2014年11月14日金曜日

透明な水槽 心の膜 と 樹々の歌

何かに呼ばれるように、ガットギターをケースに詰め込み、夜の森へと向かった。お決まりの演奏場所。お決まりの樹々。オレンジ色の蛍光灯が、大きな蛍のように灯っている。いつも通りの夜、井の頭公園。お決まりのベンチに腰掛けて、煙草に火をつけた。深く煙を吸い込んで、タコのように唇と尖らせて、煙を吐き出した。満遍なく満ちた夜の気配に身体と心を沈めて。固くなった自分の気配を溶かしていた。

そっと、ギターをケースから取り出して、ジャランと音を鳴らす。どうも、聴こえが悪い。いつの間にやら僕は、ライブハウスで演奏するための音しか鳴らすことができなくなっていた。綺麗に整った音は、森の樹々の気配には馴染まず、ただ、音が音としてだけ、僕の前にポツリと浮かび、地に落ちた。これは、やっぱり、ちがうなあ。

マイクの前に座り、わざわざ演奏を聴きに来た有り難いお客さんに向けて、歌を唄う日々が、いつの間にやら、僕を歌から遠ざけていたことを知った。

僕の大好きな音を奏でる友人は、ライブハウスでライブをすると、そのモードに切り替わると、野原で演奏できなくなると話していた。僕にはとてもよくわかる話だった。僕も、このところ、そんなふうになっていた。樹々に向かって歌うことが僕のほんとうなのに、僕は、樹々に向けて歌を唄えなくなっていた。それがなぜなのか、よくわからなかったし、今でも、よくわからない。ただ、ライブハウスを含めた、演奏するための舞台に立ち続ける日々が、僕にとっての自然さから僕を遠ざけたことだけは、まごうことなき事実なのだった。固くなる身体、心。固くなる、歌、音。音楽が死んでいた。

音楽は、何処に向けて、奏でられるべきなのだろう。近頃、その事をよく考える。そして、その度に、答えは見つからぬまま、問いは宙へと消えてゆく。

ミュージシャンはお客さんに向けて音楽を演奏するのだ、という事実は、現象としては正しいが、ほんとうにそうなのか、僕にはよくわからない。ただ、僕には、お客さんに向けて演奏をするということの意味がわからないのかもしれない。うまく説明できないのだが、お客さんに向けて演奏するという、心のベクトルを向けるとき、僕にとっての音楽は死ぬのである。心を差し向けた瞬間に、驚くほど一瞬で、死ぬのである。これが何故かはわからない。しかし、音楽が死んだ瞬間を肌で感じる。音楽が、死骸となって、もはや音楽ではない現象としての音?なるものとして宙に舞い、地面に落下することを眺める覚めた?冷めた?醒めた?自分のいることは、よくわかる。もはや、音楽が楽しいとかそんな事すら忘れてしまうほどに、僕の演奏はかつてと比べて「上手くなってしまった」のだな、と、この前、高円寺の行きつけのカフェギャラリーで演奏したときに気づいた。

そのカフェギャラリーは、僕の音楽の一つの故郷である。僕はその場所で、はじめて、見知らぬ誰かと共に音楽のなかに生きることのできることを知った。誰かに向けて、ではなく、誰かと共に音楽のなかに生きていること、誰かと共に音楽が生きていること、そうしたことができるのだということを学んだ。だから僕は、ひとりぼっちだった自分の音楽を誰かの前にさしだしてみたいという気持ちを持ったのだった。

その、僕の、故郷が、気づけば、僕の音楽にそっぽを向いていた。先日、その店で音を鳴らしたとき、ひやりとした。一音鳴らして、僕は、もう音を鳴らしたくないと思ってしまった。いや、正確には、音を鳴らすことが怖いと思ってしまった。あれほど自由に出てきていたメロディも潰え、口を開いても、どのように歌えばいいのかわからず、僕は、逃げ出したくなった。あんなにも、親密な場所だったのに、どうして。不安は膨らみ、ついには演奏をやめてしまった。僕は、自分に失望した。僕の音楽は、もはやここでは生きられないのだ、と、涙が出そうになった。

