2014年11月30日日曜日

Magik Voices - 音の河 - 海と空の還る場所へ

2014年11月27日、28日。Oddelos関東連合という奇妙な名前を冠する集団による二夜連続公演「Magik Voices」が執り行われた。今、僕は、独り、その2日間を思い返している。得難い夜だった。感慨に耽りつつ、からだのあちらこちらにバクテリアの如く侵食している疲労感を酒で溶かしてしまおう。戦場に駆り出された一般市民。取りも直さず僕らの日常は何も変わることなく続いてゆく。物語の終焉はいつも唐突にやってくる。或いは、唐突であることこそが僕らにとっての唯一の救いなのかもしれない。奇妙な疲労感。ウィスキーのように深く、濃厚で芳醇な愉悦。官能。その心地を少しでも描写できたらと筆をとる僕だが、言葉は本質へと届くことなく、あくまでそれを回避するかのようにグルグルと螺旋わ描き奇妙な言葉の連なりばかりがいまここに綴られてゆく。言葉にできる事など、ほんとうに、ないのだと思う。

どうやら僕は、ほんとうに、音楽というものを信じているらしい。信じているらしいというのは奇妙な言い回しだが、如何せん、僕という人間は、じぶんの有する感覚感情思考思想志向というものをはっきりと把握することのできない人間であるから、ほんとうに実感に根付く言葉を使おうとすると、必ず、伝聞のような言葉になってしまうのだ。じぶんのことなどわかるはずもなし。わかるものなんて、つまらないものだと思う。予想外、想定外、わかると言い切れてしまう安易さを常に裏切り続けなければ精神は硬化してゆくばかりだ。わからないことを悦びたい。常に、じぶんのなかにあるじぶんなる枠組みなど破壊し、世界と自己なるものの境界線を融解させ、絶えず、生成変化してゆくような、例えばそう、南方熊楠が描き出した世界、菌類のような人類、そのようなものを真ん中に据えながら、僕は、僕のなすべきこと、それもまた僕が意識的に知ることのできるようなものではないものへと対峙し続けていきたいと思うのだ。分かる…分かたれたものたちの、還る場所は、何処かに在る、のではなく、常に其処にありながら、常に変容してゆく時空、それ自体なのだから。逃げるのではない仕方で、颯爽と、静かに、深く、己の場所へ還り続けよう。其処には何が見えるかい。僕には、虹色の海月の群れが見えている。虹色の海月を通り抜けて、僕は、意識の深層へ、深く深くダイブする。

武満徹は、音の河という言葉をよく使う。この言葉、最近、つとに、よくわかるようになってきた。音の河。それは、音楽、という言葉が指し示すような一般的な意味での音楽ではない。武満は、日本の雅楽などの音楽を評しながら、その内奥に潜む、所謂西洋的音楽精神では捉えることのできぬ生成変化するプロセスのみで成立する東洋的音楽の在り方を、音の河という言葉でそっと指し示そうと試みた。そう。音は、本来、河なのだと思う。ポール•ヴァレリーが、かつて、言った。批評家は、作品自体を批評するのではない。その、作品を、作品として切り出した、作家のその切断行為、その、断面、その裁断の仕方をこそ批評すべきなのだ、と。これは、武満の云う、音の河、という言葉の指し示す芸術觀によく似たものであろうと思う。つまり、切断する前にあるものは、常に、接続されているということ。世界は、連続するひとつの織物であり、それを裁断するハサミの役割をするのが言葉、例えば、作品、という言葉であるのだということだ。織物ならば、裁断は可能であろう。それは、人間の手によって織られたものであるから。しかし、同じ連続体でも、河を裁断することは出来ない。河は、水の流れそのものであり、水を切ることは出来ず、水は、手ですくえば手のなかにおさまり、宙にほうれば飛び散り、河に帰れば河の一部となる。水に形はない。しかし、水は、絶えず、なんらかの物体、現象によってその場限りのかたちを与えられ、そして、流れてゆく。水は、その意味で、完璧に決められていながら、完全に自由なのである、と言うことを言い始めると、もはやそれは仏教哲学のおはなしである。僕の手には負えないおはなしはここらできりとしましょうか。

兎にも角にも感ずることは、人間の手によって分かたれたものをはじめの前提にすべきではないということ。それはたしかなことのように思える。切断するのはみな人間である。それに従うと、間違える。遠のく。次第に、何から遠のいてしまったのかすら分からなくなる。分かたれてしまうと、分からなくなるのだ。それはよろしくない。あまり利口とは言えない。分かる、ならば、はじめから。分かたれてしまうまえのところをまなざし、分かつべきだ。そこに、人間である、ことを超えた、1人の人間のまなざしがある。僕はそのことにしか興味がないと言ってしまっても言い過ぎではないかもしれない。分かつこと。分かたれてしまうこと。分かつことのできぬもの。分かること。分からぬこと。そのひとつひとつの、やわらかく繊細な人間の息づかいを、僕は、聴きたいのである。

