2015年1月1日木曜日

2015年のはじめに

2015年1月1日、元旦。
深夜2時半。

新年あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。

普段は見ないテレビで、ガキ使の特番を観て、年越しソバをすすり、毎年恒例の一人初詣に行って来ました。山路を歩き、以前働いていたコンビニでホットコーヒーとマッチを買い、毎年一人で詣でる神社へと。

気温は低く、肌をつるりとすべる冷気に身体をふるわせながら、いつもの道を歩く。いつからこうして一人で初詣をすることを恒例としたのか、今はもう定かには覚えていないが、気づけばそれが自分のなかでの一つの大切な年中行事となっている。特に何か大きな意味があるわけではないのだが、それをせずには一年をうまくはじめることができないような、うずうずとした心地がするのだ。

武並神社に着き、まずは、おみくじをひく。武並神社には、おみくじが二種類ある。ひとつは普通のおみくじ。もうひとつは、恋みくじである。僕はもちろん、両方ひく。これも毎年の恒例である。「おにいちゃん、それ、恋みくじやで。ぐふふ。」と笑う神主さんと「はい、知ってますよ。せっかくだからね、ひかせてくださいな。」と返す僕。これも毎年の恒例行事である。どうでもいいことだが、どうでもいいことを必ずするというのは、なんだか気持ちのいいことなのだ。

去年のおみくじは両方とも大吉だった。願い事は全て叶うと書いてあった。縁談も多いが、色恋沙汰には注意せよ、願い事の妨げとなる、との注意書きが書いてあったことを覚えている。大吉なんて、生まれてこのかたはじめてひいたものだから(しかも二枚ともなんて、神様はサービス精神旺盛だ!)、去年はおみくじに書いてあったことをそのまま信じて一年を過ごした。願い事は全て叶う、そんな夢のようなことも、なんだか信じてみたいな、と思ったのだった。僕の願い事は、いつも叶わぬばかりだったから。神様はいじわるだなあ、と、ずっと思って生きてきた僕は、でも、去年の一年間を通して、神様ってやっぱり神様だ、と、思うようになったのだった。

年の瀬となってから、2014年の一年間のことをたくさん振り返っていた。思い返すと、ほんとうにほんとうにいろいろなことがありすぎて、そのひとつひとつがとても大切な記憶で、全部を丁寧に思い出すにはあまりにも時間がかかるのだ。ああ、そういえばあんな事もあった、こんなこともあった、あの時はああだった、こうだった、…とにもかくにも、2014年は僕の26年間の人生においてのターニングポイントとなる一年であったことは疑うべくもない。ほんとうに色濃い一年であった。

2014年。僕は、要約すれば、じぶんのなかにあるらしい、じぶんの物語を、ひとつひとつ、具体的な出来事のなかで生きてみる、ということをしていたのだと思う。ひとつひとつの出来事のなかを歩いてみることで、かたちにもことばにもできないじぶんの物語の断片を辿ってゆくこと、それが、じぶんの物語に目をつむり続けてきた自分にとって、必要なことなのだということの確信だけは、おそらくはじめからあったのだと思う。

ユング派臨床心理学の権威 故•河合隼雄氏の対談集のひとつに、自分の物語を生きる、というようなタイトルの本がある。河合隼雄氏の本は大学時代からとても好きで、古本屋で見つけるたびに購入して読んでいる。なんだか、よく、わかるのだ。頭というより、身体で。腑に落ちる。腑に落ちるという感覚を大切にしたのも、2014年の生き方のひとつの特徴であった。頭ではなく、言語ではなく、身体で学ぶ、身体で判断する。思えば、そんなことからしか動かなかった一年であった。

2013年までの僕は、頭でっかちな人間であった。もちろん、人間の本質なんてものはそうそう変わるものではないので、いまも僕は相変わらず頭でっかちで観念的な人間であるとは思っているが、頭で考えたことを身体が拒否する、という感覚をまざまざと知ったのが2014年の僕の大きな変化のひとつであったように思う。

