2014年2月21日金曜日

遠い旅路の目的地

ミヒャエル•エンデの短編小説集『自由の牢獄』の第一話として掲載されている『遠い旅路の目的地』という物語を読んだ。

話のあらすじはざっくりまとめるとこんな感じ。

物語の主人公は、シリル•アバーコムビィという男。

彼は、ビクトリア女王陛下に仕える外交官である、バジル•アバーコムビィ卿の息子である。要するに、お金持ちのお坊ちゃんで、広い世界の事を知らず、何かに特別興味を示す事がまるでなく、感情の高ぶりというものを知らない男だ。高慢で冷淡、冷静沈着で、命令を遂行する、そんな男だ。

彼は1人の少女に出会う。彼女はシリルに、故郷の話をする。たわいもない話。しかし、少女が、自分の故郷についての無数のたわいもない話を語るにつれ、彼女の目は輝きを増していく。

シリルには、理解ができなかった。

シリルには、少女の奇妙な状態、「郷愁」とよぶものが何なのか、皆目見当がつかなかった。彼はここで初めて、彼が、「家というものをまるで知らない」ことに気づく。

「あこがれたり、恋いこがれたりるものをシリルはまったく知らなかった。自分には何かが欠けているのだ。それは明らかだった。ただそれが利なのか害なのかはわからない。追求することにシリルは決めた。」(『自由の牢獄』第10項より)

その後、シリルは、見知らぬ他人たちに話しかけ、彼らが自分の故郷について話すように促した。

その後の記述はとても重要だと感じたので、長くはなるが以下に引用する。

「話し相手は子供でも老婦人や老紳士でも、いやメイドでも召使でもホテルの支配人でも、誰でもよかった。1人の例外もなく、だれもが喜んで話すようだとわかったからだ。微笑みが話す者の顔を明るく輝かせるのもまれではなかった。なかには目をうるませ、饒舌になる者もいた。また別の者はメランコリックになった。しかし、それはだれにとっても大きな意味があるようだった。細かなところではみんなそれぞれ異なるのだが、同時にどの話もあるひとつの点ではよく似ている。そのような感情の浪費を正当化する、とびきり素晴らしいことや特別のことがどこにも見つけられないのだ。そして、シリルが気づいたことがもう一つある。この故郷というのは、生まれた場所でなくともまるでかまわないということだ。同時に、それは現住所と同じである必要もない。それでは、何がそれを決めるのだろう?そしてだれが決めるのか?各自自分で考え、決めるのだろうか?それならシリルにはどうしてそのようなものがないのか?明らかにシリル以外はみんな、聖なる場所を、ある宝物を持っているのだ。その値打ちは具体的にどの把握できず、手のひらにのせて人に見せられるものでもないが、それにもかかわらず、それは現実に存在する。よりによって自分がそのような所有から疎外されていることが、シリルにはまったく耐えられなかった。なんとしてもそれを手に入れる決心をした。この世界のどこかには、シリルにもそのようなものがあるはずだ。」(同上 11項)

こうして、シリルは自分の故郷を探す旅に出ることになった。

当然の話だが、何年もの年月を費やし、世界中どこを探しても、シリルは自分にとっての故郷というものを見つけることができなかった。しかしそれでも、シリルは探し続けた。

話を要約するが、
このあと、シリルは一枚の絵に出会う。
高価な美術品に慣れ親しんだシリルにとって、その絵の金銭的、美術的な価値というものはさほどのものではなかったにも関わらず、彼はその絵を食い入るように見つめた。

そして、涙を流していた。

その絵には、ひとつの城が描かれていた。
シリルは、その絵を眺め続けるに従い、その城の内部の構造のすべてが詳細に見えてきた。シリルはこの城の事を知らない。彼はこの城をその目で見たことがないはずである。にも関わらず、彼はこの城を本当は「知っている」。

彼は様々な手を尽くしてこの絵を手に入れ、すべての財産を投げ売り、この絵とともに新たな旅へ出かける。

最後のシーンでは、シリルがその城を見つけた、ような記述がある。
正確に、シリルがその城を見つけたとは書かれていない。山の中で、道に迷った人がその城を見つけ、その城の中に、1人の人影らしきものを見た、という記述をもとに物語は終わる。

