2014年12月9日火曜日

Dancer In The Dark

これは最後から二番目の歌 それだけのことよ

ビョークが歌っていた。
映画の中で。
それだけのこと。
それだけのことが、
この上ない救いだった。

何年も前から、
観るべきときがわからずにいた。

今宵が、そのときだった。

少女のように無垢で、
老婆のように傷ついて、
闇のように何かを見つめて、
光のように無邪気に微笑んで、

ビョークが歌っていた。

これは最後から二番目の歌。
それだけのことよ。

最後から二番目の歌で会場を出てしまえば、
ミュージカルは終わらない。

永遠に続いてゆく。
ミュージカルは、永遠に続いてゆく。

例えば、首を吊られても。
例えば、息絶えたとしても。

ミュージカルは終わらない。
永遠に終わらない。

この夜のための映画。
息ができる。
歌えそうだ。

最後から二番目の歌。
それだけのことよ。

そう、
それだけのことよ。

2014年12月8日月曜日

重力と恩寵

かつてシモーヌ•ヴェイユが書いた『重力と恩寵』という書の内容についてはあらかた忘れてしまったが、この書のタイトルはこの先も忘れることはなさそうな気がしている。重力と恩寵。ヴェイユがこの二つの言葉とその連関にどのような想いを込めたのかは忘れたまま、僕はいま、僕にとっての重力と恩寵について想いを馳せている。それは、僕にとっての重力の圧迫感から少しでも這い出ようとする僕の賢明な、そして、愚鈍なやり口のひとつとして、こうして言葉を羅列することが幾ばくかの意味を持つことを知っている、あるいは予感している、少なくとも、期待しているからだ。

2014年11月は既に過ぎ去り、過去となった。しかし、僕の魂はいまだ11月の過去のなかに取り残されたままのようだ。12月に入ってから、僕にとっての時間の流れは一変してしまった。毎日がほんの一瞬で走り去る。なんの記憶も手触りも残らぬ日々が既に一週間ほど通過した。覚えているのは、カレンダーに書き込まれた予定の痕跡と、僕に少なからぬ感動を与えてくれた類の出来事だけである。それらは、断片化されたパズルのピースのような、幾ばくかの色彩と形と手触りを僕に与えてくれるが、そのピースの全体像をピースから判読することはできず、ひとつひとつのピースが、まるで一夜の夢のような蒙昧さを以って僕の脳裏を時々かすめるばかりである。流れ星のような過去。漆黒の空は一瞬の間煌き、そしてまた、夜の闇に呑み込まれて消える。

11月という月を、僕は、「シンガーソングライターとして生きる」実験のためのひと月と決めていた。僕は、歌を唄うし、曲を書いたりもするが、自分が「シンガーソングライターである」という意識を持ったことが一度もない。「シンガーソングライターである」とはどういうことなのか、僕にはよくわからない。少なくとも、僕は単なる僕であり、僕の一つの営みとして自然と、歌うことがないと落ち着かないからなんとなく歌を唄うことを結果として続けてきただけである。人様に聞かせる気もさらさらなく、歌を唄う。そもそも、人前に出ることが苦手だし嫌いなのだ僕は。だって、人前に出るのは疲れるから。それだけの理由である。あるいは、人前にでて、人様の貴重な時間を割いていただいてまで自分のうたや演奏などを聴いてほしいなどとは露も思わぬ僕は、たぶん、欲求レベルで、あるいは生理的なレベルで、「シンガーソングライター」として落第であろうと思う。別に自分の音楽を聴いてほしいなどとはいまだにたいして思ってないし思えない。みんななんで思えるのだろう。というか思うのだろう。聴いてもらったら、何が起きるのだろう。褒められるのだろうか。ありがとうと言われるのだろうか。何を求めて人は他人に向けて歌を唄うのだろう。いまだに僕にはわからない。この先もわからないままなのかもしれない。

