2015年7月11日土曜日

[童話 似て非なるものへの断片] 「あべこべの男」= 神経症患者の身体感覚の童話的解釈

むかしむかし、あるところに1人の男がおりました。その男は、ふつうの人とはちがう、あべこべな心と体を持った男でした。

男の体は、動かそうと思うやいなや動かなくなり、動こうという意思を綺麗さっぱりわすれてしまうと、するすると動きだすのです。

動かそうという意思がはたらくと、男の体に張り巡らされた毛細血管の一本一本が金属の鎖に変化して、男の体を内側から縛りあげてしまうのです。だから、男は、動こうとすると、動けなくなるのです。

男の心もまた、体とおなじような性質を持っていました。男の心が、何かをしようと思うやいなや、男の心は、まるで宇宙にあるブラックホールのように、内側へ向けた引力に引きずられて、ちいさく閉じていくのです。男の心が、何かをしようという意思を綺麗さっぱりわすれてしまうと、男の心は、まるで空のようにおおきくひろく広がるのです。

男の心と体は、男の意思にいつも逆らうのでした。男の考えは、いつも、男の心と体に裏切られてしまいます。男は、そんな自分の心と体を憎んでいました。「どうしておまえたちは、主人である俺の言うことを聞かないんだ!それどころか、俺の考えといつも反対のことばかりしやがって!心も体も、俺のもんじゃないか!俺のもんなんだから、俺の言うことを聞け!」男はいつも怒っていました。でも、男の怒りの矛先は、男のなかにある心と体ですから、男は、自分にむけて怒っているのです。

自分の心と体にむけて怒っている男。では、怒っているのは、男の、何なのでしょうか。男は、自分の心にむけて怒っているのですから、怒っているのは、心ではありません。男は、自分の体にむけて怒っているのですから、怒っているのは、体ではありません。そもそも、「怒っている」というのは、感情をあらわす言葉です。感情とは、では、男のなかの、何なのでしょうか。普通、感情は、心とともに語られます。怒ったり、悲しくなったり、さみしくなったり、うれしくなったり、たのしくなったり、そういうことは、みんな、心の動きだと思われています。心が動くから、感情は生まれるものだと思われています。だとすると、男が怒っているというのは、男の心が怒っているわけです。男の心が、怒りとい呼ばれる感情へと動いて、男の心が怒っているということになる。でも、不思議です。男が怒っている、その対象は、男の心なのですから。男の心が、男の心にむけて怒っている。これはなんだか、不思議です。怒るくらいならば、心は、怒ることのないように、自分で、自分の心地よいほうへ動いていけばいいのですが、なぜだかそうはいきません。男の心は、男の意思をからかうみたいに、いつも男の望む心のかたちから逃げていくのです。

男の心が男の意思から逃げていくように、男の体も、男の意思から逃げていきます。男の意思に逆らうみたいにして、鎖になってしまった男の体の節々は、男の意思ではどうすることもできません。男はさほど軟弱者ではありません。「鎖ならば、引きちぎってしまえばいいではないか!」そう思って、自分の体を縛りつける自分の体の無数の鎖を引きちぎろうと、体をぐりぐりねじってみたり、大きく背伸びをしてみたり、肩や首をぐるんぐるんと回してみたり、思いつく動きをぜんぶ試してみたりしました。けれど、体を締めつける鎖はいっそう硬くなり、トゲトゲとしたイバラを生やして抵抗するものですから、男にはなすすべがありません。男が力を入れれば入れるほどに、男の体は、硬く、締めつけられていくのでした。

男は、困っていました。自分のものであるはずの自分の心と体が、自分の思い通りにならないのですから。男はうんざりしていました。意思なんてものは、なんの役にも立ちゃあしねえ!と男はすっかり、男の意思への信頼をうしなってしまいました。

ベッドの上に寝転がって、男は、考えました。「俺の心と体は、俺の思い通りになりゃしない。両方とも、俺の意思に逆らいやがる。…でも、じゃあ、俺の意思って、なんなんだ。」

男はこれまで、ずいぶんと長い間、意思というものを信頼してきました。男は、自分の意思が、自分の心や体を動かすものだと考えていました。だから男は、男のなかにある意思というものが心と体の主人だと思っていました。男にとって、心と体は、意思に従う召使のようなものでした。

あべこべの心と体を持つ男は、はじめからあべこべの心と体を持っていたわけではありませんでした。男は、自分の意思を信じていましたから、意思がやりたいようにやらせていました。いろいろなことがありましたが、男は意思を信じて生きてきました。それで間違えたことはなかったからです。

でも、ある日、男の心と体は、あべこべになってしまったのです。男は、意思をあまりにも信じきっていたので、心と体が発する声に耳をすませてこなかったのです。心と体は、男のためにがんばってきました。男の意思が、どんなことを要求しても、ずっと耐えてきました。ぜいぜいと息を切らしても、心と体は、意思の命令に応え続けました。そして、とうとうある日、心と体は、嫌気がさしてしまったのです。彼らはもう意思の言うことに耳を貸さなくなってしまいました。あまりにも見返りがなかったからです。やってらんねえよ。心と体は意思に逆らうようになってしまいました。

意思は困ってしまいました。どれだけ怒号を発しても、もう、心と体は動いてくれません。それどころか、意思の命令と反対のことをするように、心と体は動いてしまうのです。さあ大変。意思は自分の仕事ができなくなってしまいました。困った困った。意思は頭を抱えてしまいました。

意思は頭のなかに住んでいます。頭のなかから命令をだすのが意思の仕事です。けれど意思は自分の仕事が進まなくなってしまったので、仕方なく、頭のなかでゴロンと寝転んでしまいました。「あーあ、あいつら、今日も働いてくれねえよ。なんで俺の言うこと聞いてくれねえんだよ。まったく。職務放棄だっつーの。給料泥棒め。仕事しろ仕事ー。ったく、どいつもこいつも、俺様が誰だかわかってんのかねえ。意思だよ意思。わかる?みんな俺に従うの。俺は王様。命令をだすのが俺の役目。なのに誰も俺の命令を聞きゃあしねえ。あー、腹がたつ腹がたつ。まーったく。ひまだから不貞寝したろ。」仕事が進まなくなって、意思もこんな調子です。あらあら大変。男のなかのみんなは仲違い。男のなかは、なにも動こうとしません。

男は、男の意思や心や体によって男として生きていますから、当然、意思や心や体が動いてくれなければ、男は動くことができません。男は動けないまま、困ってしまいました。「困ったなあ。意思も、心も、体も、だれも動いてくれやしない。いったいどうすればいいんだろう。いったい、だれの機嫌をなおせばいいんだろう。困ったなあ。」

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