。」

と。あらやだ。そんなお顔をなさらないでくださいな。わたくしには、貴方様をからかう気なんてさらさら御座いません。貴方様の質問に対して、わたくしからの誠心誠意正直で明確明瞭なお答えを申し上げますと、答えはそのようなものにならざるを得ないということですので。「この通路に「名前」はない」これが貴方様の質問に対するわたくしの唯一のお答えで御座います。おほほほ。」

シルクハットの男の返答に僕は些か不快感を覚え、さらに質問を付け加えた。

「そうですか。でしたら先ほど僕が通り抜けてきた「大腸のトンネル」という名前の由来は何ですか。確かに、通路の形態として人間の大腸にも似た形をしていましたが、その名前はあなたが付けたものですか。それはなぜ「大腸のトンネル」という名前を付けられたのですか。そもそもここが一体何処なのか、僕にはまるでわからないのです。僕は、巨大な虹色の海月にふれて、気づいたらこの場所に辿り着きました。まるで時空を飛び越えてしまったかのように、光の中で一瞬にして。僕には、今の僕が置かれた状況というものがまるでわからないのです。僕はなぜ今ここにいるのか。僕はなぜ「大腸のトンネル」を通り抜け、今、あなたと共にこの「名無しのトンネル」を通り抜けているのか。そして、この先に何があるのか。さらに付け加えるならば、この通路は、一体何処にあるのか。今の僕には、僕自身のこと以外、明確なことは何もないようです。何かご存知でしたら教えて頂けませんか。」

シルクハットの男は、ピカピカに磨かれ手入れされた黒い革靴のカカトを通路の床にあたかも軽妙なタップダンスを奏でるかのように歩きながら暫らくの間何も語らなかった。黒い通路の中に、冷えた鉄にふれるかのような冷たい沈黙が漂っていた。

シルクハットの男は突然立ち止まり、くるりと身を翻し、僕の真正面を向き、無表情な冷笑を浮かべながら僕にこう言った。

「いやはや。貴方様は、少し物事を複雑に考えすぎるところがお有りのようですね。ふふふふふ。いや、まあ、それはそれで退屈な人生を生きるための少しの娯楽にもなり得るものでありましょうから、わたくしとしてはそれを否定するつもりはさらさら御座いません。わたくしも、無駄なものが好きで御座います。無駄なもの、取るに足らないもの、遊びは、人間に与えられた時間なるものの余剰を産み出すものでもありますからね。時間は人間に与えられておりますが、それは預金残高のような決められた数値で測定可能な代物では御座いません。時間は常に減少したり増加したりするもので御座います。多くの人間はご存知ないようですが、これが時間なるものに隠された一つの真理で御座います。かつてアルバート•アインシュタインという稀有な学者は、相対性理論という世界の見方を創り上げました。彼の発見は時間の真理に迫るものでしたが、真理に到達するまでには至らなかった。多くの愚かな人間が彼の探求の邪魔をしたためです。全くもって残念な事です。彼が時間の真理に到達してそれを人間社会の常識として流布してくれさえすれば、わたくしの仕事も少しは少なくなったはずですのに。いやはや、そんな愚痴を零しても仕方ありませんね。時代はまだ彼を求めてはいなかったのですから。これは悲劇です。悲劇以外のものがこの世界の何処にあるのかわたくしは存じ上げませんが、兎にも角にも悲劇というものはこの世界の中心のひとつの環を成すものです。それはひとつの惑星のようでもあります。それは周回するもので御座います。それはわたくしとあなたの間にある、いまこの瞬間にも周回する惑星であり、それはこの瞬間瞬間の中で絶えず生起し生まれ変わる生命活動のようなものでも御座います。兎にも角にも、そのような仕方で存在する物事は、可能な限り確からしく感ずることのできるもので御座いましょう。

如何ですか。貴方様はいま、この場所におられる。わたくしの前にこうして立ち、わたくしの口から発された声を聞くことができる。この文章を読んでいらっしゃるそこの貴方様。その目に映るこの不可解な文章は貴方様の脳内に何を想起しておりますでしょうか。わたくしは何者でしょうか。わたくしはそもそも「何者か」でありましょうか。わたくしと名指す存在。わたくしはいまこうして話をしております。「」で括られた部分が、物語の登場人物の発語内容であるとの文学的規範に乗っ取り、この文章のこの部分を、わたくしの発話として認識なさっておられる貴方様。そう、画面の向こうの貴方様です。金曜日。お仕事お疲れ様です。今宵は皆様、一週間の労働の疲れを癒すために、花金なるものを堪能なさっておられる事でしょう。

