2015年7月11日土曜日

[小説 似て非なるものへの断片] ①

思い出すのはいつも群青色の空とオレンジ色の砂漠の光景だった。

僕はいまベッドの上に屍体のように横たわっている。僕がこの病院に来たのはちょうど2年前。病が発覚し、医者にすぐに入院するよう言われた。毎日は同じような姿をしてただただ静かに過ぎていく。新米の看護師である坂田さんはいつも僕にこう尋ねる。「痛いところはないですか?辛くないですか?なんでも、言ってくださいね」と。僕は、ああ、大丈夫です、と答えることにしている。言葉にしたところで伝わらないことをあえて口にするだけ無駄だと思っているし、彼女にわざわざ心配をかけるようなマネをしたくないという気持ちもあったからそうしていた。

退屈な日々だったが、好きな時間もあった。夕暮れ時の空を眺める時間だ。この時間だけは誰にも邪魔されずに済んだ。オレンジ色が滲んだ空をぼんやりと眺めていると硬くなった心と顔の肉がやわらかくなるような気がした。

僕の身体はもう動かない。医者はそう説明した。色んな言葉で、詳しく理由を説明したり、励ましたりしていた。僕にとってはなんの意味もない言葉だったので、聞いているふりをして、うんうんと頷いていた。説明されなければわからないことは、説明されてもわからないことだ。僕はひとり、沈黙のなかに静かに横たわっていた。

暗い海の底にいた。辺りは真っ暗で何も見えない。音も聞こえない。怖い。しかし、怖いと感じたのはじめだけだった。慣れてしまえばこの暗闇もそう悪いものではなかった。東京の満員電車のなかで見ず知らずの人間たちと身体を押し付け合い、窒息寸前になりながら仕事へと向かう日々よりはマシに思えた。都心には人間という名前をした真っ黒な海が広がっていた。僕はそこで溺れていた。息が出来なくなっていることすら気づくことができなくなっていた。人間の海の怖さはそこにある。そこからは逃れられたのだ。誰もいない深海の、孤独な暗闇ならば別に怖くはない。少なくとも僕の背中には酸素ボンベがあるのだから。

記憶を辿りながら、想像の砂漠の上で旅をする。この身体はもはや死んでしまった。医学的には生きていることになるのだろうけど、僕にとっては死んでいるのだからそれは関係がない。死に客観はないのだ。誰も、他人の死を体験して見ることはできないのだから。

想像の砂漠の上を僕は歩く。サラサラと崩れ去る砂の上、僕は歩を進める。辺りは次第に暗くなってきた。ギラギラと輝く銀色の太陽は地平線に姿を隠し、砂漠に夜がやってくる。

渋谷。六本木。新宿。酒を飲み、タバコを吸いながら、クラブで夜な夜な遊んでいた僕は、東京という街、ネオンの海に揺らめく一匹のクラゲだった。ダンスミュージックが鼓膜と内蔵を震わせる。四つ打ちのビートに腰を振る。金髪の美女たちが男にハグを求める。僕は目をつむる。そして、音に身をまかせ、踊り狂う。身体を包み込む音の海に溺れた快楽主義者は、いま、孤独な砂漠の上で星の瞬くリズムに目を踊らせる。群青の闇に煌めく星々の群れは踊っている。そこには、生成と消滅が繰り返されている。星は新たに生まれ、そして、消えてゆく。僕の目は生成と消滅の群れを眺め、僕の身体は刻一刻と死んでゆく。細胞のリズム。生成と消滅のダンス。生きていることと死んでいることはいつも同時にある。僕は生きている。そして、死んでいる。現在進行。時は止まらない。変えられないものに抗う必要はない。それが自然というものだろう。

思い出すのはいつも群青色の空とオレンジ色の砂漠の光景だった。

ただ、それだけだった。

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