2015年2月22日日曜日

風は立っているか?

特に書くべき事があるわけではない。僕が文章を書こうとする時は常にそうだ。別に書く必要もないこと。それを書こうというのだ。取り立てて理由があるわけでもない。何かを伝えたいわけでもない。伝えるというほどに明確な考えや答えのようなものが自分の中にあると信じた事もない。昨日、図書館で読んだスーザン•ソンタグによるアントナン•アルトーに捧げられた批評の内容に僕は共感する。アルトーは自己なるものを疑い、自己の思考を捕まえることができない苦悩とともに生きた。彼のような痛烈な痛みを感じるほどには僕には天賦の才はない。しかし、思考が捕まえられないという感覚にはそれをそのままに藝術に推し進めるアルトーの天才とは異なる仕方で僕は自分のなんとも言えない不確かさ、手を伸ばした瞬間、そこにあったと思っていたものがするりとすり抜けてゆく感覚に、アルトーの真摯さへの敬意を感ずる。確かなものに憧れることもある。確かなものをこの手の中にしっかりと掴むことができたら安心はできるだろうと思うからだ。しかし、それを掴めないからと言って不安になることはもうない。なぜって、掴めないことこそが道理であろうと思うからだ。確かなもの。不確かなもの。線引きをすることは可能でも、それらの境界は常に更新されてゆくものであるからして、確かなものを支えるのは常に不確かなものなのだと思う。

約3年間住んだ三鷹の家を引き払った。前々から考えていたことではあったが、唐突の別れだったと自分でも思う。お世話になった人たちにろくすっぽお礼もできぬままに僕は無駄に多い自宅の荷物と共に岐阜の実家へ帰ってきた。三鷹での生活に纏わる記憶はたくさん残っている。いい思い出もたくさんある。が、いまはなんとなくそんな思い出たちを思い出したくはないのでここには書かないことにする。思い出してしまうことが喪わせてしまう類の記憶というものもある気がする。それは、記憶それ自体の性質というよりは、それを思い出すに相応しい時というものがある、ということな気もする。記憶は記憶だ。いずれ思い出す時が来たら思い出せばいい。それは何かのためになる。三鷹の話をしたのは、いましがた読み終えた舞城王太郎の小説の話をしたかったからだ。「好き好き大好き 超愛してる。」という小説だ。この小説を僕は、三鷹の家を引き払う前日に大学時代からの親友に貰った。僕は普段あまり小説を読まない。というか、読めない。9割方の小説は、読み始め3ページで挫折する。それがなぜなのかは未だによくわからない。とにかく、むず痒いような不愉快な気持ちになってしまうのだ。たぶん、言葉の流れの問題が大きい。文章は波だ。波の性質は色々だが、とにかく僕は言葉の波に乗れない小説は読めない。必死でパドリングしているのだが言葉の波が掴めない時が多い。たぶん下手くそなんだと思う。下手くそだから、自分のパドリングの性質やペースに合う波にしか乗れないのだ。まあそれでもいいか、と思って、好きな小説を読むのは好きだ。あたりまえの話だな。

舞城王太郎の小説を読むのは初めてだった。タイトルも表紙もふざけているように見えるこの小説だが、ものすごくおもしろかった。おもしろかったがまだ咀嚼しきれていない。一冊を通して、様々な物語が現れ、その合間に舞城の実話らしき物語(正確には実話ではないだろう。が、少なくとも舞城が「僕」と名乗り、「僕」という一人称を通して自分の考えを語る)が現れる。文章のスピード感は凄まじい。くるくるくるくる言葉が回転してゆくのが見えるようなグルーヴに乗り、僕はこの一冊のなかを駆け抜けた。そして、一度、沈黙した。

「柿緒」という小タイトルがふられた章が、舞城が「僕」と名乗る舞城自身の物語だ。「柿緒」とは舞城の彼女であった人物で、彼女は骨肉腫という病で死んでしまったようだ。「柿緒」の名を冠した章は一冊を通して断片的に綴られてゆく。主に、柿緒さんが死んでしまってから過去の柿緒さんとの記憶を想起しつつ、小説を書いている現在の舞城や柿緒さんの死語の日常についてが語られている。舞城はそれら断続的な章の連なりのなかで、自分が小説を書く意味や理由を自問自答する。なぜ小説を書くのか、を、小説の中に書いている。これがものすごくグッとくる。のだが、それを具に説明するのはなんだか面倒くさいし今の気分ではない。ただ、一節を引用したい気持ちはあるので引用する。

「小説のことも好きだ。ひょっとしたら小説と柿緒と、やっぱり比べられないのかもしれない。でも僕は柿緒と何かを比べて迷いたくなんてなかったし「比べられない」とか言いたくなかったのだら。そしてそうしたくないというだけで、僕は小説よりも柿緒の方がずっと好きで大切で大事だと言う根拠に充分だったのだ。 …でも愛情と物語は、ひょっとしたら同じものなのかもしれない。そう、愛とは祈りで、物語も祈りだ。でもそういう本質的なところだけじゃなくて、構造も似たようなものを持っているのかもしれない。それともひょっとすると、愛情と物語は全く同一のものなのかもしれない。一つのものを、僕達はあるときには愛情と呼び、またあるときには物語と呼んでいるのかもしれない。」(「好き好き大好き 超愛してる。」舞城王太郎 173項)

愛情と物語。試しに辞書で両方の言葉の定義を調べたとしても、それらの言葉の意味自体に噛み合うところはない。けれど、舞城のこの考えは、なんだかよくわかるのだ。腑に落ちる。そうなんだよな、と思う。うまく説明できる気はあんまりしない。でも、そうなんだよなあって思う。

そんな事を思っていたら、一昨日観たアニメーション映画「風立ちぬ」の事が脳裏に浮かんだ。言わずと知れた、宮崎駿監督の引退作品だ。あの作品に、僕は、舞城のものと同質のものを見た。愛情と物語。「風立ちぬ」においてのそれは、二郎と菜穂子の物語だ。二郎の夢は「美しい飛行機を作ること」だ。彼は幼少期からその夢を追い続けてきた。その最中、二郎と菜穂子の恋愛は燃えあがる。菜穂子は結核を患っており、残りの生命はわずかだという事が二郎に知らされる。それでもなお二人は愛し合い、共に生きる事を決意する。菜穂子の病状が悪化していく中で、それでも二郎は仕事を続ける。菜穂子はそんな二郎のそばで、彼の手を握る。二郎は言う。「僕たちには時間がないのです」

