2013年8月18日日曜日

『音楽と日常』のはじまり

晴れ渡る青空が嫌いだった。 この世の何よりも、雲一つなく晴れ渡る青空が大嫌いだった。 新宿へ向かう小田急線の窓からそれは覗き込む。大学のキャンパスで、授業を受ける教室で、ふと友人と出かける車の車窓で、いつ何時も僕の心を覗き込んでは、その空っぽな青色で、空虚な空は僕の存在の不確かさを問いただしてきた。「お前は誰だ。お前は本当に、其処にいるのか。お前は何故、其処にいるのだ。お前はお前はお前は」 晴れ渡る青空が嫌いだった。 胸の奥に、ドス黒い、不愉快な、得体のしれないブヨブヨとした物体が蠢いていた。それは、程よく硬いスライムのように僕の喉の奥にへばりつき、心臓のあたりに寄生していた。白い部屋の中、朝を迎えるのが怖かった。四方を取り囲む、真っ白な壁が、僕の肉体を世界から完全に遮断し、僕の魂だけを世界からくり抜いて、たったひとりぼっちの空間に閉じ込めていた。何故、生きていなきゃいけないのか、わからなかった。普通に、死んでしまいたかった。その日も、雲一つなく晴れ渡る快晴の空がひとりぼっちの僕の部屋の上を無限に覆っていた。 僕はその日、重たい身体を引きずりながら、当時付き合っていた彼女と共に恵比寿へ向かった。季節は夏。僕らは額に軽くにじむ汗を拭いながら会場の時を待った。 腹ごしらえに、近くの丼やでづけマグロの丼を喉の奥へかきこみ、僕らは会場の時を待った。 入り口から建物の中へ。僕らは静かに、彼らの出番を待った。ステージを照らすスポットライト。明滅する無数の光の線。身体を包み込む、僅かな高揚感を含む暗闇。僕の心臓は静かに高鳴り始めていた。 待ちくたびれ始めたその時、 ライブハウスのライトが一斉に眩しく閃光し、彼らが現れた。僕の目は、彼らに釘付けとなった。 軽いMCと笑顔を振りまき、男がカウントを刻み、音楽がはじまった。 19歳の夏。 初めて観た、クラムボンのライブだった。 演奏した曲目はもはや覚えていない。けれど、そんな事はどうでもいい事だ。 僕はあの夜、間違いなく、目の前に生み出された「音楽」というモノに触れ、生命を救われた。 ライブが終わり、音楽が終わる。僕らは会場から外へ出た。空には、星と月がみえた。 僕の目、僕の耳、僕の身体、僕の総てに、彼らの音楽が染み渡っていた。光と音の無限の波動が無数の螺旋を描き僕を包み込み、身体中の毛細血管総てに絡みつくかのように僕の魂を浸していた。 その日。いつぶりだろうか、空が愛おしく思えた。なんて気持ちがいいんだろう。彼女も、微笑んでいた。僕らは、微かに「ライブ、ほんと、よかったね。」と言い、それ以上の言葉で音楽を壊してしまわないように帰り道を歩いた。 わけもなく、笑顔が溢れた。心臓に寄生していたブヨブヨは何処かに消えていた。明日も生きていたいと心から思えた。生きていたいという事を初めて知った。 晴れ渡る青空が嫌いだった。 両親が離婚し、親父という存在が俺から消えた日。家族なんてバラバラの人間の個体が形成する単なる幻想にすぎず、人は皆、無限に限りなく独りだ、と知った11歳の夏。母親の故郷、岐阜県へ向かう車の車窓。後部座席に寝そべり、仰ぎ見た青空は、何処までも晴れ渡る快晴。深い海のような澄み渡る、青。青。青。 音楽だけが、あの日の空を忘れさせてくれた。音楽だけが、もう一度信じさせてくれた。答えは知らない。僕らはきっと、独りだ。だからなんだっていうんだ。僕には音楽がある。喪失したはずの故郷。僕の居場所。出会い続ける事が、創り続けて行く事が僕を死から遠ざけてくれる。 音楽と出会った夜。世界は綺麗だった。ギラギラと光る空虚な恵比寿の街並みでさえ、愛おしく思えた。 晴れ渡る青空が、何よりも嫌いだった。 その日まで。 あの空の答えを知るまで、僕は歩き続けてみようと思う。お気に入りの曲を聴きながら。陽気に、笑ったり、時に泣いたりしながら。日常と共にある音楽。日常のための音楽。ひとりぼっちの僕らが生きていく為の、それぞれの音楽とそれぞれの日常。

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