2014年11月13日木曜日

魔物へ。

名前の分からない重苦しさが身体の其処彼処に蔓延っている。節々が硬くなり、細部にまで張り巡らされた神経の一本一本がギシギシと軋むように痛む。この痛み、以前よりは少しばかり恢復したのだが、このところ、またもや深々と僕の身体を蝕んでいるのを感じる。自分の身体なのだから当然逃れる術はなく、「身体が衣服であるならば、すぐにでも脱ぎ捨てて新しい身体を着直したいのになあ。」などと如何ともし難い欲望をポツリと独り零してみても何も変わらぬまま日々は次第に冷たい冬へと足を踏み入れてゆく。

近頃、よく、ライブというものをしている。ライブハウスという場所にも頻繁に足を運び、お金を払って演奏を聴きにきたお客さんの前で、ステージに上がり、歌を唄う日々を過ごしている。

2014年11月、を、僕は、ライブ月間と定めたのだった。なぜ、そう定めたのかは、今となってはよくわからないのだが、偶然の積み重なりと、僕の微かな意志が作用した結果であろう。僕はライブをしている。人前で、歌を唄うのだ。

21歳の秋。ちょうど、5年前のこの時期の事だったのか、と、いまこの文章を書きながら思い返している。僕は、初めて、ライブをした。下北沢にあるカフェ、確か、名前を、なんとかファクトリーとかいう、ちょいと浮かれた雰囲気のカフェバーで、何処ぞの有名な起業家が立ち上げた場所で、その男の出版した、僕にはなんとも面映ゆい想いのする自己啓発本の数々が小さく清潔な本棚にギッシリと並べられていた。

僕は21歳の時に一度、世に言う「音楽活動」なるものを始めよう決意し、世に言う「ライブ」というものをやろうと決め、下北沢の、そのカフェバーへとやってきたのだった。その日までに、当然、曲を作らなければならない。なぜなら、ライブをするからだ。ライブをするんだから、自分の曲がなくてはいけない、だから、僕は、ライブ用に、5曲のオリジナル曲を拵えた。未だに覚えている曲は「夕暮れ列車」という曲と「風の帰る場所」という曲だ。その他の三曲は、もう、忘れてしまった。大した曲でもなかったのだろう。大した曲など未だに一曲も書いたことはないのだが。兎にも角にも僕はその5曲とギターを引っさげて、下北沢へ向かったのだった。

本番の事は、あまり覚えていない。本番前に呑んだビールが空きっ腹に効いたのもあるが、緊張していたのだろう、それも極度に。僕は極度の緊張しいなのだ。大事な時ほど緊張して頭も身体も動かなくなり失敗してばかりだった。その度に、なんで自分は緊張しいなのだろうと自己嫌悪に陥ったものだった。今では、鈍くなったのか、どんな状況に置かれてもたいして緊張などはしなくなった。歳をとることの効用のひとつかもしれないなとじじくさいことを思ったりもする。

ライブ自体は、やってよかったなあ、と思った。自分ごときの歌を人様に聴きに来てもらうことの申し訳なさは未だに変わらぬものだが、それでも、自分の歌を自分で唄うということの経験は、他には代え難い恍惚感を僕に与えてくれたことを覚えている。褒めてくれる友達もいた。素直に嬉しいと思ったことも覚えている。自分も歌を唄っていいのだ、と、思えた初めての夜だった。

微かな記憶のなかではあるが、僕は、ギターを手にする前から、風呂に入る度に、てきとーに歌を作って歌っていた。はじめは、誰かの歌だったりするのだが、次第に、他人の歌を唄うことに飽きてきて、ボイスパーカッションなども交えたりしながら、好き勝手に、口から出てくるままに、歌を唄っていた。風呂場での唯一の愉しみが歌うことだった。あれは中学か高校生のときの事だろうか。あまりよく覚えていないが、とにかく大声で好き勝手歌うものだから、母ちゃんや弟はいい加減にしろと思っていたに違いない。申し訳ないことをしたなと思う。

