2014年8月8日金曜日

第8章 黒色の通路 シルクハットの男は語る

ピカピカに光る四角い黒色の通路を歩きながら僕はシルクハットの男に尋ねた。

「さっき僕が通ってきた通路の名前をあなたは「大腸のトンネル」と仰いましたね。不思議な名前だなと思いましたが、いま、僕らが歩いているこの通路にも名前があるんですか?」

男はシルクハットのツバに隠された顔から浮遊する木の葉のような奇妙な笑い声を微かに響かせたのち、僕にこう告げた。

「この通路の名前、ですか。不思議な質問をなされますね。いやはや、面白いお方だ。名前が気になるなんて。いやはや、すみません。お気を悪くなさらんでください。わたくし、笑い上戸なもので。笑い上戸と言っても、酒は一滴たりとも呑んでおりませんのよ。けれども笑いが止まらなくなることがしばしば。愉快なものです。愉快なことは素晴らしいことです。わたくしは愉快なものが好きであります。愉快なものはわたくしに幸福を与えてくれるものですからね。小さな子供が熊に見立てたぬいぐるみを嬉しそうに抱きしめながら遥かな夢の旅路をゆくような感慨がありますね。わたくしには、そのようなものこそが最もらしいもののように思われますの。ええ、それこそが至高。わたくしは至高のみを愛しております。ですからわたくしは、笑うのです。お気を悪くせんでくださいまし。あ、そうそう。この通路の「名前」でしたね。貴方様の質問は。お間違いないでしょうか。その質問に関してはわたくし、こう答えることにしておりますの。

「この通路に、「名前」なんてものは存在しませんのよ。おほほほ。」

と。あらやだ。そんなお顔をなさらないでくださいな。わたくしには、貴方様をからかう気なんてさらさら御座いません。貴方様の質問に対して、わたくしからの誠心誠意正直で明確明瞭なお答えを申し上げますと、答えはそのようなものにならざるを得ないということですので。「この通路に「名前」はない」これが貴方様の質問に対するわたくしの唯一のお答えで御座います。おほほほ。」

シルクハットの男の返答に僕は些か不快感を覚え、さらに質問を付け加えた。

「そうですか。でしたら先ほど僕が通り抜けてきた「大腸のトンネル」という名前の由来は何ですか。確かに、通路の形態として人間の大腸にも似た形をしていましたが、その名前はあなたが付けたものですか。それはなぜ「大腸のトンネル」という名前を付けられたのですか。そもそもここが一体何処なのか、僕にはまるでわからないのです。僕は、巨大な虹色の海月にふれて、気づいたらこの場所に辿り着きました。まるで時空を飛び越えてしまったかのように、光の中で一瞬にして。僕には、今の僕が置かれた状況というものがまるでわからないのです。僕はなぜ今ここにいるのか。僕はなぜ「大腸のトンネル」を通り抜け、今、あなたと共にこの「名無しのトンネル」を通り抜けているのか。そして、この先に何があるのか。さらに付け加えるならば、この通路は、一体何処にあるのか。今の僕には、僕自身のこと以外、明確なことは何もないようです。何かご存知でしたら教えて頂けませんか。」

シルクハットの男は、ピカピカに磨かれ手入れされた黒い革靴のカカトを通路の床にあたかも軽妙なタップダンスを奏でるかのように歩きながら暫らくの間何も語らなかった。黒い通路の中に、冷えた鉄にふれるかのような冷たい沈黙が漂っていた。

シルクハットの男は突然立ち止まり、くるりと身を翻し、僕の真正面を向き、無表情な冷笑を浮かべながら僕にこう言った。

「いやはや。貴方様は、少し物事を複雑に考えすぎるところがお有りのようですね。ふふふふふ。いや、まあ、それはそれで退屈な人生を生きるための少しの娯楽にもなり得るものでありましょうから、わたくしとしてはそれを否定するつもりはさらさら御座いません。わたくしも、無駄なものが好きで御座います。無駄なもの、取るに足らないもの、遊びは、人間に与えられた時間なるものの余剰を産み出すものでもありますからね。時間は人間に与えられておりますが、それは預金残高のような決められた数値で測定可能な代物では御座いません。時間は常に減少したり増加したりするもので御座います。多くの人間はご存知ないようですが、これが時間なるものに隠された一つの真理で御座います。かつてアルバート•アインシュタインという稀有な学者は、相対性理論という世界の見方を創り上げました。彼の発見は時間の真理に迫るものでしたが、真理に到達するまでには至らなかった。多くの愚かな人間が彼の探求の邪魔をしたためです。全くもって残念な事です。彼が時間の真理に到達してそれを人間社会の常識として流布してくれさえすれば、わたくしの仕事も少しは少なくなったはずですのに。いやはや、そんな愚痴を零しても仕方ありませんね。時代はまだ彼を求めてはいなかったのですから。これは悲劇です。悲劇以外のものがこの世界の何処にあるのかわたくしは存じ上げませんが、兎にも角にも悲劇というものはこの世界の中心のひとつの環を成すものです。それはひとつの惑星のようでもあります。それは周回するもので御座います。それはわたくしとあなたの間にある、いまこの瞬間にも周回する惑星であり、それはこの瞬間瞬間の中で絶えず生起し生まれ変わる生命活動のようなものでも御座います。兎にも角にも、そのような仕方で存在する物事は、可能な限り確からしく感ずることのできるもので御座いましょう。

