2016年4月15日金曜日

《断章》 地震・記憶・振動・夢・海… 地震計としての絵、そして音楽

2016年4月14日、熊本で大きな地震が起きた、というニュースをTwitterのタイムラインで見て知り、僕はテレビをつけた。震度7という数字。数字だけを見ても実情はわからないし、普段はあまり数字というものを気にしない僕だけど、地震というものにまつわる「震度7」という記号表記、あるいは「7」という数字には、すこし、動揺させられた。それはかつての阪神淡路大震災や東日本大震災にまつわるテレビ報道に見られた記号表記であり、同じ事態が生じたわけではないのだけれどその記号表記を介して僕の脳内にはかつてのそうした崩壊した土地のニュース映像や避難する人々の姿、大地を押し流す途方もない力をそのままに眼前に見せつける津波の映像、など、すでに断片化されたであろう映像の記憶のパラフレーズとともに、語られる言葉や直面させられる映像がもたらすもの、そして東日本大震災の場合にはとりわけ生々しく自身も体感した(僕はその日東京にいて就職活動をしていた、受けていた会社は確かP社であり、僕はその時その会社の説明会に参加しており、その会社の本社の地下一階の大部屋が何の前触れもなく突然大きく揺れはじめた、ということをこれを書きながらすこし思い出している)あの巨大な振動。それらの記憶は記憶であるがゆえにすでにしてつねに歪曲されているだろうし、こうして書きながら思い出してみたところで、エクリチュールは不可逆圧縮としてしか表出されえないという原理的な問題も相まって、僕はあの時の僕の体験や記憶そのものをそのままにまるごとに全的に言語化することは不可能だ、けれどもそれでもなおいまここにいる僕がある種の遠い感触としてそれらに触れているかのような、もはや聴こえなくなってしまった声を聴こうとしているかのような、そんな不確かで不安定な足場、もはやいまここには失われてしまった大地の上に立ちながら、ふと、あれらのことを思い出し、パスカル・キニャールの語る「書くこと、それは失われた声を聞くことだ。それは謎の言葉を探し当て、その答えを準備する時間を持つことだ。」という言葉を思い出したりしながら、僕はこれからどんな謎の言葉を探し当て、その答えを準備する時間を持とうとしているのか、などと戯れに考えてみたりもする。〈失われた声〉を聞くことはできるだろうか。すくなくともそれは聞くというよりは聴くに近いしかたで、あるのではないかと僕には思える。

今朝方、目を覚ましたとき、僕はいつものようにTwitterにtweetをした。今朝は5tweet。この頃は連続でtweetをすることが多い。特にそれについて決めていたり考えがあるわけではない。ただいつもその時々の僕がしたいようにさせている。それが最近はそうだ、というしかたでしか、僕にはそれはわからない。Twitterの仕様は140字を1tweetの文字数として制限しているのだからその文字数制限にしたがって文字をおさめればいいものを、と、僕は僕の行為にたいして時々は思ってみたりもするがそれはそれとして聴き流し、僕は僕が勝手にそうしているその勝手さにある種の信頼を寄せていたりもするのだ、と、こうして書いてみることでそう思っているのだとあらためて知ってみたりもする。(「この頃は、〈森化〉してきたからか、論理言語ではなく象徴言語を使うことが増えてきた」とは以前僕がそのようにつぶやいたこと。そのtweetを探し出すのがいまはめんどうなのでそのtweetの内容を僕はいま想起して、その内容を、正確にではないがここに引用した。過去のtweet、過去の僕、過去のそうしたものはすでに他者、僕でありながらもう過ぎ去った僕なので、それは僕でありながら僕ではない、けれど僕であるらしいというという感触で僕が向き合う僕である。)