新宿の街はとても賑やかな場所ですね。わたくしも一度は訪れてみたいものですが、あいにくわたくしには、貴方様の所属する世界における、具体的現実的な肉体なるものが御座いません。こちらの世界のわたくしには、もちろん肉体が御座います。このように、高価なシルクハット、スーツに革靴を優雅に着こなし、黒い通路の床に革靴のカカトと叩きつけながら、流麗なタップダンスを踊ることだって容易にできます。わたくしには肉体がありますから。貴方様から見れば、こちらの世界にいる、わたくしの、こちらの世界における三次元の具体的現実的な肉体が御座います。それは死ぬこともできます。女を抱くこともできます。望みさえすればなんだってできます。わたくしは、自由です。貴方様方がお呼びになられる、自由なるもの、それ自体と考えていただいて差し支えないかと思います。

わたくしは、いま、ここ、におります。確かにいます。でなければ、貴方様にこうして言葉を投げかけることもできないでしょう。どうですか。聴こえていますか。貴方様の目は、この言葉を読んでおられます。そして、わたくしの声を聴いておられます。声ならぬ声を。

わたくしは、発話しております。
パロールがここには存在します。

貴方様は、
わたくしのパロールを、
ランガージュとして読まれております。

この不思議を、貴方様はどのように感じておられますか。もしくは、このようなことを不思議だと感じてはおられませんか。だとしたら貴方様もまた、ここにおられる「僕」の1人で御座います。いえ、非難しているわけでは御座いませんよ。わたくしはただ、ありのままの真実をお話させて頂いているだけであります。わたくしの目の前におられる「僕」と、わたくしの言葉を文字へと変換しいまこうしてiPhoneの画面に、何かに取り憑かれたように文章を書きつけている百瀬雄太という男と、インターネットというテクノロジーを介して届けられるわたくしのパロール=百瀬雄太のランガージュを、今、この文字へと目を走らせ、脳内にその言葉の発する口の動きとシルクハットの奇妙な質感を想起する貴方様。ここにある不思議な関係性。

どうですか。

ここは何処で御座いましょう。

わたくしは、何処におられると思いますか。

わたくしは通路におります。わたくしは言葉におります。わたくしは百瀬雄太の脳内におります。わたくしはiPhoneの画面の上におります。わたくしはこの物語の主人公の目の前におります。わたくしは貴方様の脳内におります。わたくしはおります。

同時に、わたくしはどこにもおります。この文章が消されれば、あるいは、この文章が誰の目にもふれることがなければ、わたくしはどこにもおりません。

わたくしは、いますか?

「大腸のトンネル」は、名前で御座います。そして、いま、わたくしのおりますこの通路には名前が御座いません。その事に、何か大きな差異がありますでしょうか。

名付けられることで人々は安心なさいます。それはそれとして、幸福なことでもありましょう。しかし、それは、至福なことでは御座いません。この事だけはお忘れにならないようにして頂きたいものです。

わたくしと「貴方様」との出逢いは、必然性という名のもとに生起した、極めて運命論的な出来事で御座いますから。

貴方様の世界では、いま、時計の針が22時52分を指しました。しかしそれは、百瀬雄太の所属するいまこの場所にある時間の指標でしか御座いません。この物語をお読みの貴方様。いま、あなたはどこにおられるでしょう。いま、あなたの時間は、どこにあるでしょう。

時計の針は、無限に存在しますよ。
そして、あることとないことは、ともにあることなのかもしれませんね。


おほほほほほほほほ

あ、「」を閉じさせて頂きますね。
それでは、佳き宵をお過ごしくださいませ。

2014年8月5日火曜日

第7章 1番目の月 彼女の涙 粒は還る

1番目の月は地球を見ていた。1番目の月は地球を見ることが好きだった。青い地球を見ていると、自分の中にある何か得体の知れない感覚がざわめき出すのを感じた。1番目の月は、そのざわめきがなんなのかわからなかったが、目をつむり、そのざわめきに意識を向けていると、次第に、歌が歌いたくなることを知っていた。1番目の月は今日も歌う。


「地球よ」
作詞•作曲:1番目の月

地球よ 地球
青い星よ
別たれた影の名を知る星よ
明滅する光の速度は
音もなく星をかえりみる
狐は今日も空を飛び
蛙は今日も土を喰らう
七色鼠は宙を舞い
透明ガラスは走りゆく
あゝなんて愉快なこの星よ
何処までも続く青空よ
こどもは歌う星の歌
人は帰りし夢の跡
もう何処へも行かぬでおくれ
とどまることなき詩の光
末裔の時を経て帰りゆく
日々の無言は今なお続かん