運命論者とまでは言わないが、2014年の一年間を通して出逢ってきた物、事、人、は、すべて、その時だからこそ出逢ったのだなあと腑に落ちるようなものばかりで、毎度、驚いていた。なんでこんなにもバッチリのタイミングで、これと、あるいは、この人と出逢うことができたんだろう、と、不思議な想いばかりしていた。そんなことばかりなので、もはや、ほんとうに必要な出逢いというものは、ほんとうに必要なときにやってくるものなのだ、という事を僕はいま甘んじて受け入れることしかできそうにない。これはある種の運命論か。そうだね。胡散臭いね。でも、どうしようもなく、そういうことなんだという風にしか、今の僕には思えそうにない。だって、そういう風に、ほんとうにたくさんのものたちに出逢ってしまったのだから。神様のサービス業はニクいねえ、なんて、一人でいまもほくそ笑んでいる。不思議なもんだ。

導かれるようにして出逢ってきたもの。それは、この世の言葉でいうところの「音楽」というものを中心にして、僕のところへやってきた。僕はこの一年間、ずっと、「あれ?なんでいま俺は、音楽をやってるんだろう」と思っていた。なんだか、不思議だった。何が不思議なのかもよくわからんのだが、「自分が音楽をやっている」という日常的な現象のひとつひとつが、なんともわからず不思議だった。なぜ不思議かと言えば、あまり自分から進んでそれを選びとっているという感覚がなかったからだ。気づいたらやっていた。気づいたら誰かと演奏をしていたり、誰かのために曲をかいたり、誰かのための場を拵えたり、何かのための言葉を紡いでいた。色々な表現をするひとたちや、色々な生き方をするひとたちと出逢い、いろいろなかたちで関係をもって、いろいろなことをした。自分のところへやってくる話は、基本的にすべてそのまま受け入れていた。だから、はたからみると「こいつは一体何をしているんだ。まとまりもなく、阿呆なのか?」と思われても仕方が無いほどに、多種多様な仕事をしていた。音楽だけに限らない。詩の雑誌への寄稿文としてダダやシュルレアリスムに纏わる文章を書いてみたり、浅草でバーテンダーをしてみたり、公共空間のデザインをしてみたり、とにかく、ピンとくるものはなんでもやった。そして、なんでもできた。それなりに。これは自信にもなった。意外とやれるな自分、と、慎ましやかに褒めてやったりもした。もちろん、反省もたくさんした。うまくできないことはその都度修正した。ひとつひとつの行為の意味や価値を深く考えた。それを社会に向けて発信もしていった。ひとつひとつはちいさな断片であることはいつもわかっていた。それは、じぶんのところに、誰かが与えてくれたものでありながら、同時に、それをきっかけとして、じぶんのなかにはじめからあったものを引きずりだすためのきっかけともなっていた。外部と内部のシンクロニシティ。これが、導かれている、という、感覚の根源であった。じぶんのなかにある、というと、かたちがあるようだが、そうではなく、外部から与えられたものに対して感応するものがあるということを感じる、という意味での、じぶんのなかにある、ということだった。じぶん、というものは、自分、として、外部から切り離されたひとつの完結した個である、とこれまでの僕は思っていたようだが、そうではなく、あくまで自分は、大きなものの一部としてのじぶんであり、それは切り離されたものではなく、必ず、自分としては外部のものたちとの接続関係のなかでなにかに感応していくものなのだということが腑に落ちたのはとても貴重な智慧であったと思う。ああ、ひとりではないのだ、と、素直に思えたのかもしれない。

じぶんの物語を生きる、とは、そういうことでもあるのだな、と学んだ。2014年のはじめ、僕は、圧殺し続けてきたじぶんをはじめて解き放って生かしてやろうと決意した。そして、じぶんの物語を探し始めたのだ。それが、このブログを開設した主な動機でもあった。僕は、谷川俊太郎の詩「ネロ」が好きで、その詩に書かれた言葉を手掛かりに、じぶんの物語を手繰り寄せようとした。「ネロ」という名前を、「音」の「路」と読み変え、僕は、じぶんに問いかけ続けてきた。「一体何なのか」「一体どうしてなのか」「一体どうすればいいのか」。すべての行為の根本命題となる三つの漠たる問いに答えようとしてきた。すべての僕の質問に自ら答えるために、と、「ネロ」の一文に自分を重ね合わせながら。このブログは、そうした意味での、僕の質問とそれに対するその時々の回答であり、それは、総じてみれば、一人の人間が、どうしようもなく音楽というものに向き合いながら、日常を生きていくこと、そのひとつの例証、個人史=ミクロストリアであるとの考えから、副題に「musical microstria」の文言を加えたのだ。そして、それは、ある意味で、循環するものだと思えたのだ。回答は出来ても、解答はない。つまり、絶対的に正しい答えなんてものはありはしない。あるのは、その時々の、じぶんの、腑に落ちる答えだけで、それは、音楽と呼ばれる抽象的な現象の、細部にわたるひとつひとつの現象と自己との対峙や、音楽とは呼ばれない日常のささやかな営みや、その他もろもろの存在、現象、行為、思想を含めて、その時々にじぶんのなかにわきあがる問いと答えが、無数のベクトル関係のなかでつながり循環していくものだと思えたのだ。それは、幾何学的なものではない。曼荼羅のようなものだ。問いと答えはフラクタルに循環する。それが、音楽と日常というものの在り方である、と、僕には思えたのだ。だから、形容詞として「circulate」を冠したのだ。その思いは、いまも変わらない、むしろ、先見の明があったなあ、なんて、大げさに思ったりもする。とにもかくにも、僕は、僕にとってのほんとうをこのひとつの身体と心を媒介としてひとつひとつ見つめてみたかったのだ。そして、それは、思っていた以上にうまくいった。2014年に感謝している。