今朝はこんなtweetをしていた。
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さっき目を覚ます前、ひとりの女の子とはなしをしていた。彼女が誰なのか知らない。僕はその時久々の再会を果たしたらしい彼女の名前を忘れてしまっていたけれどそのことを彼女には言えずごまかし笑い、彼女の名前にヒとトという音が含まれていたことだけは覚えていたのでそれを頼りに思い出そうとした。
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動揺を隠しきれてはいない僕の顔を見ながら彼女は音楽のはなしをしたりした。ジュニア・ケニップという音楽家が好きだと彼女は語り僕もあれは好きだとそう答えてその音楽を知っていたはずだけど今の僕はその名前を知らない。けれど音の波動の残響はかすかに聴こえる。
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さっき会ってはなしをしたその女の子の顔ははっきりといまも覚えている。顔だけでなく姿かたちも。けれどいまの僕はその人とこの目が覚めた現実では一度も会ったことがないことをたぶん知っている。知っているようで知らない女の子と知っているようで知らない音楽と。はざまで揺れている。
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なにかがいまも残っている、それが響いている、そして動揺している、それがなんなのかはよくわからない、そういう揺れのなかで真っ黒な泡と波を立てるコーヒーを飲んでいる。流体力学のギャラリーの動画はおもしろかった。僕はあのてのものに弱い。揺れ動くものに惹かれてしまう。それがなぜか知らない
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絶えず揺れ動いているはずのところにあるそれとはきづかないおだやかな日常に暮らすなか、時々飛び交う流体、残響のなか、揺れ動く土の波動の巨大な力のことを想い、壊れてゆくものたちを想像する。地が震える、動揺する。ふいにかけられたいつかの声の残響に動揺しながら、揺れて、いまいる。
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いまこうしてここに文を書いている僕にはもう今朝方の夢は遠い。それはもう感触も朧げな夢の記憶。僕はそれを思い出すこともできる。しかし思い出してみたところでそれはもうその夢自体ではない。前回のBlogでは「綾なすことについての思索」というタイトルをつけて、複数のtweetと中島智さんの本の序文を引用してまとめた。Twitterのタイムラインというものはその名の通り時間を時制的秩序としての〈線〉にして表示するものであり、時制的秩序にしたがう意味での「時間」というものはiPhoneの画面を指でスクロールすることで見えない場所に過去のtweetが流れていくようにどんどんと流れていく。時制的秩序としての「時間」は流れるという動詞とともに思考されるものであると言えるのだろう。時計の針が時刻を示す。いまは17:38。と書いた瞬間にはもう17:39の数字表記に。時間は絶えず数字という記号表記とともに変化しつづける。それは流れ続ける。そうふうに考えられている。東北の大地に流れ続けたあの津波の映像。僕はその津波をこの目で直に見たわけではない。あくまでカメラの切り取ったニュースの報道映像としてのそれを見た。それを覚えている。その映像のなかでは津波は流れ続けた。流れ終わるところまではその映像は続かず、流れ続ける津波の姿をながめていたらニュースは画面を報道室に切り替えた。あの津波は僕の知らない時間のなかで、僕の目には見えない場所でおそらくは津波と呼ばれるもの、その流れ、その運動をやめて、水として、…どうなったのか知らないことを書くのはやめにしよう。しかしいまはどうやら流れ続けることはしていない、復興作業は続いている、波はそれゆえおさまった、らしい、ということまでが僕の知りうる津波の終わり方だ。僕が思い出すときそれはいつもあの流れ続ける映像とともにある。それは流れ続ける。思い出すたびに。