1番目の月は信じていた。自分がかつて人であったと。あの日愛した女のこと。失くしてしまった家族のこと。日々の戯れ。喧騒。都市のなかをひた走る馬の群。1番目の月は目をつむり、今日も歌う。そして、思い出すのだ。自分の身体を構成する小さな小さな石の中に眠る記憶を。

石の記憶。








たゆたうように、白き光が木々の隙間に差し込んで、音もなく、風のゆらめきとともに私を照らす。

サルスベリの木の葉たち。風に揺られて無邪気に遊ぶ。さわさわさわ。風のこども。木の葉の舞踊が、地面に静かな影を生む。

私は、目を細めてそれを見る。
私の目に映るのは、木の葉と光の泡の群れ。私の眼は、視力が0.02しかないので、眼鏡を外すととてもじゃないが世界を見ることができない。そう思っておりました。しかし、どうでしょう。私の眼は確かに悪いですが、私の目はよく見えます。ほら、貴方も見てくださいな。

木の葉のひとつひとつは風に遊び
ちいさなちいさな緑色の光の粒となりて薄青い空のキャンバスの上をゆれ動いております。
数え切れぬほどの緑の光の粒が寄り集まり、おおきなおおきな絵を描きます。緑の光の粒の群れ。おおきなおおきな緑の絵よ。
そして、どうでしょう。見えますか。緑の光の粒と粒の間。白の光の粒が遊びます。私の目は、どちらの色をも見ることができます。貴方の目も、見ることができます。どうでしょう。綺麗です。
薄い青い空の色は、かつてここにいた、総ての者たちの哀しみの色でしょうか。彼らは死んでゆきました。みな、土へと還りました。土の中、ちいさなちいさな生物たちが、彼らを食べました。彼らのからだはちいさなちいさな粒になってゆきます。色とりどりのちいさな粒に。彼らの粒は、それぞれに還りました。彼らの哀しみは、水となり、水の粒とともに川になり、おおきなおおきな海へと還りました。

おおきなおおきな海には、すべての者たちの哀しみが溶けています。けれど、それは消えているわけではありません。彼らの哀しみは、目には見えない粒となり、今もこの海のなかに生きております。

太陽は、彼らの哀しみに光をあたえます。そして、彼らの一部は、空へと還りました。空は、だから、青いのです。空は今も青いまま。彼らの粒は今もそこにいます。寂しがりやな彼らは、ときに雲にも還りました。ふかふかの雲は空を優雅に旅します。まだ見たことのない街へと旅をします。そして、様々な哀しみを吸い込んで、雲はおおきくおおきくなって、何処かの街に雨をふらせます。

雨の粒になった彼らは、何処かの街の地面にその身を打ちつけて、土に還りました。土に還らずに、洗濯物に還る者もおりました。そして、わたしは、彼女の顔に、還りました。

一粒の雨である、わたし。
彼女は泣いておりました。
彼女の涙とわたしは、一粒に還りました。彼女は、泣き止みました。そして、空を見上げました。

空は晴れ
わたしは青
空は青
わたしは晴れ
彼女のこころは
わたしの
還りを
待っていました

2014年8月4日月曜日

第6章 渦巻き 大腸のトンネル シルクハットの男

白い扉の中には、奇妙な通路があった。壁面には無数の曲線が螺旋状に彫り込まれ、その曲線は通路の奥へと続いていた。壁の質感は、脆い紙粘土のようで、手でふれるとボロボロと零れ落ちてしまう。通路の形は、四角ではなく円形であり、平らな面が一つもないため歩くのに苦労した。僕は、壁面の曲線につまづきながらよろよろと一歩、また一歩と歩を進めた。

小一時間程歩いたところで、開けた空間に辿り着いた。高さはおよそ10m程。空間の端から端までの長さは15m程だろうか。中心に六本の柱が立っている。その柱は、まるで太古の昔から其処に根を張り、悠久の時を超えて成長を続けている巨大樹のように見えた。巨大樹のような柱は、赤、青、黄、緑、オレンジ、紫の配色がそれぞれに施されており、渦巻き状の紋様が無数に彫り込まれていた。それぞれの渦巻きは、大きさを違えながらもそれぞれの終点で繋がりあい、全体として巨大な迷路のような模様を柱に描き出していた。

僕は六本の柱を眺めながら少しばかり歩いていた。柱は空間の天井に突き刺さり、何処まで続いているのかを知ることは叶わなかった。特に理由はなかったが、この六本の柱は、おそらく、何処までも続いているのではないかと僕は思った。「何処までも続く六本の柱」僕は声に出してそう呟いた。いつの間にか、僕の口には、声が帰ってきていた。失われた声は何処かを彷徨い歩き、再び主人の元へと帰ってきたのだった。