故郷。郷愁。

普段何気無く使うこの言葉の意味を改めて考えてみると、
なんとも言えない曖昧さに飲み込まれ、不安な気持ちになる。

故郷とは、なんだろう。
郷愁とは、なんだろう。

そんな問いに、正確に答えることはできないと思う。

それは、引用した文中でも述べられている通り、現在住んでいる場所でもなく、生まれた場所でもない。具体的な場所でありながら、それを定義する理由のない場所。故郷。

僕にとっての故郷は何処だろう。
近頃、よく考える。けれど、よくわからない。

僕の生まれは東京都小平市にある小さな町だ。
一橋大学のキャンパスがあったちいさな駅の隣駅が僕が初めて住んでいた家の最寄り駅だ。あそこが僕の故郷だろうか。なんとなく、しっくり来ない。

あの場所で過ごした幼少期の思い出は、いまだにたくさん覚えてる。

五階建てのマンションの四階の二号室。
ピンクと肌色の混ざったごつごつとした壁面のマンションと、小さな駐車場。夏には、五階から、後楽園の花火大会が見える絶景ポイント。楽しかった思い出はいまも色あせない。

けれど、僕にとってのあの場所は故郷ではない気がする。
気がするから、たぶん故郷ではないのだろう。

なんで、故郷じゃないのか。
よくわからない。

その後の人生で、岐阜県恵那市、神奈川県藤沢市、そして現在の東京都三鷹市に住んでいる僕にとり、何処が故郷だと言えるだろう。

正直、
何処も故郷であるような、何処も故郷ではないような、そんな感じがする。

「あなた、どこ出身?」と聞かれると、僕は毎度、返答に窮することになる。最近は、実家のある場所をさして、「岐阜県です。」と答える事にしているが、どうもこの回答も腑に落ちない。出身ならば、東京なのかもしれないけれど、どうも、東京だと答えたくないと思わせるものが、喉元に引っかかり、僕の回答は一時停止する。

この違和感はなんだろう。
故郷という言葉、それについて考えることによって感じる、この不確かさは一体なんだろう。僕はこの『遠い旅路の目的地』を読んで以来、ますますその不確かさを感じるようになった。


ある場所にやってくる。
すると、そこで、思いもかけなかったような感覚に陥る事がしばしばある。

例えば、
近頃僕は、電車に乗ると、とても不愉快な気持ちになる。
電車の中に漂う、澱んだ空間の気配が僕をとても不愉快な気持ちにさせる。
座る人、立つ人、しゃべる人、…様々な人が電車には乗り合わせるが、僕はその1人1人が身に纏う、気の間合いのようなものを感じるようになってしまった。

気分が悪い日なんかは、具体的に、人の周りを覆う半透明の球体のようなものが見えてくることもある。

電車は狭い。その個々人の球体が重なりあう。電車の中は球体の重なり合いで窮屈で窮屈で堪らない。僕はそれゆえ、近頃電車に乗るのがとても嫌いだ。
あの球体がなんなのか、僕にはよくわからんが、あの球体が重なりあうほど、見知らぬ人間同士が接近すべきではないことだけは確信している。東京の街も、電車も、道路も、すべてあまりにも窮屈すぎると思う。人間的でないよ。

今、僕は岐阜の実家にいる。

実家の二階でこのブログを書いている。
気分は悪くない。むしろ、近頃の自分にしてはかなり上機嫌で、体調も上々と言える。実家に帰ってきてからというもの、東京にいるときのように、意識が半分濁っているような不快感は感じない。それ濁りの感覚はおそらく精神医学用語では「離人症」と呼ばれる精神疾患のひとつなんだと思うが、これがすっかり消え、意識と身体がピタッと一致している感覚がある。これもまた不思議な感覚だ。

山に入る。
川の側を歩く。
林の中に分け入る。

そんなとき、僕は「帰ってきた」という言葉でしかいい表せない感覚を感じる。
あの感覚はなんだろう。

普段、僕は四六時中イヤホンを耳に差し込み、音楽を聴いている。
けれど、岐阜の山道を歩く時、僕は音楽を聴かない。
自然と、聴きたくならない。
むしろ、音楽が邪魔だとさえ思う。

この感覚も不思議だ。

故郷とは、帰る場所である。

僕は昔から、なんとなくそう思ってきた。

けれど、そこで言うところの、「帰る」って、一体どういうことだろう。

家に帰ってきたとき、とても居心地が悪く、どこかへ飛び出したくなるときがある。
その時、物理的な僕の家は、帰る場所とはなり得ない。
僕は、家以外のどこかへ、帰りたいと思う。

