2014年6月11日水曜日

深い一拍 ゆれる呼吸

あるいは、こんな風に言えるかもしれない。うたうことを必要としなくなるためにこそ、うたいつづけているのだ、と。この逆説に込められた真意を、当の本人である僕でさえも説明し切ることは困難であるように思う。しかし、そうとしか言いようのない事柄というものがこの世にはあるのだということもまた、真実なのだと思う。

吸いなれたタバコを咥え、火をつける。もうもうと煙が立ち込めるキッチン。ぶおんぶおんと周り続ける換気扇の音を聴きながら、煙を肺に流し込む。強張っていた身体の内側の筋を丁寧にゆるめてゆく。呼吸。この不思議。硬く、ぬるい、息を吐き出す。「時代に合わせて呼吸するつもりはない」そう言った男は死んだ。

頑なに遠ざけていた舞台。なぜ遠ざけたのか。何を恐れていたのか。今ではその答えも肚には響かない。時間が流れて、何かが変わったのだろう。意思とは無関係の何か。その何かが、決定的に変わり、世界を決定づけてしまうことはあり得るのだし、現にそれは、僕たちの世界の、目には見えない領域で、日々、着々と、世界をつくりかえている。なぜだろうか。僕は人々の前でうたをうたっている。なんのために、という問いに答えられるような答えは今はない。ただ、そのような時が来たということなのだろうと思う。意思とは、そんなに簡単なものではないのだ。それは、捉えようもないものであり、意思することは、能動的な行動であるとは限らない。少なくとも、自分なるものが、自分なるものでコントロールできるものではないことを知っている人間にとっては。

降り続いた雨もあがり、晴れ間がさしたある日の午後。舌がヒリヒリと痺れるような珈琲を飲みながら、一冊の本を読む。

『こんな風に過ぎて行くのなら』浅川マキのエッセイ集である。浅川マキは、生涯、己の美学を貫き続けた稀有な女性であろう。漆黒の衣裳に身を纏い、ステージ上でタバコをふかす。徹底的な美学は、彼女の文体にも現れている。とても寂しく、深い文章だなと思う。静けさに包まれる。安らぐ。哀しみのなかに生きた女の体温を感じる。

「忍び込んでくるのは奇妙な寂寞感、安堵の気持ちじゃない。アルバムを創る毎に同じ気持ちに陥ちていく。僅かな日々のなかに色濃い影を落として去って行った男たち、深い一拍を想う。だが、わたしのなかを犯していくのは決して安直なセンチメンタルではない。
  いまこのとき、プロデュースした三枚の素敵な完成度の高い作品たちに酔いしれながら、やっぱり同じ気持ちに落ち入った。

「どうしてなのかなあ」
数多くの作品を創るたびに感じてきた。音楽と云う形では見えないものだからか。いや、そんな事では毛頭ない
「創る」と云う事は、寂しいことなのだろうか。」

近頃、少しだけ、彼女のこの文章に寄り添う自分の在ることを知る。

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