2015年4月19日日曜日

第15章 砂漠を歩くラクダは透明な球体を覗き込む

オアシスはいつも予期せぬタイミングで現れる。そのタイミングを予想することは誰にもできやしない。ラクダは知っている。だから、歩き続けてるのだ。この広大な砂漠の上を。何処へ行くのかと問う人もいる。そんな戯言は放っておけ。理由というものはいつも仮初めのものだということをラクダは知っている。薄茶色の短く柔らかな体毛に覆われた二つのコブを左右にちいさく振りながら、道なき道をラクダは行く。白銀色にギラつく太陽と黄金に輝くこの月の円環運動を眺めながら、ラクダの二つの目は透明に先だけを見つめている。

四本の脚が踏みつける砂漠の砂。ちいさな砂粒たちは、この砂漠の上に一体どれほどの数存在しているというのか。答えを知る者はいない。ラクダは砂漠を眺める。時に立ち止まり、自身の足元の砂を蹴る。乾燥した砂が上空へと舞い上がり、煙のように宙へと広がり、音もなく地面に舞い落ちる。砂はいつも砂であることをやめない。砂は砂をやめることはできない。だから、辛抱強く、砂はラクダの脚に踏みつけられることに耐えている。来る日も来る日も踏みつけられて、それでも砂は砂をやめることはない。

ある朝、砂漠に雨が降った。一年のうちに一度あるかないかの豪雨だった。ラクダは雨から身を隠すため、近くにあったちいさな岩山の洞窟へと入っていった。雨は止むどころか、一層その勢いを増していくばかりだ。ラクダはやむを得ず、今宵をこの洞窟のなかで過ごすことに決めた。明日にはこの雨もやむだろう。そうしたら、また旅を続けられる。そう思い、ラクダは、眠りにおちた。

その夜、ラクダは不思議な夢をみた。夢のなかでは、大小様々の透明なガラスの球体がラクダの視界いっぱいに転がっていた。ラクダはそのなかのひとつの球体に近づき、なかを覗き込んだ。するとそこには、かつて自分が住んでいた土地の風景が映し出されていた。その土地は、ラクダが幼少期を過ごした場所である。冷たく澄んだ水がコンコンと湧き出るオアシスのほとり、ラクダは彼の家族とともに楽しく暮らしていた。その地には草も生い繁り、甘い果実を宿す巨樹も生えていた。そこはひとつの楽園だった。透明な球体のなかを覗き込んでいると、そんなかつての自分の記憶のなかの風景がそのままに映し出されてくるのだ。ラクダはこの不思議な球体に恐れを感じ、後ずさりした。すると球体のなかに映し出されていた彼の記憶の映像は消え去り、元の透明なガラスの球体に戻った。

ラクダは他の球体も覗き込んでみることにした。次の球体を覗き込んでみると、そこには母親の誕生のシーンが映し出されていた。もちろんラクダは自分の母親の誕生の瞬間を見たことはない。それは彼が生まれるずっと以前の光景だから。しかし、そこに映し出されているのは紛れもなく自分の母親であり、生まれたばかりの母親は、まだしっかりと立つことのできない四本の足を精一杯立てようともがいていた。

その後もラクダは視界いっぱいに転がっている透明なガラスの球体のなかをひとつひとつ覗き込んでいった。どれひとつ同じ光景を映し出すものはなく、覗き込んでいくほどに自分の知らない世界の、おそらくはかつてどこかに存在したであろう記録の断片を映し出すこの球体に、ラクダはすっかり魅了されてしまった。

なにかに取り憑かれたように球体のなかを覗き込み続けていたラクダは、ふと、後ろ足でひとつの球体を踏みつけてしまい、球体は割れてしまった。すると、その球体のなかから、不思議な音が聴こえてきた。

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