僕の物語とは、じゃあなんなのか。ここまで読んでいただくと、そんな問いがわいてくるかもしれない。でも、それはいまは言葉にしたくない。というか、しようとしてもたぶんうまくできそうにない。だから、しない。言葉で語り出すことのできることには、ほんとうに限界がある。それを痛感したのも、2014年のひとつの大きな経験であった。そして、言葉ではない仕方でしか「語り出す」ことのできない類の物語というものがあるのだということもわかった。

物語とは、文学ではない。物語とは、言葉ではない。物語の多くは言葉で物語られるものだが、それは、物語られることによって表出される、のであって、物語自体は、本質的には、物語られる前からあるのだ。そして、それは、何処にでもあるのだ。おそらく。何処にでも。そして、誰にでも。これは、音楽とおなじだとおもう。音楽は、何処にでも、誰にでも、あるのだと思う。それを、音楽というかたちとして、表出するのかどうかは人それぞれだと思うけれど。ほんとうはみんな、おなじところにある。名前がちがうだけなのだ。そして、音楽も、物語も、言葉も、ぼくにとって、ほんとうに大切なものなんだっていうことが、よくわかった。もう、逃げることはできないな、と思う。ようやく、腑に落ちるところへ、ふれることができているのだから。後戻りをする理由はない。僕は僕らしくやっていくのがいいのだと思う。

物語にふれる。そこから、人間の生の根源は動きだす。そこから外れてしまえば、狂ってしまう。そんな類の必然が、どうやらこの世にはあるらしい。それは仕方のないことだ。そして、それは、間違いではなく、いいことなのだと思う。ねじまげてしまわなければ、それは、善として機能するものなはずだから。

物語を生きること。
そのために、必要なことを、僕は2015年からしっかりとやっていく必要がある。地に足をつけて。生活をする。生活をすることの上に物語を生きることをしっかりと据えていかなくちゃいけない。そうでないと、物語を生きる、ではなく、物語を知る、でしかないから。それでは、生きてはいけない。僕は、ただ、心穏やかに生きていたいだけだ。ほんとうに。そのために、いままで、逃げていたこと、観念的に退けていたこと、守ろうとしすぎたもの、きれいに保とうとしていたこと、様々な雑念を振りはらっていくことが必要になる。うまくできるだろうか。と、考える必要はない。どうせうまくなんてできやしない。僕は不器用だ。だから、不器用なりに間違えながらやればいいだけだ。結局うまくいくに決まってる。まんなかから離れなければ。一人一人は、一人一人、属するべき場というものがあるのだ。それは、決まっている。意思の問題ではない。それは、ある種の運命論だ。はじめから決まっている。それを素直に受け入れるところからしか、ほんとうに生きることなんてきっとできやしないのだ。だから、それでいい。僕は、僕のやり方でやっていく。現実的に。強かに。時に、軟弱に。

夢は見ていない。
到達すべきところはないから。
目的もない。目的なんて本来どこにもないのだから。
ただ、腑に落ちるところへ向けて。
そして、ただ、じぶんとして、可能なかぎり生きられるように、やれるかぎりのことを。無理せず。時にまかせて。運にまかせて。みんないつか死ぬのだ。それは有り難いことだ。必ず有ることだが、それは、有り難いことなのだと思う。

2015年。よろしくどうぞ。