うちへ帰りたくないよ
みんな
寝言いってる夜は
どんどがかつてこんなふうに歌っていた。その歌を僕は知っている。いろんな人がその歌を歌っている。僕は知っている。僕も時々ふとその歌をうたいたくなる。そしてギターをつまびきながらその歌をうたっている。
俺たちゃ
車飛ばして
海の見えるほうへ
僕は車を走らせて閉店前の三洋堂書店にDVD三枚を返却して、いま僕はファミリーマートの前に設置してある灰皿の横にヤンキー座りをしながらアメリカンスピットのタバコを一本ふかしている。外はすこし寒い。昼間はとてもあたたかった。庭で日光浴をするのがきのうからの僕のお気に入りだ。太陽の光が庭にさんさんと照り、僕は庭石の上に裸足で立ち、おでこのあたりを太陽にまっすぐに向けてからだの力を抜いていく。太陽の光はすごい。部屋のなかでどれだけ力を抜こうと努めてみても抜くことのできない余分な力を太陽はすぐさま見つけ出してからだの軋む部分をほどいてくれるのだ。僕はいつも太陽に感謝する。ありがとうお日様。あんたのおかげで今日も俺のからだはよく伸びる。ねじれた糸もすこしずつほどけていく。あんたはなんで俺のからだのうちがわのそれこそ俺も知らないようなところのねじれや澱みをこんなにも簡単にていねいにほどくことができるのか、それはとてもすごいことだ、僕もそうすることができたらいい、と僕はいまそんなふうに昼間の太陽のことを思い出している。いまは夜。太陽はここにはいない。
からだが軋む音が聴こえる。それは僕のからだの音で僕にはそれははっきりと聴こえているのだけど、それはどうやらほかのだれかには聴こえない種類の音というものらしい。試しに訊いてみたりもする、いま、俺のからだのこのあたりがミチミチと音を立てている、聴こえる?
聴こえない、らしい、それはそうだ、そんな気もする、それはとてもちいさな音だから、そしてそれは僕のからだのうちがわの音だから、それは僕にしか聴こえない種類の僕だけの音、なのかもしれない。そうではないのかもしれない。ほんとうは、それは、よく耳をすますことができれば、それを聴く耳をもつ人が聴こうとすれば、それを聴くことができるという種類の音なのかもしれない、が、それはいまの僕にはまだよくわからない。それを知るには僕は僕のからだのミチミチやギシギシやチリチリといった筋のねじくれる音を聴くことのできる僕以外の人間に出逢い、その人がその音を聴いて、ああ、これはミチミチやギシギシやチリチリといっているねとそれを聴いて、僕はその人のその言葉を聴いて、それで、ね、そうでしょう、そうなんだよ、でもあんた以外の他の人にはどうもこの音は聴こえないらしい、僕はずいぶんと前からこのギシギシやミチミチやチリチリというようなねじくれの音をからだのうちがわに毎日聴いているのだけど、それを僕以外のだれかが聴こえるということを言ったことを聴いたことがないんだ、でもあんたにそれが聴こえるならばそれはほかのだれかにも聴こえる種類のものなのかもしれない、それはあんたにはそれが聴こえたのだからそれがあんた以外のだれかにもそれが聴こえる可能性というものがそこにあるということを示すものだとひとまずは言えるだろうから、僕はあんた以外のほかのだれかにもそれを聴かせてみようかなとあらためてそんなふうに考えてみたりもするよ、それはもうあきらめていたのだけどあんたと出逢えたことでそういうことの可能性をもういちど信じてみることができそうだよ、うん、そうしてみようかな、それが聴こえるなら、あんたには。
九州熊本の周辺が大変なことになっている。いろんな人たちがそれを心配している。僕も時々ニュースなどでそれについての情報を集める。iPhoneが深夜によく鳴る。僕のiPhoneはバイブにしてあるので音はiPhoneの震える振動音だ。それが何度も何度も鳴る。ブブブ。ブブブ。ブブブ。ブブブ。ブブブ。ブブブ…
