2014年2月16日日曜日

整理整頓

気づけば、2014年も始まって早1ヶ月半も経った。体調が優れないこともあり、家で寝込んでいることもしばしばな毎日だけど、なんやかんや色々な事が起こり、色々な人と出会ったり話したりする中で、いま、素直に思う事を一旦整理整頓したくなり、いまこの文章を書いてる。

昨年10月まで、僕はとあるシステム•インテグレータ企業で医療関係のシステム•エンジニアとして身銭を稼ぎながら、好きな音楽を聴いたり、自由に歌を作って歌ったりする事を楽しみにして暮らしていた。

10月の勤務は、本当に多忙で、あまり記憶に残っていないんだけど、数字的には160時間近い残業で毎日睡眠2、3時間、朝7時から深夜3時くらいまでひたすらプログラムのバグを潰すような作業に追われながら、病院内の担当診療科の先生に毎日頭を下げていた、という事はなんとなく覚えてる。ほんまに、辛すぎて吐きそうやった気がする。たぶん。ほぼゾンビやった。笑

元々、僕はパソコンがすごく嫌い、メカが嫌い、プログラミングなんて超嫌い。好きなものと言えば、アナログレコード、古着、畳、コーヒーとタバコ、アコースティックギター、古道具、とりあえずなんか古臭いもの、匂いのするもの、…という、よくわからんが、とりあえず根っからのアナログな人間であり、お金を稼いだりとか、いい服を着て着飾ったりとか、オシャレなレストランで高級ディナーを嗜み、レインボーブリッジでラブリーなマイハニーと素敵な夜を☆(シチュエーションが古臭いあたりもなんかももせだ)みたいな、スタイリッシュなライフとは全く縁のない、四畳半一間と囲炉裏が似合う埃くさい男である。これは、たぶん僕のことを知っているひとのほぼ100%が首を縦に振る紛れもない事実なのだ。うん。

で、
そんな僕がですよ、
どうしてわざわざ大都会東京の、しかも中野坂上という都心も都心にそびえ立つビルの18階で、大嫌いなスーツと大嫌いなパソコンを携え、一日中C言語とかいうわけのわからん記号たちに脳みそを犯されながらもなんとか1年半働いていたのかと。いまだに疑問ではありますが、それもそれで僕にとってはとても意味のある日々だったなといまになれば思うわけで、人間てのは結構テキトーに過去をよい方向に理解し、未来へ繋げるよくわからん力を持っておるわ、と、おかしくもなります。

やっぱり、意地だったんですよね。あの会社に居続けようと歯を食いしばり、大嫌いな仕事と大嫌いな上司にぺこぺこ頭を下げながらも必死こいて半べそかきながらも毎日くそがんばって働いてた根本のところは。

何かを始めてみると、頭で考えていただけじゃ決してわからなかったような未来が必ずやってくる、ってのは、当然なんだけど、僕はバカなのでいまだにびっくりします。

大学一年のときには、弁護士になると言って、1人で司法試験の勉強に明け暮れ、
「法じゃ人は救えん!」と確信し、犯罪心理学の勉強に明け暮れ、「どうして人が人を殺さにゃならんのだ!どうして人が自分を殺さにゃならんのだ!そんな哀しいことがあってなるものか!」と泣き、「人が他人や自分を殺すのは、どうしようもない孤独と、居場所のなさによるのだ!」となぜだか内臓で確信し、まちづくりのゼミへ。

そのときに出会ったのが、いま、NPO法人アーティスト•イン•児童館の代表を務めている、臼井隆志という男だった。僕は非力ながらも、彼と一緒に活動し、いまNPOという形で社会に参加し、現代日本のこどもたちの居場所づくりや、遊び、創造、様々な領域を横断しながら活動するこのプロジェクトに関われたことをいまもなお、誇りに思っている。

この活動を通して、また、臼井とともに動いてゆく中で、いまの僕にとってかけがえのない本当に大切な事をいくつも学ぶことができた。

何かを創り上げていくことの意味、価値を常に考え続けること。
考えをもとに、試行錯誤しながら、具体的なアクションを起こし、それをよりよいものにしていくこと。
「アート」というものの持つ、独善性と悪の部分に常に目を光らせること。
活動に限らず、なんらかの創作、創造を行うことは、
その行為者が、いまある世界を「どのように視る」のか、そして、その視線をもとに、何を表出させ、その表現物をもとに、世界の「何を」「どのようにみせる」のか、を根元に据えるべきだということ。

まだまだたくさんあるけれど、
自分の心の中心にあるもの、それは世界と自分との関わり方だったり、言葉にできないものだったりするんだけど、その「心のまんなか」を機動力として、時代の様々な縦軸と横軸を学び、頭で考え、その現在性をもとに、いまなにをすべきか、そしてそれをどのような技術と方法をもとに、創り出すのか。という、創ることの根元を自分なりに身を持って学び、血肉とする事ができたと思う。