昨晩。僕は、音の河のなかにいられたのだと思う。少なくとも、これまで以上に、遥かに、分かつことなく、水槽ではなく、水、それ自体のなかで、ひとつひとつの音楽というものを、その場で、曲、というものに編み上げながら、うたをうたうことができた。それが、よかった。ライブという時間、空間のなかで、それがなかなかできぬこと、苦しかった。いつも頭を悩ませ、落胆、なぜすぐに線をひいてしまうのか!とじぶんを叱責し続けてきた。しかし、昨日は、すこし、それができた。曲のなかではなく、つまり、音楽というかたちではなく、かたちを含みこむ、音の河、それ自体をライブという時空のなかで感ずること、それが、すこしばかり、できた。あれは、よかった。求めていたのは、あの感じだった。まだまだ下手くそだが、音の河として曲を演じうたうことそれ自体その時空自体を裁断することなく河としてわが身に受け感ずることができるのだということをこの身をもって知ることができた。得難い夜。そして、やはり、その感覚は、伝わるひとには伝わるのだ。言葉はいらない。言葉では、説明できない。ただただ、感じたい。そして、その、感ずるところを、感じていただきたい。そして、その、感ずるところを、だれかの手にゆだねてゆきながら、僕は、すべてのひとびとのなかにある河、音の河と河との出逢い、それらが融和する官能、その先に生まれる新たな河、そうしたものをていねいに、まなざしてゆきたい。井筒俊彦は、世界宗教なるものを、河に喩えていましたな。おなじこと。音の河は、また、宗教の河でもある。どれがホンモノの河であるかなど、ほんとうにどうでもよいことなのに、なぜ、いまだにひとはその正しさを主張し闘い血を流すのか。僕には意味がわからない。そんな愚かな闘いはもうやめにしましょう。正当な正しさではなく、己の魂の河に素直に耳を澄ます。闘いではなく、ひとつひとつの河が澱みなく流れ、分かたれることなく融和し、ひとつの大きな河となり、それが、海へと、ゆきつくように。音の海へ。そこには、空もある。空と海の還る場所。そこには、境界線はなく、曲はなく、音楽なるもの以前の音楽の総体、それはつまり、音楽でなくてもかまわんものとしての音楽があり、音楽以外があり、すべてが、ひとつであるところ。そこまでをまなざしながら、僕は、僕の、音の河を、ただただ、流れに身をまかせ、流れてゆきたいと、思います。

2014年11月17日月曜日

檸檬と皮膚、或いは、羅針盤。

こんがりと揚げられたゲソの唐揚げと共に小さな皿に添えられた檸檬の切り身を友人が囓っていた。檸檬とは囓ることのできるものなのか、僕は目を丸くしてその姿を一瞬眺め、そして、その不躾を恥じた。檸檬の切り身を囓ることくらい、誰にも造作もなかろうに。何を不思議がっておるのか。檸檬と囓るということと、特段、結びつかぬ理由などないではないか。檸檬を囓る友人。とても自然なことなのだ、彼にとっては。それはそれ、これはこれ。自然なことなんて人の数ほど、いや、人の数の中には無数の人がいるので、人のなかにある人の数ほど、それは、或いは、天球の星々の数に及ぶだろう。一体この宇宙空間とやらには、幾つの星があるのだろうか。その数を数学的に知りたいとは思わないが、やはり幾ばくかの興味というものはある。檸檬を囓る人々。この地球には何人くらいいるのだろう。こちらは星の数ほどは気にならぬが、旨そうに檸檬を囓る友人の横顔を眺めていたら、ふと、気にならんではないことだ。檸檬を囓る友人の横顔。

顔は言葉よりも多くを語るものらしい。このところ、わたしの両の目は、必要以上に人間の顔を眺めるために力を注いでおるらしく、それは疲れることでもあるのだが、如何せん、人の顔というものは面白いものである。顔を面白がるなんて失礼な奴め、と、厳格な方々にはともすればお叱りを受けそうな心地もするが、仕方あるまい。人間の顔というものはどれだけ眺めてみても飽きぬものなのだ。これもまたわたしのひとつの自然であり、厳然たる事実なので、お叱りを受けようともやめる気などはさらさらありはしないのである。

顔。眺むることの面白さの多くは、皮膚と眼にあると思う。そればかりではないのだが、要約するならば、焦点はその二つに定められる。顔立ちと顔つきは似て非なるものであり、それらは、人生のはじまりとおわりの双方の両端を黙示録的な暗号化を通して見る者に伝えるものであり、自己では計り知ることのできぬ、その人間の生き様を記し、他者から眺むるに、その人間を推し量るための格好の材料を提示するものであり、ひいては、この、顔、なるものをまなざすことは、他者の生きることのある種の正しさ、いや正しさというと語弊があるのかもしれませぬが、そういう類の、羅針盤のようなものとして計り知るための、そういう類のものなのかもしれないなと思うわけであります。人の顔を見ること、眺むることとは、自分なるものが知り得ぬ自分自身の姿形を通して、その人間の現在から出発して、過去と、これから先歩んでいくことになりそうな可能性としての未来と、そうした時間軸を含めた人間そのものをまなざすことに通ずるものなのだと、近頃のわたしは思うわけであります。だから、人の顔は、とても面白いのです。

愛し合う者たちが互いの顔を見つめ合うのも、おそらくは、そうした、顔の面白みを含んでおるのだとわたしなんかには思われます。それは、愛し合う者たちが、互いの言葉や声だけは計り知ることのできぬ相手の過去から未来という射程の出来事が、顔の、皮膚や、眼、というものに、描かれているからだと思うのです。そんなことは気にしておられぬ方々がほとんどだと思いますが、顔を見たい、顔を見せる、ということが、じぶんはどうにか元気で生きているということを相手に伝えるための最もよい手段だとみなが信じていることと、このこととは、おそらくは、通じているのだと思います。顔には過去と未来が描かれております。だから、彫刻家は、顔を掘るのです。掘ることなく、その対象の顔を石膏の型にはめ込んで、石膏を流し込んで固めてしまえば、現在の顔に瓜二つの顔が出来上がるでしょうが、それでは、ダメなのです。そうして拵えた顔には、現在の物質としての顔しか、彫り込まれておりませんから。顔には、眼差しを与える他者が必要なのであります。見ること、見られることを通して、顔は、ようやく、時間を持ち、息をし始め、未来を語り始めるのです。だから、掘るのでしょう。私はあなたの顔をこのように見ておりますよ、と、掘るのでしょう。言葉には出来ませぬからね。掘るのです。そうして他者の顔を掘ることは、愛のあることだなあと思うわけです。愛がなければ、人間の顔には、現在しか映りませんから。だから彫刻家は掘るのです。たぶん。そして、だから、愛し合う二人は、互いの顔と顔を向け合わせ、時に、顔と顔の最もやわらかいところ、唇を重ね合わせ、互いの顔のあることを、そして、互いの顔の、これからも変わってゆくやわらかさのあることを、そっと、顔で、確かめあうのでしょう。わたしは勝手な事ばかり言いますね。ははは。わたしは、あなたの顔を見ることが好きであります。あなたの顔を、どうかわたしだけにそっと、見せてやってはくださらぬでしょうか。ははは。