そんな僕だが、この一年間の間に、いろんな人々に出逢い、いろんな物事に出逢い、出来事に出逢い、そのなかで、ひとり、閉じこもっていた世界から引き摺り出されたわけで、それは、ほんとうに、心から感謝しています。ほんとうに。そのおかげで、僕は、これまで26年間わからずにいた、自分の人生の筋というか、朧げながらも歩む道というか、自分の腑に落ちる行為というか関係というか、兎にも角にも、自分の、自分たる生き方のひとつの展望がひらけたような心持ちであります。この一年間があってよかった。心の底から思う。こんな一年間は他にはなかった。心の底から思う。感謝が溢れて溢れて、とめどない。有り難い。ほんとうに、有り難いとは、有り難いことなのだと思う。その、一年間の感謝の意味を、ひとつの行為に集約して届けるために、僕は、どうしようもなく、歌を唄うという己を包み隠さずみなさまにお見せしたかったわけであります。だから、11月は、「シンガーソングライターである」ことを選択し、パフォーマンスとして、というとすこし平べったい言い方ですが、僕は、いまの自分にできる、舞台での歌の最大限を引き摺り出す術を学ぶため、ステージに立ち続けたわけであります。その最後が、28日でした。見に来ていただいた方々に、どのように映ったのかは知りません。が、少なくとも、僕は、今年一年間の粋をすべてぶち込み、綺麗に整えることも、藝術のなるたるか表現のなんたるか、音楽的美学のなんたるかをすべてシカトし、ただただ、あらんかぎり、爆発させました。その意味では、現在地点の自分のパフォーマンスとして、僕は、自分に、人生で初めての花マルを送りたい気持ちでした。よくやった俺。がんばったな俺。そう素直に思えたのは、今までの人生で初めてのことかもしれませんね。いや、どうだろう。わからんけど。

そんな夜が、終わりました。そして、ある種の予感とともに発言していましたが、ある意味で、僕はあの夜に死にました。生命活動を絶ったわけではもちろんありませんが、あそこに向けて収斂させるなかで、僕は、たぶん、多くのものを犠牲にしたようです。いま、僕は、唄うことがあまり楽しくありません。ギターもさほど楽しくありません。つまりは、それほどまでに限界に向けて一挙に収斂させてしまったということでしょう。「シンガーソングライター」として己の強度を深めつつ洗練させることは、僕にとって、かなりのエネルギーを使うことだったようです。そして、放出し、僕は、いま、空っぽになりました。代償としての生臭い疲労感を身体の隅々にびっしりと敷き詰めて。

時折、死んでしまいたいと思うことがあります。もちろん、死んでしまうつもりはありません。ただ、ふっと、思うだけです。それは、いろいろな質感をもつ死んでしまいたいであります。兼ねてより僕は、還りたいという想いを持っていましたし、それは、死ぬこととはたぶん違う感覚で、より、自然な感覚で、特に、ネガティブな感情のないものです。11歳。人間はみんなバラバラで、みんな、ほんとうに、孤独なのだと知ってから、僕は、空ばかり見ていたような気がします。空と海とを分かつ境界線。そこにひとつの絶対的な絶望と失望を感じてきました。分かたれているということへの怨念は、この15年間、常にどこかにあったのかもしれません。分かたれているのは、どうしてなのか。それを知りたくて、そして、ほんとうには分かたれてないはずだろうと切に思いながら、いや、望みながら、僕は、歌というものに魅せられてきました。歌うことは、還ることそのものだったのです。それは、一瞬でも、たしかに、この身体の境界線を超えでて、空へとこの身を溶かし出すための、僕の、たったひとつの方法でした。だから歌ってきた、そういうことでしかないように思います。

その、還るための歌を、僕は、扱う人間として自分を位置付けてみたわけです。そして、それは現在地点における臨界点へと至り、そして、僕はボロボロに疲れ果ててしまったようです。扱うという類のものではないことを扱う対象としてしまうことは必ず破綻を招くこと、どこかで知っていたのでしょう。だから、僕は、このライブだけは見てほしかったのだし、このライブを終えたらある意味では死ぬということを予言していたわけです。僕の予言はどうやら的中したようです。

いま、この身体のなかに無数の重力を感じています。歌うことで僕はこの身体の輪郭線を保ってきたが、どうやら、いまはそれが機能しないのです。僕の身体と心は無数の方向へ向かうベクトルによってひしゃげています。内側へ向かう具体的な痛みと圧力。これはたぶんブラックホールとおなじ原理でしょう。惑星は自身の重力に押しつぶされてブラックホールとなります。いまの僕の状況は、まさに、そんな惑星一歩手前なのでしょう。潰されかけている。魂の重力。そういう種類の力がこの世にはあります。それは歴然と。しかし、大抵は理解されないものですから、仕方ありません。アイム ア クレイジーメンという事でしか世の中は片付けます。世の中は、理解のできないものを、なきものとするかおかしなものとして嗤うかしかできませんから。