僕の演奏は、実際のところ大した技巧などはないヘタクソなものなのだが、それでも数ヶ月前より格段に上手くなった。音が精密に聴き取れるようになり、出したい音を出せるようになった。歌も、上手くなった。数々のメロディと声色と質感を使い分けられるようになった。どのように聴き手に届けるべきか、どのようにパッケージングすべきか、すぐさま判断できるようになり、音楽としてのクオリティは高くなった。それは間違いない。そして、だから、僕の音楽は、死んだのである。

上手いこと、綺麗なこと、が、すぐさま間違っているのではもちろんないし、それ自体は、よいことであると思う。ただ、上手くなること、綺麗になること、で、こぼれ落としてしまうものがあるのだということをこれほど実感したのははじめてだった。こぼれおとす、というか、息の根を止める、ということが起こりうるのだということ。技術は、音楽を生かしながら活かさなければならない、技術は容易に音楽を殺してしまうのだということに、僕は気づかぬまま、上手くなってしまったようだ。だから、あの店、あの場では、歌えない。死んでいる音楽の姿を、あの人には晒せない。僕は、少々、間違えた道をこの数ヶ月で歩んでしまったらしい。

もう一度、生きている音と生きなければ、そう思った。歌うことでしかうまく呼吸のできない自分は、死んでしまった音楽のなかで、具体的な現象として死にかけていた。息がうまくできない。歌いたくない。音が出したくない。だから、詩を書き、絵を描き、物語や文を綴り、やり過ごしていた。歌ほどではないにせよ、それらもまた、僕に、息の仕方を教えてくれるものたちだから。

あの日の音楽のなかへ帰るために、僕は、森へ行った。窒息しかけの水槽の中の鑑賞用熱帯魚に成り果てた自分の身体と心。樹々は変わらず受け止めてくれた。そして、少しずつ、ゆっくりと時間をかけて、水槽のガラスを壊し始めた。声も音も、はじめは、内側へ響かなかった。声が遠くに聴こえた。耳に白い膜がはっているように感じられ、音楽にふれることができなかった。誰かに向けた音楽は、僕のなかに響く生きた音楽ではなかったのだ。白い膜はなかなか脱げなかったが、少しずつ、耳の形が露わになってきた。声が、音が、聴こえはじめた。音楽が呼吸しはじめた。僕が呼吸しはじめた。るるる。身体のなかに音が響きはじめた。ららら。音楽が回転しはじめた。ろろろ。手放してしまっても音は勝手に鳴るのではないかギター りりり。音、回る。るるる。音楽、生きている るるる。もう膜は消えた ららら。歌、飛びだす 突き抜ける 閃光 夜を串刺しにする るるる。ああ、自由だ。どんなことをしてもひとつの音楽だ りりり。れれれ。みー。音楽が生きている音楽が生きている音楽が生きている音楽が生きている僕が生きているるるるるるる。

忘れていた感覚官能。音楽は生き物だったのに僕が殺した。マイクはいらない。聴衆もいらない。舞台もいらない。少なくとも僕のほんとうの場所にそれらは不要だ。邪魔になる。僕と僕以外を隔てる輪郭線。そこにある、白い膜。さらに構築された透明な水槽。僕は、壊し続けなければならない、水槽を。そして、抗い続けなければならない、白い膜へ。境界、輪郭、線、分け隔てるものへ。透過するのが、音楽である。音楽ほど、それを透過できるものはない。だから僕は音楽なのだろう。それしかないのだろう。

水槽はバラバラに砕け散り、白い膜は、少し、ネバネバとこの身にとりついている。でも、息ができる。よかった。ここが、僕の場所。僕の還る場所。忘れてしまわないように、何度でも、還ろう。音楽の生きている場所へ。


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