舞城もまた、抗ガン剤治療を続ける柿緒の病床で小説を書き続けた。この点で舞城と二郎は同じ構造のなかにいる。二人は愛する女性が死へ向かう時間の中で、それでも作り続けていた。一方は小説を書き、一方は飛行機を設計し。

二人が同じ思いを抱いていたとは言えない。そんな事はわからない。わかるのは、それでもなお二人はその仕事を続けたという事実だけだ。

「じゃあ僕は柿緒のそばにいる短い時間の間にどうしてあんなふうに以前と同じペースで小説を書いていたんだろう?柿緒がそれほど長くないと知ってからもどうして僕は小説を書くことをやめなかったんだろうら?どうして柿緒が逝ってからゆっくり小説に戻ればいいやと発想しなかったんだろう? 答えは簡単だ。 柿緒に迫り来る死が僕の小説に対する意欲を何らかの形で興奮させていた、などということじゃなくて、もちろん逃避とかじゃなくて、柿緒に僕が小説を書いている姿を見てもらおうと思ったわけでもなくて、柿緒の死について僕が何か深く考察を小説を通じて行おうとしたわけでもなくて、ただ僕は生きていて、柿緒は寝ている時間とか治療を受けている時間とか結構長くて、僕は空いている時間を埋めなくてならなかったからだ。何もしていないと暇だったからだ。それに僕は生き続けていくことが大体分かっていて、小説を書かないと僕がそのときほとんど住んでなかった調布のマンションの家賃が払えなくなってしまい、そのときの僕の荷物を置いといて柿緒が逝ってから戻って住む場所がなくなってしまうからだ。僕は会社に勤めてはいなかった。バイトもしていなかった。小説を書いていて、それ以外に特にやりたいこともやらなくてはいけないこともなかったのだ。」(同書 170-171項)

舞城はこう書いている。時間を埋めなくてはならなかったから。暇だったから。こうした理由だけを取り出してしまうと、なんだかそれは冷たいようにも思える。愛する人が死にかけている横で、暇だから小説を書くっておまえ!という気もしないでもない。でも、それは虚飾されたロマンティシズムの亡霊に取り憑かれた胡散臭い「愛の証明行動」に思考の善意を押し付けようとする自分のセコさかもしれんなと思った。

なんというか、生きる、って、そんくらい普通のことでもあるんだと思う。二郎はどうだっただろう。僕の勝手な妄想では、二郎はたぶん「暇だから」という理由は口にしないしたぶん思ってもいないと思う。でも、「僕たちには時間がないのです」というときの二郎の中には確かに自分にとっての時間も含められていて、「菜穂子には時間がないのです」とは言わない。菜穂子に時間がないのは二郎は百も承知だ。それでも、二郎は飛行機を作り続ける。それは二郎の時間だ。二郎は自分の時間を精一杯生ききるためにも飛行機を作らなくてはならなかった。それは、菜穂子のためではない。でも、ためではないと言い切るのもなんか違う。ため、とか、ためじゃない、とか、そういうことではない。二郎が生きるという事は飛行機を作るということと共にあり、菜穂子が生きるということは二郎のそばにいるらことだったのだと思う。二郎の夢。それは具体的な生活でもあった。そして、菜穂子はそんな二郎のそばで生きることで、彼の夢、そして生活のそばで、生を営んだ。それは、現実であり、同時に、夢の中であった。二人の、夢の王国。菜穂子は飛行機の完成とともに二郎のもとを去る。美しい姿だけを愛する人に見せていたかった。それは夢の姿。いずれ消え去る夢の美しさであった。


青年。
まだ、風は立っているか?


イタリアの設計士は夢の中で二郎に尋ねる。
二人の夢は、時空を超えて繋がっている。

「僕は十三歳で夢の中でおじさんに夢の直し方を教えてもらう。人の夢は時々壊れてて、おじさんみたいな夢の修理屋が頑張らないと、正しい形で夢が分けられないのだら。おじさんの名前はミスターシスター。おじさんは僕に最初に一番大きな秘密を教えてくれる。一人の人が一つの夜に見る夢は大きな一つの物語の破片で、全世界の全員の夢を繋ぎあわせると長くて面白くてびっくりする物語が出来上がるらしい。」(同書 57項)

「ミスターシスターは世界の夢を集めると一つの大きな物語になると言った。夢が現実の世界とは別次元にあるんじゃなくて現実の世界そのものだったとしたら、そして世界というものが、自分の認識によらず自分の知らないものや架空の存在ですらも含めてようやく「世界」と呼ばれるものなら、夢もまたその「世界」に含まれ、そしてミスターシスターの言ってた言葉に筋が通る。人の見る夢にはあらゆるものが登場する。現実にあるものとないもの、知ってるものと知らないもの、想像したことがあるものと想像すらしたことないもの。世界中の全ての夢が集まってこの「世界」を作っているなら、僕のいるこのここも、誰かの夢の中に存在するのかもしれない。」(同書 85-86項)

夢は繋がっている。時空を超えて。そして、夢はしょせん夢でしょと片付けられるものではなく、それはそれを含めて「世界」を形作るものだ。夢と現実という二項対立も、いわゆる「現実」を生き抜く上では有効に働く時もあるが、その境界もまたすべてではない。何が夢か。そんなこと、たかが人間には答えるべくもない。ともにあるのだ。



風は立っているか?

はい。


風。宮崎アニメでは風はひとつの重要なモチーフである。風が立つとき、魔法使いの女の子は箒にまたがり空を飛ぶ。風が立つとき、夢の時間がはじまるのだ。


風は立っているか?

