2015年3月29日日曜日

そのまんま

そのまんま
みんなそう簡単に口にする
そのまんま
そのまんま
そのまんまのあなたで
そのまんまのわたしで
みんな そのまんまがいいと言う

でも
そのまんまであることは
とてもむずかしいことだ
そのまんまであるということが
ぼくにはいまだにわからない
そのまんまがいいと言う人たちは
そのまんま「そのまんまがいい」と言っているのだろうか
そんなことはないような気がする
そのまんまで「そのまんまがいい」と言えるというのは
とんでもなく強いことだ
そのまんまであることには
とてもおおきな勇気と
客観的な目と
ふりまわされない言葉と
ゆれうごく心を見つめる心と
いろいろなものが
いろいろな種類の「そのまんま」のなかで
たえず「そのまんま」であるように
変わっていくことを
とらえられない自分を
素直に
愛さなければならないから
そのまんまであることは
ほんとうにむずかしいことだと思う
そんまんまでありたくて
でも そのまんまであれないから
「そのまんまがいい」といろんなひとがいろんなひとに言って聞かせるのだと思う
言葉にすることは
意識でもあり
意思でもあって
意思はまた 
意志でもあって
未来、は、
その意志がつくっていくものだけれど
その、意志、というものは、
やっぱり
いま、ここにないことから
はじまるのだと思う
ここにないことから
言葉は生まれるのだと思う
その
言葉というものは
言語、というものにかぎらなくて
僕や
あなたや
いろんなひとたちの
日々を生きるなかの
とてもとてもちいさなことのなかに
いろいろなかたちをして
現れてくるもので
そのすべてを
僕は
つかまえることはできないけれど
そのなかの
たよりないひとつの事柄にも
やっぱり
「そのまんま」への未来は
宿っていて
その
種のようなものを
ひとつひとつ
だれかのてのひらが
受けもつことによって
はじめて
種は種として
種であることを
生きられるように
なるのだと思う
だから
僕たちはいつも
「そのまんまがいい」という言葉を通して
なにか
途方も無いおおきなものに向き合って
自分という
なんだかわけのわからないもののなかで
それでも
誰かのことを愛していて
そのことに気づいたり
そのものにふれたり
なにかをわかちあったり
たわいもないことを言い合ったり
そんなふうにして
彩られていく
なにもかもが
どうしようもなく
暗く
冷たくて
生きている心地さえしなくて
太陽の光が
とても眩しくて
目もあけていられなくて
それでも
目の前の風景を
しっかりと見つめていたくて
僕たちは
また
歩いていくのだと思う
田舎道
高校生の登下校
大型書店に集う人々
車が走る
車道
小川
川沿いに咲く
コスモス
止まることなく
流れる
いろんなものを見つめて
僕は日々を歩いていて
歩いていることの
確かさを
ふと
忘れてしまうときには
天空にむけて
おおきく おおきく
おおきく手をのばして
肺のなかが
ぎゅうぎゅうと
苦しくなるくらいに
空を吸い込んで
おなかのなかも満たして
全身に
くまなく
太陽を感じて
世界が
まるで
軽やかな毛布のように思えて
そんな
一瞬の出来事のなかに
信じられないくらいの
途方もない
うつくしさ
のようなものがあったりして
なんだか
幸福という言葉の意味を
ほんのすこしだけ
わかったつもりになったりして
ひどく憂鬱になったりもして
僕は
この地で
生きているのだ
そんなふうにして
そのまんま
という
言葉の
ふれる
輪郭の
なかの
死にも
近づくような
曖昧な
官能のなかで
そんなものたちのような
奇妙なかたち
をもふくめて
あるいは
のように
なんだかわからないものに
冷たい水を
分け与えられたりしながら
僕は
そのまんま
という
言葉を
疑い
そして
心の底から
叫びたくなるほどに
愛している
思う
のだ

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