夢のなかの女の子は誰だったのか。そんなことを考えてみたところでそれは永遠にわからない。あの女の子のことを僕は知らない。なぜなら会ったことがないし、そんな人はいないからだ。しかし夢のなかで僕はその人に会った。会えるはずのない人に会った。会える会えないの以前に彼女はどこかにいるのかいないのかそれさえも知りえない人なのだけど、彼女は夢のなかの僕に話しかけていた。そこはどこかのデパートだった。僕と彼女はエスカレーターの前で再会した。再会した、ということになっていた。僕は彼女に以前どこかで会ったことがあるらしかった。その証拠に僕のiPhoneには彼女の連絡先が登録されている。しかし彼女の名前を正確に思い出すことができない。僕は彼女の顔、姿形を見た瞬間に、その記憶を想起しようと試みた。あれはいつのことだったか。彼女の名前。僕は思い出そうとする。しかし思い出すことはできない。ヒとトという文字の表記が脳裏に揺れる。あれはiPhoneの連絡先の登録画面だ。僕は確かに彼女の連絡先をiPhoneの電話帳に登録したのだ。だから僕はその画面をかすかに思い出すことができる。しかしその画面の表記は朧げで僕はその画面から彼女の名前を正しく見てとることはできない。ということになっている。それは夢のなかでの記憶の想起のはなしであり、僕はおそらく彼女の連絡先を登録などしていないし、こうしていま文を書いているこのiPhoneには彼女の連絡先は存在しないはずだ、なぜなら僕は彼女に会ったことがないのだから。すくなくともこの物としていま僕の左手が触れて画面にこうして文字を書き連ねている僕というものは。

彼女の顔はとても綺麗だった。僕はいまもその顔かたちをよく覚えている。とても綺麗な子だと思った。歳下だということは覚えていた。いまの僕も思い出せる。それをなぜ知っているのかは知らない。彼女は、「忘れちゃいましたか?」と僕に話しかける。僕は「忘れるわけないでしょ」というふうに笑う。ごまかし笑いだ。わかっている。けれどそうせざるを得なかった。なんとも意地汚い男だ。

彼女の言った音楽家の名前をいまの僕は知らない。そんな名前の音楽家をきいたことがない。どこかにはいるかもしれない。細野晴臣さんはある夜の夢のなかでルイス・ボンファとジョアン・ジルベルトがすごいぞということを見て聴いて、目が覚めてからそれらの音楽を聴いて、その素晴らしさに目がさめる思いで、彼のアルバム「Hosonova」は、その夢の影響下、つまり、ルイス・ボンファとジョアン・ジルベルトというボサノヴァ黎明期の偉人二人の音楽をベースとして触発されたものとして新たにつくられたものだった。僕はそのアルバムがとても好きで何度も繰り返して聴き、ルイス・ボンファという音楽家の音楽にはそのアルバムを通して出会ったことになる。そうした音楽との出会い方もある。夢のなかの女の子が語ったあのジュニア・ケニップという音楽家ともいつかそんなふうにこの現実で出会うこともあるのかもしれない。それはわからない。もし出会えたら彼女に感謝しよう。夢のなかでは僕はあの音楽を聴いたことがあった。「あれはとてもいいよね」と僕は彼女に話した。僕の脳裏にはその音楽のアルバムのアートワークが見えていた。黒いサングラスをした白人女性、すこしウェーヴィーな黒と茶色の合いの子のようなセミロングの髪が肩まで、そしてその女性は左を向いていた、その写真がそこには使われてあた。それ以外のデザインはいまの僕にはうまく思い出せない。あれはiPodの画面に映るアートワークの記憶だ。僕のiPodにはそんなアルバムはないのだけどその時はそれはそこにあり、僕はその時点での僕から見た過去にその音楽をiPodでプレイしてそれを聴いていた、ゆえに僕は夢のなかの女の子と話をしながら僕はかつて僕が耳にしたその音楽を脳内再生していた。あれはいい音楽だった、と、いまの僕はそれを思い出す。断片的に。その余韻がある。残響がこだまする。遠い耳の感触。それを聴いたことのない僕にとって、それを聴いたことがある僕のその耳の記憶をいまこうして言葉にしているというときの、その音の記憶の想起とは一体なんなのか。あの女の子にはまた会えたらいい。なんせとても綺麗な女の子だ。白いシャツワンピースがよく似合っていた。彼女は誰なんだろう。彼女は、いる、のだろうか。見たことのない、いるかどうかもわからない、けれど鮮明に視覚情報として覚えている、人の顔、というのはなんなのか。それは人の顔なのか。不思議さは消えていかない。