魂の重力。そして、それと引き換えに見出すことのできる、恩寵。僕には、歌が、恩寵だったはずなのに、どうやらいまは、重力の一部になったようです。恩寵が見えない。さあ、これはどうも間違いのようですがそれがスタート地点でもあるのでしょう。では、どうやって生きおるのか。命題はそこからはじまります。さてさて。

世に言う精神障害者はどうやって生きてゆけるのでしょうかね。誰にも理解できない重力と痛みを纏って。日々、毎分毎秒の時間を過ごすということの具体的肉体的な苦痛を笑顔の下に隠しながら。全くもって、難儀なものです。生きていかなきゃいけないということの意味もわからぬままに。

人生の恩寵、いずくにかあらんことを。

2014年11月30日日曜日

Magik Voices - 音の河 - 海と空の還る場所へ

2014年11月27日、28日。Oddelos関東連合という奇妙な名前を冠する集団による二夜連続公演「Magik Voices」が執り行われた。今、僕は、独り、その2日間を思い返している。得難い夜だった。感慨に耽りつつ、からだのあちらこちらにバクテリアの如く侵食している疲労感を酒で溶かしてしまおう。戦場に駆り出された一般市民。取りも直さず僕らの日常は何も変わることなく続いてゆく。物語の終焉はいつも唐突にやってくる。或いは、唐突であることこそが僕らにとっての唯一の救いなのかもしれない。奇妙な疲労感。ウィスキーのように深く、濃厚で芳醇な愉悦。官能。その心地を少しでも描写できたらと筆をとる僕だが、言葉は本質へと届くことなく、あくまでそれを回避するかのようにグルグルと螺旋わ描き奇妙な言葉の連なりばかりがいまここに綴られてゆく。言葉にできる事など、ほんとうに、ないのだと思う。

どうやら僕は、ほんとうに、音楽というものを信じているらしい。信じているらしいというのは奇妙な言い回しだが、如何せん、僕という人間は、じぶんの有する感覚感情思考思想志向というものをはっきりと把握することのできない人間であるから、ほんとうに実感に根付く言葉を使おうとすると、必ず、伝聞のような言葉になってしまうのだ。じぶんのことなどわかるはずもなし。わかるものなんて、つまらないものだと思う。予想外、想定外、わかると言い切れてしまう安易さを常に裏切り続けなければ精神は硬化してゆくばかりだ。わからないことを悦びたい。常に、じぶんのなかにあるじぶんなる枠組みなど破壊し、世界と自己なるものの境界線を融解させ、絶えず、生成変化してゆくような、例えばそう、南方熊楠が描き出した世界、菌類のような人類、そのようなものを真ん中に据えながら、僕は、僕のなすべきこと、それもまた僕が意識的に知ることのできるようなものではないものへと対峙し続けていきたいと思うのだ。分かる…分かたれたものたちの、還る場所は、何処かに在る、のではなく、常に其処にありながら、常に変容してゆく時空、それ自体なのだから。逃げるのではない仕方で、颯爽と、静かに、深く、己の場所へ還り続けよう。其処には何が見えるかい。僕には、虹色の海月の群れが見えている。虹色の海月を通り抜けて、僕は、意識の深層へ、深く深くダイブする。

武満徹は、音の河という言葉をよく使う。この言葉、最近、つとに、よくわかるようになってきた。音の河。それは、音楽、という言葉が指し示すような一般的な意味での音楽ではない。武満は、日本の雅楽などの音楽を評しながら、その内奥に潜む、所謂西洋的音楽精神では捉えることのできぬ生成変化するプロセスのみで成立する東洋的音楽の在り方を、音の河という言葉でそっと指し示そうと試みた。そう。音は、本来、河なのだと思う。ポール•ヴァレリーが、かつて、言った。批評家は、作品自体を批評するのではない。その、作品を、作品として切り出した、作家のその切断行為、その、断面、その裁断の仕方をこそ批評すべきなのだ、と。これは、武満の云う、音の河、という言葉の指し示す芸術觀によく似たものであろうと思う。つまり、切断する前にあるものは、常に、接続されているということ。世界は、連続するひとつの織物であり、それを裁断するハサミの役割をするのが言葉、例えば、作品、という言葉であるのだということだ。織物ならば、裁断は可能であろう。それは、人間の手によって織られたものであるから。しかし、同じ連続体でも、河を裁断することは出来ない。河は、水の流れそのものであり、水を切ることは出来ず、水は、手ですくえば手のなかにおさまり、宙にほうれば飛び散り、河に帰れば河の一部となる。水に形はない。しかし、水は、絶えず、なんらかの物体、現象によってその場限りのかたちを与えられ、そして、流れてゆく。水は、その意味で、完璧に決められていながら、完全に自由なのである、と言うことを言い始めると、もはやそれは仏教哲学のおはなしである。僕の手には負えないおはなしはここらできりとしましょうか。