はい。


先日、ふと産まれた断片が、さっき、ひとつの曲となった。歌詞もないし、構成も決まっていないが、僕の中ではひとつの曲となった。楽曲は、構成を固定すべきものだというのは常識である。構成のないもの、歌詞のないものが、果たして「曲」なのだろうか。定義はさして重要ではない、少なくとも僕にとって。

この新しい歌は、風の歌を聴くための歌だ。そんなフレーズが僕の口を通して産まれたからだ。「ひゅるり 風の歌を聴け」舞城の小説を読む前に、宮崎のアニメを見る前に、僕の口から産まれたこの歌はそう歌えと告げていた。「風の歌を聴け」奇しくも村上春樹の処女作のタイトルである。僕はあの小説をまだ読んでいない。今度読んでみるとしよう。

言葉にはならないものは、物語ではないのだろうか。僕はそれについてよくわからないが、でも、これは、繋がっている。言葉がなくとも、所謂ところの物語がなくても、僕にとってそれはある種の夢として、そして、形式としての物語を逸脱したところで、この歌は、舞城や宮崎や春樹や、世界中の夢と繋がっていることを感じる。歌いながら、なぜだか涙がわいてきた。こういうときは間違いない。これでいいなと思う。悲しくも嬉しくもない涙がある。思考でも感情でもない。それらは、ほんとうには、掴めない。アルトー、僕はあなたに共感する。これは現実か?はたまた夢か?そんな区別もどうだっていい。ただ、対象すらも言葉にすることもなく、僕は愛情を感ずる。そして、それは、物語でもある。よくわからないことを書いている。ようやく、言葉の波が収まってきた。言葉の蛇口の栓が締まってきた。こうなるまで、僕は永遠に書き続けてしまうのだ。何を書くでもなく、ただ、言葉に任せて。繋がっていきたいのだと思う。その行為それ自体が、僕にとって、生きるということの物語のひとつの顕れであるから。

昼飯を食い損ねていた。
友人の英作文の添削をしなくちゃ。

今日はこのへんで。
あ、僕は今日、27歳になりました。
別になにもかわりはしないしけれど。



2015年1月1日木曜日

2015年のはじめに

2015年1月1日、元旦。
深夜2時半。

新年あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。

普段は見ないテレビで、ガキ使の特番を観て、年越しソバをすすり、毎年恒例の一人初詣に行って来ました。山路を歩き、以前働いていたコンビニでホットコーヒーとマッチを買い、毎年一人で詣でる神社へと。

気温は低く、肌をつるりとすべる冷気に身体をふるわせながら、いつもの道を歩く。いつからこうして一人で初詣をすることを恒例としたのか、今はもう定かには覚えていないが、気づけばそれが自分のなかでの一つの大切な年中行事となっている。特に何か大きな意味があるわけではないのだが、それをせずには一年をうまくはじめることができないような、うずうずとした心地がするのだ。

武並神社に着き、まずは、おみくじをひく。武並神社には、おみくじが二種類ある。ひとつは普通のおみくじ。もうひとつは、恋みくじである。僕はもちろん、両方ひく。これも毎年の恒例である。「おにいちゃん、それ、恋みくじやで。ぐふふ。」と笑う神主さんと「はい、知ってますよ。せっかくだからね、ひかせてくださいな。」と返す僕。これも毎年の恒例行事である。どうでもいいことだが、どうでもいいことを必ずするというのは、なんだか気持ちのいいことなのだ。

去年のおみくじは両方とも大吉だった。願い事は全て叶うと書いてあった。縁談も多いが、色恋沙汰には注意せよ、願い事の妨げとなる、との注意書きが書いてあったことを覚えている。大吉なんて、生まれてこのかたはじめてひいたものだから(しかも二枚ともなんて、神様はサービス精神旺盛だ!)、去年はおみくじに書いてあったことをそのまま信じて一年を過ごした。願い事は全て叶う、そんな夢のようなことも、なんだか信じてみたいな、と思ったのだった。僕の願い事は、いつも叶わぬばかりだったから。神様はいじわるだなあ、と、ずっと思って生きてきた僕は、でも、去年の一年間を通して、神様ってやっぱり神様だ、と、思うようになったのだった。

年の瀬となってから、2014年の一年間のことをたくさん振り返っていた。思い返すと、ほんとうにほんとうにいろいろなことがありすぎて、そのひとつひとつがとても大切な記憶で、全部を丁寧に思い出すにはあまりにも時間がかかるのだ。ああ、そういえばあんな事もあった、こんなこともあった、あの時はああだった、こうだった、…とにもかくにも、2014年は僕の26年間の人生においてのターニングポイントとなる一年であったことは疑うべくもない。ほんとうに色濃い一年であった。

2014年。僕は、要約すれば、じぶんのなかにあるらしい、じぶんの物語を、ひとつひとつ、具体的な出来事のなかで生きてみる、ということをしていたのだと思う。ひとつひとつの出来事のなかを歩いてみることで、かたちにもことばにもできないじぶんの物語の断片を辿ってゆくこと、それが、じぶんの物語に目をつむり続けてきた自分にとって、必要なことなのだということの確信だけは、おそらくはじめからあったのだと思う。

ユング派臨床心理学の権威 故•河合隼雄氏の対談集のひとつに、自分の物語を生きる、というようなタイトルの本がある。河合隼雄氏の本は大学時代からとても好きで、古本屋で見つけるたびに購入して読んでいる。なんだか、よく、わかるのだ。頭というより、身体で。腑に落ちる。腑に落ちるという感覚を大切にしたのも、2014年の生き方のひとつの特徴であった。頭ではなく、言語ではなく、身体で学ぶ、身体で判断する。思えば、そんなことからしか動かなかった一年であった。

2013年までの僕は、頭でっかちな人間であった。もちろん、人間の本質なんてものはそうそう変わるものではないので、いまも僕は相変わらず頭でっかちで観念的な人間であるとは思っているが、頭で考えたことを身体が拒否する、という感覚をまざまざと知ったのが2014年の僕の大きな変化のひとつであったように思う。

運命論者とまでは言わないが、2014年の一年間を通して出逢ってきた物、事、人、は、すべて、その時だからこそ出逢ったのだなあと腑に落ちるようなものばかりで、毎度、驚いていた。なんでこんなにもバッチリのタイミングで、これと、あるいは、この人と出逢うことができたんだろう、と、不思議な想いばかりしていた。そんなことばかりなので、もはや、ほんとうに必要な出逢いというものは、ほんとうに必要なときにやってくるものなのだ、という事を僕はいま甘んじて受け入れることしかできそうにない。これはある種の運命論か。そうだね。胡散臭いね。でも、どうしようもなく、そういうことなんだという風にしか、今の僕には思えそうにない。だって、そういう風に、ほんとうにたくさんのものたちに出逢ってしまったのだから。神様のサービス業はニクいねえ、なんて、一人でいまもほくそ笑んでいる。不思議なもんだ。