地震と音楽は似ている。そう僕はtweetを閉めた。それに呼応するようにして中島智さんがtweetをしていらした。それはこんなtweet。

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「なぜ絵を描くのか。違った環境の中で自分がどういう反応するのか自分で確認したい。」日比野克彦 | timeout.jp/tokyo/ja/art/i…
これはよく解る。無意識の変動を計測する、地震計としての絵画。
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僕はこのtweetに共感する。僕も年明けから絵を描いていた。拙い絵だった。別に評価されもしない。けれど描き続けていた。理由はよくわからなかったが確かなことのひとつはまさにここにあった。「無意識の変動を計測する」こと。

今朝方の僕のtweetを思い出す。地震と音楽はすこし似ている。なにが似ているのか。それは、音楽する人間としての僕の「無意識の変動」のなかに僕はいて、その「振動」は絶えず揺れ動き変わり続けるということだ。音楽をすることのひとつは絵を描くことと似て、つまり、

「なぜ絵を描くのか。違った環境の中で自分がどういう反応するのか自分で確認したい。」

と類同して、

「なぜ音楽をするのか。違った環境の中で自分がどういう反応するのか自分で確認したい。」

ということはすくなからずあるものであって、その感覚というものは、絵画や音楽という、名付けられたメディウムの境界を越境して通底するものであろうと僕は感じておりそのように考えている。

〈地震計としての音楽〉

身体を固定化した境界として捉える思考を僕はとらない。身体は流動する。日々、生成変化を繰り返す。絶えず微細な運動性のなかに明滅する。ドゥルーズ=ガタリの言葉を借りるならば、それは時間という不可逆性の流れのなかで刻一刻と微分=差異化を繰り広げる。生きている身体というものはつねにそうした運動体として、マッスな言語の固定化作用からすり抜けるものであり、リニアルな線形思考の網の目で捕獲したと思った次の瞬間にはその網の目からさらりと零れ落ちてしまう海水のようにしてあるものなのだ。

穏やかな海の風景を覚えている。大学時代。江ノ島までは原付を飛ばして30分で行けたから僕はよく江ノ島の海をながめにそこへ出かけた。海はいつも同じように海であり、同時に1秒として同じ海のかたちをしてはいなかった。僕の視界に無数の波がたち、砂浜に近づくとそれらは波と呼ばれるものをやめて海となった。もちろん波も海の一部である。海水があるから波がたつ、というか波は海水の波動の運動性の顕現としての現象であるからして、それらを切り離して考えることはできない、が、僕たち人間は名づけることを知っており波という言葉を持っているのでそこに生じる波を波という言葉とともに認識することもできる、が、それは同時にひとつの波を含みこむ意味での海という言葉で名指すことのできる海というものでもある、が、その名前もまた海というもののすべてをさすことできるものではないことまた確かであり…ということは書き続けていくときりがないのだけど、そういうふうにしてしか、つまりはある境界に線を引かなければそれを名指したりすることが僕たちには、すくなくとも僕にはできない。身体、という言葉も同じようにしてある。それは皮膚の境界だろうか。おそらくは違う、というふうに僕は考える。皮膚の境界は肉体というほうが近い。肉は肉としてある、が、身体という言葉を使うとき僕はそこに流れというものを見る。ようだ。なぜか。身体という言葉を使うとき僕はそれを〈生〉と結びつけて考えるからであり、〈生〉と結びつけられて思考された身体なるものは、すくなくとも、息、と結びついている、と思われる。息、の定義を引きずり出すとまためんどうな話にはなるのだけれど、ヒトはすくなからず息をしているかぎりにおいて「生きている」と判断される、それは西洋医学的な生死判断の一決定基準であるが同時に東洋学者 白川静氏の考えるところの〈生〉と〈息〉という漢字の同根性、つまり、”いき”という音節からなる二つの漢字の語源の根は同じくしてある、というところからも、東洋では〈生〉と〈息〉とは深く結びついたものとして思考されているという東洋的生命観、に即してみてもそれはひとつ、思考に値するもののようにも思われる。それはさておくとしても、「音楽する身体」というものを考えるにあたり、こうした〈生〉や〈息〉との関係を抜きにしては語れない。

時計は18:42。
晩飯の時間だ。
断章のひとつをここで裁断する。


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