兎にも角にも感ずることは、人間の手によって分かたれたものをはじめの前提にすべきではないということ。それはたしかなことのように思える。切断するのはみな人間である。それに従うと、間違える。遠のく。次第に、何から遠のいてしまったのかすら分からなくなる。分かたれてしまうと、分からなくなるのだ。それはよろしくない。あまり利口とは言えない。分かる、ならば、はじめから。分かたれてしまうまえのところをまなざし、分かつべきだ。そこに、人間である、ことを超えた、1人の人間のまなざしがある。僕はそのことにしか興味がないと言ってしまっても言い過ぎではないかもしれない。分かつこと。分かたれてしまうこと。分かつことのできぬもの。分かること。分からぬこと。そのひとつひとつの、やわらかく繊細な人間の息づかいを、僕は、聴きたいのである。

昨晩。僕は、音の河のなかにいられたのだと思う。少なくとも、これまで以上に、遥かに、分かつことなく、水槽ではなく、水、それ自体のなかで、ひとつひとつの音楽というものを、その場で、曲、というものに編み上げながら、うたをうたうことができた。それが、よかった。ライブという時間、空間のなかで、それがなかなかできぬこと、苦しかった。いつも頭を悩ませ、落胆、なぜすぐに線をひいてしまうのか!とじぶんを叱責し続けてきた。しかし、昨日は、すこし、それができた。曲のなかではなく、つまり、音楽というかたちではなく、かたちを含みこむ、音の河、それ自体をライブという時空のなかで感ずること、それが、すこしばかり、できた。あれは、よかった。求めていたのは、あの感じだった。まだまだ下手くそだが、音の河として曲を演じうたうことそれ自体その時空自体を裁断することなく河としてわが身に受け感ずることができるのだということをこの身をもって知ることができた。得難い夜。そして、やはり、その感覚は、伝わるひとには伝わるのだ。言葉はいらない。言葉では、説明できない。ただただ、感じたい。そして、その、感ずるところを、感じていただきたい。そして、その、感ずるところを、だれかの手にゆだねてゆきながら、僕は、すべてのひとびとのなかにある河、音の河と河との出逢い、それらが融和する官能、その先に生まれる新たな河、そうしたものをていねいに、まなざしてゆきたい。井筒俊彦は、世界宗教なるものを、河に喩えていましたな。おなじこと。音の河は、また、宗教の河でもある。どれがホンモノの河であるかなど、ほんとうにどうでもよいことなのに、なぜ、いまだにひとはその正しさを主張し闘い血を流すのか。僕には意味がわからない。そんな愚かな闘いはもうやめにしましょう。正当な正しさではなく、己の魂の河に素直に耳を澄ます。闘いではなく、ひとつひとつの河が澱みなく流れ、分かたれることなく融和し、ひとつの大きな河となり、それが、海へと、ゆきつくように。音の海へ。そこには、空もある。空と海の還る場所。そこには、境界線はなく、曲はなく、音楽なるもの以前の音楽の総体、それはつまり、音楽でなくてもかまわんものとしての音楽があり、音楽以外があり、すべてが、ひとつであるところ。そこまでをまなざしながら、僕は、僕の、音の河を、ただただ、流れに身をまかせ、流れてゆきたいと、思います。

2014年11月17日月曜日

檸檬と皮膚、或いは、羅針盤。

こんがりと揚げられたゲソの唐揚げと共に小さな皿に添えられた檸檬の切り身を友人が囓っていた。檸檬とは囓ることのできるものなのか、僕は目を丸くしてその姿を一瞬眺め、そして、その不躾を恥じた。檸檬の切り身を囓ることくらい、誰にも造作もなかろうに。何を不思議がっておるのか。檸檬と囓るということと、特段、結びつかぬ理由などないではないか。檸檬を囓る友人。とても自然なことなのだ、彼にとっては。それはそれ、これはこれ。自然なことなんて人の数ほど、いや、人の数の中には無数の人がいるので、人のなかにある人の数ほど、それは、或いは、天球の星々の数に及ぶだろう。一体この宇宙空間とやらには、幾つの星があるのだろうか。その数を数学的に知りたいとは思わないが、やはり幾ばくかの興味というものはある。檸檬を囓る人々。この地球には何人くらいいるのだろう。こちらは星の数ほどは気にならぬが、旨そうに檸檬を囓る友人の横顔を眺めていたら、ふと、気にならんではないことだ。檸檬を囓る友人の横顔。