思い返せば、あの時から、僕の歌の作り方は何も変わっていやしないのだな。要するに、テキトーなのである。テキトーさに関して言えば、日本広しといえども右に出る者はいないのではないか?と言うと言い過ぎだが、とにかく、阿呆なので、テキトーなのである。テキトーにやると、テキトーに何かが生まれてくるものだから、そのテキトーさに乗って、どこまでもいけるのである。僕は自分の声や言葉を波のように乗りこなし、架空のサーフィンをするのだ。波が止んだら次の波を待つ。そして、タイミングを見定めてパドリングを行い、再び、波に乗る。その繰り返しが、僕の風呂場の日常であった。

近頃は風呂場での波乗りはしなくなったが、曲作りは未だにサーフィンだ。波がやってくるのを、ただ、待つ。来たら、乗る。ただ、それだけの事だ。だから、作るという気持ちがサラサラありはしない。波は勝手に来るのだから、乗りに行けばいいのだ。ただし、海に行かなければサーフィンはできないように、歌のやってくるところに行かなければ音楽のサーフィンはできない。そこまでいくことが僕にとっての作曲ということであり、同時に、歌うということであった。作ることと歌うことは二つで一つであった。それが当然だと思っていた。

サーフィンは、波に乗っている瞬間が楽しいのであって、その波がどんな波なのかわからないから楽しいのである。決まった波しか来ないのであれば、同じ乗り方しかできないので、飽きてしまう。歌も僕にとっては同じだ。同じ波しか来ないならば飽きてしまう。それはつまらない。毎度、違う波に乗りたいし、違う波に乗るその瞬間のなかで味わう速度やスリルを味わいたいのだ。

だから、曲を、ちゃんとした形で、作品に残すということの意味がわからなかった。未だに、よくわかっていない。

皆、当たり前のようにアルバムを作ったりしていて、僕は、正直、いつも不思議で仕方ないのだ。素直に、すごいなあとも思うし、同時に、なんでそんなことするの、と、なんだかいやあな気持ちになったりもする。変な感覚がある。それは、すごく正直なことだ。

毎度違う波に乗りたいだけの僕にとって、作品を作ることは、波の発生装置をつくり、毎度おなじ波が来るように設定した「波発生マシーン」の作り出した波に同じように乗ること、のような感じがするのだ。それは、作品を作るという意味での音源制作でも言えることだし、決まった曲をやるライブというものにも、同じものを感じる。

作品とは、なんだろう。
これが、未だに僕にはよくわからない。特に、音楽に関しては。

写真とか絵なら、なんとなくわかる。形が残ることが当然だから。やり直しはきかないから。それは一回だから、波乗りのようなものだ。

でも、音楽は、演奏をしなければ聴こえないもので、それを記録することは、ある一つの波を記録することでしかない。でも、その一回だけが、作品となるらしい。一回ではないはずのものが一回のものとして扱われて評価されること、それを固定してしまうこと、その不自然さに、僕は、どうやら、未だに馴染めずにいるらしい。

所謂、ライブというものが、僕はあまり好きではない。それも、同じような理由でもある。

ただ、独りで、ただ歌うこと、それ自体が好きなのだ。結局のところ。別に、伝えたいことなどない。し、伝えたいことがないといけないなんて一体誰が決めたんだろう。

表現という言葉が嫌いなのは、だからだ。

表現したいものが何か。
そんなもの、本当はどうでもいいことだと僕は思ってるし、それを押し付けられるのはものすごくムカつく。

「表現したいもの」なんて言葉で言えることなら表現する必要なんてなかろう。言葉で言え、と僕は思う。

なんだか、言葉が荒くなってしまった。鼻息フーフー。落ち着こう。別にそういうものがあってもいいと思う。ただ、僕は好きじゃない。それだけ。レプリカは嫌いだ。

最近、ライブをしていて、どんどんライブをしたくなくなってきている。ライブをする度に、何か大切なものが損なわれていくことを感じる。消耗する。傷つく。それは、演奏をけなされたとかそういうことではなく、演奏をすることが嫌いなのではなく、ライブをする場所やお客さんが悪いのではなく、僕が、ライブというものに潜む魔物にうまく向き合えていないということなんだと思う。

