2016年4月12日火曜日

うまれる、声

”ひとりでいると   だれかといると聴こえない声が   聴こえます
音はしずまって   どこかで笑う
こどもの声が   聴こえます   
いま   どこかで   うまれる   声”

「うまれる、声」という、19か20のころに書いた歌詞の一部をいま、ふと思い出した。


歌をつくりはじめた頃は、ほかの人たちの真似をして、白い紙の上にペンで歌詞を書いていた。詞先やら曲先やらという順序のはなし、詞作というもののしかたのはなし、なにを書くのかというはなし、いろいろな本や雑誌などを通して読んだりもして感化され、考えたり書いたりしていた。


次第に、紙の上にペンで歌詞を書くことをやめた。違和感があったので自然とやめた。書き留める必要を感じなくなっていた。書き留められたものと、そこに歌い出されるものとの微細なズレを感じた。固定化されたものの再現というものの虚偽を自分の声に聴いた。水のように流れ出ればそれでよかった。


口を信頼した。喉を信頼した。鼻の奥を信頼した。はらを信頼した。はらわたを信頼した。頭頂を信頼した。つまりは、声というものを信頼した。のだと思う。ミリ単位で息の扱いを変えてゆく鍛錬をした。息の速度、量、圧、質、幅、ふくらみ、微分、差異、その他もろもろを徹底的に解体・再構成をはじめた。


うちの人に、おとといの晩くらいにふとはなしをした。「俺がだれかに、うたのつくりかたを教えるとしたら、まずはじめにするだろうことは、いま、そこにいる、そこにある、おまえの身と、その場、そこにありいることに身をゆだねて、そこにふさわしいたったひとつの声を、口に出してみることからだ」と。


「そこに、ひとつの、声が、うまれる。それが、しっくりとくるものかどうか、腑におちるものかどうか、それが試金石となる。その、たったひとつを、大切にすること。そうすればまずは、うまくいく。その一音一声が、そこに浮かびあがる、それを場として聴く、そうしたらその次に発されるものが決まる」。


「無数の選択がありうる。一音一声に連なるものは無数にありうる、ようにも思える、けれど同時に、そこにその一音一声がある、ということによって、すでに、完璧に、決まっていることもまた、ある。選ぶようでいて、選ばされる。能動と受動という言葉ならば、それらは同時にある、ところに、いる。」


一音一声を発することのできない人はたぶんいない。僕らはべつにふつうにしゃべれるし手を叩けば音もでる。それはとても簡単なことで、それはべつに大層なことじゃない。その自覚からはじめる。たいしたことじゃない。日常のささいなことだと笑えばいい。そこから誰しもにおのおののうたの種が宿る。


そこに宿ったものを、ていねいに、大切に、聴く。そのはじまりを蔑ろにしたら、うまくいかない。そのあとは自然に決まっていく。そうなるようにその場にゆだねる。こどもがどのように形をなしていくかは親が決めることじゃない。母胎に宿る新しいいのちはいつも宿りのはじまりを超えたら自身として育つ。


受精、ないしは、受生。生をそこに受ける。その瞬間にはまだ、そこに、こどもの笑う声は、聴こえないかもしれない。それはまだ、こども、以前の、なにかかもしれない。母親が、身にその子の宿ることを知るときはいつも、その、以前が、過ぎ去ったあとの、形をなした、未来にある。


卵子。母なるもののなかにあるそのひとつ、だけでは、それはいのちには、育たない。精子。父なるものの、無数のそれらが、母胎のなかに噴出し、行方も知らぬ母胎へ向かい、泳ぎまわる。河をくだり海へと向かう魚の群れのように、母、その身は、水、それは、海のように、鼓動する。


辿り着いたものはいくつもいただろう。そのなかで、ひとつの精子が、母胎にいる、卵子のうちに入り込む。選ばれたもの。選んだもの。それは、どちらか、誰も知らない。それは偶然。おそらく。けれどそれも、知らない。結果、としては、必然。そうも言いたくなる、受精の瞬間。


宿ったもの。そこに交じり合った、一と一、二、が、そこで、一、となる。それが、結ばれている。そうして母胎に、結ばれてある。へその緒から、それは、栄養を贈られる。無償の贈与を授かりながら、それ、は、子、と呼ばれるものに、形をなしてゆく。次第に。それにふさわしい速度で。


母なるものに、その進行の速度を、その進行の具合を、諸器官の生成を、その仕方を、決定することはできない。その者にできることはと言えば、自身の身を健康に保ち、栄養を摂り、安らかに眠ること。そうして子なるものに、必要とされるもの、を、贈り続けること。そうした活動と、意志のなか。


次第に、腹のなか、こどもは、動きだす。それは人か。まだよくわからない。人ではあるらしい。どこからが人だろうか。それは人が勝手に決めること。どこからが人でもべつにかまわない。宿っている、そこにある、ということ、生きているということしか、そこに、知りえない。


次第に、育ったものは、腹のなか、腹の壁面を、蹴りはじめる。あ、いま蹴った、と母は父にうれしそうに語りかける。どれどれ、父はうれしそうに母の腹に耳をあてがう。まだ形もしらぬわが子の運動の音をそこに聴こうと嬉々として耳を傾ける。そんなふうにして。そんなふうにして。


うまれる声が聴こえたならば、そこにうたが産まれます。

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