顔は言葉よりも多くを語るものらしい。このところ、わたしの両の目は、必要以上に人間の顔を眺めるために力を注いでおるらしく、それは疲れることでもあるのだが、如何せん、人の顔というものは面白いものである。顔を面白がるなんて失礼な奴め、と、厳格な方々にはともすればお叱りを受けそうな心地もするが、仕方あるまい。人間の顔というものはどれだけ眺めてみても飽きぬものなのだ。これもまたわたしのひとつの自然であり、厳然たる事実なので、お叱りを受けようともやめる気などはさらさらありはしないのである。

顔。眺むることの面白さの多くは、皮膚と眼にあると思う。そればかりではないのだが、要約するならば、焦点はその二つに定められる。顔立ちと顔つきは似て非なるものであり、それらは、人生のはじまりとおわりの双方の両端を黙示録的な暗号化を通して見る者に伝えるものであり、自己では計り知ることのできぬ、その人間の生き様を記し、他者から眺むるに、その人間を推し量るための格好の材料を提示するものであり、ひいては、この、顔、なるものをまなざすことは、他者の生きることのある種の正しさ、いや正しさというと語弊があるのかもしれませぬが、そういう類の、羅針盤のようなものとして計り知るための、そういう類のものなのかもしれないなと思うわけであります。人の顔を見ること、眺むることとは、自分なるものが知り得ぬ自分自身の姿形を通して、その人間の現在から出発して、過去と、これから先歩んでいくことになりそうな可能性としての未来と、そうした時間軸を含めた人間そのものをまなざすことに通ずるものなのだと、近頃のわたしは思うわけであります。だから、人の顔は、とても面白いのです。

愛し合う者たちが互いの顔を見つめ合うのも、おそらくは、そうした、顔の面白みを含んでおるのだとわたしなんかには思われます。それは、愛し合う者たちが、互いの言葉や声だけは計り知ることのできぬ相手の過去から未来という射程の出来事が、顔の、皮膚や、眼、というものに、描かれているからだと思うのです。そんなことは気にしておられぬ方々がほとんどだと思いますが、顔を見たい、顔を見せる、ということが、じぶんはどうにか元気で生きているということを相手に伝えるための最もよい手段だとみなが信じていることと、このこととは、おそらくは、通じているのだと思います。顔には過去と未来が描かれております。だから、彫刻家は、顔を掘るのです。掘ることなく、その対象の顔を石膏の型にはめ込んで、石膏を流し込んで固めてしまえば、現在の顔に瓜二つの顔が出来上がるでしょうが、それでは、ダメなのです。そうして拵えた顔には、現在の物質としての顔しか、彫り込まれておりませんから。顔には、眼差しを与える他者が必要なのであります。見ること、見られることを通して、顔は、ようやく、時間を持ち、息をし始め、未来を語り始めるのです。だから、掘るのでしょう。私はあなたの顔をこのように見ておりますよ、と、掘るのでしょう。言葉には出来ませぬからね。掘るのです。そうして他者の顔を掘ることは、愛のあることだなあと思うわけです。愛がなければ、人間の顔には、現在しか映りませんから。だから彫刻家は掘るのです。たぶん。そして、だから、愛し合う二人は、互いの顔と顔を向け合わせ、時に、顔と顔の最もやわらかいところ、唇を重ね合わせ、互いの顔のあることを、そして、互いの顔の、これからも変わってゆくやわらかさのあることを、そっと、顔で、確かめあうのでしょう。わたしは勝手な事ばかり言いますね。ははは。わたしは、あなたの顔を見ることが好きであります。あなたの顔を、どうかわたしだけにそっと、見せてやってはくださらぬでしょうか。ははは。

2014年11月15日土曜日

物語「鏡像空間紀行」第一章

目を開けると、僕の目の前には、一つの扉があった。ピカピカに磨かれたシルバーの扉は全面鉄製で、ドアノブも含めて、全てが銀色の輝きを放っていた。シルバーメタリック。子供の頃流行ったミニ四駆、車体に穴をあけメッシュを貼り付け、モーターを改造し、二段構えのローラーを備え付けることでコーナリングをスムーズに行えるよう配慮し、ミニチュアサーキットを走る幾つもの車体の中で最も目立つ色をスプレーで塗装する。僕のマシンは、ビーク•スパイダー。蜘蛛をモチーフに作られた車体の先端部分は二股に鋭く尖り、見るものを威嚇する。僕はその車体に、ブルーメタリックのスプレーを照射した。ブラックのボディは見る見るうちにブルーメタリックの霧に覆われてゆく。光り輝く青を身に纏う蜘蛛のマシン。たまらなくかっこいいと思った。この扉の色と輝きは、今は亡き、あのマシンを僕の脳裏にイメージさせた。