それは一体、どこに帰るというんだろう。

シリルは、一枚の絵に描かれた城を自分の故郷であると確信した。
彼は自分の故郷を見つけたからこそ、その絵に涙した。

僕にも、そういう経験がある。

とある音楽。
とある絵。
とある物語。

形は違えども、
ある作品に出会い、
そこから動けなくなる。

それを深く見つめ、
奥の奥まで覗き込み、
辺りの風景まで忘れ、
潜り込む。

次第に、身体の自由を失い、
作品自体の発する、
具体的、物理的な引力に身体を引き寄せられ、

しばらくの間、
そのどことも言えない場所の中に、浸る。

そういうものに出会えたとき、
僕は「帰ってきた」と思う。

なぜ帰ってきたと思うのかは、
よくわからん。

理由はつけられるけれども、それは後付けに過ぎない。

ただ、ひとつ思うのは、
ある種の感動的な体験と、自然の中で感ずる感覚は、
繋がっているという事だ。

僕はこの考えに、身体的な確信を持っている。

藝術と自然は、同じような機能を有するもので、
それは、同じ場所からやってくる。

あるものに感動すること。
あるものを、良いと感ずること。

それは、記憶に根ざしたものだと思う。

本当は、全部知っているんしわゃないのかな。
この身体と心は。

自分にとっての本当のこと。
自分の帰るべき場所。
故郷。

それを探すために僕らがいまこの身体を借りて、
仮の名前を頂いて、生きているならば、

そんな妄想をしている。



2014年2月17日月曜日

素直な黒い水晶玉

いつからだったか、もう覚えていないんだけど、
僕は子どもと接するのが怖くなっていた。

昨日のBlogにも書いたんだけど、
大学時代、僕が最も真摯に取り組んだ事は、アーティスト•イン•児童館という活動だった。この活動は、こどもたちにとってのサードプレイス(家、学校以外の場所)である児童館という公共施設に、アーティストを招聘し、児童館という子どもの遊びの現場の中に、アーティストと子どもの共同制作の場をつくるというものだった。(当時と今では、少し向いている方向性や重点を置くところが変わってきたのだけど)

この活動は、「子どもとアート」というものを真ん中に据えているので、もちろん、子どもに接することになる。それも、すごく、近しい間柄になる事が必要で、先生でもなんでもない僕らスタッフは、児童館に遊びにくるごく普通の地域の子どもたちと、まるごと人間同士の付き合いをしていたと思う。少なくとも、そうしようと素直に思っていたし、そこにいる子どもたちの事を、「子どもたち」として見て、扱ってしまう事だけは絶対にしちゃいけない事だなと思ってた。

さっき、近所のハンバーグ屋さんで、いつも決まって注文する「キノコのデミグラスハンバーグ」がテーブルに並ぶのを待ちながら、あの時の事を、ふと思い出していた。

あの時の僕は、子どもと接するのが怖いだなんて、ほとんど思っていなかったなぁ、と思う。ほとんど、ってのは、人間同士で接するからこそ、色んな子どもたちがいる中でもちろん性格の合わない子もいたり、何言ってんのかわかんない子もいたり、暴力的な子もいたり、言葉の暴力を投げつけてくる子もいたり(おじさん!とか笑)で、とにかく、当たり前なんだけど色んな子が児童館にはやってくるから、その子らとうまく関係しなきゃ!っていうちょっとした力みが、たぶんあったんだと思う。

そういう、歳の差を越えなきゃ!みたいな力みと、
このところ僕が感じていた「子どもが怖い」っていう感覚は、
なんだか全然別のものだなぁ、ってさっき思った。

僕はどうやら、怯えていたらしい。

街中を歩けば、同じ街に住むこどもたちが、楽しそうに雪遊びをしてる。
雪合戦をしたり、かまくらや雪だるまをつくったり。

みんな、飛び回るように遊ぶ。
ビュンビュン!
ぐるんぐるん!
ドテッ
あはははははは!

走り回る。
ダダダダダ!