僕が寝ているあいだも断続的にそれは震えて鳴り続ける。ブブブ、ブブブ、ブブブ…
想像する。想像する。想像する。
見る。想像する。見る。想像す…
受けとるものがある。受けとるもの、それはいろんなしかたである。
ニュースは見過ぎちゃいけないよ
原田郁子さんがなにかの歌でそう歌っていた、そう、ニュースは見過ぎちゃいけない。
ニュースが飛び交っている
ニュースが流れている
ニュースがひしめいている
ニュースがこだまする
ニュースが、ニュースが、ニュース…
またすこしとらわれる。
それはなんだ。
それは力だ。大きな力。
困惑するばかり。僕はギターを弾く。よくわからないコードを手がおさえている。僕はギターを弾く。よくわからないコードをよくわからないふうに手が弾いている。僕はギターを弾く。ギターが弾かれる。ギターが音を鳴らす。ギター。それは僕のはガットギター。はらわたを弦をむかしは張られていたギター。いまではそれはクラシックギター。クラシック。なんだかあんまり好きじゃない響きだ。ガットのほうがいい。僕はガットギターを弾く。ガットギター。そいつは音を鳴らす。響かせる。音が鳴る。風。
風の吹く日にはギターをよく弾く。
あの日もそうだった、風の強い日。風の強い日には風に吹かれる、そして僕は風に翻弄される、あたまが痛む、眩暈がする、イリンクス…
イリンクスというのはロジェ・カイヨワが遊びの4大要素のひとつとして取り上げて分析したものだ。それを僕はまえに本ですこし読んだ。イリンクス。それは眩暈。眩暈がする。この文章を書きながらも、また、すこし僕は眩暈がする、
風がさわぐ夜は
うちに帰りたくないよ
みんな
寝言いってる夜は
風に巻き込まれて僕はそのままにギターを弾く。眩暈がする、とまらない、眩暈がする、かえりたい、かえりたくない、眩暈がする、とまらない、
グルーヴ、回転はとまらない
そんな声をまえに聴いた、
いつだっけ
僕はそのとき三鷹にいた。
僕の部屋にはうっすんとなみっきーがいた。
僕は声を聴いた。
グルーヴ
回転はとまらない
風に巻き込まれてそのままにギターを弾く僕は風に巻き込まれてそのままにギターを弾くのでそれは風がギターを弾いているようなしかたでそこに音が響く、
グルーヴ
回転はとまらない
回転はとまらない、眩暈がする、視界がまわる、ぐるぐるぐるぐる、それはどこか軋みに似ている、やわらかな軋み…
僕はいまファミリーマートにいる。そのまえにいる。そろそろ帰らなきゃ。外はすこし寒い。春だけど夜は寒い。今日はすこしからだが痛む。今日は?今日も?だっけ、よくわからない、痛いのと痛くないのとよくわからない、どこからが痛いのかもうよくわからない、38.5℃の体温、その体温のなかにいる風邪をひいた僕のからだのなかのほうが僕はふだんの僕よりもからだとしては楽だったそれは去年かおととしの夏のはなし、だと思う。思う。なにを思っているのだ俺は。
風がさわぐ夜はうちに帰りたくないよ
そうな すこし 帰りたくない
みんな寝言いってる夜は
みんな寝言いってる夜はなんだか愉快じゃないか、それは嫌いじゃない
寝ている人はみんな好きだから
フィッシュマンズ
この歌詞を僕はよく覚えてる
寝ている顔が一番好きだから
寝ているとみんな静かだ
寝ていても揺れている。
あ、また、揺れている。
ふとももに風が吹く。
目の前のフラッグが風にゆれている。僕は立ちあがる元気がない。なんだかすこし疲れている。
いま、ひとり、
僕はファミリーマートのまえ。
ここから海は見えない。
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