導かれるようにして出逢ってきたもの。それは、この世の言葉でいうところの「音楽」というものを中心にして、僕のところへやってきた。僕はこの一年間、ずっと、「あれ?なんでいま俺は、音楽をやってるんだろう」と思っていた。なんだか、不思議だった。何が不思議なのかもよくわからんのだが、「自分が音楽をやっている」という日常的な現象のひとつひとつが、なんともわからず不思議だった。なぜ不思議かと言えば、あまり自分から進んでそれを選びとっているという感覚がなかったからだ。気づいたらやっていた。気づいたら誰かと演奏をしていたり、誰かのために曲をかいたり、誰かのための場を拵えたり、何かのための言葉を紡いでいた。色々な表現をするひとたちや、色々な生き方をするひとたちと出逢い、いろいろなかたちで関係をもって、いろいろなことをした。自分のところへやってくる話は、基本的にすべてそのまま受け入れていた。だから、はたからみると「こいつは一体何をしているんだ。まとまりもなく、阿呆なのか?」と思われても仕方が無いほどに、多種多様な仕事をしていた。音楽だけに限らない。詩の雑誌への寄稿文としてダダやシュルレアリスムに纏わる文章を書いてみたり、浅草でバーテンダーをしてみたり、公共空間のデザインをしてみたり、とにかく、ピンとくるものはなんでもやった。そして、なんでもできた。それなりに。これは自信にもなった。意外とやれるな自分、と、慎ましやかに褒めてやったりもした。もちろん、反省もたくさんした。うまくできないことはその都度修正した。ひとつひとつの行為の意味や価値を深く考えた。それを社会に向けて発信もしていった。ひとつひとつはちいさな断片であることはいつもわかっていた。それは、じぶんのところに、誰かが与えてくれたものでありながら、同時に、それをきっかけとして、じぶんのなかにはじめからあったものを引きずりだすためのきっかけともなっていた。外部と内部のシンクロニシティ。これが、導かれている、という、感覚の根源であった。じぶんのなかにある、というと、かたちがあるようだが、そうではなく、外部から与えられたものに対して感応するものがあるということを感じる、という意味での、じぶんのなかにある、ということだった。じぶん、というものは、自分、として、外部から切り離されたひとつの完結した個である、とこれまでの僕は思っていたようだが、そうではなく、あくまで自分は、大きなものの一部としてのじぶんであり、それは切り離されたものではなく、必ず、自分としては外部のものたちとの接続関係のなかでなにかに感応していくものなのだということが腑に落ちたのはとても貴重な智慧であったと思う。ああ、ひとりではないのだ、と、素直に思えたのかもしれない。

じぶんの物語を生きる、とは、そういうことでもあるのだな、と学んだ。2014年のはじめ、僕は、圧殺し続けてきたじぶんをはじめて解き放って生かしてやろうと決意した。そして、じぶんの物語を探し始めたのだ。それが、このブログを開設した主な動機でもあった。僕は、谷川俊太郎の詩「ネロ」が好きで、その詩に書かれた言葉を手掛かりに、じぶんの物語を手繰り寄せようとした。「ネロ」という名前を、「音」の「路」と読み変え、僕は、じぶんに問いかけ続けてきた。「一体何なのか」「一体どうしてなのか」「一体どうすればいいのか」。すべての行為の根本命題となる三つの漠たる問いに答えようとしてきた。すべての僕の質問に自ら答えるために、と、「ネロ」の一文に自分を重ね合わせながら。このブログは、そうした意味での、僕の質問とそれに対するその時々の回答であり、それは、総じてみれば、一人の人間が、どうしようもなく音楽というものに向き合いながら、日常を生きていくこと、そのひとつの例証、個人史=ミクロストリアであるとの考えから、副題に「musical microstria」の文言を加えたのだ。そして、それは、ある意味で、循環するものだと思えたのだ。回答は出来ても、解答はない。つまり、絶対的に正しい答えなんてものはありはしない。あるのは、その時々の、じぶんの、腑に落ちる答えだけで、それは、音楽と呼ばれる抽象的な現象の、細部にわたるひとつひとつの現象と自己との対峙や、音楽とは呼ばれない日常のささやかな営みや、その他もろもろの存在、現象、行為、思想を含めて、その時々にじぶんのなかにわきあがる問いと答えが、無数のベクトル関係のなかでつながり循環していくものだと思えたのだ。それは、幾何学的なものではない。曼荼羅のようなものだ。問いと答えはフラクタルに循環する。それが、音楽と日常というものの在り方である、と、僕には思えたのだ。だから、形容詞として「circulate」を冠したのだ。その思いは、いまも変わらない、むしろ、先見の明があったなあ、なんて、大げさに思ったりもする。とにもかくにも、僕は、僕にとってのほんとうをこのひとつの身体と心を媒介としてひとつひとつ見つめてみたかったのだ。そして、それは、思っていた以上にうまくいった。2014年に感謝している。

僕の物語とは、じゃあなんなのか。ここまで読んでいただくと、そんな問いがわいてくるかもしれない。でも、それはいまは言葉にしたくない。というか、しようとしてもたぶんうまくできそうにない。だから、しない。言葉で語り出すことのできることには、ほんとうに限界がある。それを痛感したのも、2014年のひとつの大きな経験であった。そして、言葉ではない仕方でしか「語り出す」ことのできない類の物語というものがあるのだということもわかった。

物語とは、文学ではない。物語とは、言葉ではない。物語の多くは言葉で物語られるものだが、それは、物語られることによって表出される、のであって、物語自体は、本質的には、物語られる前からあるのだ。そして、それは、何処にでもあるのだ。おそらく。何処にでも。そして、誰にでも。これは、音楽とおなじだとおもう。音楽は、何処にでも、誰にでも、あるのだと思う。それを、音楽というかたちとして、表出するのかどうかは人それぞれだと思うけれど。ほんとうはみんな、おなじところにある。名前がちがうだけなのだ。そして、音楽も、物語も、言葉も、ぼくにとって、ほんとうに大切なものなんだっていうことが、よくわかった。もう、逃げることはできないな、と思う。ようやく、腑に落ちるところへ、ふれることができているのだから。後戻りをする理由はない。僕は僕らしくやっていくのがいいのだと思う。

物語にふれる。そこから、人間の生の根源は動きだす。そこから外れてしまえば、狂ってしまう。そんな類の必然が、どうやらこの世にはあるらしい。それは仕方のないことだ。そして、それは、間違いではなく、いいことなのだと思う。ねじまげてしまわなければ、それは、善として機能するものなはずだから。

