2015年4月25日土曜日

〈男の子〉-〈カブトムシの幼虫〉-〈現在〉

暑い夏だった。男の子はカブトムシの幼虫を飼っていた。カブトムシの幼虫は全部で15匹いた。デパートの二階の生き物コーナーで売られていたカブトムシ育成セットのなかで幼虫たちは育てられていた。透明なプラスチックのケースのなかには男の子のおばあちゃんの家にあった牛のフンみたいな腐葉土が詰まっていた。おばあちゃんは自宅の酒屋で働いていた。酒の売り上げは年々下がっていた。おばあちゃんは畑仕事もしていた。おじいちゃんは朝早く起きて毎日市場へ仕入れに行っていた。ぼくはカブトムシの幼虫を右手の人差し指と親指でつまんで手のひらの上に乗せた。カブトムシの幼虫はうねうねとちいさく動いていた。気持ち悪かった。カブトムシの幼虫もなにかを考えたりするのだろうか。恋に悩んだりするのだろうか。茶色の顔と尖った両方のキバのようなものをぼくは見つめていた。ぼくは図書館にきた。散歩が好きだった。散歩がてら図書館に寄って、一冊本を読んでまた歩いて帰るのだ。山下澄人さんの小説はどれもおもしろいと思った。ぼくは彼の小説が好きになった。三鷹に住んでいたとき、ぼくは仕事帰りの道端で光る惑星を見た。ぼくは疲れていた。だから幻を見たのかもしれないけど、それが幻かどうかは別にどっちでもいいことだった。ぼくはリクルートスーツを着ていた。仕事のために新しいスーツを買うのが嫌だった。馬鹿馬鹿しいことだと思っていた。ぼくの目は暗い夜道を見つめていた。外灯は10メートルおきに立っていたけど、辺りは暗かった。おじいさんがひとり歩いていた。腰が曲がって歩きにくそうだった。ふらふらとしながら歩いていた。ぼくとおじいさんは同じようなものだった。次第に目の前が暗くなった。意識すれば目の前の道を見ることはできた。でも、ぼくの目は道を見てはいなかった。すれ違った女の人は一度ぼくのことを見て、すぐに目をそらした。ぼくは暗くなっていく視界を見つめていた。ぼくの目の前に宇宙空間が現れた。真黒の宇宙はぼくの目の前にはっきりと浮かんでいた。闇は手でさわることができそうなほど濃厚だった。宇宙の下のほうが次第に裂けてきた。空間が裂けるということをぼくはそのとき初めて知った。空間の裂け目が次第に輪のように広がっていった。大きな洞のようなものができた。洞の周りは月のクレーターのように隆起していた。月は今日も綺麗だった。ぼくは女の子とLINEをしていた。女の子は月を見ながらコーヒーを飲むのが好きだった。コーヒーを飲みながら女の子は月を眺めて、満月の日にはうまく眠れないと言った。ぼくも満月の夜にはうまく眠れない。月は地球のそばをぐるぐると回り続けているらしい。理科の授業の時に先生がそう言っていた。理科の先生は一重で目が細かった。そして、なんだかオネエみたいな喋り方をした。ぼくはその先生のことが先生としては好きだった。あの中学校には卒業して以来いっていない。いい思い出はないからだ。気づくとぼくの目の前の洞のなかから薄いエメラルドグリーン色の光でかたちづくられた地球が浮かんでいた。地球はこんなにもきれいなものなのかと思った。地球の光は太陽の表面の炎みたいに時々なびいていて、その地球にはたぶん地面はなかった。地面はないけど、海はあるのかもしれないと思った。海があれば命が生まれることができる。男の子はカブトムシの幼虫を飼うことに飽きてきていた。だから男の子は、友達とローラーブレードで遊んだりばかりしていた。夏はだんだんと過ぎていった。男の子はある日カブトムシの幼虫の入ったプラスチックのケースのなかを見た。カブトムシの幼虫は15匹全部死んでいた。土をかえてやらなかったから、カブトムシの幼虫たちはフンまみれになった土のなかで食い物を探して蠢いて、それでも食い物が見つからないから餓死したり、幼虫同士で身体を食い合ったりした。幼虫は暗い土のなかをひたすらモゾモゾと進んでいた。プラスチックの壁にぶつかるたびに進路を変えた。どこへ向かっても必ずプラスチックの壁にぶつかるので、外に出ることはできなかった。ここは監獄だった。男の子はカブトムシの幼虫たちを殺してしまった。しかも皆殺しにした。男の子は後悔した。後悔してもしてもしきれないほどの罪の意識を感じた。あの日の罪をぼくはいまもまだ覚えている。ぼくが男の子だったあの日からずいぶんと時間が経った気もする。忘れたこともたくさんある。大半のことは忘れてしまった。覚えていることもある。カブトムシの幼虫にも記憶はあるだろうか。暗い暗い土のなかでいつかサナギになって、カブトムシになって、青い空を飛ぶ日を夢見ていたのだろうか。男の子のぼくは死んだ幼虫たちのお墓を作った。住んでいたマンションの自転車置き場の横の土をスコップで掘って幼虫の死骸たちを埋めた。土をこんもりかぶせて山を作り、その上に石をひとつ置いた。ぼくは摩訶般若波羅蜜心経を何度も暗誦した。目にはたくさん涙がでてきた。ぼくはごめんねごめんねと何度も謝った。謝って済むなら警察はいらないと友達のトモくんはよく言っていた。山下澄人さんの小説がいま、ぼくの隣の机の上にある。タイトルは「ルンタ」。これから読むところ。さっきは「砂漠ダンス」というやつを読んだ。不思議な小説だった。わたしってなんだろうと思った。わたしは、自分のことだったり、かつての自分だったり、でも、わたしはコヨーテになって疾走したりもする。コヨーテになったわたしはコヨーテの目線で世界を見る。世界をみるとき、わたしは誰であれわたしだと思った。あの日のカブトムシの幼虫たちも。いまはもう土に還って、なにか別の動物になったのだろうか。別のわたしになったのだろう。それはひょっとしたら、いまここにいるぼくのなかにそっといるのかもしれない。男の子はもういない。かわりにいまぼくが恵那市の図書館にいる。また新しい小説を読む。そこにはまた新しいわたしがいるのだと思う。小説を読まなくても。

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