2014年11月15日土曜日

物語「鏡像空間紀行」第一章

目を開けると、僕の目の前には、一つの扉があった。ピカピカに磨かれたシルバーの扉は全面鉄製で、ドアノブも含めて、全てが銀色の輝きを放っていた。シルバーメタリック。子供の頃流行ったミニ四駆、車体に穴をあけメッシュを貼り付け、モーターを改造し、二段構えのローラーを備え付けることでコーナリングをスムーズに行えるよう配慮し、ミニチュアサーキットを走る幾つもの車体の中で最も目立つ色をスプレーで塗装する。僕のマシンは、ビーク•スパイダー。蜘蛛をモチーフに作られた車体の先端部分は二股に鋭く尖り、見るものを威嚇する。僕はその車体に、ブルーメタリックのスプレーを照射した。ブラックのボディは見る見るうちにブルーメタリックの霧に覆われてゆく。光り輝く青を身に纏う蜘蛛のマシン。たまらなくかっこいいと思った。この扉の色と輝きは、今は亡き、あのマシンを僕の脳裏にイメージさせた。

僕はドアノブを右手でそっと握り、ガチャリと音がする方向へゆっくりと、しかし、完全に回し切った。ドアノブは滑らかな手触りを僕の右手に伝え、この先にある場所へ足を踏み入れるための勇気をそっと差し出してくれた。

シルバーメタリックのドアノブを回し、シルバーメタリックのドアを向こう側へと押し込むと、ドアの向こう側の空間が見えた。僕は迷わずそこに足を踏み入れた。扉を後ろ手に閉めて、空間を見渡す。奇妙な風景が広がっていた。半球体状の鏡が無数に敷き詰められていた。一つ一つの鏡は奇妙に歪み、バラバラの大きさで加工され、接続されていた。空間の全容を把握することはできない。それは余りにも巨大な空間であり、壁などによって仕切られた部屋なのか、無限に広がる宇宙のような場所なのか、それさえも僕には判断することができなかった。ひとまず僕の目に映るのは、奇妙に歪められ接続された半球体の鏡の群が織りなす巨大な鏡の反転空間であった。大きさのまばらなそれらの鏡は、僕の頭上から両側面にかけてびっしりと隙間なく埋め込まれ、全体としてそれを眺めると、ボコボコとした鏡の群がひとつの巨大な蜂の巣の内部のように見えてきた。ここは一体何処だ。僕の脳内には奇妙な鏡に映し出される無数の自分の歪んだ鏡像と、この空間の意味に対する疑問符とが交互にめまぐるしく立ち現れた。


2014年11月14日金曜日

透明な水槽 心の膜 と 樹々の歌

何かに呼ばれるように、ガットギターをケースに詰め込み、夜の森へと向かった。お決まりの演奏場所。お決まりの樹々。オレンジ色の蛍光灯が、大きな蛍のように灯っている。いつも通りの夜、井の頭公園。お決まりのベンチに腰掛けて、煙草に火をつけた。深く煙を吸い込んで、タコのように唇と尖らせて、煙を吐き出した。満遍なく満ちた夜の気配に身体と心を沈めて。固くなった自分の気配を溶かしていた。

そっと、ギターをケースから取り出して、ジャランと音を鳴らす。どうも、聴こえが悪い。いつの間にやら僕は、ライブハウスで演奏するための音しか鳴らすことができなくなっていた。綺麗に整った音は、森の樹々の気配には馴染まず、ただ、音が音としてだけ、僕の前にポツリと浮かび、地に落ちた。これは、やっぱり、ちがうなあ。

マイクの前に座り、わざわざ演奏を聴きに来た有り難いお客さんに向けて、歌を唄う日々が、いつの間にやら、僕を歌から遠ざけていたことを知った。

僕の大好きな音を奏でる友人は、ライブハウスでライブをすると、そのモードに切り替わると、野原で演奏できなくなると話していた。僕にはとてもよくわかる話だった。僕も、このところ、そんなふうになっていた。樹々に向かって歌うことが僕のほんとうなのに、僕は、樹々に向けて歌を唄えなくなっていた。それがなぜなのか、よくわからなかったし、今でも、よくわからない。ただ、ライブハウスを含めた、演奏するための舞台に立ち続ける日々が、僕にとっての自然さから僕を遠ざけたことだけは、まごうことなき事実なのだった。固くなる身体、心。固くなる、歌、音。音楽が死んでいた。

音楽は、何処に向けて、奏でられるべきなのだろう。近頃、その事をよく考える。そして、その度に、答えは見つからぬまま、問いは宙へと消えてゆく。

ミュージシャンはお客さんに向けて音楽を演奏するのだ、という事実は、現象としては正しいが、ほんとうにそうなのか、僕にはよくわからない。ただ、僕には、お客さんに向けて演奏をするということの意味がわからないのかもしれない。うまく説明できないのだが、お客さんに向けて演奏するという、心のベクトルを向けるとき、僕にとっての音楽は死ぬのである。心を差し向けた瞬間に、驚くほど一瞬で、死ぬのである。これが何故かはわからない。しかし、音楽が死んだ瞬間を肌で感じる。音楽が、死骸となって、もはや音楽ではない現象としての音?なるものとして宙に舞い、地面に落下することを眺める覚めた?冷めた?醒めた?自分のいることは、よくわかる。もはや、音楽が楽しいとかそんな事すら忘れてしまうほどに、僕の演奏はかつてと比べて「上手くなってしまった」のだな、と、この前、高円寺の行きつけのカフェギャラリーで演奏したときに気づいた。