物語を生きること。
そのために、必要なことを、僕は2015年からしっかりとやっていく必要がある。地に足をつけて。生活をする。生活をすることの上に物語を生きることをしっかりと据えていかなくちゃいけない。そうでないと、物語を生きる、ではなく、物語を知る、でしかないから。それでは、生きてはいけない。僕は、ただ、心穏やかに生きていたいだけだ。ほんとうに。そのために、いままで、逃げていたこと、観念的に退けていたこと、守ろうとしすぎたもの、きれいに保とうとしていたこと、様々な雑念を振りはらっていくことが必要になる。うまくできるだろうか。と、考える必要はない。どうせうまくなんてできやしない。僕は不器用だ。だから、不器用なりに間違えながらやればいいだけだ。結局うまくいくに決まってる。まんなかから離れなければ。一人一人は、一人一人、属するべき場というものがあるのだ。それは、決まっている。意思の問題ではない。それは、ある種の運命論だ。はじめから決まっている。それを素直に受け入れるところからしか、ほんとうに生きることなんてきっとできやしないのだ。だから、それでいい。僕は、僕のやり方でやっていく。現実的に。強かに。時に、軟弱に。

夢は見ていない。
到達すべきところはないから。
目的もない。目的なんて本来どこにもないのだから。
ただ、腑に落ちるところへ向けて。
そして、ただ、じぶんとして、可能なかぎり生きられるように、やれるかぎりのことを。無理せず。時にまかせて。運にまかせて。みんないつか死ぬのだ。それは有り難いことだ。必ず有ることだが、それは、有り難いことなのだと思う。

2015年。よろしくどうぞ。

2014年12月9日火曜日

Dancer In The Dark

これは最後から二番目の歌 それだけのことよ

ビョークが歌っていた。
映画の中で。
それだけのこと。
それだけのことが、
この上ない救いだった。

何年も前から、
観るべきときがわからずにいた。

今宵が、そのときだった。

少女のように無垢で、
老婆のように傷ついて、
闇のように何かを見つめて、
光のように無邪気に微笑んで、

ビョークが歌っていた。

これは最後から二番目の歌。
それだけのことよ。

最後から二番目の歌で会場を出てしまえば、
ミュージカルは終わらない。

永遠に続いてゆく。
ミュージカルは、永遠に続いてゆく。

例えば、首を吊られても。
例えば、息絶えたとしても。

ミュージカルは終わらない。
永遠に終わらない。

この夜のための映画。
息ができる。
歌えそうだ。

最後から二番目の歌。
それだけのことよ。

そう、
それだけのことよ。

2014年12月8日月曜日

重力と恩寵

かつてシモーヌ•ヴェイユが書いた『重力と恩寵』という書の内容についてはあらかた忘れてしまったが、この書のタイトルはこの先も忘れることはなさそうな気がしている。重力と恩寵。ヴェイユがこの二つの言葉とその連関にどのような想いを込めたのかは忘れたまま、僕はいま、僕にとっての重力と恩寵について想いを馳せている。それは、僕にとっての重力の圧迫感から少しでも這い出ようとする僕の賢明な、そして、愚鈍なやり口のひとつとして、こうして言葉を羅列することが幾ばくかの意味を持つことを知っている、あるいは予感している、少なくとも、期待しているからだ。

2014年11月は既に過ぎ去り、過去となった。しかし、僕の魂はいまだ11月の過去のなかに取り残されたままのようだ。12月に入ってから、僕にとっての時間の流れは一変してしまった。毎日がほんの一瞬で走り去る。なんの記憶も手触りも残らぬ日々が既に一週間ほど通過した。覚えているのは、カレンダーに書き込まれた予定の痕跡と、僕に少なからぬ感動を与えてくれた類の出来事だけである。それらは、断片化されたパズルのピースのような、幾ばくかの色彩と形と手触りを僕に与えてくれるが、そのピースの全体像をピースから判読することはできず、ひとつひとつのピースが、まるで一夜の夢のような蒙昧さを以って僕の脳裏を時々かすめるばかりである。流れ星のような過去。漆黒の空は一瞬の間煌き、そしてまた、夜の闇に呑み込まれて消える。

11月という月を、僕は、「シンガーソングライターとして生きる」実験のためのひと月と決めていた。僕は、歌を唄うし、曲を書いたりもするが、自分が「シンガーソングライターである」という意識を持ったことが一度もない。「シンガーソングライターである」とはどういうことなのか、僕にはよくわからない。少なくとも、僕は単なる僕であり、僕の一つの営みとして自然と、歌うことがないと落ち着かないからなんとなく歌を唄うことを結果として続けてきただけである。人様に聞かせる気もさらさらなく、歌を唄う。そもそも、人前に出ることが苦手だし嫌いなのだ僕は。だって、人前に出るのは疲れるから。それだけの理由である。あるいは、人前にでて、人様の貴重な時間を割いていただいてまで自分のうたや演奏などを聴いてほしいなどとは露も思わぬ僕は、たぶん、欲求レベルで、あるいは生理的なレベルで、「シンガーソングライター」として落第であろうと思う。別に自分の音楽を聴いてほしいなどとはいまだにたいして思ってないし思えない。みんななんで思えるのだろう。というか思うのだろう。聴いてもらったら、何が起きるのだろう。褒められるのだろうか。ありがとうと言われるのだろうか。何を求めて人は他人に向けて歌を唄うのだろう。いまだに僕にはわからない。この先もわからないままなのかもしれない。

そんな僕だが、この一年間の間に、いろんな人々に出逢い、いろんな物事に出逢い、出来事に出逢い、そのなかで、ひとり、閉じこもっていた世界から引き摺り出されたわけで、それは、ほんとうに、心から感謝しています。ほんとうに。そのおかげで、僕は、これまで26年間わからずにいた、自分の人生の筋というか、朧げながらも歩む道というか、自分の腑に落ちる行為というか関係というか、兎にも角にも、自分の、自分たる生き方のひとつの展望がひらけたような心持ちであります。この一年間があってよかった。心の底から思う。こんな一年間は他にはなかった。心の底から思う。感謝が溢れて溢れて、とめどない。有り難い。ほんとうに、有り難いとは、有り難いことなのだと思う。その、一年間の感謝の意味を、ひとつの行為に集約して届けるために、僕は、どうしようもなく、歌を唄うという己を包み隠さずみなさまにお見せしたかったわけであります。だから、11月は、「シンガーソングライターである」ことを選択し、パフォーマンスとして、というとすこし平べったい言い方ですが、僕は、いまの自分にできる、舞台での歌の最大限を引き摺り出す術を学ぶため、ステージに立ち続けたわけであります。その最後が、28日でした。見に来ていただいた方々に、どのように映ったのかは知りません。が、少なくとも、僕は、今年一年間の粋をすべてぶち込み、綺麗に整えることも、藝術のなるたるか表現のなんたるか、音楽的美学のなんたるかをすべてシカトし、ただただ、あらんかぎり、爆発させました。その意味では、現在地点の自分のパフォーマンスとして、僕は、自分に、人生で初めての花マルを送りたい気持ちでした。よくやった俺。がんばったな俺。そう素直に思えたのは、今までの人生で初めてのことかもしれませんね。いや、どうだろう。わからんけど。