僕はドアノブを右手でそっと握り、ガチャリと音がする方向へゆっくりと、しかし、完全に回し切った。ドアノブは滑らかな手触りを僕の右手に伝え、この先にある場所へ足を踏み入れるための勇気をそっと差し出してくれた。

シルバーメタリックのドアノブを回し、シルバーメタリックのドアを向こう側へと押し込むと、ドアの向こう側の空間が見えた。僕は迷わずそこに足を踏み入れた。扉を後ろ手に閉めて、空間を見渡す。奇妙な風景が広がっていた。半球体状の鏡が無数に敷き詰められていた。一つ一つの鏡は奇妙に歪み、バラバラの大きさで加工され、接続されていた。空間の全容を把握することはできない。それは余りにも巨大な空間であり、壁などによって仕切られた部屋なのか、無限に広がる宇宙のような場所なのか、それさえも僕には判断することができなかった。ひとまず僕の目に映るのは、奇妙に歪められ接続された半球体の鏡の群が織りなす巨大な鏡の反転空間であった。大きさのまばらなそれらの鏡は、僕の頭上から両側面にかけてびっしりと隙間なく埋め込まれ、全体としてそれを眺めると、ボコボコとした鏡の群がひとつの巨大な蜂の巣の内部のように見えてきた。ここは一体何処だ。僕の脳内には奇妙な鏡に映し出される無数の自分の歪んだ鏡像と、この空間の意味に対する疑問符とが交互にめまぐるしく立ち現れた。


2014年11月14日金曜日

透明な水槽 心の膜 と 樹々の歌

何かに呼ばれるように、ガットギターをケースに詰め込み、夜の森へと向かった。お決まりの演奏場所。お決まりの樹々。オレンジ色の蛍光灯が、大きな蛍のように灯っている。いつも通りの夜、井の頭公園。お決まりのベンチに腰掛けて、煙草に火をつけた。深く煙を吸い込んで、タコのように唇と尖らせて、煙を吐き出した。満遍なく満ちた夜の気配に身体と心を沈めて。固くなった自分の気配を溶かしていた。

そっと、ギターをケースから取り出して、ジャランと音を鳴らす。どうも、聴こえが悪い。いつの間にやら僕は、ライブハウスで演奏するための音しか鳴らすことができなくなっていた。綺麗に整った音は、森の樹々の気配には馴染まず、ただ、音が音としてだけ、僕の前にポツリと浮かび、地に落ちた。これは、やっぱり、ちがうなあ。

マイクの前に座り、わざわざ演奏を聴きに来た有り難いお客さんに向けて、歌を唄う日々が、いつの間にやら、僕を歌から遠ざけていたことを知った。

僕の大好きな音を奏でる友人は、ライブハウスでライブをすると、そのモードに切り替わると、野原で演奏できなくなると話していた。僕にはとてもよくわかる話だった。僕も、このところ、そんなふうになっていた。樹々に向かって歌うことが僕のほんとうなのに、僕は、樹々に向けて歌を唄えなくなっていた。それがなぜなのか、よくわからなかったし、今でも、よくわからない。ただ、ライブハウスを含めた、演奏するための舞台に立ち続ける日々が、僕にとっての自然さから僕を遠ざけたことだけは、まごうことなき事実なのだった。固くなる身体、心。固くなる、歌、音。音楽が死んでいた。

音楽は、何処に向けて、奏でられるべきなのだろう。近頃、その事をよく考える。そして、その度に、答えは見つからぬまま、問いは宙へと消えてゆく。

ミュージシャンはお客さんに向けて音楽を演奏するのだ、という事実は、現象としては正しいが、ほんとうにそうなのか、僕にはよくわからない。ただ、僕には、お客さんに向けて演奏をするということの意味がわからないのかもしれない。うまく説明できないのだが、お客さんに向けて演奏するという、心のベクトルを向けるとき、僕にとっての音楽は死ぬのである。心を差し向けた瞬間に、驚くほど一瞬で、死ぬのである。これが何故かはわからない。しかし、音楽が死んだ瞬間を肌で感じる。音楽が、死骸となって、もはや音楽ではない現象としての音?なるものとして宙に舞い、地面に落下することを眺める覚めた?冷めた?醒めた?自分のいることは、よくわかる。もはや、音楽が楽しいとかそんな事すら忘れてしまうほどに、僕の演奏はかつてと比べて「上手くなってしまった」のだな、と、この前、高円寺の行きつけのカフェギャラリーで演奏したときに気づいた。