そのカフェギャラリーは、僕の音楽の一つの故郷である。僕はその場所で、はじめて、見知らぬ誰かと共に音楽のなかに生きることのできることを知った。誰かに向けて、ではなく、誰かと共に音楽のなかに生きていること、誰かと共に音楽が生きていること、そうしたことができるのだということを学んだ。だから僕は、ひとりぼっちだった自分の音楽を誰かの前にさしだしてみたいという気持ちを持ったのだった。

その、僕の、故郷が、気づけば、僕の音楽にそっぽを向いていた。先日、その店で音を鳴らしたとき、ひやりとした。一音鳴らして、僕は、もう音を鳴らしたくないと思ってしまった。いや、正確には、音を鳴らすことが怖いと思ってしまった。あれほど自由に出てきていたメロディも潰え、口を開いても、どのように歌えばいいのかわからず、僕は、逃げ出したくなった。あんなにも、親密な場所だったのに、どうして。不安は膨らみ、ついには演奏をやめてしまった。僕は、自分に失望した。僕の音楽は、もはやここでは生きられないのだ、と、涙が出そうになった。

僕の演奏は、実際のところ大した技巧などはないヘタクソなものなのだが、それでも数ヶ月前より格段に上手くなった。音が精密に聴き取れるようになり、出したい音を出せるようになった。歌も、上手くなった。数々のメロディと声色と質感を使い分けられるようになった。どのように聴き手に届けるべきか、どのようにパッケージングすべきか、すぐさま判断できるようになり、音楽としてのクオリティは高くなった。それは間違いない。そして、だから、僕の音楽は、死んだのである。

上手いこと、綺麗なこと、が、すぐさま間違っているのではもちろんないし、それ自体は、よいことであると思う。ただ、上手くなること、綺麗になること、で、こぼれ落としてしまうものがあるのだということをこれほど実感したのははじめてだった。こぼれおとす、というか、息の根を止める、ということが起こりうるのだということ。技術は、音楽を生かしながら活かさなければならない、技術は容易に音楽を殺してしまうのだということに、僕は気づかぬまま、上手くなってしまったようだ。だから、あの店、あの場では、歌えない。死んでいる音楽の姿を、あの人には晒せない。僕は、少々、間違えた道をこの数ヶ月で歩んでしまったらしい。

もう一度、生きている音と生きなければ、そう思った。歌うことでしかうまく呼吸のできない自分は、死んでしまった音楽のなかで、具体的な現象として死にかけていた。息がうまくできない。歌いたくない。音が出したくない。だから、詩を書き、絵を描き、物語や文を綴り、やり過ごしていた。歌ほどではないにせよ、それらもまた、僕に、息の仕方を教えてくれるものたちだから。

あの日の音楽のなかへ帰るために、僕は、森へ行った。窒息しかけの水槽の中の鑑賞用熱帯魚に成り果てた自分の身体と心。樹々は変わらず受け止めてくれた。そして、少しずつ、ゆっくりと時間をかけて、水槽のガラスを壊し始めた。声も音も、はじめは、内側へ響かなかった。声が遠くに聴こえた。耳に白い膜がはっているように感じられ、音楽にふれることができなかった。誰かに向けた音楽は、僕のなかに響く生きた音楽ではなかったのだ。白い膜はなかなか脱げなかったが、少しずつ、耳の形が露わになってきた。声が、音が、聴こえはじめた。音楽が呼吸しはじめた。僕が呼吸しはじめた。るるる。身体のなかに音が響きはじめた。ららら。音楽が回転しはじめた。ろろろ。手放してしまっても音は勝手に鳴るのではないかギター りりり。音、回る。るるる。音楽、生きている るるる。もう膜は消えた ららら。歌、飛びだす 突き抜ける 閃光 夜を串刺しにする るるる。ああ、自由だ。どんなことをしてもひとつの音楽だ りりり。れれれ。みー。音楽が生きている音楽が生きている音楽が生きている音楽が生きている僕が生きているるるるるるる。

忘れていた感覚官能。音楽は生き物だったのに僕が殺した。マイクはいらない。聴衆もいらない。舞台もいらない。少なくとも僕のほんとうの場所にそれらは不要だ。邪魔になる。僕と僕以外を隔てる輪郭線。そこにある、白い膜。さらに構築された透明な水槽。僕は、壊し続けなければならない、水槽を。そして、抗い続けなければならない、白い膜へ。境界、輪郭、線、分け隔てるものへ。透過するのが、音楽である。音楽ほど、それを透過できるものはない。だから僕は音楽なのだろう。それしかないのだろう。

水槽はバラバラに砕け散り、白い膜は、少し、ネバネバとこの身にとりついている。でも、息ができる。よかった。ここが、僕の場所。僕の還る場所。忘れてしまわないように、何度でも、還ろう。音楽の生きている場所へ。


エッセイ「台風の目」

ぎしりぎしりと音がするのである。錆びついた鉄と鉄とをこすりあわせるかのような、鈍い、音がするのである。軋みをあげる骨や肉や筋、奇妙に歪んだ臓物、平衡を保つ事さえ叶わぬ顔と腰と。わたしを織り成す物、皆、ガラクタと成り果ててしまったのである。

具に観察セヨ。
マダ私に、何ガ残ッテイルトイウノカ。

軋みあげて踊り狂うことでしか生存の本能さえも放棄せんとする我が身の不自由を嘆くとも分かち合うことのできぬ事柄への寂寥の念を唯深め、己の心の臓の鼓動の唯一定に打ちつける音を独り聴くのである。