顔は、楽しさではち切れんばかりに笑ってる。
目は、水晶玉みたいにツルツルしていて、
まん丸な黒目には綺麗な光が差し込んで、びっくりするほど光ってる。

その目が、
その顔が、
その身体丸ごとから感じられる、
生々しく、どこまでも素直に生きている、
その丸ごとの生命に怯えてるんだな、と、思った。

自分が素直じゃなくなると子どもが怖くなる、ってのは、なんとなく昔から知っていたような気がする。自分で自分に嘘をついたり、本当の気持ちを隠して過ごしていたり、何かに迷っていたりするとき、心が淀んでいるとき、少し、子どもが怖いなと感じて生きてきたからだと思う。身体って、心って、そういう意味ではとても正直だ。

正直と素直って違うんだよな。

どう違うのか、うまく説明するのは難しいんだけど、
正直であっても実は嘘をついていて素直じゃない、って事があると思うんだ。

嘘、というか、本当じゃない、本当はこうしたいんだけど、
正直にそう思うんだけど、素直にそう思えない、できない。

大人になるにつれて、そういう事が増えてきたなぁと思う。

働き始めてからというもの、少なくとも僕はそんな事ばかり感じていた。
これはおかしいだろ。
これは嫌だなぁ。
これはつまらない。

でも、
これはやらなきゃいけない。
これは仕事だ。
これは常識だ。
これは義務だ。

大人の社会は、決まりごとでいっぱいだ。
みんな、誰がどんな意味をもって決めたのかさえもはやよくわからなくなっている決まりごとの網の中に絡まって、息苦しくなる。

見えない蜘蛛の巣が、この社会には張り巡らされているんだと思う。
もがけばもがくほど、ネバネバとした糸が身体に巻きついて、自分の心を縛り上げていく。蜘蛛は誰だろう。蜘蛛はいるのかしら。それすらよくわからなくなる。

最近僕は、時間だけはたっぷりあるので、色んな展示を見に行ったり、ライブを見に行ったり、映画を見たり、本を読んだりしている。

でも、なぜだか窮屈な感じもする。

響くものと響かないものの区別を、何故だかものすごく必死にやっている。
自分はこれが好き!
これはダメ、嫌い!
この線引きが、以前の自分よりも遥かに強くなってきた。
なってきた、というより、そうしてる気もする。

素直さ。

僕は、働き始めてから、全く素直でいられなかった。
素直でいたら、耐えられなかった。
素直でいようとすると、色んなものが僕を傷つけにやってくるからだ。
僕は身を守ろうとした。耐えようとした。
身体と心をガチガチに固め、腕でガードを固め(実際には、腕組みをして)、へらへらと笑いたくもないのに愛想笑いをしすぎて顎を痛め、笑、お腹が痛くなる度にトイレに行き、気分を変えようと必死に可愛い女の子の画像や果てはエロ動画を探したり(会社のトイレでそんなはしたない事をしていた!)、そんな風にして、自分をどんどん捻じ曲げてしまっていた。

そりゃ、おかしくもなりますわ。

僕はどうやら、
素直さという、人の一番(かはわからんけど)大事なもんを、自分で埋めちまったらしい。懸命に働くこと、それが、間違ったやり方だったことにどこかで気づきながらもそれに固執して、やわらかくてあたたかい心の素直さに、懸命に泥をかけていたんだな、と今になると思う。

泥に埋められた素直さは、
どんどん冷えて硬くなり、
茶色く黄ばんで、
土の色と見分けがつかなくなってしまった。

僕は、いま、それを掘りだしてあげることが必要なんだろうなと思ってる。
無理やり埋めてごめん。
痛かったよな。
スコップささらへんかった?
「生き埋めにされて、ここは中世の西洋かいな!おいら、ゾンビになるでおま!」と、掘り出したそいつにど突かれるかもしれないな。

まだ間に合うかな。
たぶん大丈夫。

そのために、いま時間があるんだもの。

生き埋めの心、発掘隊隊長 百瀬雄太。
隊員はひとり。
でも、色んな友達が、スコップ片手に助けに来てくれる。

まだうまく掘り出せてないけど、
掘り出してあげればいいんだなと気づいたこと、
そこに導いてくれたもの、こと、
そんなすべてに、有難う。

心からそう思うんだ。

子どもに怯えた日。

素直さをなくした日。

もう一度、同じ輝きのある、
まん丸、真っ黒、ツルツル、水晶な目で、
街の子どもらと、遊ぶのだ。俺。

2014年2月16日日曜日

整理整頓

気づけば、2014年も始まって早1ヶ月半も経った。体調が優れないこともあり、家で寝込んでいることもしばしばな毎日だけど、なんやかんや色々な事が起こり、色々な人と出会ったり話したりする中で、いま、素直に思う事を一旦整理整頓したくなり、いまこの文章を書いてる。