そんな夜が、終わりました。そして、ある種の予感とともに発言していましたが、ある意味で、僕はあの夜に死にました。生命活動を絶ったわけではもちろんありませんが、あそこに向けて収斂させるなかで、僕は、たぶん、多くのものを犠牲にしたようです。いま、僕は、唄うことがあまり楽しくありません。ギターもさほど楽しくありません。つまりは、それほどまでに限界に向けて一挙に収斂させてしまったということでしょう。「シンガーソングライター」として己の強度を深めつつ洗練させることは、僕にとって、かなりのエネルギーを使うことだったようです。そして、放出し、僕は、いま、空っぽになりました。代償としての生臭い疲労感を身体の隅々にびっしりと敷き詰めて。

時折、死んでしまいたいと思うことがあります。もちろん、死んでしまうつもりはありません。ただ、ふっと、思うだけです。それは、いろいろな質感をもつ死んでしまいたいであります。兼ねてより僕は、還りたいという想いを持っていましたし、それは、死ぬこととはたぶん違う感覚で、より、自然な感覚で、特に、ネガティブな感情のないものです。11歳。人間はみんなバラバラで、みんな、ほんとうに、孤独なのだと知ってから、僕は、空ばかり見ていたような気がします。空と海とを分かつ境界線。そこにひとつの絶対的な絶望と失望を感じてきました。分かたれているということへの怨念は、この15年間、常にどこかにあったのかもしれません。分かたれているのは、どうしてなのか。それを知りたくて、そして、ほんとうには分かたれてないはずだろうと切に思いながら、いや、望みながら、僕は、歌というものに魅せられてきました。歌うことは、還ることそのものだったのです。それは、一瞬でも、たしかに、この身体の境界線を超えでて、空へとこの身を溶かし出すための、僕の、たったひとつの方法でした。だから歌ってきた、そういうことでしかないように思います。

その、還るための歌を、僕は、扱う人間として自分を位置付けてみたわけです。そして、それは現在地点における臨界点へと至り、そして、僕はボロボロに疲れ果ててしまったようです。扱うという類のものではないことを扱う対象としてしまうことは必ず破綻を招くこと、どこかで知っていたのでしょう。だから、僕は、このライブだけは見てほしかったのだし、このライブを終えたらある意味では死ぬということを予言していたわけです。僕の予言はどうやら的中したようです。

いま、この身体のなかに無数の重力を感じています。歌うことで僕はこの身体の輪郭線を保ってきたが、どうやら、いまはそれが機能しないのです。僕の身体と心は無数の方向へ向かうベクトルによってひしゃげています。内側へ向かう具体的な痛みと圧力。これはたぶんブラックホールとおなじ原理でしょう。惑星は自身の重力に押しつぶされてブラックホールとなります。いまの僕の状況は、まさに、そんな惑星一歩手前なのでしょう。潰されかけている。魂の重力。そういう種類の力がこの世にはあります。それは歴然と。しかし、大抵は理解されないものですから、仕方ありません。アイム ア クレイジーメンという事でしか世の中は片付けます。世の中は、理解のできないものを、なきものとするかおかしなものとして嗤うかしかできませんから。

魂の重力。そして、それと引き換えに見出すことのできる、恩寵。僕には、歌が、恩寵だったはずなのに、どうやらいまは、重力の一部になったようです。恩寵が見えない。さあ、これはどうも間違いのようですがそれがスタート地点でもあるのでしょう。では、どうやって生きおるのか。命題はそこからはじまります。さてさて。

世に言う精神障害者はどうやって生きてゆけるのでしょうかね。誰にも理解できない重力と痛みを纏って。日々、毎分毎秒の時間を過ごすということの具体的肉体的な苦痛を笑顔の下に隠しながら。全くもって、難儀なものです。生きていかなきゃいけないということの意味もわからぬままに。

人生の恩寵、いずくにかあらんことを。

2014年11月30日日曜日

Magik Voices - 音の河 - 海と空の還る場所へ

2014年11月27日、28日。Oddelos関東連合という奇妙な名前を冠する集団による二夜連続公演「Magik Voices」が執り行われた。今、僕は、独り、その2日間を思い返している。得難い夜だった。感慨に耽りつつ、からだのあちらこちらにバクテリアの如く侵食している疲労感を酒で溶かしてしまおう。戦場に駆り出された一般市民。取りも直さず僕らの日常は何も変わることなく続いてゆく。物語の終焉はいつも唐突にやってくる。或いは、唐突であることこそが僕らにとっての唯一の救いなのかもしれない。奇妙な疲労感。ウィスキーのように深く、濃厚で芳醇な愉悦。官能。その心地を少しでも描写できたらと筆をとる僕だが、言葉は本質へと届くことなく、あくまでそれを回避するかのようにグルグルと螺旋わ描き奇妙な言葉の連なりばかりがいまここに綴られてゆく。言葉にできる事など、ほんとうに、ないのだと思う。

どうやら僕は、ほんとうに、音楽というものを信じているらしい。信じているらしいというのは奇妙な言い回しだが、如何せん、僕という人間は、じぶんの有する感覚感情思考思想志向というものをはっきりと把握することのできない人間であるから、ほんとうに実感に根付く言葉を使おうとすると、必ず、伝聞のような言葉になってしまうのだ。じぶんのことなどわかるはずもなし。わかるものなんて、つまらないものだと思う。予想外、想定外、わかると言い切れてしまう安易さを常に裏切り続けなければ精神は硬化してゆくばかりだ。わからないことを悦びたい。常に、じぶんのなかにあるじぶんなる枠組みなど破壊し、世界と自己なるものの境界線を融解させ、絶えず、生成変化してゆくような、例えばそう、南方熊楠が描き出した世界、菌類のような人類、そのようなものを真ん中に据えながら、僕は、僕のなすべきこと、それもまた僕が意識的に知ることのできるようなものではないものへと対峙し続けていきたいと思うのだ。分かる…分かたれたものたちの、還る場所は、何処かに在る、のではなく、常に其処にありながら、常に変容してゆく時空、それ自体なのだから。逃げるのではない仕方で、颯爽と、静かに、深く、己の場所へ還り続けよう。其処には何が見えるかい。僕には、虹色の海月の群れが見えている。虹色の海月を通り抜けて、僕は、意識の深層へ、深く深くダイブする。