かなしくて泣く事さえも忘れてしまう。
かなしくて泣くのではなくて、
両の眼から涙の粒をポロポロと零してみるとことで、
ようやく、悦びを感ずる事が出来るのである。
即ち、涙とは、悦びを逆照射するメランコリーの太陽なのである。
そう言い切ってしまいたい慾望を一旦制止するとしても、はてさて、近頃のわたしは泣かなくなった。一応は、男で御座いますから、それもまた当然でしょう。昔のわたしは、それはもう、毎日のように泣いておりました。泣く事が唯一の仕事なのではなかろうかと思えてしまうほどに、毎日、毎日、泣いておりました。何がそんなにかなしくて、泣いていたというのか、近頃のわたしにはまるでわかりませぬが、兎にも角にも、泣く事でしか、何事をも解決することができなかったのでしょう。どれだけ我慢をしてみても、目頭が熱くなり、沸騰寸前のヤカンのように赤く染まった顔をぐしゃりとつぶし、啜りあげるように泣くのである。なんとも、おかしなことです。泣いたとて、何も変わりゃあせんのだよ、無くしたものは戻らぬのだよ、と、いまのわたしならば言ってやりたくなりますが、言ったところで無意味でしょう。泣きたかったのでしょうから。兎にも角にも。

幸福のど真ん中にあるとき、人は、どうやら、涙を流すことすら、忘れてしまうようです。この事をわたしは、ようやく、学びました。ど真ん中は、静かなのですね。ちょうど、台風の目のようなものです。幸福は、渦を巻くのであります。そして、それは、移動しながら、また、何処か遠くへと消えてゆくのです。必ずや、消えてゆくのです。永遠なる台風などありはしないように。

幸福を望んでいたときもありました。それは、おそらく、夢というものだったのでしょう。夢を見ていたのです。幸福の賛歌。揺るがぬものへの憧れ。未だに完全に消え失せたとは言い難いもので、それは魅惑する美女の有り様のようなもので御座いますが、既にしてわたしという人間は、そのような美の在り方に素直に首を垂れるほどには素朴なままではいられぬようになったということでしょう。

今は、もう、うまく泣く事すら出来なくなりました。耐え忍ぶ事が得意になったのでしょう。なんたることでしょう。それはそれでよいのかもしれませぬが、少しばかりの寂寞の念を感じます。それなりに、歳をとってきたのでしょうか。

幸福のど真ん中。絶えず移動するその中点を、何処かに生み出し続けていきたいのだということを願うのは、一匹の愚かな人間として、身に余ることでしょうか。しかし、誰もが、それを何処かで望んでおることと思います。わたしにも、出来るでしょうか。出来ると信じてみたいのでしょう。

幸福のど真ん中へ。
沈黙のど真ん中へ。
忘れてしまう掌のぬくみのような、
かすかな記憶のふれる場所へ、
いつまでも、旅していたいと願うことは、
野暮なこと、なのでしょうか。

詩「わたしのなかのやまへ」

大人といふものに成るにつれて遠ざかるのは
あの日 岐阜の山にて聴いた 木々のゆらぎと掠れの音か
宵闇深く明けずとも
この先にまた 光指すとも 差さずとも
消えゆく声に 耳を澄ませて
飽くなき喧騒の日々は
時に 嫋やかに 時に 眩暈を催すやうに
そっと わたしの肩に ふれてくる
強張った両肩は あの日のわたしの怖れだろうか
亡くしてしまうあの日わたしの嘆きだらうか
夢酔い遊び戯れて
いま ひとたび 思い遣らん
歩けば尊し 世は情け
風の吹くまま 欠伸をすれば
再びこの耳 何を聴く
わたしのなかにある山は
いまも 静かに ゆれています

詩「煙草」

煙草の煙のやうに ゆらりゆらりと 身をくゆらせて
透明な空中に 溶けてしまえたら

かなしみ と いたみ と わたし と
すべて ひとつの出来事として 忘れられてしまえ

この 木偶の坊 め

2014年11月13日木曜日

詩「声」

わたしの耳に聴こえては
すぐに 消えてゆく

それは 常に
わたしにとっての 過去となる
かたちのないことを
幸せだと思いたい
もしもかたちがあったならば
わたしは あなたから 離れることが
できないでしょうから

詩「皮膚」

わたしのからだをかたちづくる輪郭線
その線を 艶かしく撫で回す あなたの掌
あなたの掌を 感じていると
わたしのからだに 輪郭線のあることが
赦されるような心地がする
愛は わたしのからだを 撫で回す
ナメクジのように ジワリ ジワリ と
わたしは 確からしくなる
あなたのおかげで
あなたの掌の 微かなぬくみと
優しさ故に冷え切った 皮質の一粒一粒が
わたしに 愛の 具象たるものを
教えてくれる
忘れてしまわぬように
あと少し もう少し だけ
この 汚れた皮膚を 撫でてください

詩「太陽」

放射する太陽の光を粗末な足元に浴びて
じりじりとした黄金色の温度を纏うたびに
私は その光のなかへ 溶け出してしまいたいと思う
溶け出すことができたなら
どんな心地がするだろう
太陽は ギラギラと輝く空に棲む黄金色の雲丹のように
じっと身を固めて 私を見ているだけである

詩「青空の下にて」


「どうしてぼくはここにいるの」
そう子供が問うものだから
私は 答えに窮してしまう

ふと 空を見上げると
雲一つないこの空の下
このからだを授かったことの悦びよりも
この空のあることを眺むることしかできぬこの両の目と
ほんのひとときしかあなたの掌を掴むことのできぬ この両の掌とが
なぜ 二つあるのかと
どうして 一つではないのかと
二つの意味を考える