昨年10月まで、僕はとあるシステム•インテグレータ企業で医療関係のシステム•エンジニアとして身銭を稼ぎながら、好きな音楽を聴いたり、自由に歌を作って歌ったりする事を楽しみにして暮らしていた。

10月の勤務は、本当に多忙で、あまり記憶に残っていないんだけど、数字的には160時間近い残業で毎日睡眠2、3時間、朝7時から深夜3時くらいまでひたすらプログラムのバグを潰すような作業に追われながら、病院内の担当診療科の先生に毎日頭を下げていた、という事はなんとなく覚えてる。ほんまに、辛すぎて吐きそうやった気がする。たぶん。ほぼゾンビやった。笑

元々、僕はパソコンがすごく嫌い、メカが嫌い、プログラミングなんて超嫌い。好きなものと言えば、アナログレコード、古着、畳、コーヒーとタバコ、アコースティックギター、古道具、とりあえずなんか古臭いもの、匂いのするもの、…という、よくわからんが、とりあえず根っからのアナログな人間であり、お金を稼いだりとか、いい服を着て着飾ったりとか、オシャレなレストランで高級ディナーを嗜み、レインボーブリッジでラブリーなマイハニーと素敵な夜を☆(シチュエーションが古臭いあたりもなんかももせだ)みたいな、スタイリッシュなライフとは全く縁のない、四畳半一間と囲炉裏が似合う埃くさい男である。これは、たぶん僕のことを知っているひとのほぼ100%が首を縦に振る紛れもない事実なのだ。うん。

で、
そんな僕がですよ、
どうしてわざわざ大都会東京の、しかも中野坂上という都心も都心にそびえ立つビルの18階で、大嫌いなスーツと大嫌いなパソコンを携え、一日中C言語とかいうわけのわからん記号たちに脳みそを犯されながらもなんとか1年半働いていたのかと。いまだに疑問ではありますが、それもそれで僕にとってはとても意味のある日々だったなといまになれば思うわけで、人間てのは結構テキトーに過去をよい方向に理解し、未来へ繋げるよくわからん力を持っておるわ、と、おかしくもなります。

やっぱり、意地だったんですよね。あの会社に居続けようと歯を食いしばり、大嫌いな仕事と大嫌いな上司にぺこぺこ頭を下げながらも必死こいて半べそかきながらも毎日くそがんばって働いてた根本のところは。

何かを始めてみると、頭で考えていただけじゃ決してわからなかったような未来が必ずやってくる、ってのは、当然なんだけど、僕はバカなのでいまだにびっくりします。

大学一年のときには、弁護士になると言って、1人で司法試験の勉強に明け暮れ、
「法じゃ人は救えん!」と確信し、犯罪心理学の勉強に明け暮れ、「どうして人が人を殺さにゃならんのだ!どうして人が自分を殺さにゃならんのだ!そんな哀しいことがあってなるものか!」と泣き、「人が他人や自分を殺すのは、どうしようもない孤独と、居場所のなさによるのだ!」となぜだか内臓で確信し、まちづくりのゼミへ。

そのときに出会ったのが、いま、NPO法人アーティスト•イン•児童館の代表を務めている、臼井隆志という男だった。僕は非力ながらも、彼と一緒に活動し、いまNPOという形で社会に参加し、現代日本のこどもたちの居場所づくりや、遊び、創造、様々な領域を横断しながら活動するこのプロジェクトに関われたことをいまもなお、誇りに思っている。

この活動を通して、また、臼井とともに動いてゆく中で、いまの僕にとってかけがえのない本当に大切な事をいくつも学ぶことができた。

何かを創り上げていくことの意味、価値を常に考え続けること。
考えをもとに、試行錯誤しながら、具体的なアクションを起こし、それをよりよいものにしていくこと。
「アート」というものの持つ、独善性と悪の部分に常に目を光らせること。
活動に限らず、なんらかの創作、創造を行うことは、
その行為者が、いまある世界を「どのように視る」のか、そして、その視線をもとに、何を表出させ、その表現物をもとに、世界の「何を」「どのようにみせる」のか、を根元に据えるべきだということ。

まだまだたくさんあるけれど、
自分の心の中心にあるもの、それは世界と自分との関わり方だったり、言葉にできないものだったりするんだけど、その「心のまんなか」を機動力として、時代の様々な縦軸と横軸を学び、頭で考え、その現在性をもとに、いまなにをすべきか、そしてそれをどのような技術と方法をもとに、創り出すのか。という、創ることの根元を自分なりに身を持って学び、血肉とする事ができたと思う。