武満徹は、音の河という言葉をよく使う。この言葉、最近、つとに、よくわかるようになってきた。音の河。それは、音楽、という言葉が指し示すような一般的な意味での音楽ではない。武満は、日本の雅楽などの音楽を評しながら、その内奥に潜む、所謂西洋的音楽精神では捉えることのできぬ生成変化するプロセスのみで成立する東洋的音楽の在り方を、音の河という言葉でそっと指し示そうと試みた。そう。音は、本来、河なのだと思う。ポール•ヴァレリーが、かつて、言った。批評家は、作品自体を批評するのではない。その、作品を、作品として切り出した、作家のその切断行為、その、断面、その裁断の仕方をこそ批評すべきなのだ、と。これは、武満の云う、音の河、という言葉の指し示す芸術觀によく似たものであろうと思う。つまり、切断する前にあるものは、常に、接続されているということ。世界は、連続するひとつの織物であり、それを裁断するハサミの役割をするのが言葉、例えば、作品、という言葉であるのだということだ。織物ならば、裁断は可能であろう。それは、人間の手によって織られたものであるから。しかし、同じ連続体でも、河を裁断することは出来ない。河は、水の流れそのものであり、水を切ることは出来ず、水は、手ですくえば手のなかにおさまり、宙にほうれば飛び散り、河に帰れば河の一部となる。水に形はない。しかし、水は、絶えず、なんらかの物体、現象によってその場限りのかたちを与えられ、そして、流れてゆく。水は、その意味で、完璧に決められていながら、完全に自由なのである、と言うことを言い始めると、もはやそれは仏教哲学のおはなしである。僕の手には負えないおはなしはここらできりとしましょうか。

兎にも角にも感ずることは、人間の手によって分かたれたものをはじめの前提にすべきではないということ。それはたしかなことのように思える。切断するのはみな人間である。それに従うと、間違える。遠のく。次第に、何から遠のいてしまったのかすら分からなくなる。分かたれてしまうと、分からなくなるのだ。それはよろしくない。あまり利口とは言えない。分かる、ならば、はじめから。分かたれてしまうまえのところをまなざし、分かつべきだ。そこに、人間である、ことを超えた、1人の人間のまなざしがある。僕はそのことにしか興味がないと言ってしまっても言い過ぎではないかもしれない。分かつこと。分かたれてしまうこと。分かつことのできぬもの。分かること。分からぬこと。そのひとつひとつの、やわらかく繊細な人間の息づかいを、僕は、聴きたいのである。

昨晩。僕は、音の河のなかにいられたのだと思う。少なくとも、これまで以上に、遥かに、分かつことなく、水槽ではなく、水、それ自体のなかで、ひとつひとつの音楽というものを、その場で、曲、というものに編み上げながら、うたをうたうことができた。それが、よかった。ライブという時間、空間のなかで、それがなかなかできぬこと、苦しかった。いつも頭を悩ませ、落胆、なぜすぐに線をひいてしまうのか!とじぶんを叱責し続けてきた。しかし、昨日は、すこし、それができた。曲のなかではなく、つまり、音楽というかたちではなく、かたちを含みこむ、音の河、それ自体をライブという時空のなかで感ずること、それが、すこしばかり、できた。あれは、よかった。求めていたのは、あの感じだった。まだまだ下手くそだが、音の河として曲を演じうたうことそれ自体その時空自体を裁断することなく河としてわが身に受け感ずることができるのだということをこの身をもって知ることができた。得難い夜。そして、やはり、その感覚は、伝わるひとには伝わるのだ。言葉はいらない。言葉では、説明できない。ただただ、感じたい。そして、その、感ずるところを、感じていただきたい。そして、その、感ずるところを、だれかの手にゆだねてゆきながら、僕は、すべてのひとびとのなかにある河、音の河と河との出逢い、それらが融和する官能、その先に生まれる新たな河、そうしたものをていねいに、まなざしてゆきたい。井筒俊彦は、世界宗教なるものを、河に喩えていましたな。おなじこと。音の河は、また、宗教の河でもある。どれがホンモノの河であるかなど、ほんとうにどうでもよいことなのに、なぜ、いまだにひとはその正しさを主張し闘い血を流すのか。僕には意味がわからない。そんな愚かな闘いはもうやめにしましょう。正当な正しさではなく、己の魂の河に素直に耳を澄ます。闘いではなく、ひとつひとつの河が澱みなく流れ、分かたれることなく融和し、ひとつの大きな河となり、それが、海へと、ゆきつくように。音の海へ。そこには、空もある。空と海の還る場所。そこには、境界線はなく、曲はなく、音楽なるもの以前の音楽の総体、それはつまり、音楽でなくてもかまわんものとしての音楽があり、音楽以外があり、すべてが、ひとつであるところ。そこまでをまなざしながら、僕は、僕の、音の河を、ただただ、流れに身をまかせ、流れてゆきたいと、思います。

2014年11月17日月曜日

檸檬と皮膚、或いは、羅針盤。

こんがりと揚げられたゲソの唐揚げと共に小さな皿に添えられた檸檬の切り身を友人が囓っていた。檸檬とは囓ることのできるものなのか、僕は目を丸くしてその姿を一瞬眺め、そして、その不躾を恥じた。檸檬の切り身を囓ることくらい、誰にも造作もなかろうに。何を不思議がっておるのか。檸檬と囓るということと、特段、結びつかぬ理由などないではないか。檸檬を囓る友人。とても自然なことなのだ、彼にとっては。それはそれ、これはこれ。自然なことなんて人の数ほど、いや、人の数の中には無数の人がいるので、人のなかにある人の数ほど、それは、或いは、天球の星々の数に及ぶだろう。一体この宇宙空間とやらには、幾つの星があるのだろうか。その数を数学的に知りたいとは思わないが、やはり幾ばくかの興味というものはある。檸檬を囓る人々。この地球には何人くらいいるのだろう。こちらは星の数ほどは気にならぬが、旨そうに檸檬を囓る友人の横顔を眺めていたら、ふと、気にならんではないことだ。檸檬を囓る友人の横顔。