20、21歳。僕にとっての初の激動の変化と基盤生成の時代。
うまくはできなかったけれど、あの、大きな渦の中にいられた事は、僕のこれからの人生を含めても、たぶんベスト3に入るくらいの大きな意味を持つだろうな、と朧げながら思っている。

いま僕は、例のシステム•インテグレータ企業を休職中で、わかりやすく端的に言うならば、ほぼニート笑 な生活を送っております。

というのも、僕の忍耐力のなさと、あまりにも頑固な自我笑 と社会とのすり合わせがうまくできず、自分が拵えた「正しい大人の生き方」のような、根拠のないバイブルにしがみつき、ろくでもない意地と根性で心身をすり減らしすぎたため、世に言うところの鬱病という病にかかってしまったからなのですが。

鬱病てなあ、不思議な病だなぁ、と最近常々思うんです。
健康なときには気づくことすらなかった、自分の身体の節々とか、関節の駆動とか、そういう些細な動きに違和感が生じ、神経が痛みを発することが具体的に知覚できるのです。
また、狭心症的な胸部の圧迫感と呼吸の乱れ、めまい、吐き気、頭痛、身体の強張りが一日中自分の身体を侵し続け、ときには幻視や幻聴までやってきて、見たこともない風景や音を認識してしまう、それもすべて意思とは全く関係なく…本当に不思議だ。人間の身体と心ってやつぁ、全くコントロールできるもんじゃないし、ここまで意思に反してくると、もはや自分ってなんだ?という、無駄な哲学的な思考に陥ったりもします。笑

僕は別に、鬱病どうこうが恥ずかしいだの、悪いことだの思ってないので、別に普通にみんなにカミングアウトして、なんならネタにして遊んでいるくらいのズボラなのですが、笑、なってみて思うのは、「こりゃ、紛れもねえ具体的な孤独だ」っつーことです。

なんだろう。
普通に、何気なく暮らしていると、
あんまり「わかりあえない」「わかちあえない」ことの、苦しみや悩みをまざまざと感じる機会ってないと思うんですよ。僕なんかは。

確かに、人それぞれ好みもあるし、考えも違うから、共感はできないことはありますけど、どんな風に話しても、他者では決して理解できないこと、理解され得ないこと、そのリアリティを初めて身を持って知ったな、と思うんです。

これって、あれだ。
自分が19のときに内臓で確信したことに通じる。
「なんで人が他者を、自分を殺すのか。それは、孤独と居場所のなさゆえである。」という僕の確信。それを、身を持って経験しているな、と思うのです。

言っておきますが、別に僕は人を殺したいだの自殺したいだのとかは一切考えておりません。笑

けども、そう思う人の心の居場所に、いま少しだけ近づくことができたな、という実感は、実は少し嬉しくもあります。

僕にとって、
何かを創ることの根本は、自分の孤独の海に潜ることで、
その、潜った海のなかで、自分にとっての本当のことを探し出すこと、
その答えを形にして、自分が自分を知ること。
その答えと出会うことで、自分が新しく変わること。
そうした事が、一番、本当に真ん中にあるんだという確信は、11歳のときから変わらずあります。

最近は、そこに、もうひとつ大事なことを見つけて付け加えました。

それは、
創ることで自分を知ること、
というのは、
自分が、なにからつくられているのかを知ること、
であり、
それはつまり、
いま、ここに在る、「自分」らしきものをつくりあげてくださった、
名付けることもできない、大きなものたちに対する、
いまの僕の「手紙をかく」こと、なのかな、ということです。

これまで、僕は、自分の内部に潜ることがすべてだと思っていました。
おそらく、20代前半まで。
だから、自分の内部にはない物事には、コミットはすることができても、違和感を感じて、そこから離れていくという事を繰り返してきたように思います。

でも、
詩人のまどみちおさんや、岡倉天心の思想など、様々なものやつくる人間の考えに触れて行く中で、「自分を自分として創り上げてくださっている、大いなるものへの感謝と返礼」という事が、僕にとって、五臓六腑に染み渡る、確かな先人の知恵でした。

そういう視点に立ったとき、
いままで頑なに閉ざしてきた「自分」、そして「自分の内部世界の表出」という束縛から、少しだけ自由になれたと感じています。

僕はどうも「アーティスト」という言葉が嫌いです。
それは、たぶん、「俺がすごくて、俺が作ったんだ。」という傲慢さや、「俺の作ったもんの価値がわからんのか!」という価値の絶対化がそこに孕まれているように感じるからです。