そのカフェギャラリーは、僕の音楽の一つの故郷である。僕はその場所で、はじめて、見知らぬ誰かと共に音楽のなかに生きることのできることを知った。誰かに向けて、ではなく、誰かと共に音楽のなかに生きていること、誰かと共に音楽が生きていること、そうしたことができるのだということを学んだ。だから僕は、ひとりぼっちだった自分の音楽を誰かの前にさしだしてみたいという気持ちを持ったのだった。

その、僕の、故郷が、気づけば、僕の音楽にそっぽを向いていた。先日、その店で音を鳴らしたとき、ひやりとした。一音鳴らして、僕は、もう音を鳴らしたくないと思ってしまった。いや、正確には、音を鳴らすことが怖いと思ってしまった。あれほど自由に出てきていたメロディも潰え、口を開いても、どのように歌えばいいのかわからず、僕は、逃げ出したくなった。あんなにも、親密な場所だったのに、どうして。不安は膨らみ、ついには演奏をやめてしまった。僕は、自分に失望した。僕の音楽は、もはやここでは生きられないのだ、と、涙が出そうになった。

僕の演奏は、実際のところ大した技巧などはないヘタクソなものなのだが、それでも数ヶ月前より格段に上手くなった。音が精密に聴き取れるようになり、出したい音を出せるようになった。歌も、上手くなった。数々のメロディと声色と質感を使い分けられるようになった。どのように聴き手に届けるべきか、どのようにパッケージングすべきか、すぐさま判断できるようになり、音楽としてのクオリティは高くなった。それは間違いない。そして、だから、僕の音楽は、死んだのである。

上手いこと、綺麗なこと、が、すぐさま間違っているのではもちろんないし、それ自体は、よいことであると思う。ただ、上手くなること、綺麗になること、で、こぼれ落としてしまうものがあるのだということをこれほど実感したのははじめてだった。こぼれおとす、というか、息の根を止める、ということが起こりうるのだということ。技術は、音楽を生かしながら活かさなければならない、技術は容易に音楽を殺してしまうのだということに、僕は気づかぬまま、上手くなってしまったようだ。だから、あの店、あの場では、歌えない。死んでいる音楽の姿を、あの人には晒せない。僕は、少々、間違えた道をこの数ヶ月で歩んでしまったらしい。

もう一度、生きている音と生きなければ、そう思った。歌うことでしかうまく呼吸のできない自分は、死んでしまった音楽のなかで、具体的な現象として死にかけていた。息がうまくできない。歌いたくない。音が出したくない。だから、詩を書き、絵を描き、物語や文を綴り、やり過ごしていた。歌ほどではないにせよ、それらもまた、僕に、息の仕方を教えてくれるものたちだから。

あの日の音楽のなかへ帰るために、僕は、森へ行った。窒息しかけの水槽の中の鑑賞用熱帯魚に成り果てた自分の身体と心。樹々は変わらず受け止めてくれた。そして、少しずつ、ゆっくりと時間をかけて、水槽のガラスを壊し始めた。声も音も、はじめは、内側へ響かなかった。声が遠くに聴こえた。耳に白い膜がはっているように感じられ、音楽にふれることができなかった。誰かに向けた音楽は、僕のなかに響く生きた音楽ではなかったのだ。白い膜はなかなか脱げなかったが、少しずつ、耳の形が露わになってきた。声が、音が、聴こえはじめた。音楽が呼吸しはじめた。僕が呼吸しはじめた。るるる。身体のなかに音が響きはじめた。ららら。音楽が回転しはじめた。ろろろ。手放してしまっても音は勝手に鳴るのではないかギター りりり。音、回る。るるる。音楽、生きている るるる。もう膜は消えた ららら。歌、飛びだす 突き抜ける 閃光 夜を串刺しにする るるる。ああ、自由だ。どんなことをしてもひとつの音楽だ りりり。れれれ。みー。音楽が生きている音楽が生きている音楽が生きている音楽が生きている僕が生きているるるるるるる。