20、21歳。僕にとっての初の激動の変化と基盤生成の時代。
うまくはできなかったけれど、あの、大きな渦の中にいられた事は、僕のこれからの人生を含めても、たぶんベスト3に入るくらいの大きな意味を持つだろうな、と朧げながら思っている。

いま僕は、例のシステム•インテグレータ企業を休職中で、わかりやすく端的に言うならば、ほぼニート笑 な生活を送っております。

というのも、僕の忍耐力のなさと、あまりにも頑固な自我笑 と社会とのすり合わせがうまくできず、自分が拵えた「正しい大人の生き方」のような、根拠のないバイブルにしがみつき、ろくでもない意地と根性で心身をすり減らしすぎたため、世に言うところの鬱病という病にかかってしまったからなのですが。

鬱病てなあ、不思議な病だなぁ、と最近常々思うんです。
健康なときには気づくことすらなかった、自分の身体の節々とか、関節の駆動とか、そういう些細な動きに違和感が生じ、神経が痛みを発することが具体的に知覚できるのです。
また、狭心症的な胸部の圧迫感と呼吸の乱れ、めまい、吐き気、頭痛、身体の強張りが一日中自分の身体を侵し続け、ときには幻視や幻聴までやってきて、見たこともない風景や音を認識してしまう、それもすべて意思とは全く関係なく…本当に不思議だ。人間の身体と心ってやつぁ、全くコントロールできるもんじゃないし、ここまで意思に反してくると、もはや自分ってなんだ?という、無駄な哲学的な思考に陥ったりもします。笑

僕は別に、鬱病どうこうが恥ずかしいだの、悪いことだの思ってないので、別に普通にみんなにカミングアウトして、なんならネタにして遊んでいるくらいのズボラなのですが、笑、なってみて思うのは、「こりゃ、紛れもねえ具体的な孤独だ」っつーことです。

なんだろう。
普通に、何気なく暮らしていると、
あんまり「わかりあえない」「わかちあえない」ことの、苦しみや悩みをまざまざと感じる機会ってないと思うんですよ。僕なんかは。

確かに、人それぞれ好みもあるし、考えも違うから、共感はできないことはありますけど、どんな風に話しても、他者では決して理解できないこと、理解され得ないこと、そのリアリティを初めて身を持って知ったな、と思うんです。

これって、あれだ。
自分が19のときに内臓で確信したことに通じる。
「なんで人が他者を、自分を殺すのか。それは、孤独と居場所のなさゆえである。」という僕の確信。それを、身を持って経験しているな、と思うのです。

言っておきますが、別に僕は人を殺したいだの自殺したいだのとかは一切考えておりません。笑

けども、そう思う人の心の居場所に、いま少しだけ近づくことができたな、という実感は、実は少し嬉しくもあります。

僕にとって、
何かを創ることの根本は、自分の孤独の海に潜ることで、
その、潜った海のなかで、自分にとっての本当のことを探し出すこと、
その答えを形にして、自分が自分を知ること。
その答えと出会うことで、自分が新しく変わること。
そうした事が、一番、本当に真ん中にあるんだという確信は、11歳のときから変わらずあります。

最近は、そこに、もうひとつ大事なことを見つけて付け加えました。

それは、
創ることで自分を知ること、
というのは、
自分が、なにからつくられているのかを知ること、
であり、
それはつまり、
いま、ここに在る、「自分」らしきものをつくりあげてくださった、
名付けることもできない、大きなものたちに対する、
いまの僕の「手紙をかく」こと、なのかな、ということです。

これまで、僕は、自分の内部に潜ることがすべてだと思っていました。
おそらく、20代前半まで。
だから、自分の内部にはない物事には、コミットはすることができても、違和感を感じて、そこから離れていくという事を繰り返してきたように思います。

でも、
詩人のまどみちおさんや、岡倉天心の思想など、様々なものやつくる人間の考えに触れて行く中で、「自分を自分として創り上げてくださっている、大いなるものへの感謝と返礼」という事が、僕にとって、五臓六腑に染み渡る、確かな先人の知恵でした。

そういう視点に立ったとき、
いままで頑なに閉ざしてきた「自分」、そして「自分の内部世界の表出」という束縛から、少しだけ自由になれたと感じています。

僕はどうも「アーティスト」という言葉が嫌いです。
それは、たぶん、「俺がすごくて、俺が作ったんだ。」という傲慢さや、「俺の作ったもんの価値がわからんのか!」という価値の絶対化がそこに孕まれているように感じるからです。