すべてのひとが、そうであるわけではもちろんありません。
それが悪いわけでもありません。

ただ、僕にとっては馴染まない、ということが腑に落ちたに過ぎないんだと思います。

表現を生業とすること。
これは、様々な悩みを抱える生き方だなとしばしば思います。

いろんなひとが、いろんな考え方で、
どうにかこうにか、悩みながら生きている。

そりゃ別に、表現に限らん、というか、
別にアートだけが表現なわけじゃないからみんな抱える悩みなんだけど。

でも、近頃思うのは、
別に自分は、
自分にとっての本当のこと、を、
様々な形で分散させながら表現して生きてゆけたらなと思うのです。

何も別に、「アーティスト」にならずとも、「デザイナー」にならずとも、表現はできます。でも、スノッブに、金にするなんて汚らわしいとも思いません。

自分の表現の在り方を、
一つに絞る必要なんてどこにもありゃしないな、と思ったのです。

僕はいま、音楽まわりでうろちょろと色々やり始めてます。

たぶん、というか、絶対笑 僕は、
「音楽を作って、表現して、それを生業にするミュージシャン」
には、絶対なれません。
なりたくないな、と気づきました。
そこまでして、作りたい音楽もないし、訴えかけたい音楽的使命もないし、
第一、さっき僕が言ったような、頭と身体と心のある表現としての音楽なんて僕は知らないし、音楽って、よくも悪くも娯楽だなって思うんです。

娯楽だから楽しいんだけど、
僕は娯楽としての音楽活動に生命をかける気はないなと思うし、
それで創ることに追われて大好きな音楽との本当に生々しい向き合い方を失ってしまうくらいなら、僕は、趣味と言われようが、自分にとって本当にシンプルな形で音楽と向き合い、曲を書いたり、歌ったりできればいいな、と思う。

気が向いたら、そのうち音源も作るかも。
それは、まあ、なんか売れたら売れたで嬉しいだろうし、さあ今夜はこの金でうまい寿司でも食いますか!みたいなことだろうとおもう。笑

いわゆる音楽活動を真剣にやってるバンドマンとかからみたら、
なんだその生ぬるい考えは!と怒られるかけなされるかもだけど、笑
一番、この世のなによりも好きな音楽と本当に真摯に、一生向かい合って、肩を寄せ合って生きていくためには、僕にとってはそれが一番自然だな、といまは思う。

で、
じゃあお仕事どーしましょって事なんだけど、
まあこれはまだよくわかってないんだけど笑

僕は、端的に言うと、
「音楽のために、音楽にお礼ができる仕事」を作ろうと思っています。
なんだそれは、笑 というかんじでしょう。

そうなんです。
わかりやすく、そんな仕事はないのです。笑

だからとりあえず、
いま一冊本を作っています。

僕の大好きな、町のレコード屋さんや、カフェなどについての本。
いまの音楽業界の中で、喪われていく大切なものがある。
それは時代とともに喪われていくものだから、仕方ないのかもしれないけど、
ちょっと待った!本当にそうかい?
と、問いを投げかける本。

僕には見えている、
いま喪われていく、音楽と場の意味、価値。

それを掘り起こすこと。
そして、それを本にすること。

これは、ライターという職業かもしれないし、
インタビュアーという職業かもしれないけど、
とりあえず、名前はなんでもいいや、と。

本を作って、本を売ってみる。
このシンプルなことからはじめよう、と。

その本には、僕の視線と、
僕の愛するもの、僕の愛する人々、場所、
そして、まだこの世には見えていない、僕と彼らが紡ぐ、
かけがえのない物語がある。

それをいま僕は、
表現したいなと思ってる。

そして、
そういうことをしながら、
お金を稼いだりとか、少しでもできないのかな、と
静かに、ちまちま実験しようと思う。

僕は、どうしようもなく、不器用なのだ。

うまくできんのだが、
どうしようもなく、頑固なのだ。

もうそれは仕方ない。
スマートに生き抜くのは、無理。

失敗しながら、
でも、手を抜かず、
丁寧にひとつずつ形にしていこうと思う。

曲を作るのも同んなじだ。
こっちはいまのところ別に売る気もあんまないけど、
それとこれとは別の話。

金にすることも、
金にならないことも、
自分のまんなかに根付いたことからはじめていけたら、
それほど素敵なことはないな、と思うのよ。

まだ超駆け出し。
ド素人。
アホ丸出しのどうしようもないやつ、ももせ。

だがまあ、
25にもなっても、相変わらず、
なんも変わらずバカできて、
大人なみんなのアドバイスを聞いて、
どうにかこうにか生きてるし、

とりあえず、良いだろう。

好きにやろうや。
と、すごくてきとーな締めになった。

そんなももせ、もうすぐ26歳。
26歳の俺、よろしく。

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