忘れていた感覚官能。音楽は生き物だったのに僕が殺した。マイクはいらない。聴衆もいらない。舞台もいらない。少なくとも僕のほんとうの場所にそれらは不要だ。邪魔になる。僕と僕以外を隔てる輪郭線。そこにある、白い膜。さらに構築された透明な水槽。僕は、壊し続けなければならない、水槽を。そして、抗い続けなければならない、白い膜へ。境界、輪郭、線、分け隔てるものへ。透過するのが、音楽である。音楽ほど、それを透過できるものはない。だから僕は音楽なのだろう。それしかないのだろう。

水槽はバラバラに砕け散り、白い膜は、少し、ネバネバとこの身にとりついている。でも、息ができる。よかった。ここが、僕の場所。僕の還る場所。忘れてしまわないように、何度でも、還ろう。音楽の生きている場所へ。


エッセイ「台風の目」

ぎしりぎしりと音がするのである。錆びついた鉄と鉄とをこすりあわせるかのような、鈍い、音がするのである。軋みをあげる骨や肉や筋、奇妙に歪んだ臓物、平衡を保つ事さえ叶わぬ顔と腰と。わたしを織り成す物、皆、ガラクタと成り果ててしまったのである。

具に観察セヨ。
マダ私に、何ガ残ッテイルトイウノカ。

軋みあげて踊り狂うことでしか生存の本能さえも放棄せんとする我が身の不自由を嘆くとも分かち合うことのできぬ事柄への寂寥の念を唯深め、己の心の臓の鼓動の唯一定に打ちつける音を独り聴くのである。

かなしくて泣く事さえも忘れてしまう。
かなしくて泣くのではなくて、
両の眼から涙の粒をポロポロと零してみるとことで、
ようやく、悦びを感ずる事が出来るのである。
即ち、涙とは、悦びを逆照射するメランコリーの太陽なのである。
そう言い切ってしまいたい慾望を一旦制止するとしても、はてさて、近頃のわたしは泣かなくなった。一応は、男で御座いますから、それもまた当然でしょう。昔のわたしは、それはもう、毎日のように泣いておりました。泣く事が唯一の仕事なのではなかろうかと思えてしまうほどに、毎日、毎日、泣いておりました。何がそんなにかなしくて、泣いていたというのか、近頃のわたしにはまるでわかりませぬが、兎にも角にも、泣く事でしか、何事をも解決することができなかったのでしょう。どれだけ我慢をしてみても、目頭が熱くなり、沸騰寸前のヤカンのように赤く染まった顔をぐしゃりとつぶし、啜りあげるように泣くのである。なんとも、おかしなことです。泣いたとて、何も変わりゃあせんのだよ、無くしたものは戻らぬのだよ、と、いまのわたしならば言ってやりたくなりますが、言ったところで無意味でしょう。泣きたかったのでしょうから。兎にも角にも。

幸福のど真ん中にあるとき、人は、どうやら、涙を流すことすら、忘れてしまうようです。この事をわたしは、ようやく、学びました。ど真ん中は、静かなのですね。ちょうど、台風の目のようなものです。幸福は、渦を巻くのであります。そして、それは、移動しながら、また、何処か遠くへと消えてゆくのです。必ずや、消えてゆくのです。永遠なる台風などありはしないように。

幸福を望んでいたときもありました。それは、おそらく、夢というものだったのでしょう。夢を見ていたのです。幸福の賛歌。揺るがぬものへの憧れ。未だに完全に消え失せたとは言い難いもので、それは魅惑する美女の有り様のようなもので御座いますが、既にしてわたしという人間は、そのような美の在り方に素直に首を垂れるほどには素朴なままではいられぬようになったということでしょう。

今は、もう、うまく泣く事すら出来なくなりました。耐え忍ぶ事が得意になったのでしょう。なんたることでしょう。それはそれでよいのかもしれませぬが、少しばかりの寂寞の念を感じます。それなりに、歳をとってきたのでしょうか。

幸福のど真ん中。絶えず移動するその中点を、何処かに生み出し続けていきたいのだということを願うのは、一匹の愚かな人間として、身に余ることでしょうか。しかし、誰もが、それを何処かで望んでおることと思います。わたしにも、出来るでしょうか。出来ると信じてみたいのでしょう。

幸福のど真ん中へ。
沈黙のど真ん中へ。
忘れてしまう掌のぬくみのような、
かすかな記憶のふれる場所へ、
いつまでも、旅していたいと願うことは、
野暮なこと、なのでしょうか。