僕は自分の口に帰ってきた声を確かめるようにして、ゆっくりとそう呟いた。

「お待ちしておりましたよ」

突然、その言葉が僕の耳に届いた。僕は驚いて、よろめきながら声のした方を向いた。そこには1人の男らしきものが立っていた。

身の丈190cm程の長身に、黒色のシックなシルクハットとスーツ、左胸ポケットには鮮やかなショッキングピンク色のハンカチーフが差し込まれていた。大きなシルクハットに顔が隠れていて、男がどのような顔をしているのかを知ることは叶わなかった。(男のような低い声色であったので男と判断したが、正確に判断する基準は他にはなかった)

男らしきそいつは、僕に向かって今度はこう言った。

「いやはや、ご機嫌いかがでしょうか。「大腸のトンネル」は些か歩きづらい処でありましたから、お疲れかと思います。ささ、此方へどうぞ。貴女様の席はご用意して有りますので。ええ、それはもうとびっきりゴージャスで、エレガントで、ナイーヴで、怖いもの知らずな、スペーシャルなお席で御座いますよ。私、貴女様の為に、特別なお席をご用意させて頂きましたから。3光年程前から列に並んで席を確保させて頂きましたのですよ。まあ、たかだか3光年と仰る方もおいでですが、私こう見えて、中々に忙しいものでして。今日も豚のフンを金塊に変換するためにせっせとケサランパサランを集めておりました処です。100匹ほど集めませんと、純度の高い金塊には成りませんからね。白粉も高級な物を使っていますのよ。あゝ、そうそう、貴女様もよくケサランパサランをお見かけするでしょう。彼らは気まぐれですから、私たちの処を好みそうな人間の元へふらりと遊びに行くのです。それで時々捕まってしまうのですがね。まあ、ドジっ子パサラン、パサパサラン!といったところでしょうか。おほほほほほ。」

男は次から次へと言葉を発していたため、僕は次第に疲れてしまい、その先の言葉には耳を伏せていた。男に導かれるままに、僕は空間の奥へと続く道を再び歩いていた。こちらの通路はさっきの通路とは違い、真四角で、壁面は黒色、ピカピカに磨き上げられた大理石のような質感の壁が真っ直ぐと続いていた。黒一色の通路に、男と僕が歩き、地面を靴が叩く音が不揃いに響いていた。

第5章 無線 Ⅰ



私の好きな色



私の嫌いな色



それは、空の色



それは、海の色







世界には
色々な色のアオがある

あ。

お。

あお。

あいうえお。

あを。

私はそこからきた
私はそこへかえる

私は私のなか
この形のうまれるまえの
遠いあの日

私の見たあおは
どのあおだったか

それは
煌煌と輝く種類の

それでいて
闇のようにふかいところ

おおらかで
ふくよかで
やわらかで
尖ったところのない

そんな あお

そんな あおのなかを
私は 泳いだ
私は?
ワタシは?
ワタシハ
ダレダ
ワタシハ カイタイサレル
ワタシハ チイサナ粒ニナル
ワタシハ カツテノ記憶ニナル
ワタシハ ワカタレタモノニナル

ニナル
トハ
嘘かもしれない

ナル
コトハ
ナイ のかもしれない

アル
コトシカ
本当は
ナイ
のかもしれない

ワタシハ
アル

アオ

ルツボ
ノイズ
明滅
ポツポツ
ピー
ポツポツ
ピー
ジジジ
ボコボコ
ポツポツ
ボコボコ
ポツポツ
ボコボコ
ジジジ
ジジジ
ジジジジジジ
ザー






…聴こえ…
ます…カ…

カツテノ…
かつての…

…ジジジ…



…ジジジ…
ザザ…



…記憶…

聴こえますか…

…ピー…

かつての…
…記憶の…まえ…



…そこにあります
…思い出せば
…ジジジ…
つくりだす…
アオ
…源…
忘れ…
ヲヲヲ…
…ぐすん…
………

ワタシハ記憶
ワタシハ青
ワタシハ空と海の間


第4章 無限定の白い空間

白い光の中。僕は目をあけた。辺りには形らしきものはまるでなかった。唯々、白い空間が広がっていた。何処まで続くのかもわからない無限の白の空間の中、僕は独り立っていた。

「ここは何処だろう」

そう口にしたつもりだったが、僕の耳に、僕の声は聴こえなかった。辺りを歩き回ってみても、僕の靴が地面を叩く音は聴こえない。どうやら、此処には音というものが存在しないらしい。もしくは、音が発された瞬間に、その音の波動が消え失せてしまうのかもしれない。理由はわからないが、此処には何ひとつ音が聴こえないことは確かなことだった。