そして
この 何処までも続く 青い空は
どうして私ではないのかと
恋い焦がれる想いばかりが
胸のあたりに ちいさな穴ぼこを
穿つのだ

魔物へ。

名前の分からない重苦しさが身体の其処彼処に蔓延っている。節々が硬くなり、細部にまで張り巡らされた神経の一本一本がギシギシと軋むように痛む。この痛み、以前よりは少しばかり恢復したのだが、このところ、またもや深々と僕の身体を蝕んでいるのを感じる。自分の身体なのだから当然逃れる術はなく、「身体が衣服であるならば、すぐにでも脱ぎ捨てて新しい身体を着直したいのになあ。」などと如何ともし難い欲望をポツリと独り零してみても何も変わらぬまま日々は次第に冷たい冬へと足を踏み入れてゆく。

近頃、よく、ライブというものをしている。ライブハウスという場所にも頻繁に足を運び、お金を払って演奏を聴きにきたお客さんの前で、ステージに上がり、歌を唄う日々を過ごしている。

2014年11月、を、僕は、ライブ月間と定めたのだった。なぜ、そう定めたのかは、今となってはよくわからないのだが、偶然の積み重なりと、僕の微かな意志が作用した結果であろう。僕はライブをしている。人前で、歌を唄うのだ。

21歳の秋。ちょうど、5年前のこの時期の事だったのか、と、いまこの文章を書きながら思い返している。僕は、初めて、ライブをした。下北沢にあるカフェ、確か、名前を、なんとかファクトリーとかいう、ちょいと浮かれた雰囲気のカフェバーで、何処ぞの有名な起業家が立ち上げた場所で、その男の出版した、僕にはなんとも面映ゆい想いのする自己啓発本の数々が小さく清潔な本棚にギッシリと並べられていた。

僕は21歳の時に一度、世に言う「音楽活動」なるものを始めよう決意し、世に言う「ライブ」というものをやろうと決め、下北沢の、そのカフェバーへとやってきたのだった。その日までに、当然、曲を作らなければならない。なぜなら、ライブをするからだ。ライブをするんだから、自分の曲がなくてはいけない、だから、僕は、ライブ用に、5曲のオリジナル曲を拵えた。未だに覚えている曲は「夕暮れ列車」という曲と「風の帰る場所」という曲だ。その他の三曲は、もう、忘れてしまった。大した曲でもなかったのだろう。大した曲など未だに一曲も書いたことはないのだが。兎にも角にも僕はその5曲とギターを引っさげて、下北沢へ向かったのだった。

本番の事は、あまり覚えていない。本番前に呑んだビールが空きっ腹に効いたのもあるが、緊張していたのだろう、それも極度に。僕は極度の緊張しいなのだ。大事な時ほど緊張して頭も身体も動かなくなり失敗してばかりだった。その度に、なんで自分は緊張しいなのだろうと自己嫌悪に陥ったものだった。今では、鈍くなったのか、どんな状況に置かれてもたいして緊張などはしなくなった。歳をとることの効用のひとつかもしれないなとじじくさいことを思ったりもする。

ライブ自体は、やってよかったなあ、と思った。自分ごときの歌を人様に聴きに来てもらうことの申し訳なさは未だに変わらぬものだが、それでも、自分の歌を自分で唄うということの経験は、他には代え難い恍惚感を僕に与えてくれたことを覚えている。褒めてくれる友達もいた。素直に嬉しいと思ったことも覚えている。自分も歌を唄っていいのだ、と、思えた初めての夜だった。

微かな記憶のなかではあるが、僕は、ギターを手にする前から、風呂に入る度に、てきとーに歌を作って歌っていた。はじめは、誰かの歌だったりするのだが、次第に、他人の歌を唄うことに飽きてきて、ボイスパーカッションなども交えたりしながら、好き勝手に、口から出てくるままに、歌を唄っていた。風呂場での唯一の愉しみが歌うことだった。あれは中学か高校生のときの事だろうか。あまりよく覚えていないが、とにかく大声で好き勝手歌うものだから、母ちゃんや弟はいい加減にしろと思っていたに違いない。申し訳ないことをしたなと思う。

思い返せば、あの時から、僕の歌の作り方は何も変わっていやしないのだな。要するに、テキトーなのである。テキトーさに関して言えば、日本広しといえども右に出る者はいないのではないか?と言うと言い過ぎだが、とにかく、阿呆なので、テキトーなのである。テキトーにやると、テキトーに何かが生まれてくるものだから、そのテキトーさに乗って、どこまでもいけるのである。僕は自分の声や言葉を波のように乗りこなし、架空のサーフィンをするのだ。波が止んだら次の波を待つ。そして、タイミングを見定めてパドリングを行い、再び、波に乗る。その繰り返しが、僕の風呂場の日常であった。

近頃は風呂場での波乗りはしなくなったが、曲作りは未だにサーフィンだ。波がやってくるのを、ただ、待つ。来たら、乗る。ただ、それだけの事だ。だから、作るという気持ちがサラサラありはしない。波は勝手に来るのだから、乗りに行けばいいのだ。ただし、海に行かなければサーフィンはできないように、歌のやってくるところに行かなければ音楽のサーフィンはできない。そこまでいくことが僕にとっての作曲ということであり、同時に、歌うということであった。作ることと歌うことは二つで一つであった。それが当然だと思っていた。

サーフィンは、波に乗っている瞬間が楽しいのであって、その波がどんな波なのかわからないから楽しいのである。決まった波しか来ないのであれば、同じ乗り方しかできないので、飽きてしまう。歌も僕にとっては同じだ。同じ波しか来ないならば飽きてしまう。それはつまらない。毎度、違う波に乗りたいし、違う波に乗るその瞬間のなかで味わう速度やスリルを味わいたいのだ。