すべてのひとが、そうであるわけではもちろんありません。
それが悪いわけでもありません。

ただ、僕にとっては馴染まない、ということが腑に落ちたに過ぎないんだと思います。

表現を生業とすること。
これは、様々な悩みを抱える生き方だなとしばしば思います。

いろんなひとが、いろんな考え方で、
どうにかこうにか、悩みながら生きている。

そりゃ別に、表現に限らん、というか、
別にアートだけが表現なわけじゃないからみんな抱える悩みなんだけど。

でも、近頃思うのは、
別に自分は、
自分にとっての本当のこと、を、
様々な形で分散させながら表現して生きてゆけたらなと思うのです。

何も別に、「アーティスト」にならずとも、「デザイナー」にならずとも、表現はできます。でも、スノッブに、金にするなんて汚らわしいとも思いません。

自分の表現の在り方を、
一つに絞る必要なんてどこにもありゃしないな、と思ったのです。

僕はいま、音楽まわりでうろちょろと色々やり始めてます。

たぶん、というか、絶対笑 僕は、
「音楽を作って、表現して、それを生業にするミュージシャン」
には、絶対なれません。
なりたくないな、と気づきました。
そこまでして、作りたい音楽もないし、訴えかけたい音楽的使命もないし、
第一、さっき僕が言ったような、頭と身体と心のある表現としての音楽なんて僕は知らないし、音楽って、よくも悪くも娯楽だなって思うんです。

娯楽だから楽しいんだけど、
僕は娯楽としての音楽活動に生命をかける気はないなと思うし、
それで創ることに追われて大好きな音楽との本当に生々しい向き合い方を失ってしまうくらいなら、僕は、趣味と言われようが、自分にとって本当にシンプルな形で音楽と向き合い、曲を書いたり、歌ったりできればいいな、と思う。

気が向いたら、そのうち音源も作るかも。
それは、まあ、なんか売れたら売れたで嬉しいだろうし、さあ今夜はこの金でうまい寿司でも食いますか!みたいなことだろうとおもう。笑

いわゆる音楽活動を真剣にやってるバンドマンとかからみたら、
なんだその生ぬるい考えは!と怒られるかけなされるかもだけど、笑
一番、この世のなによりも好きな音楽と本当に真摯に、一生向かい合って、肩を寄せ合って生きていくためには、僕にとってはそれが一番自然だな、といまは思う。

で、
じゃあお仕事どーしましょって事なんだけど、
まあこれはまだよくわかってないんだけど笑

僕は、端的に言うと、
「音楽のために、音楽にお礼ができる仕事」を作ろうと思っています。
なんだそれは、笑 というかんじでしょう。

そうなんです。
わかりやすく、そんな仕事はないのです。笑

だからとりあえず、
いま一冊本を作っています。

僕の大好きな、町のレコード屋さんや、カフェなどについての本。
いまの音楽業界の中で、喪われていく大切なものがある。
それは時代とともに喪われていくものだから、仕方ないのかもしれないけど、
ちょっと待った!本当にそうかい?
と、問いを投げかける本。