僕は不安になり、右手の掌を自分の胸に押し当てた。僕は死んでしまったのだろうか。僕の心臓は動いているのだろうか。それを確かめるために。

僕の胸の奥にある心臓は、どくんどくんと力強く鼓動を打ち続けていた。右手の掌に、その鼓動を感じる事ができた。どうやら、僕は生きているらしい。心臓は動いているし、息もしている。白い風景しか見えないが、僕の目も確かに目の前の風景を見ることができている。だから、おそらく僕は今生きているということが言えるだろう。医学的には。動物学的には。

自分の存在の不確かさと目の前に広がる白一色の光景を前にして、僕は様々な仕方で、思考で、自分の存在を確かめようとした。日常的な生活から切り離されてしまうことで、人間は自分の生きていることにさえこれ程の不安を感じるのかと僕は思った。存在の不確かさ。実は僕たちは、本来、その不確かさの中で生きているのだという気持ちもしてきた。

僕の家の前には、大きな家々が並んでいる。朝、目を覚まして、辺りを散歩すると、早起きのおばあさんによく顔を合わせる。様々な種類の植物に覆われた古い一軒家を散歩がてら眺めるのは、僕の日課だ。日に日に一軒家を覆う植物の群れは成長しながら建物全体を静かに呑み込んでいくのだ。外壁は緑色のグネグネと折れ曲がった蔓に覆われ、締め上げられている。時折、その蔓に鳥たちがやってくる。鳥たちは、午前5時の空がとても好きらしい。人間たちが布団の中で夢を見ているまだ薄青い空を、鳥たちは楽しげに歌い、笑い、飛び交う。僕には彼らが一体何を言っているのかはわからない。けれど、僕は、鳥たちの声を聴くことがとても好きだ。彼ら一羽一羽は、それぞれのやり方で鳴き交わす。一羽として同じ声で鳴くものはない。今度、午前5時に目を覚ましたなら、朝の町中をゆっくりと歩いて見てほしい。鳥たちは、自分だけの声を持ち、自分だけの歌をうたっている。無数の声が青白い空の中に響き渡る。その素晴らしさといったら、他に例えようもないものだ。僕は鳥が好きだ。鳥のように歌えたらいいのにと何度も彼らの歌声を真似してみたものだ。僕は歌うことが好きだ。僕の身体の中に静けさが広がり、僕の口は自然と開き、僕の声は、僕の意思とは無関係に空へと差し出される。声は次の声を導き、言葉はなんらかの意味と意味とを一本の見えない糸で結びつけて行く。空に声で刺繍を施すような行為が、僕にとっての歌なのだと思う。目には見えない光の糸で空に僕だけの絵を描いて行く。描いてはすぐに消えてゆく光の声は、一体どこに消えてゆくのだろう。そんなことをいつも考える。光は僕らのそばにある。でもふれることはできない。こんなにも確かに、目の前の世界を照らしてくれているのに。僕は光に感謝する。光よ、有り難う。あなたのおかげで僕は世界を見ることができる。あなたがいなければ、世界はすべて、黒一色に覆われてしまうでしょう。黒一色の世界は、たぶんさみしいところでしょう。どんなに美しいものも、そこでは見ることはかないませんから。黒はすべてを含み混んでいるから、僕たちは黒から色を取り出すことができないのです。黒はこわいものです。黒は重力です。呑み込んでいってしまうのです。光よ、有り難う。あなたはわたしの希望です。


目の前に広がる白一色の光景を眺めながら、僕は独り、声にもならぬ声を用いてそのようにぶつぶつと呟いていた。

その時だった。

それまで何もないかのように見えた場所に扉が現れた。そして、扉は開かれた。僕は少し躊躇いがちに、その扉の方へ歩を進めた。

扉の前に立つと、白い扉には一枚のプレートが貼り付けられていて、そこにはこう書いてあった。

「この先、道先案内人。私は、あなたの中の誰か。ここに住む、小さな居場所。己を己と疑うならば、どうぞ、私のなかへお入りください。粗茶の一杯でも入れて差し上げます。あべこべは私の好きなもの。あなたの好きなものは私の嫌いなもの。でも、だからあなたは私のあなた。私はあなたの私。さあ、どうぞ。ゆっくりとお入りください。」

この先に何があるのだろう。僕は少し尻込みした。が、やがて決意を固めた。

進むしかないのならば、進むだけの事だ。此処は、僕の居場所ではないのだから。

僕は、白い扉の前に立ち、一呼吸をして、白い扉の中へと入り込んだ。