だから、曲を、ちゃんとした形で、作品に残すということの意味がわからなかった。未だに、よくわかっていない。

皆、当たり前のようにアルバムを作ったりしていて、僕は、正直、いつも不思議で仕方ないのだ。素直に、すごいなあとも思うし、同時に、なんでそんなことするの、と、なんだかいやあな気持ちになったりもする。変な感覚がある。それは、すごく正直なことだ。

毎度違う波に乗りたいだけの僕にとって、作品を作ることは、波の発生装置をつくり、毎度おなじ波が来るように設定した「波発生マシーン」の作り出した波に同じように乗ること、のような感じがするのだ。それは、作品を作るという意味での音源制作でも言えることだし、決まった曲をやるライブというものにも、同じものを感じる。

作品とは、なんだろう。
これが、未だに僕にはよくわからない。特に、音楽に関しては。

写真とか絵なら、なんとなくわかる。形が残ることが当然だから。やり直しはきかないから。それは一回だから、波乗りのようなものだ。

でも、音楽は、演奏をしなければ聴こえないもので、それを記録することは、ある一つの波を記録することでしかない。でも、その一回だけが、作品となるらしい。一回ではないはずのものが一回のものとして扱われて評価されること、それを固定してしまうこと、その不自然さに、僕は、どうやら、未だに馴染めずにいるらしい。

所謂、ライブというものが、僕はあまり好きではない。それも、同じような理由でもある。

ただ、独りで、ただ歌うこと、それ自体が好きなのだ。結局のところ。別に、伝えたいことなどない。し、伝えたいことがないといけないなんて一体誰が決めたんだろう。

表現という言葉が嫌いなのは、だからだ。

表現したいものが何か。
そんなもの、本当はどうでもいいことだと僕は思ってるし、それを押し付けられるのはものすごくムカつく。

「表現したいもの」なんて言葉で言えることなら表現する必要なんてなかろう。言葉で言え、と僕は思う。

なんだか、言葉が荒くなってしまった。鼻息フーフー。落ち着こう。別にそういうものがあってもいいと思う。ただ、僕は好きじゃない。それだけ。レプリカは嫌いだ。

最近、ライブをしていて、どんどんライブをしたくなくなってきている。ライブをする度に、何か大切なものが損なわれていくことを感じる。消耗する。傷つく。それは、演奏をけなされたとかそういうことではなく、演奏をすることが嫌いなのではなく、ライブをする場所やお客さんが悪いのではなく、僕が、ライブというものに潜む魔物にうまく向き合えていないということなんだと思う。

舞台には、魔物がいる。
これは、わかってくれるひとわかってくれるし、わからんひとにはわからん類のことだ。そういう類の物事がこの世にはたくさんある。僕はどうやら、ライブに関して、この魔物の存在に対峙しなければいけない点でマイノリティなのであるということが近頃よくわかった。

その魔物は、作品、や、完成、や、パフォーマンス、という言葉の裏側にも潜んでいる。それに毒されて、僕はいま、歌うことさえもうまくできなくなってしまいそうな自分のいることを感じている。息をするために歌っていたはずの自分が、歌うことによって窒息させられかけているという悲劇は自分で笑えてくるどうしようもないチンケな代物である。その奇妙な悲劇は、僕が勝手に臨んだものだ。それは、僕が、僕の本質を殺してでも立ち向かってみたいと思う人生の一つの岐路に立っていることでもある。それはそれで悪くはない。学びも、ある。

アートも、音楽も、表現という言葉で語られるものには、この魔物が潜んでいる。それは、僕にとっては、間違いのない事実だ。それは、実在する悪魔だ。奴は、メデューサのような力を持っている。身体や心を石に変えてしまう恐ろしい力だ。僕は5年前、その力に屈して、逃げ出した。だから、人前で歌うことをやめたのだ。作品も作らなかった。その5年間で、僕は、魔物と闘うための力を必死で培ってきた。いま、戦いのときだ。負けてはいけない。もう、負けはしない。敗北は己の決めることだ。たとえ勝利はなくとも、敗北は認めない。その魔物に喰われていては、僕は、おそらく、僕としてこれから生きて行くことはできないからだ。

あらゆる表現の現場は血みどろの殺し合いを生み出す戦場である、と、僕はずっと思ってきた。それは、物事の負の側面である。それは、確実に存在するし、アートなどという言葉が人を死においやる力を構造的に持っていることに気づかぬままに表現などというものにうつつを抜かす自称アーティストを僕は蔑視する。僭越ながらも、蔑視せざるを得ない。自分がそうなってしまったならば、真っ先に自分を殺す。僕はそう決めている。そうでなければ、僕自身が魔物となってしまうからだ。隠された悪は注意深く拒まなくてはならない。僕は、僕が、そして、すべての存在が、あるがままであるように、ただ、生きていたいだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。そして、それ以上でもそれ以下でもないところ、万物天地とともにあるものしか僕には本物だとは思えない。これはどうしようもない僕の確信的事実であり、それを他者に押し付けるつもりはない。ただ、魔物に喰われかけてしまっているいまの僕は、僕自身の延命措置のためにこの文章をこんなところに書いている。なんとも脆弱な精神だが、お許し願いたい。僕は生きなければならないのだ。そのためには手段を選んでいる余裕はない。本当に生きるために。魔物に抗うために。僕は僕の本当に真摯に向き合いつつ、社会との接点を構築していかなければならない。その度に、構造や、形が現れる。すぐに取り込まれそうになるが、取り込まれてはいけない。ひりひりとした戦いは、おそらくこの先もずっと続くのだろう。その上で、他者にたいして、それを、価値として、受け取ってもらうために、僕には何ができるのだろうか。それを考えていかなければならない。その先にしか、僕の居場所はないのだろう。属することのできない苦悩を放棄してしまいたい。そんな気持ちはもちろんいつでもある。僕は弱い。だから、闘うしかないのだ。すぐに死んでしまう弱小生物は、生存本能を最大限活用しながら、生成変化し、生き延びなければならない。大変なことだ。だが、かまわない。そうして生きることに決めたのだ。誰が笑おうが気にするものか。道はない。万歳。有り難う苦悩の日々よ。最高の人生を送りましょうか。血みどろになりながら。