舞台には、魔物がいる。
これは、わかってくれるひとわかってくれるし、わからんひとにはわからん類のことだ。そういう類の物事がこの世にはたくさんある。僕はどうやら、ライブに関して、この魔物の存在に対峙しなければいけない点でマイノリティなのであるということが近頃よくわかった。

その魔物は、作品、や、完成、や、パフォーマンス、という言葉の裏側にも潜んでいる。それに毒されて、僕はいま、歌うことさえもうまくできなくなってしまいそうな自分のいることを感じている。息をするために歌っていたはずの自分が、歌うことによって窒息させられかけているという悲劇は自分で笑えてくるどうしようもないチンケな代物である。その奇妙な悲劇は、僕が勝手に臨んだものだ。それは、僕が、僕の本質を殺してでも立ち向かってみたいと思う人生の一つの岐路に立っていることでもある。それはそれで悪くはない。学びも、ある。

アートも、音楽も、表現という言葉で語られるものには、この魔物が潜んでいる。それは、僕にとっては、間違いのない事実だ。それは、実在する悪魔だ。奴は、メデューサのような力を持っている。身体や心を石に変えてしまう恐ろしい力だ。僕は5年前、その力に屈して、逃げ出した。だから、人前で歌うことをやめたのだ。作品も作らなかった。その5年間で、僕は、魔物と闘うための力を必死で培ってきた。いま、戦いのときだ。負けてはいけない。もう、負けはしない。敗北は己の決めることだ。たとえ勝利はなくとも、敗北は認めない。その魔物に喰われていては、僕は、おそらく、僕としてこれから生きて行くことはできないからだ。

あらゆる表現の現場は血みどろの殺し合いを生み出す戦場である、と、僕はずっと思ってきた。それは、物事の負の側面である。それは、確実に存在するし、アートなどという言葉が人を死においやる力を構造的に持っていることに気づかぬままに表現などというものにうつつを抜かす自称アーティストを僕は蔑視する。僭越ながらも、蔑視せざるを得ない。自分がそうなってしまったならば、真っ先に自分を殺す。僕はそう決めている。そうでなければ、僕自身が魔物となってしまうからだ。隠された悪は注意深く拒まなくてはならない。僕は、僕が、そして、すべての存在が、あるがままであるように、ただ、生きていたいだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。そして、それ以上でもそれ以下でもないところ、万物天地とともにあるものしか僕には本物だとは思えない。これはどうしようもない僕の確信的事実であり、それを他者に押し付けるつもりはない。ただ、魔物に喰われかけてしまっているいまの僕は、僕自身の延命措置のためにこの文章をこんなところに書いている。なんとも脆弱な精神だが、お許し願いたい。僕は生きなければならないのだ。そのためには手段を選んでいる余裕はない。本当に生きるために。魔物に抗うために。僕は僕の本当に真摯に向き合いつつ、社会との接点を構築していかなければならない。その度に、構造や、形が現れる。すぐに取り込まれそうになるが、取り込まれてはいけない。ひりひりとした戦いは、おそらくこの先もずっと続くのだろう。その上で、他者にたいして、それを、価値として、受け取ってもらうために、僕には何ができるのだろうか。それを考えていかなければならない。その先にしか、僕の居場所はないのだろう。属することのできない苦悩を放棄してしまいたい。そんな気持ちはもちろんいつでもある。僕は弱い。だから、闘うしかないのだ。すぐに死んでしまう弱小生物は、生存本能を最大限活用しながら、生成変化し、生き延びなければならない。大変なことだ。だが、かまわない。そうして生きることに決めたのだ。誰が笑おうが気にするものか。道はない。万歳。有り難う苦悩の日々よ。最高の人生を送りましょうか。血みどろになりながら。

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