顔は言葉よりも多くを語るものらしい。このところ、わたしの両の目は、必要以上に人間の顔を眺めるために力を注いでおるらしく、それは疲れることでもあるのだが、如何せん、人の顔というものは面白いものである。顔を面白がるなんて失礼な奴め、と、厳格な方々にはともすればお叱りを受けそうな心地もするが、仕方あるまい。人間の顔というものはどれだけ眺めてみても飽きぬものなのだ。これもまたわたしのひとつの自然であり、厳然たる事実なので、お叱りを受けようともやめる気などはさらさらありはしないのである。

顔。眺むることの面白さの多くは、皮膚と眼にあると思う。そればかりではないのだが、要約するならば、焦点はその二つに定められる。顔立ちと顔つきは似て非なるものであり、それらは、人生のはじまりとおわりの双方の両端を黙示録的な暗号化を通して見る者に伝えるものであり、自己では計り知ることのできぬ、その人間の生き様を記し、他者から眺むるに、その人間を推し量るための格好の材料を提示するものであり、ひいては、この、顔、なるものをまなざすことは、他者の生きることのある種の正しさ、いや正しさというと語弊があるのかもしれませぬが、そういう類の、羅針盤のようなものとして計り知るための、そういう類のものなのかもしれないなと思うわけであります。人の顔を見ること、眺むることとは、自分なるものが知り得ぬ自分自身の姿形を通して、その人間の現在から出発して、過去と、これから先歩んでいくことになりそうな可能性としての未来と、そうした時間軸を含めた人間そのものをまなざすことに通ずるものなのだと、近頃のわたしは思うわけであります。だから、人の顔は、とても面白いのです。

愛し合う者たちが互いの顔を見つめ合うのも、おそらくは、そうした、顔の面白みを含んでおるのだとわたしなんかには思われます。それは、愛し合う者たちが、互いの言葉や声だけは計り知ることのできぬ相手の過去から未来という射程の出来事が、顔の、皮膚や、眼、というものに、描かれているからだと思うのです。そんなことは気にしておられぬ方々がほとんどだと思いますが、顔を見たい、顔を見せる、ということが、じぶんはどうにか元気で生きているということを相手に伝えるための最もよい手段だとみなが信じていることと、このこととは、おそらくは、通じているのだと思います。顔には過去と未来が描かれております。だから、彫刻家は、顔を掘るのです。掘ることなく、その対象の顔を石膏の型にはめ込んで、石膏を流し込んで固めてしまえば、現在の顔に瓜二つの顔が出来上がるでしょうが、それでは、ダメなのです。そうして拵えた顔には、現在の物質としての顔しか、彫り込まれておりませんから。顔には、眼差しを与える他者が必要なのであります。見ること、見られることを通して、顔は、ようやく、時間を持ち、息をし始め、未来を語り始めるのです。だから、掘るのでしょう。私はあなたの顔をこのように見ておりますよ、と、掘るのでしょう。言葉には出来ませぬからね。掘るのです。そうして他者の顔を掘ることは、愛のあることだなあと思うわけです。愛がなければ、人間の顔には、現在しか映りませんから。だから彫刻家は掘るのです。たぶん。そして、だから、愛し合う二人は、互いの顔と顔を向け合わせ、時に、顔と顔の最もやわらかいところ、唇を重ね合わせ、互いの顔のあることを、そして、互いの顔の、これからも変わってゆくやわらかさのあることを、そっと、顔で、確かめあうのでしょう。わたしは勝手な事ばかり言いますね。ははは。わたしは、あなたの顔を見ることが好きであります。あなたの顔を、どうかわたしだけにそっと、見せてやってはくださらぬでしょうか。ははは。

2014年11月15日土曜日

物語「鏡像空間紀行」第一章

目を開けると、僕の目の前には、一つの扉があった。ピカピカに磨かれたシルバーの扉は全面鉄製で、ドアノブも含めて、全てが銀色の輝きを放っていた。シルバーメタリック。子供の頃流行ったミニ四駆、車体に穴をあけメッシュを貼り付け、モーターを改造し、二段構えのローラーを備え付けることでコーナリングをスムーズに行えるよう配慮し、ミニチュアサーキットを走る幾つもの車体の中で最も目立つ色をスプレーで塗装する。僕のマシンは、ビーク•スパイダー。蜘蛛をモチーフに作られた車体の先端部分は二股に鋭く尖り、見るものを威嚇する。僕はその車体に、ブルーメタリックのスプレーを照射した。ブラックのボディは見る見るうちにブルーメタリックの霧に覆われてゆく。光り輝く青を身に纏う蜘蛛のマシン。たまらなくかっこいいと思った。この扉の色と輝きは、今は亡き、あのマシンを僕の脳裏にイメージさせた。

僕はドアノブを右手でそっと握り、ガチャリと音がする方向へゆっくりと、しかし、完全に回し切った。ドアノブは滑らかな手触りを僕の右手に伝え、この先にある場所へ足を踏み入れるための勇気をそっと差し出してくれた。

シルバーメタリックのドアノブを回し、シルバーメタリックのドアを向こう側へと押し込むと、ドアの向こう側の空間が見えた。僕は迷わずそこに足を踏み入れた。扉を後ろ手に閉めて、空間を見渡す。奇妙な風景が広がっていた。半球体状の鏡が無数に敷き詰められていた。一つ一つの鏡は奇妙に歪み、バラバラの大きさで加工され、接続されていた。空間の全容を把握することはできない。それは余りにも巨大な空間であり、壁などによって仕切られた部屋なのか、無限に広がる宇宙のような場所なのか、それさえも僕には判断することができなかった。ひとまず僕の目に映るのは、奇妙に歪められ接続された半球体の鏡の群が織りなす巨大な鏡の反転空間であった。大きさのまばらなそれらの鏡は、僕の頭上から両側面にかけてびっしりと隙間なく埋め込まれ、全体としてそれを眺めると、ボコボコとした鏡の群がひとつの巨大な蜂の巣の内部のように見えてきた。ここは一体何処だ。僕の脳内には奇妙な鏡に映し出される無数の自分の歪んだ鏡像と、この空間の意味に対する疑問符とが交互にめまぐるしく立ち現れた。