人は 線を引く
ペンで
紐で
指で
人は 線を引く

人は 線を引く
刀で
言葉で
権力で
人は 線を引く

人は 線を引く

人は 線を引く
線を引くことで
人は 人としての 輪郭を
保つことに 必死なのだ

形を無くしてしまうこと
それは ぼくたちにとって
とても こわい ことなのだ

死ぬこと
すべての人たちに
刻印を押す
医師は 死を知らぬまま
死を告げる

残された人たちは
今宵も 何処か
僕の知らない町の
僕の知らない家の
僕の知らない生活の
僕の知らない台所の
冷凍保存された鮪の切り身のように
死を 見まいとする慾望の
切り出した 切り身のように
解答を予め血抜きされた解凍作業

予め切り出された鮪の切り身
冷ややかな包丁を突き立てる女は
焼却処分された生ゴミと
火葬された主人の区別も知らず
解凍された鮪の切り身へと
その 鋭い刃を 突き立てる

紅い紅い 鮪 の 切り身
血を流す事もできない鮪
包丁は その身に 綺麗な 線を引く
鮪は 次第に 鮪らしく
整え 磨かれた 器に相応しい
綺麗な 切り身と 成ってゆく

主人は 灰になり
無限にも思える天球の空
浮かび 舞い 土に還った
かつての存在の記憶と
死体と成り横たわる身体
生きたこと と 死んだこと
二つの 過去の記憶を遺して

女の住む町
何処も変わらぬ建築物
町もまた 線を好むのだ
町もまた 人間の物だから
それもまた
形を無くしてしまうことを
とても こわいと おもうのだ

形 象 像 かたち カタチ …


草原に横たわる
誰もいない公園の
大きな楕円形の競技場
楕円形の真ん中に敷き詰められた
草 草 草
どんな草が其処に生きているのか
僕には わからない
そっと みつめてみる
色々な草が
色々な仕方で
小さな 色々な 緑色を
目一杯に背伸びして
空に向けて 立っている

草が 立っているなあ
不思議だなあ
踏んづけても
蹴り飛ばしても
草は 立っているんだなあ
草は 強いなあ
草は 頑固者だなあ
草は 負けず嫌いだなあ
でも 草は
どれも 似ていないなあ
草は 同じ名前の草でも
みいんな 違う形をしていて
みいんな 違う色をしていて
みいんな 空を 向いているのだ
不思議だなあ
不思議だなあ

僕の背中
紺色とベージュ色のセーター
草のみいんなの上に寝転がる
草のみいんなは ぺしゃんこだ
僕の背中や
僕の足や
僕のおしりや
僕の肩や
僕の頭に 踏みつけられて
でも なんだか 気持ちがいい
草のみいんなは どうだろう
そちらは どうですか
僕の目には
この 二つの眼球とやらには
大きな 大きな
それはもう 計り知れないほど 大きな
漆黒の 空 が 見えます。
漆黒の 空 は
いつも 僕の 遥か 遠くに
そう こんな ちっぽけな からだでは
けっして 届かないところにある
そう 思っていました。
けれど どうでしょう。

漆黒 の 空
すぐ
其処に
あるのです。

ほんの
すぐ
其処に
あるのです。

空は
遠くになんかありませんでした。
空は
草のみいんなの上に
紺色とベージュの背中を押し付けた
僕の身体の前面に 全面に
隈なく ぴっちりと
はりついていたのです。
僕の身体の 輪郭線
僕の身体の 輪郭線に沿う 漆黒の空
ぴっちりと タイツのように
はりついていたのです。
そして、僕は、目をつむります。
草のみいんなの中に
生きている
虫たちの声を聴くのです。
虫たちは鳴いています。
虫たちは鳴いています。
静かな大合唱です。
夜の草原のオーケストラです。
僕も合わせて 歌います。
リーン リーン リーン
ラーン ラーン ラーン
ルーン ルーン ルーン
ラリラ リリララ ラリラリルルル





空は次第に僕と同じものになりました。空は次第に僕の身体と同じものになりました。空は次第に僕の心と同じものになりました。空は次第に僕の魂のすぐそばまでやってきて、そっと、ぴったりと、足りない形を補うように、横に座りました。僕と空は二人で一人でした。僕はさみしくありませんでした。僕は独りでした。けれど、もう、独りではありませんでした。漆黒の空は次第に僕になりました。漆黒の空は漆黒である事さえも忘れてしまいました。漆黒である事さえも忘れてしまった空は次第に空である事さえも忘れてしまいました。空は空であることを忘れて、僕は僕であることを忘れて、草原も草原であることを忘れて、みいんな、みいんなのことを忘れて、ねむりにつくのです。

形のあることは
とても 疲れることだなあ
線を引くことは
とても 疲れることだなあ
くたびれちまったな
そうだよなあ
なんでこんなにくたびれること
続けなきゃいかんのやろなあ
さあなあ
そういうもんだから そうなんやろ
そういうもんかあ
そら そうだわなあ
仕方ないねえ
仕方ない
仕方ないなあ
仕方ないねえ

仕方ないから
時々
帰ってこようね

うん

時々でいいから
帰ってきてね

うん

みいんな 待ってるよ

うん

僕も 待ってるよ

うん

うん

うん



人は 線を引く
人は 線を引く

生を
そして
死を
生み出すために


今日も 僕らの街は
直線だけで 出来ている