僕には見えている、
いま喪われていく、音楽と場の意味、価値。

それを掘り起こすこと。
そして、それを本にすること。

これは、ライターという職業かもしれないし、
インタビュアーという職業かもしれないけど、
とりあえず、名前はなんでもいいや、と。

本を作って、本を売ってみる。
このシンプルなことからはじめよう、と。

その本には、僕の視線と、
僕の愛するもの、僕の愛する人々、場所、
そして、まだこの世には見えていない、僕と彼らが紡ぐ、
かけがえのない物語がある。

それをいま僕は、
表現したいなと思ってる。

そして、
そういうことをしながら、
お金を稼いだりとか、少しでもできないのかな、と
静かに、ちまちま実験しようと思う。

僕は、どうしようもなく、不器用なのだ。

うまくできんのだが、
どうしようもなく、頑固なのだ。

もうそれは仕方ない。
スマートに生き抜くのは、無理。

失敗しながら、
でも、手を抜かず、
丁寧にひとつずつ形にしていこうと思う。

曲を作るのも同んなじだ。
こっちはいまのところ別に売る気もあんまないけど、
それとこれとは別の話。

金にすることも、
金にならないことも、
自分のまんなかに根付いたことからはじめていけたら、
それほど素敵なことはないな、と思うのよ。

まだ超駆け出し。
ド素人。
アホ丸出しのどうしようもないやつ、ももせ。

だがまあ、
25にもなっても、相変わらず、
なんも変わらずバカできて、
大人なみんなのアドバイスを聞いて、
どうにかこうにか生きてるし、

とりあえず、良いだろう。

好きにやろうや。
と、すごくてきとーな締めになった。

そんなももせ、もうすぐ26歳。
26歳の俺、よろしく。

2014年2月2日日曜日

ちいさなこえ きこえるうた

『ちいさなこえ きこえるうた』

ひとりでいると
誰かといると聴こえない
こえが きこえる

おとは 静まって
こどもは ねむる
うたが きこえる
ことばにならない ちいさなうた

ちいさな ちいさな こえ
消えてしまいそうな こえ
それでも たしかに きこえる

いま どこかで
うまれる こえ

いま どこかで
うまれる こえ

かなしみの海に
一滴のよろこびを

ちいさな だれかに
そっと やさしく
届くと いいな



確か、こんな詩を書いた。
20歳のときだったと思う。
お気に入りの鉛筆を手に取り、白いノートの切れ端に走り書きした、ちいさな詩。
忘れていた詩を、思い出した。
顔も知らない、女の子の「こえ」をきいたからかな。

僕たちは、ともすればすぐに忘れてしまう。
自分の目の前にある世界だけが、当たり前のこととして、それ以外の世界のことなど遠い世界のおとぎ話みたいに思ってしまえる、とても鈍感な生き物だ。

世間では、東京都知事選の真っ只中です。
候補者のおじさま方は、声を大にして、自らの政策を町中に轟かせます。

「脱原発!原発反対!!」

叫ぶ声は、どこか空っぽで、まるで公園に横たえられたトンネルみたいな空虚さを僕の鼓膜に届けます。いや、本気で言ってるのかもしれないから、そんな風に書いたら悪いね。ごめんなさい。

これまでの世界は、なんだか声の大きい人が大きなことを言い、その大きなことにみんなで寄り添って、不平不満を言い合いながら生きていくような場所だったような気がします。ジャイアンリサイタルみたいなかんじ?誰もジャイアンのうたは好きじゃないけど、ジャイアンには逆らえない、みたいな。

でも、どうやら、そんなジャイアン時代はもうそろそろ終わりを迎えたみたいです。

ジャイアンの叫びはいまも続いていますが、
ジャイアンのこえに隠れて聞こえなかった、ちいさなこえに耳をすます人々がたくさん出てくるようになりました。

ミヒャエル•エンデの『モモ』読んだことありますかね。
ちいさな女の子、モモと時間泥棒のお話。
僕、あの話、大好きなんですよね。
僕も昔から、モモ、とか、モモちゃん、とか呼ばれていたこともあって、勝手にモモに親近感を感じていたりしました。ちいさなころから、大好きなモモ。

モモはなんにもできない女の子。
でも、ひとのはなしを本当に聞くことができるんですよね。

これって、なかなかむずかしい。

でも、モモにはそれができる。
モモにはなしを聞いてもらうことで、みんな悩みが解決しちゃうんです。
これって、すごい力ですよね。

いま、僕らが生きている場所。
ほんとうに必要なのは、モモみたいに、耳をすまし、はなしをきいてあげること、なんじゃないかなあ、と僕はなんとなく思います。なんとなくでごめんなさい。でも、きっとそうなんだと思うんです。ももせの勘です。たまにはあたるんですよ。へへ。

耳をすます
誰かのこえがきこえる

それは街のなかかもしれない
インターネットの上かもしれない
仲のいい友達でもいいね
自分のこえでもいいよ

世界には ほんとうにたくさんのこえがあふれている
その ちいさなこえに 耳をすませたい

どんなこえがきこえるかな

こえ それは うたにもなる
ちいさな ちいさな うた
みんな ほんとうは 自分の物語とうたを持っているんだよ
本当さ うそだと思ったら うたってごらん

考えなくていいんだよ
身体も言葉も手放して
好きなようにこえをだす
ほら メロディが生まれた
そうそう
あ ちいさな うたのこども
生まれたね うれしいね
僕にはきこえたよ
きみのとっておきの 素敵な うた
ことばにならなくても きこえてるよ
音にならなくても きこえてるよ

きみだけの とっておきの うた
僕のだいすきな ちいさな うた

うたってくれて ありがとう。