如何ですか。貴方様はいま、この場所におられる。わたくしの前にこうして立ち、わたくしの口から発された声を聞くことができる。この文章を読んでいらっしゃるそこの貴方様。その目に映るこの不可解な文章は貴方様の脳内に何を想起しておりますでしょうか。わたくしは何者でしょうか。わたくしはそもそも「何者か」でありましょうか。わたくしと名指す存在。わたくしはいまこうして話をしております。「」で括られた部分が、物語の登場人物の発語内容であるとの文学的規範に乗っ取り、この文章のこの部分を、わたくしの発話として認識なさっておられる貴方様。そう、画面の向こうの貴方様です。金曜日。お仕事お疲れ様です。今宵は皆様、一週間の労働の疲れを癒すために、花金なるものを堪能なさっておられる事でしょう。

新宿の街はとても賑やかな場所ですね。わたくしも一度は訪れてみたいものですが、あいにくわたくしには、貴方様の所属する世界における、具体的現実的な肉体なるものが御座いません。こちらの世界のわたくしには、もちろん肉体が御座います。このように、高価なシルクハット、スーツに革靴を優雅に着こなし、黒い通路の床に革靴のカカトと叩きつけながら、流麗なタップダンスを踊ることだって容易にできます。わたくしには肉体がありますから。貴方様から見れば、こちらの世界にいる、わたくしの、こちらの世界における三次元の具体的現実的な肉体が御座います。それは死ぬこともできます。女を抱くこともできます。望みさえすればなんだってできます。わたくしは、自由です。貴方様方がお呼びになられる、自由なるもの、それ自体と考えていただいて差し支えないかと思います。

わたくしは、いま、ここ、におります。確かにいます。でなければ、貴方様にこうして言葉を投げかけることもできないでしょう。どうですか。聴こえていますか。貴方様の目は、この言葉を読んでおられます。そして、わたくしの声を聴いておられます。声ならぬ声を。

わたくしは、発話しております。
パロールがここには存在します。

貴方様は、
わたくしのパロールを、
ランガージュとして読まれております。

この不思議を、貴方様はどのように感じておられますか。もしくは、このようなことを不思議だと感じてはおられませんか。だとしたら貴方様もまた、ここにおられる「僕」の1人で御座います。いえ、非難しているわけでは御座いませんよ。わたくしはただ、ありのままの真実をお話させて頂いているだけであります。わたくしの目の前におられる「僕」と、わたくしの言葉を文字へと変換しいまこうしてiPhoneの画面に、何かに取り憑かれたように文章を書きつけている百瀬雄太という男と、インターネットというテクノロジーを介して届けられるわたくしのパロール=百瀬雄太のランガージュを、今、この文字へと目を走らせ、脳内にその言葉の発する口の動きとシルクハットの奇妙な質感を想起する貴方様。ここにある不思議な関係性。

どうですか。

ここは何処で御座いましょう。

わたくしは、何処におられると思いますか。

わたくしは通路におります。わたくしは言葉におります。わたくしは百瀬雄太の脳内におります。わたくしはiPhoneの画面の上におります。わたくしはこの物語の主人公の目の前におります。わたくしは貴方様の脳内におります。わたくしはおります。

同時に、わたくしはどこにもおります。この文章が消されれば、あるいは、この文章が誰の目にもふれることがなければ、わたくしはどこにもおりません。

わたくしは、いますか?

「大腸のトンネル」は、名前で御座います。そして、いま、わたくしのおりますこの通路には名前が御座いません。その事に、何か大きな差異がありますでしょうか。

名付けられることで人々は安心なさいます。それはそれとして、幸福なことでもありましょう。しかし、それは、至福なことでは御座いません。この事だけはお忘れにならないようにして頂きたいものです。

わたくしと「貴方様」との出逢いは、必然性という名のもとに生起した、極めて運命論的な出来事で御座いますから。

貴方様の世界では、いま、時計の針が22時52分を指しました。しかしそれは、百瀬雄太の所属するいまこの場所にある時間の指標でしか御座いません。この物語をお読みの貴方様。いま、あなたはどこにおられるでしょう。いま、あなたの時間は、どこにあるでしょう。

時計の針は、無限に存在しますよ。
そして、あることとないことは、ともにあることなのかもしれませんね。


おほほほほほほほほ

あ、「」を閉じさせて頂きますね。
それでは、佳き宵をお過ごしくださいませ。

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